2016秋季関東大会

昨日は水戸で関東大会でした。  城西支部からは34名の選手が出場し、8名が入賞しました。  入賞した選手について気づいたことを書いてみます。

①諸岡幸乃(小学1年生女子・第3位)・・・今年は国際親善大会と春季関東大会と城西カップで優勝、極真祭で準優勝と安定した力を付けてきました。  突きと蹴りのバランスの良さと体幹の強さが光ります。  次回は再び優勝できるよう、稽古に励んでもらいたいと思います。

②諸岡怜治(小学3年生男子+30㎏・第3位)・・・前回の城西カップの優勝を機に自信がつき、実力が発揮できるようになってきました。  妹の幸乃同様、突きと蹴りのバランスの良さと体幹の強さが光ります。  今回の優勝者である任選手は、城西カップで怜治が勝った選手でした。  任選手と良いライバル関係になれるよう、精進を重ねて下さい。  

③中水流梨央(小学4年生女子・第3位)・・・準決勝の終盤で、相手選手の胴廻し回転蹴りで技有りを取られてしまいました。  それまでは押し気味に試合を進めていただけに残念ですが、それが組手試合の怖さでもあります。  ちょっとした油断が命取りになるのです。  でも、良い勉強になったと思います。  次回のリベンジに期待します。    

④福永悠莱 (小学5年生女子-35㎏・準優勝)・・・今年の国際親善大会と極真祭で第3位、今回は準優勝と確実に力を付けてきました。  先日の昇段審査会で、「組手中に視線が下を向くので、頭が前に傾き、接近戦で注意を取られやすい」と指摘しましたが、その点も矯正されていました。  次回は優勝できるよう、創意工夫・精進して下さい。

⑤ 岡部慎太郎(中学2・3年生+55㎏・優勝)・・・春季関東大会・極真祭と第3位が続いていましたが、待望の優勝となりました。  突きと蹴りにパワーと威力を感じます。  さらなるウェイト・トレーニングで筋力アップができれば、もっと簡単に勝ち上がれるようになると思います。  技・パワー・スタミナ・精神力ともに将来のチーム城西の代表選手としての可能性を感じます。

⑥佐藤拓海(高校生男子-75㎏・準優勝)・・・決勝戦は延長で減点1を取られ、判定負けしました。  庄司宇天名とともに、森善十朗・鎌田翔平に続く城西支部らしい華麗なる組手の体現者になる可能性を秘めています。  最後のせめぎ合いの場面で精神的な粘りに欠ける試合が続いていたのですが、今回はある程度克服できたと思います。  でも、試合後に本人にも話しましたが、延長戦になって反則を重ねるということは、「勝つことをあきらめて試合を投げている」と見られても仕方がないと思います。  ベースになる心肺機能強化のためにスタミナトレーニングの量を積むこととともに、先日の全日本大会でセコンドについた鎌田翔平の後継者になるんだという強い自覚が必要です。  だって、全日本チャンピオンなった選手のセコンドに2日間マンツーマンでつけるなんて恵まれたチャンスは、そうあるものではありません。  是非そのチャンスを生かしてください。  先日のテレビ放映でもペットボトルを持った拓海が準主役のように映っていました(笑)

⑦吉村基(高校生男子+75㎏・準優勝) ・・・180cm・92㎏と体格にも恵まれ、恋之介・桑瀬・和孝に続くチーム城西の全日本選手候補です。  準決勝で見せた連打や技の組み立てにはセンスを感じました。  今回の決勝戦は実績のある高橋選手に名前負けしたような印象です。  173cm・86㎏と一回り小さい高橋選手の突きの連打で押し出されたのはいただけません。    年下の高橋選手にリベンジすることが、当面の目標ですね。

⑧伊藤駿汰(一般新人戦-70㎏・優勝)・・・準決勝・決勝ともに上段廻し蹴りのキレが際立っていました。  近いうちに全日本クラスの大会に出場できるよう、高い意識を持って稽古に励んでもらいたいと思います。  かって早稲田大学極真同好会を作った東孝・現大道塾塾長は入門から2年半後の第6回全日本大会で準優勝しました。  それ以外にも短期間で全日本のトップ選手になった例はいくらでもあります。  伊藤にはそれだけの可能性を感じます。  要は意識の問題です。

今日から明後日まで中国・北京です。  寒さと大気汚染が心配です。

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「ヤギ」と「バンビーノ」

1.11月8日のブログで「今年のアメリカ大リーグのワールドシリーズに勝ったシカゴ・カブスは、なんと108年ぶり3回目のワールドチャンピオンです。」と書きました。  11月2日に行われたワールドシリーズ第7戦は延長10回、8-7でカブスの勝利です。

1907年と1908年に連覇して以来108年ぶりにワールドチャンピオンになったわけですが、ワールドシリーズには過去17回出場しています。  最後に出場したのが1945年ですから、これも71年ぶりのワールドシリーズ進出でした。

「ヤギの呪い」といわれる「事件」が起きたのが、その45年の第4戦です。  ペットのヤギを連れていた居酒屋経営者のビリー・シアニスさんがヤギの臭いを理由に追い出されました。  シアニスさんは「カブスは二度と(ワールドシリーズで)勝てないだろう」と言ったそうですが、その後、カブスはワールドシリーズに出られなくなったのです。


2.11月16日朝日新聞に『「ヤギ」と「バンビーノ」 二つの呪い解いた頭脳』という記事が載っていました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①長くひのき舞台に縁のなかったチームを最強軍団に変えたセオ・エプスタイン編成本部長(42)の手腕が再び注目を集めている。

②カブスが1945年を最後にワールドシリーズ出場から遠ざかっていた原因は「ヤギの呪い」として話題になったが、同氏が「呪い」を打ち破ったのは今回が初めてではない。

③2004年にはゼネラルマネージャーを務めていたボストン・レッドソックスを86年ぶりに頂点に導き、「バンビーノの呪い」を解いたと言われた。  バンビーノとは、レッドソックスが1920年に放出したベーブ・ルースの愛称だ。

④エプスタイン氏は、野球統計学を生かした眼力でトレードを敢行。  大幅な入れ替えで、負けに慣れたチームの空気を一新した。

⑤「呪いを解くスペシャリスト」と称され、将来の野球殿堂入りも確実視される。

⑥シカゴやレッドソックスの本拠地ボストンでは、4年後の大統領選出馬を望む声まで出ている。』


3.「バンビーノの呪い」をウィキペディアから抜粋し、これも番号を付けて紹介します。

『①1919年度のオフシーズンにベーブ・ルースがヤンキースへトレードされて以降、レッドソックスは1946年から1968年までの間に4度アメリカンリーグを制覇していたにもかかわらずワールドチャンピオンの座を逸するなど、その成績は下降線を辿ることとなる。

②一方でルースを獲得したヤンキースはトレード以降の84年間でワールドシリーズに39回進出、うち26回は優勝を果たしており、レッドソックスと対照的に北アメリカのプロスポーツ界で最も成功を収めたチームの一つに成長していった。

③このような理由から、のちにボストン・レッドソックスの低迷はニューヨーク・ヤンキースにトレードされていったバンビーノ(ベーブ・ルース)の呪いが原因であるとする「バンビーノの呪い」というジンクスが誕生した。』


ちなみに、「ヤギ」と「バンビーノ」に並んで「メジャーリーグの三大呪い」と言われたシカゴ・ホワイトソックスの「ブラックソックスの呪い」も、2005年、88年ぶりのワールドシリーズ制覇によって解けています。  それぞれ、108年ぶり・86年ぶり・88年ぶりって、すごいな~(笑)

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教養と修養

若いころ、直木賞作家で経済評論家の邱永漢先生・日本将棋連盟会長で元名人の米長邦雄先生・上智大学教授の渡部昇一先生の本をよく読みました。  三人とも物事の本質を分かりやすく解説する名手です。

ところが、2012年の5月に邱先生が、12月には米長先生が相次いで亡くなられました。  一方、86歳になった渡部先生は『実践・快老生活』(PHP新書)を先月出版されました。  「修養」について書かれた項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①退職金をもらってから20年を超えたが、その間、まったく退屈ではなかった。  本を読む時間が増え、考える時間も在職時代よりかえって増えた。  (中略)  高齢者に適しているのは「人間学」だと思う。  「修養」といってもいいかもしれない。  人間学の中心になるのは古典や歴史だ。

②古典というものは何百年間も読み継がれてきたものだから、歳をとってからでも大いに参考になる。  (中略)  人生経験を積んだ高齢者こそ、古典を読めば、いろいろ考えさせられることが出てくる。

③何系統の古典でなければならないという決まりはない。  日本には儒教的な言葉も残っているし、仏教の言葉も残っている。  キリスト教の言葉もある。  神道の場合は言葉では語られていないけれども、神道的な考え方も残っている。  いずれも自分を磨くために役立つ。

④また、歴史に学ぶこともそうである。  組織の興亡を記録した歴史は、いうまでもなく人間学に直結する扉である。  歴史の中で繰り広げられる人間模様を知ることは、人間とはいかなるものかを理解するための、かけがえのないよすがとなる。

⑤ここで「教養」と「修養」の違いについて考えたい。  私には「教養」という言葉はどちらかというと青年向きの響きであるように感じられてならない。  (中略)  若い人に対しては「教養を高めよう」でいいかもしれないが、高齢者に「教養を高めよう」というのは、どうもしっくりこない。  年齢に関係なく自分を磨き、自分を高めることは大事だから、やはり「修養」や「人間学」という言葉を使うべきではないか。

⑥実際に、政治家やジャーナリストなど社会の先頭に立って活躍すべき人々の中でも、残念ながら「人間としてなっていない」と表現せざるをえない例を散見する。  変な言い訳や、取り繕い、責任回避などばかり重ねる人は、みっともないことこのうえない。

⑦学者やジャーナリストが政治家に転身した場合、さすがに「教養がない」とはいいがたい。  しかし、まったく人間を磨いた跡が見られないのだから「修養がなっていない」とはいいうるであろう。  そして、そちらのほうが致命的なのだとも。

⑧様々な読書や勉強を通じて、教養を高めることが大切なことはいうまでもない。  だが、それ以上に大事なのは、人としていかに生きるかという心構え、覚悟を知ることではなかろうか。

⑨そのために必要なのが「修養」であり、「人間学」なのである。  そしてそれは、歳を重ねてからもますます大切になってくる。  「修養」は不滅である。  人間学を学んで修養を積んでいる人は、いつまでも衰えない。』

20代の頃、渡部先生が書かれた『知的生活の方法』を読んで感銘を受けたことを思い出します。

渡部先生に直接お目にかかったことはありません。  著書を通してしか知りえませんが、二十数年人生の先を行かれる渡部先生のような存在は、私にとってはとても貴重です。

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