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宗教心・道徳・歴史

参議院議員の山田宏先生が書かれた『道を拓く男。 山田宏』(光明思想社)を読みました。  『教育の基礎は「宗教心」「道徳」「歴史」』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『私は、立派な子供を育てる基礎は三つあると思っています。  一つには「宗教心」、二つ目は「道徳」、三つめは「歴史」です。

1.①「宗教心」というのは、宗教教育というわけではなく、日本に古来から伝わる昔話を伝えることです。  最も良いのは『古事記』『日本書紀』に始まる日本の神話を教えることです。  それは簡単に言うと、自分自身という〝個〟を超越した存在がおられて、それに〝生かされている〟という思いです。

②自己を超越した存在というのは、ご先祖様であったり、お天道さまであったり、神様・仏様です。  自分の眼しか持ち合わせていなければ、どうしても自己を見る眼が甘くなってしまうのですが、先祖の眼、お天道さまの眼、神様・仏様の眼、つまり自分よりも高い存在、崇高な存在があって、常に自分を見つめていると意識させるのです。

③「お天道さまが見ているよ」「神様・仏様が見ているよ」・・・こういうことを子供に言い聞かせていたのが、日本の教育でした。  それがいつの間にか消え去ってしまいました。  「目に見えないものは存在しない」ということになってしまいました。

④目に見えるもので一番大事なものは何か。  それがお金になってしまったわけです。  拝金主義、そして目に見えるものしか信じられない唯物論が広がってしまいました。

⑤自分を超越した尊い存在があって、それに生かされているというのが「宗教心」です。  それが立派な人間を育てる一つめの要素であるわけです。

2.①次に「道徳」というのは、古今東西に伝わる偉人の話を伝えることです。  善悪とは何か。  高尚な生き方とはどういうものか。  素晴らしい生き方をされた人は、世界中にたくさんいます。  そうした生き方を知ることで、自らの人生が豊かに育まれるのです。

②道徳というのは、人間を正しく誘導するものです。  「正」という字を見れば分かるように、「一」という線を引いて、その下に「止」と書くでしょう。  人間はそのまま放置しておくと、欲に流されたり、易きに流されたりします。

③そこで流されないように「止」めておく「一」線、それが「道徳」なのです。  それが立派な人間を育てる二つ目の要素です。

3.最後に「歴史」というのは、もちろんわが国の歴史です。  それは自虐史観ではない。  そうしたイデオロギーを排した、日本の国の素晴らしさを伝えることです。』

昨年11月末に山田先生のパーティーがあり、そこでいただいた本です。  個人的には1.④の「拝金主義」「唯物論」の話に特に感銘を受けました。

そのパーティーで20年ぶりぐらいにお目にかかったのが、東孝さん(大道塾・塾長)です。  入門がほぼ同期なので、40年以上も前のことなどを思い出しました。

昨日は長年応援している稀勢の里が初優勝しました。  今日の白鵬戦に勝てば、19年ぶりの日本人横綱誕生になるのかな~?

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負けてもいい・・・

教育・人間の育成に関して考えさせられる文章を2つ読んだので、抜粋し、番号を付けて紹介します。

1.毎月一回、ソフトブレーン株式会社から創業者・宋文洲さんのメルマガが送られてきます。  今日のタイトルは『負けてもいい・・・』でした。

『①「北京に戻りたくない」。  休暇が終わる前日から、息子が呟き始めました。  親としての自分は迷いがない訳ではありませんが、3年前からその迷いを振り切って子供達を北京のインターナショナルスクールに入れました。  

②(中略)  要は日本の教育は強い人間を育てないと私が思った次第です。  優しさ、思いやり、平等、公正・・・一般論でいえば、日本の学校は中国の学校よりはるかに良いと思います。  しかし、日本の学校には競争およびこれに伴う挫折の体験が少なく、当然その挫折から立ち直るための体験や教育もできません。  

③(私の子供が通う学校では)一年に一度の運動会も競争に意欲満々の上、何らかの項目に勝てそうな生徒を選んで入場式や試合に参加させますが、意欲がなく弱い子は席に座って応援することになります。  どうしても嫌だったら学校に来なくてもいいと言われる始末です。

④読者の皆さんがどう思うかは想像できませんが、私にとって全然苦痛のことではありません。  昔、私(宋さんは中国出身)も同様な環境下で育ったので運動会というのはそんなもんだと思ったからです。  参加したい人、強い人が競争し合ってクラスや学級にメダルや優勝旗を勝ち取ります。

⑤子供がついていけない時や競争に負けた時、私はチャンスだと思っています。  頑張って挽回するのもいいですし、自信を失い苦しむのもいいです。  だって大人の世界はそればかりではありませんか。  先生が乱暴だといっても私は気にしません。  なぜならば社会に出ると上司と顧客に乱暴な人が多いからです。

⑥競争に勝つのは競争に参加する目的ではありません。  競争に慣れること、負けてもやっていけることこそ、競争参加の目的です。

⑦オンリーワンを通してもいいですし、個性的で好きなことをやってもいいです。  しかし、どんなことをやっても結果として競争に参加しなければならないことは多いのです。  負けるのが嫌で競争アレルギーを持つ人はオンリーワンも個性も守り通すことができません。

⑧「世界に一つだけの花」。  SMAPのこの歌の中国語バージョンもあります。  その歌詞は微妙に違います。  日本語の歌詞には「負けてもいい、俺がオンリーワンだから」に聞こえますが、中国語歌詞は「負けてもいい、立ち直って取り戻すから」に聞こえます。』

極真空手の試合はトーナメント形式で行われます。  ということはチャンピオン以外は全員負けることになります。  でも負けから学ぶことがたくさんあります。


2.内田樹先生のブログ『内田樹の研究室』4月19日のタイトルは『人災の構図と「荒天型」の人間について』でした。  

『①東日本大震災から1年を経過して、これが「天災」であるより以上に「人災」であるという印象を私たちは抱いている。  「天災」は自然現象であり、私たちにはそれを防ぐ力がない。  「人災」は人間の力で統御できるし、しなければならない災禍である。  その災禍の広がりを防げなかった。

②「人災」を用意したのは私たちの社会を深く蝕んでいる「無根拠な楽観」である。  「晴天型の世界観」と言ってもよい。

③私たちはある「枠組み」の中で「ゲーム」をしている。  賭けられているものは権力とか財貨とか文化資本とか、いずれにせよ「価値あるもの」である。  そのやりとりのゲーム、誰かが勝てば誰かが負ける「ゼロサム」の競争をしている。  そういう考え方が「晴天型の世界観」である。  ゲームに夢中な当人は「これこそリアル・ワールドの生存競争」で、自分ほどのリアリストはいないと思い込んでいる。

④彼は競争に夢中になっているアスリートに似ている。  フィールドがあり、ルールが決められ、審判がいるゲームをしているものにとってはたしかに「勝ち負け」が何より重要である。  だが、アリーナがゴジラに踏みつぶされたり、地割れに呑み込まれたりするときには、「生き延びること」がそれに優先する。

⑤そのような想定外の危機のときでも、適切にふるまって、人々に適切な指示を与えて、被害を最小化することのできる人間がいる。

⑥国際関係論では、「管理できる危険」を「リスク」、「管理できない危険」を「デインジャー」と呼び分ける。

⑥「晴天型」の競争主義者は「負けるリスク」のことしか考えない。  だから「デインジャー」については何も考えない。 「グローバル競争」とか「グローバル人材」というような言葉をうれしそうに口にするのはこの類の人間である。  このタイプの人間は危機的局面では腰を抜かしてものの役に立たない。

⑦震災と原発事故は、私たちの国の基幹的な組織が「デインジャー対応能力」のある人間を重用する習慣を失って久しいことを露呈させた。  むろん、単独の行動者としては散在していた。  その人たちが自己判断・自己責任でシステムの全的崩壊を局所的ではあるが防いだのである。

⑧社会の「柱」を支えている制度の内側でも、心ある人は「どうふるまっていいかわからないときに、どうふるまっていいかわかる人間」、マニュアルもガイドラインも「上からの指示」もないときに、適切にふるまって、人々を救うことのできる人間とはどのようなものか、どのようにして育成できるのかを真剣に考え始めていると私は思う。

⑨今のところは願望に過ぎないが、それに取り組まない限り、「人災」はさらに規模を拡大して繰り返し私たちを襲うことになるだろう。』

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内田樹先生『学びと勇気』

神戸女学院大学名誉教授・内田樹先生のブログ『内田樹の研究室』(11月24日)に『学力とは何か』という項がありました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①今の日本の子供たちは劇的に学力が低下しています。  それは僕も認めます。  でも、その人たちの言っている「学力」と僕が言っている「学力」はたぶん全く別のことです。  彼らが「学力」と読んでいるのは、単に成績のこと、点数のことです。  (中略)

②でも、問題はそのことではないんです。  成績が下がっていることより「学ぶ力」が劣化していることが問題なんです。  学ぶ力とは何か。  乾いたスポンジが水を吸うように、自分が有用だと思う知識や技術や情報をどんどん貪欲に吸い込んで、自分自身の生きる知恵と力を高めていって、共同体を支え得るだけの公民的成熟を果たすこと。  それを「学ぶ力」という。  僕はそう理解しています。

③学力を構成する条件の第一は自分自身の無知、非力についての強い不全感、不満足感。  (中略)  どれほど試験の成績がよくても、「オレは必要なことは全部もう知っているので、これ以上学ぶべきことはない」と豪語する子供がいたら、その子にはもう「学ぶ力」がない。  その理屈はおわかりになるでしょう。

④第二番目は、誰が私のこの不全感を埋めてくれるのか、それを探しあてる力。  「メンター(導き手)」、自分を導いてくれる人、それを見当てる力です。  本当に強い不全感を持っている子供は必ず「この人について行けば大丈夫」、この人なら、本当に自分が何をしたいかを教えてくれるという直感が働きます。

⑤先ごろ亡くなったスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学の卒業式での有名なスピーチがあります。  半生を振り返って得た結論が、一番大事なことは、「あなたの心と直感に従う勇気を持つことだ」(the courage to follow your heart and intuition)と。  どうしてかというと、ここが素晴らしいんですが、「あなたの心と直感は、あなたが本当は何になりたいかを知っているからである(they somehow know what you truely want to become)」。

⑥これを僕は本当に素晴らしい言葉だと思いました。  僕の言う二番目の学力というのはこれのことです。 「勇気」です。  こういうことを勉強すると、これこれこういういいことがある、この知識や技能や資格や免状はこういうふうにあなたの利益を増大させる、というような情報に耳を貸すな、とジョブズは言っているんです。  

⑦だって、まわりの人が「これを勉強しろ。  これを勉強すると得をするぞ」と言い立てている通りに勉強するなら、勇気なんか要りませんから。  勇気が要るのは、「そんなことをしてなんの役に立つんだ」とまわりが責め立てて来るからです。

⑧それに対して本人は有効な反論ができない。  でも、これがやりたい。  これを学びたい。  この先生についてゆきたい。  そう切実に思う。  だから、それを周囲の反対や無理解に抗して実行するためには勇気が要る。  自分の心の声と直感を信じる勇気が要る。  (中略)

⑨そのときには、いったい将来自分がどんな職業に就くことになり、今習っているこのことがどんなかたちで実を結ぶか、予測できなかった。  でも、10年後に振り返ってみたら、そこにははっきりとして線が結ばれていた。  ジョブズはこれを「点を結ぶ」(connection the dots)という言い方で表現しています。

⑩僕たちは「何となく」あることがしたくなり、あることを避けたく思う。  その理由をそのときは言えない。  でも、何年か何十年か経って振り返ると、それらの選択には必然性があることがわかる。  それが「点」なんです。  自分がこれからどういう点を結んで線を作ることになるのか、事前には言えない。  「点を結ぶ」ことができるのは、後から、回顧的に自分の人生を振り返ったときだけなんです。

⑪「学び」というのは、なんだか分からないけど、この人についていったら「自分がほんとうにやりたいこと」に行き当たりそうな気がするという直感に従うというかたちでしか始まらない。  ただし、この導き手、メンターというのは実にさまざまなありようをする。  必ずしも生涯にわたって弟子に敬愛される恩師というわけではない。

⑫道を教える役割ですから、場合によっては、会って次の角まで連れて行って終わりということだってある。  でも、この人がいなかったらその次はなかった。  やっぱり、必要不可欠のメンターではあったのです。  その出会いを後から振り返ると、みごとに「点がつながって線になっている」。  ジョブズの言うconnectiong the dots です。

⑬学びの始点においては自分が何をしたいのか、何になりたいのかはわからない。  学んだあとに、事後的・回顧的にしか自分がしたことの意味は分からない。  それが成長するということなんです。

⑭成長する前に「僕はこれこれこういうプロセスを踏んで、これだけ成長しようと思います」という子供がいたら、その子には成長するチャンスがない。  というのは、「成長する」ということは、それまで自分が知らなかった度量衡で自分のしたことの意味や価値を考量し、それまで自分が知らなかったロジックで自分の行動を説明することができるようになるということだからです。  

⑮だから、あらかじめ、「僕はこんなふうに成長する予定です」というようなことは言えるはずがない。  学びというのはつねにそういうふうに、未来に向けて身を投じる勇気を要する営みなんです。』

大学2年・茶帯のとき、このまま空手を続けるか国家試験の勉強を取るかで悩んだことがありました。  父親に「空手なんかやっていて将来どうするんだ。  勉強に専念しろ。」と言われたことが思い出されます。  

明日は昇級審査会、来週・再来週は中国です。

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