2008.04.03 Thu
(7)昭和54年 第10回大会
1.公認会計士試験は、第1次から第3次まで、3回の試験があります。
第1次試験は、大学の一般教養課程を終えれば、免除になるので、私は第2次試験から受験しました。
第2次試験に合格すると、1年間の実務補修と、2年間の業務補助を経て、3年後に第3次試験を受験します。 ですから、私の場合、早ければ昭和56年秋の第3次試験を受けることになります。
昭和54年前半は、1年間の実務補修期間中でした。 週3回、月・水・金曜日の夜、本郷にあった公認会計士協会に通いました。
30年も前のことなので、現在とは、システムが違うかもしれません。
2.昭和54年5月、その年の11月に開催される、第2回世界大会の選抜を兼ねた、第11回全日本大会が行われました。
以前にも書いたとおり、前年の第10回大会の前は、あまり稽古できませんでした。 今回はその後、半年間稽古できたので、ある程度自信を持って、試合に臨むことができました。
3.試合は1日で行われ、64名の選手が出場しました。
トーナメント表を見ると、2回戦で浜井識安君、それに勝つと、3回戦は、やはり同期の東孝さんと当たります。
浜井君の顔面殴打の反則もあり、2回戦は判定勝ちしましたが、3回戦は、逆に判定負けしました。
ベスト16で、世界大会代表枠のベスト8には入れませんでした。
4.この年の10月10日に結婚しました。 公認会計士の福田富雄先生に仲人をお願いし、主賓として大山総裁ご夫妻にも来ていただきました。
第1次試験は、大学の一般教養課程を終えれば、免除になるので、私は第2次試験から受験しました。
第2次試験に合格すると、1年間の実務補修と、2年間の業務補助を経て、3年後に第3次試験を受験します。 ですから、私の場合、早ければ昭和56年秋の第3次試験を受けることになります。
昭和54年前半は、1年間の実務補修期間中でした。 週3回、月・水・金曜日の夜、本郷にあった公認会計士協会に通いました。
30年も前のことなので、現在とは、システムが違うかもしれません。
2.昭和54年5月、その年の11月に開催される、第2回世界大会の選抜を兼ねた、第11回全日本大会が行われました。
以前にも書いたとおり、前年の第10回大会の前は、あまり稽古できませんでした。 今回はその後、半年間稽古できたので、ある程度自信を持って、試合に臨むことができました。
3.試合は1日で行われ、64名の選手が出場しました。
トーナメント表を見ると、2回戦で浜井識安君、それに勝つと、3回戦は、やはり同期の東孝さんと当たります。
浜井君の顔面殴打の反則もあり、2回戦は判定勝ちしましたが、3回戦は、逆に判定負けしました。
ベスト16で、世界大会代表枠のベスト8には入れませんでした。
4.この年の10月10日に結婚しました。 公認会計士の福田富雄先生に仲人をお願いし、主賓として大山総裁ご夫妻にも来ていただきました。