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正確な情報

1.6月27日と8月27日のブログで、1945年に終わった太平洋戦争の敗因について書かれた本を紹介しました。  今回は『帝国軍人の弁明』(保坂正康著 筑摩選書)を取り上げます。  「第2章 堀栄三『大本営参謀の情報戦記』を読む」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①昭和陸軍の情報をうとんじる体質は、1944年10月の台湾沖航空戦を見ても充分に窺える。  この航空戦は(1941年12月の)真珠湾攻撃以来、まったく勝つことのできなかった日本軍が珍しく大戦果をあげたということで、国を挙げて旗行列を行った。

②「大本営発表」によると「台湾沖航空戦では、轟撃沈が空母10隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦1隻、撃破は空母3隻、戦艦1隻、巡洋艦4隻、艦種不詳11隻」という大戦果である。  ところがこれがまったくの偽りであった。  空母など1隻も撃沈していなかった。  (中略)

③情報をうとんじる、あるいは正確な情報を求めるより、集団で容認した虚構をそれぞれが信じることで、安心する心理が生まれていたのである。  (中略)  50万人余りの日本軍将兵が死ぬレイテ決戦はまさに虚構の上に成り立っていたのである。』


2.1の『大本営参謀の情報戦記』(堀栄三著 文春文庫)も読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①情報は収集するや直ちに審査しなければならない。  こんなことは情報の初歩の常識である。  航空戦の場合はいったい、誰が、どこで、戦果を見ているのだろうか?  

②真珠湾攻撃のときは戦果の写真撮影があって、戦果の確認が一目瞭然であった。  その後の航空戦では、真珠湾のときのような戦果の確認が出来ていない。  (中略)

③航空戦の実相は、戦闘参加機以外のだれかが、冷静に写真その他で戦果を見届ける確認手段がない限り、誇大報告は避けられない。  極限に立たされた人間には、微妙な心理が働くものである。  戦術ばかりでなく、情報参謀にはそうした心理学的研究も必要であった。  (中略)

④米軍は常に戦果確認機をだして写真撮影するのが例になっているが、日本の海軍でも陸軍でもその方法は採られなかった。  これが国運を左右する結果を招いてしまったことは、将来とも肝に銘ずべきことであろう。  とにかく目で見ることは戦果確認に一番大事なことであった。』


3.空手の試合においても、自分と対戦相手の情報を正確に把握することが大切です。  試合での戦術は、正しい情報を前提として構築するものだからです。  自分を過大評価し、相手を過小評価してはいけません。  もちろん自分を過小評価し、相手を過大評価することも良くありません。  

極真の選手にとっては、さまざまな映像を見ることと同時に、機関紙である『ワールド空手』を読むことは必須だと思います。  海外勢を含め、多くのライバル選手の情報が載っているわけですから。

明日は城西カップです。  大会当日も、対戦予定選手の試合を見て、最新の情報を得ておくことは大事です。  選手の皆さんの健闘を祈ります。  

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お人好し

先週に続き、渡部昇一先生の本を取り上げます。  『人生の手引き書』(扶桑社新書)の「お人好しはマイナス要素だと思われがちだが、真逆である」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①仕事をする上で、頭がキレるということも重要だが、その一方で、人柄の良さも絶対に欠かすことのできない要素である。  人柄のいい人はパッとした華々しさこそないけれど、長い間にだんだん周囲の人の信頼を得て、最終的にはかつがれてトップに立ってしまうということも少なくない。

②反対に、あいつはいつ裏切るかわからない、ちょっと汚いことをする、野心家で他人を蹴落とすことをなんとも思わない、というような人は、だんだんに周囲の信用を失って自然淘汰されてしまうものなのである。

③人柄の良さで成功した一番の好例は、豊臣秀吉だろう。  秀吉は、戦国時代には、珍しいほどのお人好しだったのだ。

④たとえば、織田信長が比叡山の焼き討ちを行ったときのことだ。  同じく信長の腹心で切れ者といわれた明智光秀らの武将が、僧侶をも皆殺しにせよという信長の命令に忠実に従ったのに対し、秀吉が担当していた香芳谷だけはやや寛大で、ここから多くの男女が逃れ出て、多少の宝物も持ち出されたのである。

⑤秀吉も恐ろしいほどの切れ者だったから、皆殺しにしようと思えばできたはずである。  しかし、一般の僧侶や男女を殺しても仕方がない。  それにもまして、秀吉は、元来は単純に人を殺すのが好きではない気質だった。  それが、秀吉の人柄だったのである。

⑥中国攻めのときもそうだ。  敵は皆殺しにせよという信長の命令にもかかわらず、秀吉は無害のものは殺したくないという姿勢を貫いた。

⑦このように無用な人殺しはしたくないということを、秀吉は何度も見せている。  すると、秀吉というのは、めったなことでは人を殺さない男だという評判が立つ。  九州があっという間に秀吉についたのは、こうした秀吉の人柄によるところが大きいと言っていい。

⑧戦国時代という時代背景を考えれば異常なほどだった人の良さが、秀吉を天下人にしたのである。』

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なぜ戦争に反対できないのか

1945年8月15日の終戦から72年が経ちました。  毎年、終戦記念日の前はテレビで太平洋戦争関連の特番が放送されます。  昨日はNHKBS1スペシャル「なぜ日本は焼き尽くされたのか~米空軍幹部が語った“真相”~」の再放送でした。  

『十五歳の戦争 陸軍幼年学校「最後の生徒」』(西村京太郎著 集英社新書)を読みました。  作家の西村さんは1945年4月にエリート将校養成機関「東京陸軍幼年学校」に入学し、終戦までの4カ月半在籍したそうです。  「なぜ戦争に反対できないのか」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『(1)最後に、どうしても、書いておかなければならないのは、日本人の抵抗力である。  (中略)  太平洋戦争を推進した軍人は、ほとんど全員が、「勝てるとは思えなかった」といい」、「無謀な戦争だった」という。

(2)それなのに、反対の声が小さく、なぜ、敗ける戦争を開始してしまったのか?  戦争を始めてからでも、なぜ国民の間から、戦争反対の声が起きなかったのか、反戦のストライキが生まれなかったのか?

(3)この疑問は、恐らく、延々と続くだろう。いや、延々と続けて欲しい。  ここまで書いてきたことをまとめると、日本人が戦争(現代戦)に向いていない理由は以下のようになる。

①国内戦と国際戦の違いがわからない。
②現代戦では、死ぬことより、生きることが重要なのに、日本人は、死に酔ってしまう。
③戦争は、始めたら一刻も早く止めるべきなのに、日本人は、だらだらと続けていく。
④日本人は、権力に弱く、戦争を叫ぶ権力者の声に従ってしまう。
⑤頭の中では反対でも、沈黙を守り、賛成しなかったからいいと、自分を納得させてしまう。
⑥日本人の場合、社会の前に世間があって、その世間に屈して、社会的行動を取れない。
⑦日本人が、一番恐れるのは、「臆病者」とか「卑怯者」といわれることである。  だから「臆病者」「卑怯者」といわれるのを恐れて、戦争に賛成した。

(4)勝算なしに戦争を始めた。  敗戦が続いたら、和平を考えるべきなのに僥倖をたのんで特攻や玉砕で、いたずらに若者を死なせてしまう。  終戦を迎えたあとは、敗戦の責任を、地方(現場)に押しつけた。

(5)戦後は、現在まで戦争はなかったが、原発事故があった。  その時も、虚偽の報告を重ね、責任を取ろうとせず、ひたすら組織を守ることに、汲々としていた。

(6)これではとても、現代戦を戦うのは、無理だろう。  良くいえば、日本人は、平和に向いているのである。』

私の父親は1945年6月に陸軍士官学校を卒業しています(第58期生)。  もう一年早く卒業していれば前線に行き、戦死していた可能性もありました。  実際、1944年4月卒業の第57期生一覧をネットで見ると戦死して2階級特進し、大尉となった方の名前が出ています。 

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