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スポーツオノマトペ

1.『スポーツオノマトペ』(藤野良孝著 小学館刊)を読みました。  

2.「オノマトペ」とはフランス語で「擬音語(ぎおんご)」のことで、「スポーツオノマトペ」とは「体育・スポーツ時に用いられる擬音語」のことだそうです。  例として、ハンマー投げの室伏広治選手の「ンガーッ」という叫びや、卓球の福原愛選手の「サーッ」という声を挙げています。

3.抜粋して紹介します。

『スポーツオノマトペの機能(はたらき)には、次の2種類が考えられます。

(A)指導時にニュアンスを伝えやすい/動きを滑らかにイメージさせやすい・・・スポーツの指導に用いた例では、長嶋茂雄さんが広く知られています。  「もっと、こうピシッとしてパーンと打て」とか「ビューときたらバシンと打て」という指導をしたそうです。

(B)スポーツパフォーマンスの向上・・・効果がある運動パフォーマンス別に、スポーツオノマトペをいくつか例に挙げ、紹介します。

①パワー・・・「ガン」「ダン」「バン」「ドン」「バシン」「ドカン」「ズドン」など

②スピード・・・「カッ」「サッ」「スッ」「シュッ」「パッ」「ヒュッ」「ピッ」など

③リズム・・・「トントン」「パンパン」「ポンポン」「タンタン」など

④タイミング・・・「ピターッ」「ターン」「フワーッ」「パーン」など

⑤感情(闘争心や意気込み)・・・「カッ」「ガクッ」「ジッ」「ズサッ」「シャキッ」「ガクン」「ダッ」など』  

4.空手の気合は(B)の①パワーや⑤感情に、「シュッ、シュッ」と短く息を吐くのは(B)の②スピードに効果がありそうですね。

5.①指導時にニュアンスを伝えるということで、1つ思い出があります。  私が初段になるかならないかの頃だったと思います。  当時アメリカにいらした大山泰彦師範が帰国された折、食事をご馳走になりました。

②その席で泰彦師範は、組み手の突きについて「パチッ」「パチッ」という表現をされていました。  スピード感あふれる組み手をされていた泰彦師範ならではの表現だと思います。  

③同じ突きでも「ドンッ」「ドンッ」だと、パワーあふれる突きというニュアンスが伝わってきますね。  

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斉藤仁監督

全日本柔道連盟・男子監督の斉藤仁さんが書かれた、『常勝力』(幻冬舎刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

1.(青森から上京し、国士舘高校に入学した頃の話)

①川野一成(かわのかずなり)先生は言った。  「うちの目標は日本一だ。  日本一になるためには、日本一の稽古をしなければならない。  そうして初めて、日本一になる運が巡ってくるんだ。  日本一の稽古をして、そのすべてを出し切って初めて、日本一になる運をつかむことができるんだ。」  (中略)  

②果たして、日本一厳しい稽古とは、「日本一長く、日本一密度の濃い稽古」のことだった。

2.(国士館大学柔道部監督に就任した頃の話)

①当時の学生たちは、きつい練習をいやがった。  出来ないことを出来るようになるためには、反復練習をするしかないのだが、それは退屈で、非常につらいものだ。  技術を向上させるためには必要なのだ、と頭ではわかっていても、どうしても逃げてしまう。

②そうならないためには、何が必要か。  やはり、高い目標なのだ。  自分は将来どうありたいか、を明確にイメージすることなのである。  目標あってこそ、それを実現するためには、今この反復練習を怠ってはいけない、と思えるのだ。

3.(北京五輪に向けて)

①攻撃パターンを増やせ、と命じた。  はっきり言って、現在は攻撃パターンを1つしか持っていない選手では、勝てなくなっているのが現実だ。  井上康生といえば「内股」という答が返ってくるが、彼にしても、他に、大内刈り、大外刈り、背負い投げを持っている。  その中でも内股が一番得意、というだけの話だ。

②また、その得意技に入るためのパターンを、できれば5つ、最低でも3つは欲しい。  1つだけでは、それを封じられてしまえば、おしまいだからだ。

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キングコブラと坐る

1.花園大学教授で仏教学者の佐々木閑先生が、毎週木曜日の朝日新聞夕刊に、『日々是修行』というエッセイを書かれています。  昨年の8月16日からですので、1年を越えました。  仏教についてわかりやすく解説されており、毎回切り抜いて、スクラップしています。  昨年の9月28日の私のブログでも、取り上げました。

2.8月21日の内容が興味深かったので、抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①先日、タイ北部の山岳地帯にある仏教寺院から、突然、手紙が届いた。  差出人は、2人の日本人。  タイに渡り、現地の僧侶となって修行中だという。  日本でいろいろ悩んだ末、文字どおり不退転の覚悟で、海を渡った人たちだ。  (中略)

②こんな人たちがいるのか、とまず驚いた。  そして、そこに書かれている修行の有り様を読んで、もう一度仰天した。

③その山岳地帯には、キングコブラという毒蛇がいる。  体長は、5メートルを超す。  噛むと、ものすごい量の毒液を出すので、象も倒れるという。  日本人僧侶のうちの若い人は、普段、お寺には住まず、山の上の洞窟(どうくつ)で暮らしているのだが、そこに、このキングコブラが出没するというのだ。

④「先日、キングコブラが来たので、一晩、一緒に過ごしました」と書いてあった。  なんとも恐るべき胆力である。  (中略)

⑤それを、平然とやってのける気構えに感服する。  それなのに、この人たち、「修行しているとはいえ、特別何かが変わったようにも思えず、遊び心で暮らしています」と語る。  「悟りに近づいた気がします」、などと言わないところに凄味(すごみ)がある。

⑥手紙を読んで気づくのは、「将来の夢」とか「修行の完成」といった、気張った「人生の目標」が感じられないこと。  気負いがないのだ。  日々の修行が、そのまま生きていることの実感になっているようだ。』

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友近さんの墓参り

1.芸人の友近さんが、毎週土曜日の朝日新聞夕刊に、『友近独断場』というエッセイを書かれています。  8月23日のタイトルは、『ご先祖様は見ている』でした。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①常日頃、何かあるごとに、また、何かを始めようとするときに、私は必ず、お墓に足を運んでいました。  ご先祖様を大事にする、という思いよりも、まず報告・連絡しとかなくては!と・・・・・・。

②いわゆる「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」の相手が、私にとったら墓でした。  小さいころから習慣で、当たり前でした。  大人になって人に話すと、かなり驚かれ、中には一度もお墓に行ったことがない、という人も!

③実際、私は、今までの人生でピンチになりかけたことはありますが、いつも救われています。  (漫画家の)水木しげる先生が、戦時中マラリアにかかって、ほとんどの方がなくなった中、先生だけは元気に生き残られたのも、毎日小さいころお墓に行っていたからだと、私は考えます。

④私は、占師でもなんでもないんですが、有名な占師さんらも「お墓を大事に」、と口を揃えていいます。  これだけは信じたいと思いますね。

⑤ご先祖様はいつも見ている、と思った方がいいですよ!  私、将棋倒しになってる自転車を見かけたら、1台1台立て直していくんです。  これも、その精神があるからですもんね。

⑥ひとりだとサボるので、その気持ちでこれからもいきまーす。  ご先祖様!  バンザーイ。』

2.私も、お盆休み中、2日間、墓参りに行ってきました。  1日目は明大前、魚藍坂の2箇所、もう1日は所沢です。

 墓参りを済ませると、いつもなぜか、すがすがしい気持ちになります。  不思議ですね。

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(27)昭和58年  第15回大会直前  

第15回全日本大会は、昭和58年11月12、13日の両日、東京都体育館で行われます。  大会直前の出来事を、2つ紹介します。

1.①大会の数日前に、石川県支部長の浜井識安君が、自宅に遊びに来ました。  

②浜井君と私は、入門日が近く、年齢も一緒で、大変仲良くしていました。  ただ、支部長になったのは浜井君の方が1年早く、その分、選手育成の面で、石川支部が城西より先行していました。

③前年の第14回大会で、石川支部の水口敏夫選手が準優勝し、増田章選手が第8位に入賞しています。

④自宅での2人の会話です。

山田「浜井はいいよな~。  今年は、水口と増田が決勝戦で当たるかもしれないし。」

浜井「その可能性はあるね。」

山田「いつか、うちの大西と小笠原が、全日本の決勝戦で当たるようになればな~。」

浜井「まあ、山田も頑張れよ。」

2.①大会前日に大西を連れて、新宿の「味楽亭」という焼肉屋で、食事をしました。

②その時、次のような話をしました。

「俺(山田)は、去年の第14回大会を最後に、現役を引退した。  

6度、全日本大会に出たが、選手として、自分が納得できるものではなかった。  今思っても、さまざまなことに、悔いを残している。  

大西も、今回を最後の大会にすると決めてるみたいだけど、俺のようにはなってもらいたくない。  結果はどうあれ、後に悔いを残さないように、戦ってほしい。」

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安岡正篤先生・神秘の因縁

1.『安岡正篤(やすおかまさひろ)一日一言』(致知出版社刊)の、8月20日の項のタイトルは、『神秘の因縁(いんねん)』でした。  全文を紹介します。

『精神を集中し、寸陰(すんいん=わずかな時間)を積んで、これを錬磨(れんま)すると、非常な感覚力を生ずるものだ。

平生(へいぜい)、研究問題を持たぬ人では、何も見つからないが、平生なにかに集中していると、意外な「発見」をする。

そこに、神秘な因縁をすら感知するものだ。

こういうところに人生や、事業、学問の秘訣がある。』

2.空手の研究も、同様だと思います。  常に強い問題意識を持っていれば、道場稽古以外の時間でも、研究の時間とすることができます。

3.具体的に言うと、例えば次のようなことです。

①道場に行く電車の中で、その日の稽古の課題を、頭の中で整理・研究する。

②道場で実践する。

③帰りの電車の中で、その日の稽古を振り返り、反省・研究する。

4.そう考えると、いつでも、どこにいても、空手修行ができますね。

  

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中村礼子選手

1.北京オリンピック、女子200メートル背泳ぎで、中村礼子選手がアテネに続き、2度目の銅メダルに輝きました。

2.8月16日の朝日新聞夕刊の記事から、過去の足跡を追ってみます。

『①03年秋・・・国際大会で結果が出ずに悩み抜いた末、静岡国体で同じバスに乗り合わせた平井伯昌コーチに、思い切って指導をお願いする。  当時、中村選手は別のクラブに在籍していた。  五輪直前の移籍は異例のことだ。

②04年アテネ五輪・・・100メートルで4位にとどまった。  得意の200メートルは、銅メダル狙いに作戦が変更される。  自分では金メダルを目指すつもりだった。  驚いたが、平井コーチの作戦通り、後半粘って同着で銅メダルを獲得する。

③今年4月、北京五輪代表選考会・・・五輪でメダルが狙えるタイムを出せなかった。  優勝しても悔し涙があふれた。

④今年6月、ジャパンオープン200メートル・・・英スピード社製レーザー・レーサーで臨んだが、日本記録を0秒20しか更新できなかった。

⑤北京五輪、100メートル決勝・・・6位に終わり、平井コーチの前で大泣きした。

⑥北京五輪、200メートル準決勝の直前練習・・・平井コーチに「タイムを上げたい」と訴えた。  慎重な性格で、これまで積極的なレース展開を躊躇(ちゅうちょ)してきた。  でも、どうしてもメダルを取りたかった。  過去の自分を乗り越えたかった。   平井コーチは「タイムを上げさせるのと、自分で上げるのは違う」とメダルへの手応えををつかんだ。

⑦北京五輪、200メートル決勝・・・平井コーチがいつものように送り出してくれた。  「(大事なのは)最後の50メートル、と言ってくれた。  落ち着いていけば大丈夫だと」  粘りきった。  2分7秒13。  日本新。  銅メダル。  「アテネの銅とは喜びが全然違う。  メダルを毎年意識して、つらいこともあったけれど、レベルが上がった北京で戦うことができた」  いくつもの挫折と涙を乗り越え、中村選手の笑みが集大成の舞台で輝いた。』

3.同じ朝日新聞夕刊の記事からです。

『「頑張るということは、もうだめだと思った時が始まり」  座右の銘にしている。  どこで見つけた言葉か、覚えていない。  逃げたくなった時、必ずこの言葉を思い出し、乗り越えてきた。』

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金メダル・石井慧選手

1.先週のお盆休みは、テレビの前でオリンピック三昧(ざんまい)でした。  

2.男子柔道は、最終日の100キロ超級を前に、メダルは66キロ級の内芝正人選手の金メダル1個だけです。  そんな切羽詰まった状況の中で、石井慧(いしいさとし)選手は極めて安定した戦いぶりで、見事に金メダルを獲得しました。  相手選手への「指導」2つで勝った決勝戦以外は、4試合連続一本勝ちの完勝です。

3.8月16日の朝日新聞の記事から抜粋して、紹介します。

『①決勝のタングリエフ戦も、本領を発揮した。  「自分のいいところも出せないけど、相手のいいところも出させない」。

②この階級で181センチは低い方で、110.9キロは参加選手中、2番目に軽かった。  しかし、たとえ小さくても、力負けしないことが大事だと石井は考える。  「幼稚園児がどれだけテクニックを持っていても、中学生の初心者には勝てない」が持論だ。

③ウェートトレーニングと走りこみは欠かさない。  練習の休憩中にも、周りの選手が一息ついている間に、腕立て伏せやスクワットを繰り返した。  こうして身につけたパワーとスタミナで、大きな選手を圧倒した。

④今年の全日本選手権では、ポイントをリードすると逃げ回り、「石井の柔道は汚い」と批判も受けた。  金メダルを手にした新王者は、「何を言われようと、ヒール(悪役)になろうと、自分の考えを貫いた。  それが自分の強さだと思う」と語った。

⑤小学校時代、走るのは遅く、球技は大の苦手。  友達とサッカーをしても、「鈍くさいから、お前はいれてやらん」と言われるほどだった。』

4.8月16日の日経新聞の記事も紹介します。

『①小学校時代は、地域大会でさえ、メダル獲得経験はゼロ。

②「慧は鈍くさいから、1つの技を1万回練習しなければ覚えられない」という石井選手の父、義彦さん。  「だけど1つの技しかできないから、何とかその技を効かせようとする。  鈍くさいからこそ徹底的に技を極める」。

③しんがりで登場した若武者に、大きな重圧がかかった。  「不安よりも恐怖を感じていた」。  けがによる練習不足から、後輩や友人に「おれ、勝てるかなあ」と弱音を吐いたという。  しかし畳の上に立った時には、弱気の虫は吹き飛んでいた。  (中略)  「武道家として未熟なんで、こういう状況に立たされたことを、逆に幸せだと思っていた。  やりがいもあるし・・・」。』

  

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只管打坐

1.『只管打坐(しかんたざ)』を『大辞林』(三省堂刊)で引くと、『悟りを求めたり想念をはたらかすことなく、ひたすら座禅すること。  曹洞宗の座禅の特色。』と出ています。

2.8月16日付けの携帯サイト、『相田みつをの今日のことば』を紹介します。

『    ただ
   ひたすらに
  
  ただひたすらに
   
   ひたすらに
   ただ坐るだけ
  ただおがむだけ
  
  ただになれない
   人間のわたし  』

3.相田みつをさんの解説です。  番号を付けて、紹介します。

『①私は、仏教の専門家でも坊さんでもありませんが、鎌倉時代を代表する祖師方(各宗派の開祖達)の教えで共通しているものは、『ただ』の行(ぎょう)ではないかと思います。

②行とは修行の行で、具体的な実践のことです。  

③道元(どうげん=曹洞宗の開祖)の只管打坐(ただひたすら坐る)、法然(ほうねん=浄土宗の開祖)や親鸞(しんらん=浄土真宗の開祖)の念仏(南無阿弥陀仏 なむあみだぶつ)、日蓮(にちれん=日蓮宗の開祖)の唱題(南無妙法連華経 なむみょうほうれんげきょう)。

④それぞれに、仏法に対する説き方(説相)や生き方は違いますが、その行はすべて純粋で一筋、その根底は『ただ』なんですね。  

⑤得だからやる、損だからやらない、そういう人間の計算を一切離れた行、それが『ただ』です。』

4.空手修行もそうありたいですね。

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リチャード・クーさん

1.エコノミストのリチャード・クーさんの書かれた、『「陰」と「陽」の経済学』(2007年1月4日発行 東洋経済新報社)と、『日本経済を襲う二つの波』(2008年6月30日発行 徳間書店)を読みました。

2.クーさんは、『「陰」と「陽」の経済学』のまえがきで、次のように書かれています。

『過去15年間、日本が経験した長期不況は、一般国民にとっても大変な試練であったが、それは経済学にとっても大変な15年間であった。  (中略)  従来の経済学は、今回の日本の長期不況の克服に関して、ほとんど無力であった。』

3.上の内容を要約すると、次のようなことだと思います。

『①経済は、家計が消費を増やし、企業や政府が投資を増やすことで活性化する。  バブル崩壊後、政府や日本銀行は、金利を下げて企業が借金をしやすくした。  

②ところが、バブル崩壊で借金の怖さを思い知らされた企業は、お金を借りるどころか、逆に、借金を返すことを企業目標とし始めた。  結果として、投資は増えなかった。

一方、家計も借金を返したり、貯金を増やすことを目標にし、消費は増えなかった。

③企業も家計も支出しないのだから、その分、政府がお金を使うべきなのに、政府も「財政再建」を目標として、支出を抑えようとした。

家計も企業も政府も支出を抑えたから、結果として国内にお金が回らず、不況から中々脱出できなかった。

④金利を下げれば、経済が活性化するという、従来の経済学が機能しなかったのだ。』

4.クーさんは、同じくまえがきで、次のように書かれています。

『今回の日本経済の回復は、本物である。  なぜなら、15年間待ち望んでいた世界が、ようやく我々の前に出現し始めたからだ。』

5.しかし、株や不動産の値下がりで、最近の経済環境は、かってのバブル崩壊に似た様相を呈してきています。  内閣府も8月6日、基調判断を、過去数カ月に景気の山を越えた可能性を示す「局面変化」から、景気後退の可能性が高いことを意味する「悪化」に引き下げました。

難しい局面に、入りつつありますね。

6.今日は、久しぶりに経済の話を書きました。  

明日から17日まで、お休みをいただきます。  

14、15日と旅行しますが、あとは自宅でオリンピック観戦です。  

よい休日を。    

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(26)昭和58年 大西靖人と小笠原和彦

第15回全日本大会の選抜試合は、昭和58年春に代田橋道場で行い、大西靖人が優勝、小笠原和彦が準優勝しました。  当時、支部からの出場枠は2名なので、自動的に大西と小笠原が、第15回大会に出場することになりました。  大会に向けての、両者のコンディションを書いてみます。

1.大西靖人
①昭和56年に法政大学を卒業した大西は、その年の第13回大会・2回戦で川畑幸一選手(現・極真会館近畿本部長)に判定負けした後、仕事の関係で、一時大阪の岸和田市に住んでいました。  そこで『岸和田ボディービルセンター』という、パワーリフティングのジムに通い始めました。  その成果で、ベンチプレスで180キロ、スクワットで250キロを挙げるようになります。  また、体重も94キロに増えていました。

②前述のように、春の選抜試合に優勝したのですが、その後7月になって、B型肝炎が悪化し、東京女子医大に約1ヵ月半入院します。   大西は、体は大きいのですが、喘息(ぜんそく)で苦しむなど、体の弱さを併せ持っていました。  見舞いに行くと、道場から持ち込んだダンベルを持ち上げたりして、看護婦さん泣かせだったと思います。

③退院したときは、第15回大会まで3ヵ月を切っていました。  「今の体調からすると、大西には、あまり期待できない」というのが、その当時の私の正直な気持ちです。

2.小笠原和彦
①昭和57年に茶帯で移籍してきた小笠原は、城西の内弟子指導員を務めていました。  第14回大会の出場は見合わせましたが、第14回大会後の昇段審査会の組手トーナメントでは、圧倒的な強さで優勝します。  そのトーナメントには、第14回大会で、準優勝した水口敏夫選手と3回戦で当たり健闘した、森憲善も参加していました。  2人は決勝戦で対戦しますが、ほとんどワンサイドで、小笠原が判定勝ちします。

②昭和58年春の選抜試合では、決勝戦で大西靖人に延長・判定負けしましたが、大西が出場しなかった秋の内部試合では、決勝戦で大賀雅裕と当たり、中段突きで一本勝ちします。

③小笠原にとっては、昭和55年の第12回大会以来の全日本大会出場です。  私は、体調のすぐれない大西とは逆に、小笠原は何かやってくれるのではないか、という期待を抱いていました。

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うわさ話

1.昨日の夜は、親しい友人たちと一杯やりながら、共通の知人のうわさ話で盛り上がりました。  どちらかというと、その知人のことを、くさすような話題が多かったようです。

2.今朝読んだ、江原啓之さんの『ことたま』(徳間書店刊)という本の中に、次のような一文がありました。

『愚痴(ぐち)や人の悪口も、相手に悪い想念を伝えてしまうので、慎みましょう。』

3.今朝、携帯に配信された、『相田みつをの今日のことば』は、次のような内容でした。

『ぐちをこぼしたっていいがな

弱音を吐いたっていいがな

人間だもの

たまには涙をみせたっていいがな

生きているんだもの』

4.どちらも真理ですね。

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五木寛之さん

7月30日の日経新聞夕刊に、作家の五木寛之さんのインタビュー記事が載っていました。  タイトルは、『「鬱(うつ)の時代」迎えた日本・・・「下り坂」生きる技 学ぶ時・・・』です。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①僕の言う「鬱」は、個人の病や、短期的な社会の気分ではない。  もっと大きな社会の流れとして実感している。  日本は、高度成長や万博、オリンピックに象徴される、「躁(そう)の時代」を終え、バブル崩壊後10年の低迷期を経て、今、「鬱の時代」を迎えたと考えている。

②身の回りを見れば、すべてが鬱の様相を呈している。  がむしゃらに働いたり、遊んだりする躁の生活様式に対し、ロハスやスローライフは鬱のそれだ。  エネルギーを消費せず、限られた資源でやりくりしよう、というエコロジーも鬱の思想。  予防を第一にするメタボは鬱の医学だし、敵が見えないテロとの戦いは鬱の戦争といえる。

③躁が50年続いたのだから、鬱も50年続くと見るのが自然だろう。  (中略)

④鬱はもともとエネルギーのある状態を指す言葉だ。  「鬱勃(うつぼつ)たる野心」とか「鬱然(うつぜん=立派なさま)たる大家(たいか)」、「鬱蒼(うっそう)たる樹林」など、すべてエネルギーと生命力を表している。  その力が出口を失っている状態が、現在の社会を覆(おお)う鬱の気分だと思う。

⑤鬱の時代に、人間が鬱の気分になるのは自然なことで、その気分をよりよき方向に向ければいい。  それには、今までの躁の思想では無理だ。  鬱の時代を生きるには、鬱の思想や鬱の政治、経済学が必要になる。  鬱の経済学とは、例えば、前年より売り上げを減らしても、質のいい純利益を確保する、というものかもしれない。  (中略)

⑥自分の欲求を外に向かって吐き出し、外面社会の充実をはかるのが、躁の時代だったとすれば、鬱の時代は、人間の魂の奥への踏査(とうさ)、冒険がなされるべき時代だろう。  それぞれが、心の中や足元を見つめる。  未来を語るより、過去を見直す。  語られなかった歴史の研究も、進むかもしれない。  (中略)

⑦今まで我々は、上る技術ばかり磨いてきたが、これからはゆっくり時間をかけて、下りる文化を磨けばいい。』

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(25)昭和58年 第15回全日本大会に向けて

1.前年の第14回全日本大会を最後に、現役を引退した私にとって、昭和58年の第15回大会には、2つの意味がありました。

①一旦は、昭和55年の第12回大会で引退表明していた私が、どうしても諦めきれずに出場した第14回大会も、結局、ベスト16に終わっています。  私の全日本大会の成績は、以下の通りです。

・第6回大会(昭和49年)・・・4回戦で延長3回判定負け・・・ベスト16

・第9回大会(昭和52年)・・・4回戦で延長1回判定負け・・・ベスト16

・第10回大会(昭和53年)・・・2回戦で本戦判定負け・・・ベスト64

・第11回大会(昭和54年)・・・3回戦で本戦判定負け・・・ベスト16(出場選手64名)

・第12回大会(昭和55年)・・・4回戦で延長2回試し割り判定負け・・・ベスト16

・第14回大会(昭和57年)・・・4回戦で延長3回試し割り判定負け・・・ベスト16

自分の中で納得できるものではなく、自分の果たせなかった夢の実現、つまり、全日本チャンピオンを城西から出すために、選手指導に打ち込んでいました。

②第8回大会で佐藤俊和選手(秋田支部)が、第10回大会で二宮城光選手(愛媛支部→アメリカ支部)が、それぞれ優勝した例はあるものの、第1回大会以来、総本部中心の時代が続いていました。  第14回大会でも、総本部出身の三瓶啓二選手(福島県北支部長=当時)が3連覇を遂げています。

しかし、第13回大会・第14回大会の水口敏夫・増田章両選手の活躍は、支部の時代の到来を予感させるものがありました。   第14回大会で水口選手が準優勝、増田選手が第8位に入賞したのは、所属する石川支部の浜井識安支部長(当時)の、指導力のたまものだと思います。  

昭和50年代前半から、総本部で修行していた選手が、全国各地に支部道場をオープンさせていきました。  比較的早く支部道場をスタートさせた、浜井君の所から、まず有力選手が出てきたのです。  石川支部の活躍を見て、うらやましく思うと同時に、次は城西からとの想いも、私の中で高まってきます。

2.そんな諸々の想いが交錯する中で、昭和58年の夏も過ぎ、第15回大会が近づいてきました。

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ひろ さちや先生

1.今朝の朝日新聞に、宗教評論家のひろ さちや先生のインタビュー記事が載っていました。  3月6日のブログでも紹介しましたが、ひろ先生は、難しい仏教思想を、わかりやすく解説した本を、たくさん書かれています。  先日、自宅の本棚を見たら、3~4冊、ひろ先生の本が並んでいました。

2.ちなみに、「ひろ さちや」というペンネームは、ギリシャ語の「愛する=フィロ」と、サンスクリット語の「真理=サティヤ」に由来するそうです。

3.インタビュー記事を抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①世間には、ひとつ共通の「物差し」が用意されていて、私たちは、これに心を奪われ、まともな判断力をなくしてしまうのです。

例えば、長生きすれば幸福だとなると、早死にした人は、それだけで不幸といわれる。  成功して金持ちになるのが立派であるなら、名もなく貧しく美しいだけの生き方は、蔑(さげす)まれてしまいます。

②そうであるならば、狂った物差しに縛(しば)られる生き方はもうやめて、そんな世間からは、さっさと出てしまおう。  (中略)  実は、それこそが仏教の基本をなす、「出世間(しゅっせけん)の教え」であって、世間を批判すること、世間をばかにすることが、仏教の一番大事な仕事といえるのです。

③私の体験談をしますと、あるときバス停に行ったら、先客の老夫婦の、おじいさんの方がカンカンに怒っていました。  「もう定刻を15分も過ぎている。  いつでも遅れるバスの時刻表なんか、ないほうがましだ!」と。 

そうしたら、連れのおばあさんが、名言を吐いたんですね。  「でもね、それがないと、何分遅れているかわかりませんよ」と。  私たちは、バスは遅れるものだと知っていても、目安をつけるのに、やはり時刻表(=物差し)が必要なんです。  (中略)

④今の時代に、どういうものの見方、考え方をするべきか、きっちりとした物差しを、一人ひとりが持つ必要があるんです。  それを私は、「仏の物差し」と呼んでいます。  (中略)

仏教書の中で、仏の物差しとして説かれているのは、たとえ実現不可能でも、本当に正しいこととは何であって、その成就が人間としての夢なのだと、そう受け止めてもらえれば結構だと思います。』

4.明日・明後日と三峯神社で合宿です。  よい週末を。

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