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稀勢の里の優勝

1.このブログでもたびたび紹介していますが、私のスポーツTV鑑賞と言えば、NFLのニューイングランド・ペイトリオッツの試合とNBAのゴールデンステイト・ウォリアーズの試合です。  WOWWOWエキサイトマッチでボクシングの世界戦LIVEも観ます。

日本のものでは大相撲と柔道の日本選手権を観ます。  特に大相撲観戦は私が格闘技を好きになった原点で、初代・若乃花の応援から始まりました。  60年も前の話です(笑)

長い大相撲観戦歴の中で非常に感動した取り組みが二番あります。  一つは1975年3月場所の優勝決定戦で初代・貴ノ花が横綱・北の湖を破って初優勝を遂げた一番です。  もう一つは2001年5月場所の優勝決定戦で、14日目に右膝半月板を損傷する大けがを負った二代目・貴乃花が横綱・武蔵丸を破って22回目となる最後の優勝を果たした一番です。


2.昨日の稀勢の里の優勝は、それらに匹敵する一番でした。  スポニチアネックスにその二代目・貴乃花(現・貴乃花親方)のコメントが出ていたので、抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①稀勢の里は本当によく頑張りました。  逆転での優勝は横綱としての責任を果たした結果で、立派だと思います。

②13日目の日馬富士戦で左肩辺りをケガしたと聞きましたが、得意の左おっつけが出せるのかと心配しながら見ていました。  14日目は鶴竜にあっけなく負けてしまい、千秋楽も厳しい戦いになるのかな、と。  

③本割では左に変化して、痛めた左をなんとかねじ込もうとし、照ノ富士の動きを止めたことが良かったと思います。  押し込まれながらも、うまく回り込んで右からの突き落としで勝利をもぎ取りました。

④こうなると勝っている方が気持ちに余裕が出てきます。  決定戦で支度部屋に戻ってきた稀勢の里の顔を見たのですが、実にどっしりとしていました。  大関の時には自信がなさそうだったのに、横綱になり、本当に殻をひとつ破ったようです。  風格というか、堂々としたものを感じました。  

⑤立ち合いで相手にもろ差しを許しながら放った右からの小手投げは執念でした。  絶対に優勝するという強い気持ちが相撲に出ていたと思います。  照ノ富士も左膝が万全ではないうえ、疲れが出たのか、足が送れていませんでした。』


3.ネット版のスポーツ報知に、昨夜のNHK「サンデースポーツ」に出演した際の模様が出ていたので、これも抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①杉浦友紀キャスターの質問に答える形で、「応援のおかげでここまで来られた。  うれしい」と第一声。  13日目に左肩付近を負傷したが、「詳しいことは分からないけれど、たぶん大丈夫だと思います。  (本割の取組後は声援を受け)痛くはなかったですね」と答えた。

②本割での左の変化について問われると「足は元気なんでね。  足で何とかしようと…。  作戦というか、上手を取られたけれど動き勝ちというか」と振り返った。  

③優勝決定戦での小手投げについては「最後に賭けたって感じですね。  土俵際というか、そこに賭けていましたね。  (先代の師匠、元横綱・隆の里の鳴戸親方は)いつも稽古場で土俵際が面白いって言っていたので、(土俵際の)そこなんだよって。  いつも言っていたので、力を出せたのは教えのおかげというのもありました」と感謝を忘れなかった。

④君が代斉唱中の涙について聞かれると「お見苦しい姿をお見せしてすみませんでした。  色々な思いが…。  いろんな人の支えが…。  感謝の気持ちを思い出して涙が出ました」と話した。』


4.今年2月のスーパーボウルで3対28の25点差から逆転勝利したペイトリオッツといい、昨日の手負いの稀勢の里の優勝といい、大感動の勝利が続いています。  月並みですが、「最後まであきらめないこと」ですね。




 








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王貞治さん

今月の日経新聞『私の履歴書』は野球の王貞治さんが書かれています。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.1月1日の第1回連載・・・通算756号本塁打を打ったときのこと

①1977年の夏休みの終わり。  (中略)  大リーグの通算本塁打記録であるハンク・アーロンの755号越えが迫り、異様なムードになっていた。

②「世界新」と人はいうが、球場も違えば、投手の質も違う。  近ごろ話題になる球の違いもあり、単純に数を比べるのはどうかと私は思っていた。  (中略)

③755号は8月31日。  756号が出たのは9月3日のヤクルト戦で、2試合足踏みしただけだった。  (中略)

④打ったときの私の態度に感心してくれた人がいる。  コリン・パウエル米国務長官。  2002年、ワシントンのホワイトハウスを表敬訪問してお会いしたパウエルさんはビデオを見て「スイングも見事だが、はしゃがず、おごらずベースを回る姿に気品がある」とおっしゃった。

⑤「記録を作ったときくらいはゆっくりベースを回れ」とか「手を振れ」とか仲間に言われていたので、打った瞬間万歳はしたが、すぐ相手の鈴木康二朗投手のことが気になった。  一塁を回ったところでマウンドをみやった。

⑥勝負の世界に生きる者同士、お互いにつらさもわかる。  1打席目の四球で、今でいうブーイングに近いため息がわきおこった。  (中略)

⑦756号を打った打席もフルカウントになった。  最後は甘目のシンカー。  「鈴木投手も第1打席に続いて歩かせてはいけないと思ったのでしょう」と私はコメントした。

⑧淡々とベースを回っていたように見えたとすれば、そういう思いがあったことともう一つ。  父、仕福の「万事控えめに」という教えだ。


2.1月6日の第5回連載・・・早稲田実業高校に入学直後の投手デビュー戦のときのこと

①5月3日、春の都大会決勝戦がデビュー戦となった。  相手は春の選抜で甲子園に出たばかりの日大三高だ。  (中略)

②のちに阪神入りする並木輝男さんらの強力打線を完封して4-0。  すっかり有頂天になり、ベンチ前でグラブを放り上げて喜んだ。  

③これを兄にとがめられた。  「お前は相手の気持ちを考えたことがあるのか」

④そこには父の教えがあった。  「(中国から)日本に来て、日本に生かされている」という父は偉ぶったりおごったりして反発を買うことを戒めていた。』

大山総裁は生前、試合場でのガッツポーズを禁止されていました。  勝者は敗者の気持ちをおもんばかるべきだとの理由からでした。  

現在他の競技でガッツポーズが禁止されているのは大相撲と剣道だそうです。  また野球のメジャーリーグではホームランを打っても、相手のピッチャーに失礼になるのでガッツポーズはしないようですね。

今日は初指導でした。  今年は当然、世界チャンピオンを目指した稽古になるわけですが、技術・体力だけでなく、精神面や態度の向上も課題です。

結局は世界チャンピオンになるのにふさわしい技術・体力・精神・態度を備えた人にその称号が与えられるような気がします。

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男を磨く

新年明けましておめでとうございます。

指導員のブログを読んでいたら、鎌田翔平が大晦日に「来年も1人の空手家として、1人の男としてさらに成長したいです。」と書いていました。

昨年12月12日の日経新聞夕刊に大相撲の境川親方(元小結・両国)が『土俵は男を磨く修行の場』という文章を書かれていました。  『男』つながりで抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①私をはじめ、みんな修業の身、男を磨く途中なんです。  自分の生き方が人に笑われる生き方なのか、自分でしか判断できませんが、日本人の昔からある「恥の文化」を大事にしたいのです。

②親兄弟を含めて、今までお世話になった人や若い衆、家族、みんなが見ている。  損得じゃなくて、やらないといけないこと、やっちゃいけないことを決めたら「行け」です。

③小さいときに祖父に言われたことをすごく覚えています。  それは「表で、うどん一杯でもチャンポンの一杯でもな、人に世話になったら、一生忘れたらつまらんぞ、男は。  その代り、お前が人に何かしたことは、した時に忘れろって」。  今も一番大事なことだと思っています。

④部屋の吉の谷さんが亡くなって仏壇に手を合わせ、お寺のマッチ箱を見たらこう書いてあった。  「受けて忘れず、施して語らず」。

⑤これはじいちゃんに子供の頃に言われたこととまるっきり同じだと不思議な気持ちになりました。』

本年もよろしくお願いいたします。

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