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寛容な心

『九十歳。何がめでたい』(佐藤愛子著 小学館)を読みました。  「子供のキモチは」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.①今から11年前、こういう出来事があった。  愛媛県今治市の小学校で、6年生の男子がサッカーボールを蹴っていたところ、ボールが校門の扉を越えて、丁度オートバイで走って来た老人に当たりそうになった。  老人はそれをよけようとして転倒し、足を骨折し入院。  それから1年4か月後に肺炎で死亡した。

②すると老人の遺族は少年の両親に5千万円の賠償を求めて提訴した。  少年の両親が監督義務を怠ったという理由である。  それに対する判決は一審二審共に両親の監督責任を認め一審1500万、二審1180万円の賠償を命じた。

③何ともおかしな話である。  少年は校庭でサッカーをしていた。  (中略)  それがなぜ親の「監督不行届き」になるのだろう?  親は子供が学校にいる間もその行動を監督しなければならないのか?  ボールを蹴る時は校門の外に出ないように、やさしく蹴るようにと教えなければいけないというのか?

④老人は転倒して骨折したが、それが原因で死亡したのではない。  亡くなったのはそれから一年半も経ってからで、しかも肺炎で亡くなっている。  足の骨を折ったのがもとで肺炎を引き起こすという話は世界中、聞いたことがない。

2.①我が国には昔から「運が悪かった」という言葉があり、不慮の災厄に遭った時など、この言葉を使って諦めて耐えるという「知恵」を誰もが持っていた。  人の世は決して平坦な道ではないということを皆が知っていた。  知っているからこそ親は子に耐えることや諦めることを教えた。 

②耐え難きを耐え許し難きを許すこと、それは最高の美徳だった。  自分がこうむったマイナスを、相手を追い詰めて補填(つまり金銭で)させようとすることは卑しいことだった。

③かっての日本人は「不幸」に対して謙虚だった。  悪意のない事故も悪意のある事故もゴチャマゼにしてモトを取ろうとするガリガリ亡者はいなかった。  今はそのガリガリ亡者の味方を司法がしている。  (中略)

3.①しかしこの春、事件から11年を経て、事件はようやく最高裁によって正しい判決が下された。  「危険がない遊びなどで偶然起きた事故ならば責任は免れる」という判決が示されたのである。  この国の司法にもまだ良識が生き残っていたのだ、と私の胸のつかえは一応下りた。  11年ぶりで少年の家庭から暗雲が去ったのである。

②しかし11年とはあまりに長い年月だ。  6年生だった少年は22、3になっている。  その長い思春期を彼はどんな思いで過ごしたのだろう。  彼は楽しくボールを蹴っただけだ。  それ以外にどんな悪いことをしたのか・・・。  (中略)

③そこで学校はゴールの位置を動かすなどし、教育委員会は「今後も学校施設の安全管理を徹底して行ってまいりたい」と語ったという。

④ナニが「行ってまいりたい」だ。  そんなことはどうだっていい。  そんなことより少年の心のうちを考えるべきだ。  損得よりも寛容な心を持つ人間が増えさえすれば起こる問題ではないのである。』

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愛国

今朝の朝日新聞・オピニオン面のテーマは『愛国』でした。  三人の方の話が載っています。  抜粋し、番号を付けて紹介します。


1.鈴木邦男さん(新右翼団体・一水会顧問)

『①よその国の人も自分の国を愛しているということです。  日本人だけが愛国心を持っているわけではないのです。

②三島由紀夫は愛国という言葉は嫌いだ、愛は無制限であり、国境で区切られた愛など愛ではない、と言っています。

③外国人が母国に抱く愛国心を理解し、その上で日本を愛する。  自分の国がすべて、日本だけが素晴らしいという考えは、思い上がった自国愛にすぎません。  ただの排外主義です。  愛国とは最も遠いものです。』


2.亀井静香さん(衆議院議員)

『①浪花節って、実にいいもんですよ。  

②だけど隣近所に浪花節を聞いたらじんましんが出るという人ばかりが住んでいたら、その家のおやじは窓を開けて大声でうなるのは控えた方がいい。  本人は気分がよくても、家族は近所付き合いせにゃいかんのだから。

③首相の靖国公式参拝の問題も同じ。  首相が参拝するのは当然のことだけれども、隣国のことを考えて控えた方がいいというのが持論です。』


3.岩井志麻子さん(作家)

『①そもそも、よその国をおとしめて自国を愛するという愛国心は、ようないと思いますよ。

②あなたの国は良い国ですね、うちの国もよい国ですよ、と言った方が、母国の良さが相手に届くでしょう。  それこそ真の愛国じゃないですか。

③よその国を尊重する気持ちがない人は、愛国者を名乗っちゃいけんのじゃないですかね。』

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竹内啓先生『偶然とは何か』

東日本大震災発生から丸2ヶ月が経ちました。  『偶然とは何か』(竹内啓著 岩波新書 2010年9月17日発行)という本を読んだら、半年後の2011年3月11日を想定したような文章が載っていました。  「第6章 歴史の中の偶発性」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①もしそれが発生すれば莫大な損失を発生するような、絶対起こってはならない現象に対しては、大数の法則や期待値にもとづく管理とは別の考え方が必要である。

②例えば、「百万人に及ぶ死者を出すような原子力発電所のメルト・ダウン事故の発生する確率は一年間に百万分の一程度であり、他のいろいろなリスク(自動車事故など)に比べてはるかに小さい」というような議論がなされることがあるが、それはナンセンスである。

③そのような事故がもし起こったら、いわば「おしまい」である。  こんなことが起こる確率は小さかったはずだなどどいっても、何の慰めにもならない。  (中略)  なすべきことはこのような事故が「絶対に起こらないようにする」ことであり、そのうえでこのようなことが起こる可能性は無視することである。

(中略)

④このような場合にはその確立を一億分の一、あるいは百億分の一というような小ささにしたうえで、それは起こらないこととするのでなければならない。

⑤しかし、実際に一億分の一あるいは百億分の一という確立を検証することは不可能である。  そこで重要なのは「互いに無関係な二つの因果関係によって起こる二つの事象が同時に起こったときにのみ起こる事象の確率は、最初の二つの事象がおこる確率の積(掛け算)である。」という法則(乗法法則)である。  (中略)

⑥そこである事象がおこる確率がきわめて小さくなるようにするには、いくつかの事象が同時に起こらなければその事象が起こりえないようにしたうえで、それぞれの個別事象の起こる確率を検証可能な小さい水準に抑えるようにすればよい。  それは多重安全システムの基本的な考え方である。

⑦そうして一つの安全システムが失敗する確率が千分の一の互いに独立なシステムを四重に設けておけば、全部が失敗して大災害が現実化する確率は(千分の一×千分の一×千分の一×千分の一=一兆分の一)となって、これは十分小さくて事実上ゼロといえるであろう。』

先週末、森と鎌田が松井館長と郷田師範に引率していただき、岩手県の被災地に行ってきました。  今日の朝練で話を聞きました。  いつもと変わらない道場でいつもどおり空手の稽古ができる幸せを感謝しなければいけませんね。

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