2008.02.12 Tue
三宅義行・宏美、父と娘の挑戦
1.1964年、東京オリンピックの重量挙げで、三宅義信選手が金メダルを取りました。 私が、小学校5年生のときでした。 三宅選手は、4年後のメキシコオリンピックでも、2大会連続の金メダルを獲得しました。
メキシコオリンピックでは、弟の義行選手も銅メダルで、兄弟同時に、表彰台に上がりました。
2.先週末、NHKのBS放送で 『 たった1日を笑うために 〜重量挙げ 三宅宏美〜 』 を見ました。 三宅義行選手の娘さんです。
3.NHK・BSオンラインの、番組概要を紹介します。
『 2000年、1人の中学3年生の目が、テレビにくぎ付けになっていた。 (中略) ピアノで、音大を目指そうとしていた、その心をとらえたのは、シドニー五輪の大舞台で、自分の体重の2倍以上ある、バーベルを挙げる女子選手の姿。
「私も、この重量挙げで、オリンピックに出たい」。 突然の申し出に、最初は反対した父も、自分の高校時代の重量を挙げてしまう、15歳の素質を前に、考えを変えた。
------- 「 この子は、世界に通用する。 」
以来、二人の生活は激変した。目標を北京五輪に定め、義行は、16年の競技人生で培った教訓を、宏実に余すことなく伝えた。 その指導は、10年は必要というオリンピック出場を、たった3年半という早さで、成し遂げる。 しかし2004年アテネ五輪の結果は9位。 (中略)
-------それから4年。
父娘は、再び五輪への切符を、掌中にした。
「 僕たちは、たった1日笑うために、364日苦しみ続けるんですよ。 」
あるときはコーチと選手、あるときは父と娘。 二人きりの練習場では 「 喜び 」 「 苦しみ 」 「 怒り 」 「 自制 」 「 思いやり 」 さまざまな感情が交錯する。 』
4.オリンピックを目指す、宏美選手のハードトレーニングに感動しました。 しかし、それ以上に、娘のことを、ずっと見守りながらアドバイスを送る、父・義行さんの姿に、同じく娘を持つ身として、胸を打たれました。
メキシコオリンピックでは、弟の義行選手も銅メダルで、兄弟同時に、表彰台に上がりました。
2.先週末、NHKのBS放送で 『 たった1日を笑うために 〜重量挙げ 三宅宏美〜 』 を見ました。 三宅義行選手の娘さんです。
3.NHK・BSオンラインの、番組概要を紹介します。
『 2000年、1人の中学3年生の目が、テレビにくぎ付けになっていた。 (中略) ピアノで、音大を目指そうとしていた、その心をとらえたのは、シドニー五輪の大舞台で、自分の体重の2倍以上ある、バーベルを挙げる女子選手の姿。
「私も、この重量挙げで、オリンピックに出たい」。 突然の申し出に、最初は反対した父も、自分の高校時代の重量を挙げてしまう、15歳の素質を前に、考えを変えた。
------- 「 この子は、世界に通用する。 」
以来、二人の生活は激変した。目標を北京五輪に定め、義行は、16年の競技人生で培った教訓を、宏実に余すことなく伝えた。 その指導は、10年は必要というオリンピック出場を、たった3年半という早さで、成し遂げる。 しかし2004年アテネ五輪の結果は9位。 (中略)
-------それから4年。
父娘は、再び五輪への切符を、掌中にした。
「 僕たちは、たった1日笑うために、364日苦しみ続けるんですよ。 」
あるときはコーチと選手、あるときは父と娘。 二人きりの練習場では 「 喜び 」 「 苦しみ 」 「 怒り 」 「 自制 」 「 思いやり 」 さまざまな感情が交錯する。 』
4.オリンピックを目指す、宏美選手のハードトレーニングに感動しました。 しかし、それ以上に、娘のことを、ずっと見守りながらアドバイスを送る、父・義行さんの姿に、同じく娘を持つ身として、胸を打たれました。