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つんくさん

音楽家・プロデューサーのつんくさんの書かれた、『一番になる人』(サンマーク出版刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①一度一位をとると、次に一位になる確率は、なぜかとても高くなるように思います。  競馬では、地方競馬でも一位をとらなければ、ダービーには出られません。  どこかで一位になっておかないと、日本一になるチャンスさえないのです。

僕自身、「シャ乱Q」が絶好調だったころ、ミリオンセラーを連発していたのに、なぜか一位を取れない時期が続きました。  たまたまミスチルやB´zやサザンと一緒になって、一位になれないのです。  ああ、自分たちは一位をとれないバンドなのかなあ、そういう運命かもしれないなあと、思っていたちょうどそのとき、「涙の影」という曲で、初めて一位をとることができました。

今度一位をとれなかったら、たぶん一生とれないだろう、一位の神さまが俺にはついていないということだろう。  そう思っていたので、心からホットした。

②子どもにしろ、大人にしろ、人は好きなことには、全身全霊で取り組むことができます。  好きなことに取り組んでいるときに発揮される集中力は、見ていてまぶしいばかりです。  それはけっして、努力して出せるものではありません。  しょせん、「努力」で出せるエネルギーは、「好き」でだせるエネルギーの比ではないのです。

③おそらくどの世界においても、「一番になる人」は、世の中にプラスのエネルギーを、人間として徳が上がるようなエネルギーを、発信しているのではないか。  そんなふうに思えてなりません。  (中略)

エネルギー業者として、みずからの役割をきわめていくことが、一人ひとりの人間に課せられた試練であり、使命でもある。  (中略)  一番になれるかどうか。  それはすなわち、それぞれに与えられた使命に気づき、その使命を十分に果たしているかどうかに、じつはかかっているのかもしれません。

④自分から強引に方向転換することを、僕はしません。  人には、自分の人生の流れに沿った川があるからです。  その人特有の川の流れがある一方で、風の流れというものもあります。  いま世のなかでは、どこからどこに向かって、風が吹いているのか、風の流れを読む必要があります。

⑤運が強い人は、ほかの人と比べ、いったい何が違うのか。  それは、勝負できるときに勝負できるか、ということだと思うのです。  (中略)  風を感じ、空気を読んで、これでいけると思ったときには、バンバンバンと一世一代の大勝負を演じてみせる。

そのようなチャンスは、大なり小なり、誰にだって訪れているのです。  問題は、それに気づけるかどうか。  人生を真剣に生きていれば、それがチャンスであるかどうかは、皮膚感覚でわかります。』

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泉谷しげるさんと加藤登紀子さん

1.9月26日の朝日新聞夕刊に、歌手の泉谷しげるさんと、加藤登紀子さんのインタビュー記事が載っていました。  それぞれ抜粋し、番号を付けて紹介します。

2.泉谷しげるさん

『①「人気なんかいらねえよ。  めんどくせえよ。  売れて大物になっても、やりたいことをやる自由がなくなったら、みっともねえだろ。」

②「若いやつにウケたいなんて、ヤラしいことも考えたよ。  でも、そんな風に新しさを狙っても、いい曲はできなかった。  そもそも、人間の根源的な性格や、愛情ってのは変わらないし。  自分の得意なところ、つまり内省や反芻(はんすう)に戻ろうという気持ちに、ようやくなれたってことです」  きっかけは友人の死だ。  「2年前、がんで死の床についている彼を、岡林信康と見舞いに行ったら、ガンジーみたいな、神のように静かな顔で。  なんで、あんな風になれるんだろうな。」

③今後の目標をたずねてみた。  「近所の子供が、怖がって逃げ出すようなオヤジかな。  いつまでも、おとなげなく、わがままで。  でも、人の痛みのわかる、表現者でいたいな。」』

3.加藤登紀子さん

『①夫の藤本敏夫さんは、98年に大腸がん、01年に肝臓がんと診断され、翌年、肺への転移が見つかりました。  「何ひとつ、助けられないのです。  そばにいる私は、元気いっぱいでしょう。  その距離が、どんどんあいていく。  つらかったですね。」

②「ホスピスに行ったら、と言った時、すごく怒りました。  もう少し時間があると、思っていたのでしょう。  心の安静のためにと、彼にもう一度、ホスピスの話をしました。  『それでもいいか』、と納得した翌日に亡くなった。」

③「命を生きることが、一番の仕事だと思う。  職業はそのための手段。  自分を生きるからこそ仕事をする、というスタンスでやった方がいい。  命を運ぶと書いて、運命。  命を宿し、生きる意味に向かって、満身の力で命を運ぶ、それが生きること。  人生を生きることは、創造的なことですね。」』

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(30)昭和58年 奥足への下段回し蹴り

1.城西最初の内弟子、大西靖人が第15回大会で、念願の全日本チャンピオンになります。  内弟子になった直後の昭和54年の年末、第1回首都圏交流試合優勝のお祝いにと、大西が頂いた、盧山師範の第5回全日本大会優勝トロフィーには、不思議なことに、「第15回全日本大会優勝」と書いてありました。  それが、4年後に現実となったわけです。  このエピソードは、4月22日のブログでも紹介しました。

2.第15回大会での大西は、決勝戦以外は技有りか一本勝ちでした。  1回戦は上段回し蹴りでの一本勝ちでしたが、それ以外は下段回し蹴りによるものです。  特に、奥足外側への下段回し蹴りが効果的でした。

3.私が入門した昭和46年当時の下段回し蹴りは前足外側を蹴るものでした。  その後、前足内側や奥足内側に対する下段回し蹴りは徐々に使われつつありましたが、奥足外側を蹴るということはありませんでした。

4.その頃、たまたまテレビでキックボクシングを見ていると、ある選手が、サウスポーの相手選手の奥足外側を、右ローキックで蹴っているシーンを目にしました。  後日、本部道場での自由組手で使ってみると、相手が受け方を知らないため、簡単に蹴ることができます。

5.私の場合は、サウスポースタイルに構えなおして蹴るケースが多かったのですが、大西には、突きのコンビネーションから、一歩右足を踏み込んで蹴るように指導しました。  体重94キロのパワーアップした体で、受け方を知らない相手を蹴るのですから、技有り・一本勝ちが多かったのも、終わってしまえば、ある意味、当然の結果と言えるかもしれません。

6.昭和58年11月20日に行われた、第9回首都圏交流試合では、大賀が優勝、五来が準優勝、三和が3位、今(こん)が4位と、全日本大会の勢いのままに、ベスト4を城西の選手が独占します。    5位から8位も、3名が城西の選手でした。

7.翌昭和59年の1月20日からの、第3回全世界大会が目前に迫って来ます。

よい週末を。

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日々是修行

私のブログで何度か紹介している、毎週木曜日の朝日新聞夕刊の連載、『日々是修行』(花園大学教授・佐々木閑先生)の先週9月18日の記事からです。  タイトルは、『生きることがつらい人に』です。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①仏教は本来、「家内安全、お願いします」 「商売繁盛、頼みます」といった、先行きの幸運を願う宗教ではない。  家内が安全ではなく、商売も繁盛せず、「生きていくのがつらい」と感じている、そういう人のために仏教はある。

②「住み慣れた日常生活の決まり事で、生きていこうと思うから行き詰るのだ。  一度、それを全部捨てて、出家せよ。  そこには、普通の人が望むような、世俗の幸せはないが、その代わり、苦しみを離れた平安の日々がある。  さあ、どっちにする。  死ぬか、出家するか」と、こういう厳しい問いかけをする宗教だった。  長い歴史の中、自殺するのをやめて、仏教で再出発した人の数は、膨大なものに違いない。

③バブル経済の夢が覚め、「生きていくのがつらい」と感じる人が増えている。  (中略)  しかし、自分が苦しい目に逢った人は、他人の苦しみも理解できるようになる。  つらい思いをしている人は、自分でも気付かないうちに、その分、人間性が磨かれているのだ。  そういう人たちが大勢になって初めて、社会も、すこやかなものとなる。  そう思えば、今、苦しい状況にある若者たちは、これからの日本にとっての、貴重な人材ではないか。

④現代の若者に、「生きることに苦しみを感じたら、出家して僧侶になれ」などと、極端なことは言わないが、その「生の苦しみ」こそが智慧(ちえ)と慈愛(じあい)を生み、満足できる人生の、大切な栄養分になる、という釈迦の教えは、知っていてもらいたい。』

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勝負脳

『〈勝負脳〉の鍛え方』(林成之著 講談社現代新書)を読みました。  「勝負脳」という言葉は、脳外科医の林成之先生の造語で、「勝負に勝つための戦略を練る知能」のことだそうです。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①若い選手を育てる方法として、「おまえはできない、だめだ」と叱りながら意欲を高め、その成果を引き出そう、という指導がよく行われています。  新しいことや正しいことを、強制的な力をもって植え付けるという意味で、この指導法にもプラスの効果があることは、私も否定しません。  しかし、反面、見逃してはならないマイナスの効果もあるのです。

人間には自分を守りたいという、自己保存の本能があります。  しょっちゅう叱られていると、脳は苦しくなって、脳自身を守るために、叱っている人の話を受け流すようになります。  その状態が慢性化すると、だんだん、人の話を真剣に聞かない脳ができあがっていきます。  その結果、間違った考え方を持っても気づかない、少し間違っても気に留めない、訓練が長続きしない、習得がなかなか難しいといった困難から逃げてしまう脳、いわば逃避脳を作り出す結果になってしまうのです。

②格闘技などで、相手が自分より技術が上で、これなら勝てると自信を持って自分の弱点を攻めてきた場合、こちらは明らかに負けパターンに追い込まれているわけですが、このような状況でも、試合に勝つポイントがいくつもあるのです。

相手はどうせ勝てると思っているので最初から全力を出してこない、弱点を攻めて安易に勝とうとしているので勝負勘はそれほど働かせていない、慢心による隙(すき)があるので受身が弱い、などのマイナス要素を見出すことができるわけです。  これを利用して、思いもよらない戦略で勝つチャンスが、技が劣っている側にも生じます。  そして、このような頭の働かせ方をするのが、「勝負脳」なのです。

③結果を意識するのではなく、それを達成するために必要な技や作戦に、気持ちを集中させるのです。  (中略)  9回裏、2死満塁、得点差は1点という状況では、ピッチャーはバッターを打ち取るという結果ではなく、打ち取るためのボールをどう投げるか、あるいは、自分が自信を持っているボールをどう投げるか、に気持ちを集中させることです。  

「目的」と「目標」を分けて考えるという勝負脳を使うことが、自分のベストのプレーを可能にし、ひいては、観ている人々にも感動を与えるのです。  (中略)

それは、「勝つ」という「目的」ではなく、「勝ち方、あるいは、勝つために求められる技や作戦」という「目標」に向かって、全力を傾けることです。  (中略)  実は、この方法こそ、勝負を意識すると体が硬くなる習性を持つ日本人にとって、理にかなった対策なのです。』

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(29)昭和58年 第15回大会二日目

1.会場入り
昭和58年11月13日、第15回大会の二日目です。  通常は、出場する選手だけでなく、引率する我々も、何とも言えない緊張感に包まれて、会場入りします。  ところが、朝から大西を名倉接骨院に連れて行って慌ただししかったり、右足親指の骨折も気になったり、と通常とは若干違った会場入りになりました。

2.3回戦
①小笠原(Bブロック・ゼッケン34番)・・・ほとんどワンサイドの展開で、判定勝ちします。

②大西(Cブロック・ゼッケン69番)大西・・・骨折の影響をまったく感じさせないような動きで、下段回し蹴りで一本勝ちします。

3.4回戦
①小笠原・・・下段回し蹴りで、一本勝ちします。  ベスト8進出です。

②大西・・・下段回し蹴りで技有りを奪い、判定勝ちします。  

4.準々決勝
①小笠原・・・本来は、松井館長との対戦でした。  ところが、松井館長は3回戦で、肋骨を骨折します。  痛みをこらえて出場した4回戦は、下段回し蹴りで技有りを奪い、判定勝ちしました。  結局、準々決勝はドクターストップで、棄権されます。  自動的に、小笠原が準決勝進出を果たします。

②大西・・・第15回大会での4連覇がかかっている、三瓶選手との対戦です。  延長3回、下段回し蹴りの技有りで、判定勝ちします。

5.準決勝
①小笠原・・・下段回し蹴りの技有りで、判定勝ちします。   いよいよ、決勝進出です。

②大西・・・下段回し蹴りの技有り2つで、合せ一本勝ちです。

6.決勝戦
お互いに手の内を知り尽くしているためか、中々技が出ず、本戦引き分け後、大山総裁から「延長戦は時間無制限」との指示が出されました。  僅差で、大西が初優勝を遂げました。

7.墓参り
今週月曜日の敬老の日、大阪・岸和田市の大西の墓参りに行ってきました(合掌)。

よい週末を。

私は明日、台風がひどくならなければ、父の墓参りです。  

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ダライ・ラマ14世

『ゆるす言葉』(ダライ・ラマ14世著 イースト・プレス刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①不安に対処する有効な方法は、自分のことを考えずに、人のことを考えることです。  

本当に、人の困難を目にすると、自分のそれは大したことではなくなります。

②もし、私の国が侵略されなかったならば、おそらく私は、今よりずっと保守的になっていたことでしょう。

中国人は私を、強靭(きょうじん)で、決意の固い人間にしてくれました。

私は、自分を進歩させてくれた中国人に、感謝しているのです。

③非常につらい時期を経験すると、私たちは、冷淡な態度をとったり、絶望を感じてしまったりすることがあります。

言うまでもなく、それは非常に悲しいことにほかなりません。

しかし、状況のとらえかたによっては、それは私たちが開眼し、真実を見きわめるチャンスでもあるのです。

④世界は美しく平和だ、ととらえることは間違っています。

この世に苦しみがあり、この世に悲劇があるかぎり、私たちはそれを自分の体験として感じていかなければならないのです。

飢えている人がいるのに、自分だけが飽食(ほうしょく)してはいけないのです。

心が痛む現実や、他の人が苦しんでいる状況をしっかりと見据えて、一人ひとりが考えていくべきです。』

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萩本欽一さん

1.昨日、朝日新聞夕刊の『追憶の風景』という特集で、タレントの萩本欽一さんが、静岡県の『熱海』について語られていました。  いくつかの雑誌や本で読みましたが、萩本さんは『運』について、一家言(いっかげん・・・その人独特の主張)を持っておられます。

2.抜粋して、番号を付けて紹介します。

『①風景が人生にぶち当たった、とでも言うのでしょうか、それが熱海でしたね。   あれは、24から25歳にかけて。  テレビで大コケしちゃって。  公開放送番組で、19回NGを出した。  (中略)  結局は降板。

②悲しいよーとか嘆いていたら、友達が「熱海はいいよー」って。  (中略)  「熱海つるやホテル」のクラブで、夜8時と10時にステージを2回。  昼間は暇だから、ひたすら海を見ていた。  (中略)  2カ月やってて、もうこれ以上落ち込めないって時に、サーッと海の向こうから、机がやってきた。  4つの脚が取れててさ。  それが、コント55号のコント「机」のきっかけ。  波の音が「帰れー」と聞こえて、追われるように浅草に帰った翌日ですよ、坂上二郎さんから誘いの電話が来たのは!  海は最後にお土産を持たせてくれたの。

③僕ね、「あまり気にするのはやめよう」とは絶対に思わない。  北京五輪で野球を見てたら、監督以下「切り替えて行こう」って何度か言ってたけど、僕は野球の時も選手に「失敗をすべて背負い込め」と言う。  今までのことをすっかり忘れてはダメ。  つらい思いを受け止めて、もう限界だと思う頃、『運』はその分大きくなって返ってくる。

④僕は風景に教えられた。  (中略)  机のコント、今も、なぜ机だったのかは謎。  波でも船でもなく。  あれがまさか、大ヒットになるとはー。  『運』ですね。』

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邱永漢先生

1.作家・経済評論家の邱永漢(きゅうえいかん)先生のサイト、『もしもしQさんQさんよ』の9月1日のタイトルは、「迷いの多い時は原則に戻れ」でした。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①人間、どうしてよいか、わからなくなる時があります。  決心すればいいのですが、決心するまでにあれこれ迷いますし、決心できないまま、時の流れに押し流されてしまうこともあります。

②そういう時はどうすればいいかと言うと、原則にかえることです。  生死にかかわることとか、人生の岐路にさしかかった時はもとよりのことですが、株を買ったものか、それとも売ったものかといった、人の一生から見たら、とるに足らないことを決める場合でも、人は思い惑って、不安におちいることがあります。 (中略)

③そうした自分を納得させるために、私は、原則はどうなっているのか、と自分に問いかけます。  (中略)

④一見、複雑な動きをするように見えても、その中を貫く流れには、原理原則があって、それをきちんとキャッチして、流れに逆らわなければ、生き残れると信じているからです。

⑤ですから、株の本を書いた時も、難しく考えるよりも、何が株価を動かしているのか、それにうまく乗るためには、何をすべきか、また何をしてはいけないのか、を先ず第一に考えました。

⑥迷いの多い時期は、原則に帰るのが一番なのです。  いまはまさに、そういう時期にさしかかっているのではないでしょうか。』

2.昨年の9月3日にスタートした私のブログも、今日でまる一年です。  最近は、私自身の備忘録(びぼうろく)的になっていますが、皆さんの空手修行や人生において、多少なりともお役に立っていれば幸いです。

3.仕事上の、あるプロジェクトが始まりますので、二週間ほど、ブログをお休みさせていただきます。  次回は、9月16日の週から、再スタートしたいと思います。  

では、また。

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柔道とJUDO

1.8月30日土曜日の夜、NHKの『日本柔道を救った男▽金メダリスト・石井慧密着6カ月』を見ました。

2.以下は、NHKのホームページに書かれていた番組紹介です。  番号は私が付けました。

『①北京オリンピック男子柔道100キロ超級に出場した石井慧選手が、金メダルに輝くまでの苦闘をたどる。

②北京五輪で男子柔道日本代表は、メダル2個という過去最低の結果に終わった。  

③立ちはだかったのは、一本を取りにいく日本柔道とは異なるヨーロッパ型の“JUDO”。  組み合わずに足を狙ったタックルを仕掛けたり、相手に反則ポイントが入るように仕向けて勝つというもので、その手法は現在あらゆる試合で見られる。

④そんな中、石井選手は五輪という舞台で、準決勝まではすべて一本勝ちで進み、世界を制した。

⑤石井選手は1月から3月にかけて、ヨーロッパで開かれた国際大会「サーキット」に参戦し、“JUDO”の戦術や駆け引きを吸収。  4月の日本選手権ではその戦術を実践し、五輪代表の座を手に入れた。

⑥そして北京では、吸収した“JUDO”に日本柔道本来の形を加えた、新しい柔(やわら)の道を世界に見せた。』

3.番組で印象に残った、石井選手の言葉を紹介します。  メモを取らなかったので、言い回しは違っていると思います。

①「試合における一番の喜びは、自分の立てた計画通りの試合ができること。  相手に対して、どういう試合運びをするか、を事前にシュミレーションする。  自分より強そうな相手であれば、いかに相手の良さを出させないか。  組むと強い相手には、絶対に組ませないようにする。  自分の良さも消えてしまうかも知れないが、そんな所で意地を張らない。」

②「試合の究極の目的は、一本勝ちをすることでも、自分の戦い方を貫くことでもない。  ただ、試合に勝って優勝することのみ。」

③「究極のオーバーワークが、奇跡的な勝利を生む。」

4.ヨーロッパ遠征で石井選手は、試合時間3分を過ぎると、大柄な外人選手のスタミナが無くなること、に気づいたそうです。  そこで、3分過ぎから試合が終了する5分までの2分間に、十分に動けるよう、スタミナトレーニングに打ち込みました。

「自分の試合は、インスタントラーメンと一緒です。」と言っています。  その心は「3分間待つんだよ。」だそうです(笑)。







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(28)昭和58年 第15回大会初日

1.第15回全日本大会は、昭和58年11月12、13日に東京都体育館で開催されます。  翌年の1月20、21、22日の3日間かけて行われる、第3回世界大会の選抜選手権を兼ねていました。  世界大会まで約2ヵ月しかないため、前年の第14回大会の入賞者は、初日はシード不戦勝とされる、113名の変則トーナメントでした。

2.当日の朝、私の自宅で集合し、私が運転して、会場に向かいました。  車中、『ロッキーのテーマ』や『猪木ボンバイエ』を聴きながら向かったのですが、独特の緊張感がみなぎっていました。

会場に着いたら、カメラマンの小林洋さんと会ったので、3人で写真を撮ってもらいました(その後、その写真が雑誌に掲載されるような意味を持つとは、その時点では思いも寄りませんでした)。

3.小笠原は、Bブロックのゼッケン34番で、ブロックの反対側には松井館長がいます。  他のシード選手と違い、松井館長は本人の意思で、1回戦から試合をしていました。

小笠原は、1回戦を判定勝ちした後、2回戦は木元選手と当たり、延長2回引き分け・体重判定で2日目に勝ち上がります。  

4.大西は、Cブロックのゼッケン69番で、ブロックの反対側には、前年まで3連覇している三瓶選手がいます。

大西は、1回戦を上段回し蹴りで一本勝ち、2回戦も下段回し蹴りの合せ一本勝ちで順調に勝ち上がりました。

5.無事に1日目が終了したと思ったのですが、試合後、大西が右足親指の痛みを訴えます。  大事を取って、会場からそのまま東京女子医大病院に直行しました。  レントゲンを撮ってみたら、骨折していることが判明します。  1回戦で右前蹴りを蹴ったときに、何かの拍子で折れたようです。  ギブスで固定して、痛み止めをもらって、帰ることにしました。

6.その後、自宅で食事をしながら、当日の試合を、撮影したビデオでチェックし、解散しました。  骨折ですから、痛みも相当あり、熟睡はできなかったと思います。

7.13日の朝、2人が自宅にやってきました。 大西に聞くと、ギブスで固定したままでは戦えないので、はずしたいとのことでした。  そこで、あまり時間がないのですが、当時、代田橋にあった名倉接骨院に連れて行きます。  事情を話して、簡単な添え木に換えてもらいました(当日の試合では、結局、その添え木も、動きにくかったので、はずすことになるのですが)。    

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