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「流れ」の正体

『運』(野村克也著 竹書房)を読みました。  第5章『「流れ」の正体』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.①野球の試合の中で、常に勝敗を左右するキーワードのように言われるのが「流れ」である。  「あそこで流れが大きく変わった」「あのエラーで流れが向こうに行ってしまった」「このファインプレーで流れがこっちに来るぞ」  そういう言葉を多くの試合で耳にする。

②いったい、この「流れ」とは何か。  これも運やツキと同じように、理論的には明確に説明しにくいものだ。  そのくせ、私を含めて長年、野球の現場に携わってきた人たちは、同じ場面を見て、異口同音に「これで流れが変わる」と言ったり感じたりする。  つまり、そうした「流れ」が明らかに存在するというのが、野球経験者や野球を見聞きしてきた人の共通認識だ。

③「流れ」を私なりに定義するとすれば、「勢い」であり「雰囲気」であり「感性」である。  劣勢だったチームが流れをつかんで、勢いに乗って逆転勝ちをする。  いい流れが来て、それまで沈んでいた空気がガラリと変わって、ベンチもチームもいい雰囲気になって逆転勝ちをする。  目に見えない流れを感じる力、つまり感性が優れている選手や監督がいるチームが流れをつかんで、実力が上回っている相手に勝つ。

④「流れが味方して勝った」というのは、そういったことの積み重ねの結果だ。  流れを味方につければ逆転勝利もできるし、実力以上の結果を得ることもできる。  逆に言えば、流れが相手に行ってしまうと、優勢だったのにひっくり返されてしまったり、実力で劣っているはずの相手に負けてしまったりする。

⑤流れの怖いところは、たった1球で変わってしまうことだ。  (中略)  ここで瞬時に状況判断や予測をする力こそが、流れをつかむためにもっとも大切なことだ。  それが、感性なのだ。

⑥感性とは、感じる力であり、気づく力である。  (中略)  一流と言われる選手が身につけている「感じる力」を二流以下の選手は持っていない。  言い換えれば、鈍感な人は、決して一流になれない。  鈍感な人は、流れも見えないし、結局は運もツキもつかめない。

2.①感情の動きがプレーに影響を与え、試合の流れを変えてしまう。  逆に言えば、ピンチになろうがチャンスになろうが感情を大きく揺さぶられることを防げれば、こちらに来ている流れを相手に渡すこともない。

②あるいは、相手が不安になったり動揺したりしていることを感じ取れることができれば、その隙を突いて流れをこちらに引き寄せることもできる。  

③感性と感情が流れを左右する大きなポイントだとすれば、感性を磨き、感情をコントロールすることによって、流れをつかむこともできるはずである。

3.①流れとは、目に見えないものだ。  流れも運も、形として目に見えないけれど、ときとして勝負の行方を左右してしまうほどの力がある。  流れも運も、いわば「無形の力」なのである。

②私は監督としてチームを率いるときに「無形の力を身につけよう」ということを繰り返し言った。  とりわけ、楽天のように戦力が乏しい球団では、実力だけでは強豪相手に戦えない。  弱者が強者に勝つためには、実力プラスアルファの力が必要だ。  それが、無形の力なのだ。

③無形の力とは、たとえば、観察力や情報収集力、分析力や洞察力、記憶力、判断力、決断力といったものだ。  頭を使い、知力と感性を働かせて戦えば、有形の力だけでは勝てない相手に勝つことができる。  それが無形の力だ。

④たとえ体力や技術力で劣っていたとしても、知力でそれをカバーすることはできる。  指導者の中には「体力や技術力を気力でカバーしろ」と言う人もいるが、私はそういう指導を尊敬できない。

⑤気力も無形の力と言えなくはないが、、昔ながらの軍隊式精神野球の根性論には知性も感性も根拠も乏しい。  理をもって戦うことをよしとする私から見れば、「気力も必要だが、やみくもに根性で戦う前に知力を使おう」と言いたくなる。

⑥エネルギーにたとえれば、持続可能な力は、どう考えても気力ではなく知力のほうである。  流れについて言えば「気力と根性で流れを呼び込もう」というよりは「知力と感性で流れを見極めよう」というほうが、少なくとも再生可能なエネルギーになりそうだ。』

NFLの試合を観ていると「momentum(モメンタム)」という言葉がよく出てきます。  「(試合の)流れ」のことです。  

極真の大会でも、試合の流れを自分のほうに引き寄せることは大切ですね。  そのためには、①感性を磨くこと、②感情をコントロールすること、③知力を使うこと、の三点が、野村さんによると重要なのだそうです。  まったく同感です。

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改革

明けましておめでとうございます。  本年もよろしくお願いいたします。

今回は全日本柔道男子監督の井上康生さんが書かれた『改革』(ポプラ社)を取り上げます。  史上初の金メダルゼロに終わった2012年のロンドン五輪後に監督に就任された井上さんは、昨年のリオデジャネイロ五輪で1964年の東京五輪以来となる「全階級メダル獲得」を達成されました。

『試合展開のパターンが多いのが強い柔道家』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①かっての日本には「組んだら(一本を取って)勝てる」という強烈な自負がありましたし、実際にそれで勝っていましたから、いわゆる「ポイント狙いの柔道」は、「柔道じゃない」「邪道だ」とされてきました。  しかし、もうそういう時代ではないのです。

②現実的には、これまで日本柔道がすすんでやってこなかったような、指導を取ったり、有効や技ありを狙ったり、指導を取られないためのディフェンス技術など、試合で勝つための細かいテクニックが必要になっています。  言い換えると、確実に勝利を収めるための、負けない技術です。  (中略)

③実際の試合は、最終的に一本を取ることを目指していても、そのための過程は必ずあって、多様な展開があります。  ですから、練習では、一本を取るイメージだけでなく、「あんな流れに持ち込みたい」「こんな方法でポイントを奪いたい」という試合の展開図を描きながら行う必要があります。

④試合展開のパターンをいくつも描ける人間は強いです。  さまざまなストーリーを描きながら、自分の柔道を展開していく想像力を持ち、たとえ指導による優勢勝ちであっても「どんなことをしてでも勝つ」という発想で日ごろから練習できているので、対応力があるのです。  そうした選手は、想像力のある究極のリアリストと言っていいでしょう。

⑤もっと言えば、世界の頂点に立つには、その柔道を刻々と変化させていく柔軟性と多様性が求められます。  近年、世界ランキングの関係で、日本人選手は一人につき平均年間3~4大会、多い選手だと6~7大会も国際大会に出場しています。  そのため、技や攻めパターンはすぐにライバルに研究、攻略されてしまいます。

⑥ですから、得意技や攻めパターンは絶えずブラッシュアップをしていかなければいけません。  大会ごとに新しい技や攻め手を繰り出し、対戦相手を常に幻惑させられるような選手でなければ、今の世界では生き残っていけないのです。

⑦我々は、あくまでしっかり組んで一本を狙う柔道を追求していきます。  しかし、それだけでは現実と乖離していますので、一本をベースに、指導を取ったり、有効を奪ったりといった技術を使い、確実に勝利を収める柔道も並行して追求していきます。

⑧それが、「強いこと」と「勝つこと」の両方を求められている日本柔道だと思います。』

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輪島功一さん

1.ボクシング元世界チャンピオン・輪島功一さんのインタビュー記事が11月28日から全10回で朝日新聞夕刊に連載されました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。


『①――練習では根性が大事。

俺のジュニアミドル級(現スーパーウエルター級、体重69・85キロ以下)では、俺よりリーチ(両腕を横に広げた時の左右の指先の間の長さ)が長いボクサーばかりだった。  だから相手のパンチが当たらないよう、動いて動いて動きまくる。  よけてパンチを出させて、パンチを出させてよけて、間を詰めて、ガーンと打つわけよ。  その動きを身につけるために人の3倍、4倍も練習した。


②――輪島さんは序盤から全力でいくタイプでしたね。

3回で6回分のスタミナを使った。  心配ですよ。  ものすごく勇気がいるんだよ。  でも、自分のペースになる。  相手ペースでやったら、100の力のうち80を出しても50しか通用しない。  でも、自分のペースでやれば、相手のいいところを殺せるから、50で80、90の効果が出る。  そういうところが、輪島っちゅうのは頭が良かった。


③――71年10月、世界同級王者のカルメロ・ボッシ(イタリア)に挑み、中盤、しゃがんでからジャンプしてパンチを出します。

天下のカエル跳びが出たんだよ。  当たったんだよ。  カーンとではないけど。  ボッシが「俺様の前で無様な格好しやがって」という顔で打ってきた。  倒されるかもしれない。  でも、自分のパンチも当たる可能性がある。  グングンいってさ。  2―1の判定で勝ったんだよ。

――カエル跳びは練習していたのですか。

してないよ。  その場で、相手の出方を変えようとやった。  やろうと思えば、みんなできる。

――そもそも上半身をよく動かす変則スタイルでしたね。

リーチをくれっていうんだよ。  俺は168センチで短い。  同じ腕の長さをくれれば同じスタイルになってやるよ。  パンチをもらわないための工夫、駆け引きだよね。  それで変わったことをするんだよ。


④――世界ジュニアミドル(現スーパーウエルター級)王者としての初防衛戦は1972年5月。  相手はドメニコ・チベリア(イタリア)でした。

相手は一度もダウンしたことがなかったらしい。  打たれ強い。  KOじゃないよ、ダウンだよ。  これは考えた。  よし、変わったことをやろうと。  一度下がって、勢いをつけてパンチを打った。  パンチの力が強くなるでしょ?   まさか、というパンチで相手はダウンした。  ここで倒さなかったら逆にやられると思って、一気に行ったら1回KO勝ち。  可能性があったら、何でもかけてみないとね。


⑤――2度目の防衛戦が同年10月。  マット・ドノバン(トリニダード・トバゴ)戦でした。

相手はリーチが35センチも長かったんだよ。  こいつに勝つにはどうしたらいいか考えて、調印式に巻き尺を持っていった。  もう試合前から始まってんだからね!   「ミスタードノバン、グッド、リーチ」とか言って測ってさ、「いやあ、これは無理だ」という顔を見せるわけだ。  相手はニヤニヤ笑ってたよ。  心の駆け引きね。

――相手より速く動くことがポイントだったのですね。

あっちへ行って、こっちへ行って、やつのパンチは当たんないわけ。  「おかしいな。  俺のプレッシャーがかかっているはずなんだけどな」という顔しているのが、ありありとわかるわけよ。  打たせて寄っていって、左フックで3回にKO勝ちだ。


⑥――6度目の防衛戦は74年2月、73年1月に引き分けたミゲール・デ・オリベイラ(ブラジル)との再戦。  相手有利の前評判でした。

そうだね。  そこで、あっちむいてほい作戦だ。  タクシーに乗っていて、「輪島さん、この前の試合良かったね」とか、運転手といろいろ話をしていたら、運転手が相づちを打ちながら、窓の外の方を向いたんだよ。  俺もそっちを見た。  別に何もない。  でも、運転手がみたら、そっちを見るだろ?   これ、やってみようと思ってね。

――何回に実行したのですか。

4回か5回かな。  調子に乗せまいと思って。  構えて、パッとあっちをみたらさ、あいつもそっちを見たんだよ。  そこでバーンと打ったら当たった。  怒ってさ。  もう俺のペースだ。  ガンガンいって。  「100%勝てない」と言われた相手にしっかり判定で勝ったんだよ。

――駆け引きの勝利でしたね。

今、駆け引きという言葉は、悪いイメージに思われがちだ。  いい方に考えないとね。


⑦――76年2月、前年6月にKO負けした柳済斗(韓国)と再戦をします。

(75年1月に再戦で勝利した)オスカー・アルバラード(米国)もそうだったけど、一度勝った方は余裕を持ってくるわけだ。  そこで、今度は調印式でマスクした。  ゴホッ、ゴホッと。  目は合わせないよ。  小便に行った時、相手のトレーナーが「ワジマ、どうした?」と。  「大丈夫、ゴホッ、ゴホッ」と。  見ていたら笑って出ていった。  やった、と思ったよ。

――風邪をひいていると思わせた。

コーチをだませたら、選手もだませるよ。  「いいところ、3回までだろ」という感じよ。  いや、ホントに風邪をひいていると、3回までしか持たない。  1回からガンガン行ってさ、2回もガンガン行って。  そうしたらね、笑ってたね。

――そろそろ落ちる、と。

 そうそう。  「早く勝負をつけようとしているんだろう」と。  4回になるとね、「あれっ」という顔をし始めた。  で、ガンガン行ってさ。下がったらパンチをもらうから。  前行って、前行って、前行って。  15回KO勝ち。』

③のカルメロ・ボッシの「しゃがんだり、左右に動いたりで見ているだけで疲れた」というコメントが朝日新聞に載っていたそうです(笑)


2.日曜日は松井館長・高橋佑汰選手・上田幹雄選手と全空連の全日本大会に行きました。  昨年も招待されたのですが、パッと見たところ観客が倍以上入っていました。  オリンピック効果は凄まじいです。  また、今年から天皇杯・皇后杯が授与されるということで、天皇陛下が決勝戦を観戦されました。  

極真会館も含めた空手界全体にとって、2016年は『空手維新』ともいうべき大変革の年だったのかもしれませんね。  さしずめ、全空連と極真会館との友好団体化は薩長同盟?(笑)


3.昨日は鎌田翔平の優勝祝賀会でした。  城西支部の関係者だけでなく、富山から山口師範代と翔平のご両親にも参加していただきました。  私を含めチーム城西にとっては最高の夜となりました。  出席していただいた皆さん、本当にありがとうございます。


4.明日は恒例の城西門下忘年会です。  お忙しい中、松井館長にも毎年出席して頂いています。  

近年はOBの大賀雅裕(J-NETWORK代表)も参加してくれています。  城西初期のメンバーと何十年も前の思い出話で笑えるなんて、こんな幸せなことはありません。








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