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(39)昭和63年 第20回大会 城西10周年

1.①昭和63年6月11・12日、大阪市中央体育館で第5回ウェイト制大会が開催されます。  城西支部からは、軽量級に柱武志・中江辰美・今西俊彦、中量級に塚原典寿・大賀雅裕・田口恭一、重量級に小笠原和彦・江口芳治・青木英記・岡本英樹・田村悦宏が出場しました。

②今西・大賀・田口・青木・田村が初日の予選二試合を勝ち、二日目に残ります。  青木は本戦1回戦で負けましたが、他の4人は順調に準決勝まで勝ち上がります。  

③今西は準決勝で西村太一選手に延長1回判定負けし、3位でした。  大賀は決勝で柴田英樹選手に本戦判定負けし、準優勝です。  田口は準決勝で柴田選手に本戦判定負けし、4位でした。
  田村は準決勝で木元正資選手の上段前蹴りをまともにもらい、一本負けで4位です。  3位・4位は試し割り枚数で決定されました。

2.①昭和63年11月19・20日、両国・国技館で第20回全日本大会が開かれます。  青木英記・田辺英明・市村直樹・田村悦宏・江口芳治・今西俊彦・増田章・川本英児・真弓聡史・大賀雅裕・田口恭一・黒澤浩樹が出場しました。  前年の第4回世界大会で3位の増田、6位の黒澤は優勝候補と見られていました。

②青木・市村・今西・増田・川本・大賀・田口・黒澤が二日目に残ります。  3回戦で青木・川本・大賀・黒澤が敗れます。  黒澤は吉岡智選手と当たり、後ろ回し蹴りで技有りを取られましたが、中段回し蹴りで技有りを取り返します。  その後、上段まわし蹴りで再度技有りを取られるという波乱の試合でした。

③4回戦は市村が八巻健二選手に本戦判定負け、今西が石井豊選手に上段回し蹴りの一本負け、増田が高橋衛選手に体重判定負け、田口が山口徹選手に下段回し蹴り技有りを含む判定負け、と結局、入賞者を一人も出すことができませんでした。

3.①昨日発売のワールド空手で先日の城西支部設立30周年パーティーも載せていただきました。  その記事の「城西地区全日本・世界大会入賞者一覧」を見ると、大西が優勝した第15回大会以降、入賞者が出ていないのは、第20回全日本大会と平成15年の第8回世界大会だけです。

②翌・平成元年1月22日に日比谷で城西支部設立10周年パーティーを開いてもらいました。  その席で大西が「皆さんはチャンピオンになろうと思って稽古しているはずですから、チャンピオンになれないということは、その稽古が無駄な努力になってしまうわけです。」とスピーチしていました。  

③30周年パーティーで、田村が10周年の時のエピソードとして、そのことを話していました。  ちなみに田村は10周年・20周年・30周年パーティーのすべてに出席しているそうです(感謝)。

ちょっと風邪気味です。  よい週末を。  

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大栗道榮先生『空海!感動の人生学』

高野山真言宗大僧正の大栗道榮(おおぐりどうえい)先生が書かれた『空海!感動の人生学』(中経文庫)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.中国の司馬温公(しばおんこう)という人が、家訓に、「子孫のために万巻の書を積んでも、子孫はそれを読まないかもしれない。  子孫のために大金を残しておいても、子孫はそれを守らないかも知れない。  子孫をいつまでも栄えさせようと思えば、世の人々のために陰徳(いんとく)を積んでおくことが最も大切なことである」と、書き残している。

2.たしかに、大学者の息子は決して大学者になっていないし、また、どんな財閥でも、孫の代には遺産を食いつぶしてしまうことがある。  それよりも、日ごろの陰徳を積むべし、というのである。

3.陰徳というのは、「世のため人のために善いことをせよ。  だが、黙ってやれ」というのである。  善いことをしても宣伝するなというのだ。

4.陰徳を積めば、病気や災難は自然に消えてなくなり、世の人は喜び、天地の神仏も喜び、その功徳はまた自分にかえってくるのである。  世の中に利口な人は多いが、なかなか成功しないのは陰徳を積まないからである。』

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五木寛之先生『息の発見』

1.作家の五木寛之先生と作家・禅僧の玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)先生との対談集『息の発見』(平凡社)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

2.五木先生の書かれた「息の旅に気づく旅のはじめに」より

『息は自律神経の働きであるから、ふつうは無意識の活動だ。  しかし、意識を集中することで、それをコントロールすることもできる。  呼吸が制御できれば、鼓動や脈拍などもある程度は制御できるだろう。  顔が紅潮したり、筋肉がこわばったりすることにも対処できるかもしれない。』

3.第二章「ブッダの息の教え」より

『玄侑・・・人間の体は、ふだんは、自律神経がなんでもやってくれるのに、そのなかで意識して変えられるのは、呼吸くらいですよね。  涙腺とか、発汗の管理に、自分の意思を介入させることはむずかしいですから。

五木・・・人間の生命活動のほとんどが、自律神経の働きに支配されているのに、唯一、息だけが、意識的にコントロールできるわけですね。

玄侑・・・ええ、唯一ですね。  呼吸中枢は、大脳からもつながっているようです。  だから意思で、ある程度、変えたり止めたりもできるわけですね。  意思で変えて、それを習慣化させていくことで、無意識の呼吸も変えていくことが、大事だと思うんです。

五木・・・ああ。  修行や訓練によって、無意識の呼吸を変えようと。  つまり瞑想というのは、意識的な無意識のコントロールということなんですね。

玄侑・・・そういうことです。  目指すのは、やはり無意識だと思うんです。』

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秋季関東大会

1.23日の日曜日は秋季関東大会でした。  城西支部からも22名の選手が出場しました。  

試合や審査会というのは、それまでの稽古の成果をチェックする機会です。  もちろん、結果(勝つこと)は大事です。  ただ、それ以上に大事なのは、試合の内容を振り返って、自分自身の何が良くて、何が足りなかったかを正確に把握し、次からの稽古の課題とすることです。

午後の部・Bコ-トは全試合見ていたので、感想を書いてみます。

2.生駒有里(一般女子-55kg級の部)
①良かった点
・ストレート系の突きに伸びと力強さが感じられた。
②足りなかった点
・相手に押されてまっすぐに下がってしまった。  下がりながら上段の蹴りを蹴っていたが、蹴ると軸足一本で立つことになるため、よけい押されることになる。  蹴るなら、いったん相手を押し込む・横にずれる・身をかわすなどしてから蹴るべき。
・受け返し・カウンター・コンビネーションの稽古を通して、相手を崩してから攻撃することを覚える必要がある。

3・斉藤直也さん(一般上級+75㎏級の部)
①良かった点
・受け返しなどのバランスが初級のときに比べ良くなっていた。  言い換えると、組手に柔らかさが出てきた。
②足りなかった点
・茶帯・黒帯が出場する上級の試合で勝ち上がるには、受け返し・カウンター・コンビネーションなどの精度をもっと上げる必要がある。  (齊藤さんが対戦した)小野選手の組手の方が、技術的な完成度が高かった。  精度を上げるには正確な形で動作を繰り返すしかない。

4.小林大起(一般上級+75㎏級の部)
①良かった点
・受け返し・カウンター・コンビネーションの精度が高かった。
・2回戦での前押さえ(蹴り)が自分の間合いを保つ上でも効果的だった。
②足りなかった点
・体が柔らかいという長所を生かした上段蹴りをもう少し多用すべき。  上段へ技を散らすことによって、下段蹴りや突きがより効果的になる。  私の先輩で大石代悟という上段蹴りの名手がいたが、毎日1000本ずつの前蹴上げと横蹴上げをノルマにしていた。  手と同じように自由自在に足(上段蹴り)をコントロールするには、数多くの蹴り込みが必須。
・顔面殴打で反則負けした。  ラッシュをかける時にも、冷静に相手のことを見ている必要がある。

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(38)昭和62年 第4回世界大会  

1.①昭和62年6月13・14日、大阪市中央体育館で第4回ウェイト制大会が開かれました。  11月に行われる第4回世界大会の最終選手選考会を兼ねています。

②軽量級に中江、中量級に大賀、重量級に黒澤と岡本が出場しました。  初日に予選1・2回戦、二日目が本戦です。

③中江と岡本は、本戦1回戦で判定負けしました。

④大賀は準決勝で橋爪秀彦選手に延長3回判定負けします。  3位に入賞しましたが、世界大会の代表枠(中量級から2名)には入れませんでした。

⑤黒澤は決勝まで進み、七戸康博選手に判定負けし、準優勝でした。

2.①昭和62年11月6~8日、日本武道館で第4回世界大会が開催されます。  昨年の第18回大会準優勝の増田、第4回ウェイト制大会重量級準優勝の黒澤、過去の実績から推薦された小笠原の3人が出場しました。

②5月に右足スネの切開手術をしていた小笠原は、1回戦は左中段回し蹴りで一本勝ちしますが、2回戦は延長1回判定負けします。

③黒澤は1回戦一本勝ち、2回戦延長1回判定勝ち、3・4回戦判定勝ちと順調に勝ちあがります。  5回戦でオランダのピーター・スミット選手と当たり、延長3回判定勝ちしますが、この試合で右ひざを負傷し準々決勝は棄権しました。  6位に入賞します。

④増田も順調に勝ちあがり、準々決勝では七戸選手に体重判定勝ちしました。  準決勝の相手はスイスのアンディ・フグ選手でしたが、延長3回判定負けします。  3位決定戦はイギリスのマイケル・トンプソン選手に一本勝ちしました。

⑤決勝戦は、松井館長がアンディ選手に延長2回判定勝ちし、世界チャンピオンとなります。  第17回大会からの3連覇を遂げられました。

3.一方、私は昭和62年の4月から、ある縁で不動産関係の仕事を手伝うことになります。  現在も不動産会社を経営していますが、そのスタートとなったのがこの年でした。

三連休です。  日曜日は水戸で関東大会が開かれます。  よい週末を。

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小沢一郎先生『50の質問』

民主党代表の小沢一郎先生に、プロデューサーのおちまさとさんが質問する形式の対談集『小沢一郎総理(仮)への50の質問』(扶桑社刊)を読みました。  第22問と第24問を抜粋して紹介します。

『【第22問】人生で一番傷ついた言葉は何ですか?
【答】いろいろあるね。

小沢・・・僕は本当は情に棹(さお)差して流されるほうなんですよ。

おち・・・そこが面白いですね。  確かに今までの話を聞いていると、かなり情に流されやすいタイプだと思います。

小沢・・・本当はね。  でも、だからこそ僕は絶対、政治判断だけは情に流されちゃいけない、と決めているわけなんです!  (中略)

小沢・・・日本の戦前の歴史だって、結局、感情というか、そのときの情緒的判断でダダダダーッと突き進んで、敗戦を経験してしまったわけでしょう。  もしそのとき、明治時代のリーダーたちが生きていたら、絶対にあんな馬鹿な戦争はしなかったですよ。  明治のリーダーはそれだけ見識を持っていて、きちんと物事を判断できた人たちだったからです。  そう考えれば、政治では情に流されちゃいけないというのは、すごく当たり前のことなんです。



【第24問】人に裏切られました。  復讐の方法は?
【答】ない。  去る者は追わず。

おち・・・これはちょっと生々しい質問かもしれませんが(笑)、いかがでしょうか?

小沢・・・いや、それはもう政治家ですから、裏切りを数えたらきりがない。  それはしょうがないことですよ。  (中略)

小沢・・・だから、僕の基本的な姿勢は「去る者は追わず、来る者は拒まず」。  大人、しかも政治家なんだから、自分の行く末ぐらい自分で決めろや、ということです。  それをマスコミは、情がないから小沢から人が離れていくんだと言うけれど、離れていった人の結末をみれば、大体わかりますでしょ。  僕はこれまで意図的に、情緒的に人をはじき飛ばしたり、意地悪したりしたことは一切ありませんよ。

おち・・・最初は理解されなくても、やがて時間が答を出しますからね。

小沢・・・そうです。  やっぱりお天道様が見ていますから。  僕はいつもそう言うんですよ。  暗い闇夜に紛れてうまいことやったと思っていても、やがて朝が来る。  そうしたらみんな、お天道様に照らされる。  だからみんな、一生懸命真っ当に生きろと。』

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小野十傳先生『幸運と不運の法則』

天文占術研究家の小野十傳(とでん)先生の書かれた『幸運と不運の法則』(PHP新書)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.不要なものは捨てる

幸運を獲得するには単純であることです。  アタマの回路が単純であれば、幸運へとスムーズに着地するものです。

そのためには、部屋にある不要なものを思いきって捨てることが大切です。

2.散歩のルートに神社を入れる

神社は、風水的には竜・穴・砂・水の要素が兼ね備えられた聖地と解釈されています。  つまり、気が降臨(こうりん)するスポットなのです。

散歩するときに神社に立ち寄る習慣をつけておくと、幸運が微笑んでくれる不思議な現象に遭遇するはずです。

3.トイレをきれいにする

トイレを毎日、自分の手で掃除しましょう。  くつろぎの空間につくりかえるのです。  これで運がつかないはずはありません。

4.先祖の墓参りをする

ちょっと運気が下がり、予想外の悪い展開が来はじめたなと気づいたならば、時間をつくって先祖の墓をお参りするのです。  すると、悪い展開は収まり、鳴りを潜めるものです。

私は神様とか死後の世界を信じてはいません。  まったくの無宗教です。  しかし、先祖の墓の効果だけは不思議に信じています。』

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北島康介選手『前略、がんばっているみんなへ』

1.競泳の北島康介選手が書かれた『前略、がんばっているみんなへ』(ベースボール・マガジン社刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①平井先生からは〝こうしなさい〟とか〝これをしなきゃダメだ〟と言われたことはないんだ。  それは、僕があまりいろいろ言われるとダメな性格であることをわかっていてそう接してきてくれたのかもしれない。  

②もしうまくいかず、苦労しているときには、一緒に考えてくれた。  

③選手として大切なのは、コーチのいうことを聞いたうえで、必ず自分で考えることだと思っているから、いま、言われたことはなんなのか?  その答を自分で探して実践していくことで強くなってきた。  

④選手によっては細かく、いろいろ言われるほうが伸びる選手もいるだろうから、それはあくまで僕の場合だけどね。』

2.巻末の『恩師・平井伯昌(のりまさ)コーチが語る北島康介』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①康介は、練習を休むことがとても少ない子どもでした。  私が担当するようになり、本格的な厳しい強化が始まった中学2年生以降も、練習にはほとんど休まず毎日来ていました。  

②練習は、強い(練習タイムが速い)とは言えませんでしたが、そのなかでも本当にまじめに私の言うことを聞き、一生懸命やっていました。

③また、康介はプール以外でもとても素直な少年でした。  どんな人にでも挨拶がしっかりできる子でしたし、練習以外で私と話をするときも、まっすぐに目を見て聞いていました。  

④当たり前のようなことかもしれませんが、そういった素直な心をもつことが、ゆくゆくは選手としての成長に大きく役立つのだということを、私自身も康介を通して知ることができたような気がしています。』

3.毎朝読んでいる『坂村真民一日一言』(坂村真民著 致知出版社刊)の11月18日の項のタイトルは『天才と本物』でした。  紹介します。

『天才には、そう誰にもなれないが

本物には、努力次第でなれる』  

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帯津良一先生『達者でポックリ。』

医師の帯津(おびつ)良一先生の書かれた『達者でポックリ。』(東洋経済新報社刊)を読みました。  第六章『「達者でポックリ」をさまたげる健康常識』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.笑うことは「健康の源」か

①笑うと免疫力が上がる、笑って明るく前向きの心を保つことが、病気に打ち克つ方法だなどといわれます。  (中略)

②しかし、深刻な病状にある患者さんや家族に「明るく前向きに、笑ってすごそう」などという言葉は酷です。  そんなときに無理に笑ったら、かえってストレスがたまり、からだと心にいいわけがありません。  (中略)

③人間はあの世から一人で来て、またあの世に一人で帰っていく存在です。  だからかなしく、さびしいのです。  そしてそれだけではなく、いずれふるさとに帰るという「旅情」を抱えて生きています。

④ですから旅の途中で、無理して笑ってばかりいる必要などありません。  ただ、あるがまま、つらいとき、かなしいときは、泣いたり、ため息をついたりしていいのです。

2.ストレスは解消しなければならないのか

①ストレスは万病の元であるかのようにいわれます。  がんはストレスが重なって起きるものであるという説もあります。

②でも、ストレスは現代人が普通に生活していれば誰もが背負っているものです。  ストレスなしの生活はありえないのです。  それを跳ね返すとか、なくすとかいうのは間違いだと思うのです。  (中略)

③人間はストレスや困難な状況があると、かえって命が爆発するのです。  それが病気を治す起爆剤にもなりうるはずです。

④一日なんのストレスもなく、のんびりすごして、それで果たして一日の終わりのビールがおいしいでしょうか。  やはり一日汗かいて、苦労して、「今日もよく働いたな」と自分をねぎらいながら一杯やる、その瞬間にこそ生命のエネルギーが高まるのではないでしょうか。  (中略)

⑤その意味でもストレスも人生には必要なもの。  なくすことよりも、うまく付き合うことのほうが大切だと思うのです。』

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(37)昭和61年 第18回大会

1.①昭和61年6月8日、大阪市中央体育館で第3回ウェイト制大会が開かれました。  軽量級に桜澤正大、中量級に岡本英樹、重量級に横井広行の3人が出場します。

②桜澤は準決勝で、当時は神奈川西支部に所属していた今西俊彦と当たり判定勝ちしました。  決勝では兵庫支部の梶原隆広選手に判定負けし、準優勝します。

③岡本も決勝まで勝ちあがり、兵庫支部の橋爪秀彦選手と当たります。  結果は判定負けで、桜澤同様、準優勝でした。

④横井は3回戦で優勝候補と目されていたデンマークのクラウス・レックス選手に判定勝ちします。  勝ち上がった準決勝で、兵庫支部の西山芳隆選手に合せ一本負けしたものの4位に入賞しました。

⑤結局、兵庫支部が三階級制覇を成し遂げます。

2.①11月2・3日は代々木第一体育館で第18回全日本大会が開催されました。  翌62年に行われる第4回世界大会の代表選手選考会を兼ねています。  増田・黒澤・大賀が第17回大会の入賞者枠から、桜澤・岡本・横井が第3回ウェイト制大会の入賞者枠から、小笠原・中江が支部代表枠から、と8人が出場しました。

②岡本・横井・黒澤・桜澤・中江は初日敗退します。  第16回大会優勝、第17回大会準優勝の黒澤はチャンピオン奪回に向けて稽古してきましたが、2回戦で対戦した豊田宜邦選手の跳び膝蹴りで一本負けしました。

③第17回大会6位の大賀は3回戦で奥村幸一選手と当たり、延長2回判定負けします。

④第15回大会準優勝、第16回大会5位の小笠原は1回戦・2回戦は一本勝ち、3回戦も技有り判定勝ちと勝ち上がりました。  4回戦の相手はオランダのミッシェル・ウェーデル選手です。   ミッシェル選手も1回戦から3回戦まですべて一本勝ちで勝ち上がってきました。  好試合が期待されましたが、ミッシェル選手の顔面パンチで小笠原の右目下が大きく切れてしまいます。  ドクターストップで小笠原が反則勝ちし、7位に入賞します。  ブロック決勝で松井館長と対戦するはずでしたが、松井館長の不戦勝となりました。

⑤第14回大会8位、第15回大会5位、第17回大会3位の増田は試合前にバイクで転倒して、右手首を怪我します。  菊澤政夫君にテーピングで固めてもらい、出場しました。  不安をはねのけるように、順調に勝ち上がり、念願の決勝進出を果たします。  決勝戦は大会連覇を狙う松井館長との対戦です。  過去2度負けており、雪辱戦でもありましたが、延長戦で判定負けし、準優勝でした。

少し寒くなってきました。  風邪など引かないように。  よい週末を!


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半藤一利先生『日本よ、平和な国であれ』

1.『日本史はこんなに面白い』(半藤一利著 文藝春秋刊)という本を読みました。  作家の半藤(はんどう)先生が16人の方々と日本史について対談されています。

2.半藤先生は1930年生まれの78歳です。  8月4日から8日までの日経新聞夕刊の『人間発見』という連載でも、『日本よ、平和な国であれ』というタイトルで話をされています。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①十数年前ですが、ある女子大で昭和史の講義をしました。  そのとき、アメリカと戦争をしたことを知らない学生が2割以上もいたのには参りましたね。  「この国の将来は困ったもんだぞ」と。

歴史を知るということは何も物知りになることではなくて、日本人とはどういうものかを知ることなんです。  危機に直面したときにどう選択し、どう考えたのかが分かる。  「人間学」です。  その教訓は昭和史の中に山ほど転がっている。  だから「昭和史を学びなさい」と盛んに言うんです。  (中略)

②天皇の聖断や原爆、ソ連の満州侵攻など日本の終戦を様々な角度から見た本を書きました。  終戦にこだわるのは、戦争に負けたときほど日本人が精神の根っこをさらけだしたときはないと思うからです。  鈴木貫太郎のように素晴らしい精神性を見せた人もいたし、だらしないのもいた。  日本人とは何かがよく分かるんです。  (中略)

③戦後日本人が一生懸命働いて豊かになり、世界に誇るに足る国をつくり上げることができたのは軸があったからです。  それは平和主義、平和憲法だったと思いますよ。  

それがバブル崩壊以降、どんどん希薄になっていったような気がします。  通り魔事件などが起きるのを見ると、この国は破壊しているのではと感じます。  国家が浮遊していると思いますよ。

④国家目標がなくなりましたね。  もう一回つくり直さないと。  私たちのときは廃墟からの復興と繁栄という目標がありました。

目標を考える際は国力をリアリズムで考えないといけない。  戦前の日本人がいかに自分の国の国力を知らなかったか。  「無敵の陸軍と連合艦隊がいる」それだけでした。

⑤若い人達にはこれから何を国家の機軸とするのかを考えてほしいですね。  私は平和主義という機軸はまだ十分に賞味期限があると思っています。』  

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本郷孔洋先生のブログ『興味の持ち方』

10月28日に、公認会計士・本郷孔洋(よしひろ)先生が10月15日に書かれた、『本当にに頭のいい人』というタイトルのブログの一部を紹介しました。  『興味の持ち方』というタイトルの11月7日のブログも面白かったので、抜粋して紹介します。

『1.動物園で係員に女の子が聞きました。
「このカバはオス?メス?」

係員の答え
「お嬢さん、そんなことは別のカバが興味を持てばよいことで。」


2.切れ味の差

あるレストランのメニュー「ビフテキ、20ドルと30ドル」がありました。
「おすすめは?」客が聞きました。
「もちろん30ドルです。」
「どう違うんだ?」
「どちらも同じ肉で量も同じです。」
「じゃあなんで、高い方をすすめるんだ?」
「そっちの方には、良く切れるナイフがついています。」


3.おすすめ

レストランで長いことメニューを見ていた男、ウェイトレスを呼んで、
「実は予算が10ドルしかないんだ。おすすめがあれば聞きたいんだが?」
ウェイトレス「よそのレストランにいらっしゃれば」


4.余計なおせっかい

レストランで、今しがた受け取った勘定書を見ている男に、相席のご婦人が尋ねた。
「顔色がお悪いようで、何か悪いものでも召しあがったんじゃありませんか?」

世界のジョーク集より』

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細野晴臣さん『分福茶釜』

1.音楽家の細野晴臣さんが鈴木惣一郎さんの質問に答える形での対談集、『細野晴臣 分福茶釜』(平凡社刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の前後のぼくは、精神世界みたいなところに何かを求めて右往左往してたの。  仏教とか神道とかスピリチュアリズムとかに首を突っ込んで迷ってた。  (中略)  50歳の頃にネイティブ・アメリカン(アメリカ大陸の先住民)の思想に初めて触れて、それまでの自分の求めていたものが氷解しちゃったの。  「もういいや」と。  「こんな単純な世界があったんだ」「自分が求めてたのは、こういうことだったんだ」ってことがわかって、そこから楽になった。

②大きな声じゃなくてもいいんだ。  ちいさな声でもいいから声に出さないと伝わらない。  それはネイティブ・アメリカンに教わったことのひとつで、祈りってのは思っているだけじゃだめだということ。  たとえば薬草を摘むときに、「これから摘みますよ」と声に出して言わないと、草花が開いてくれないんだって。

③仏教では欲を持つなら、大欲に目覚めろってよく言うんだよ。  ちっちゃな欲望は、人を傷つけたりするけど、大きく欲望すれば人を助けたり、世の中を助けたりするって欲望に変わっていくから。

ーーー大欲ってなんですか?  総理大臣になるぞとか。

そんなの小さい小さい(笑)。  人類を助ける。  これが大欲。  欲望の極限はそれだ、と。  どうせ欲望を捨てられないなら、そっちを目指せっていうのが大乗仏教の教えなの。  小乗仏教は欲望を捨てろって言ってた。  でも大乗はそれを育てて、洗練させて、大きくしなさいと言うんだ。』

2.この本を読んで初めて知ったのですが、細野さんのおじいさんはタイタニック号の生き残りだそうです。  本の中の注を紹介します。

『細野の父方の祖父、正文(まさふみ/1870-1939)は、1912年に鉄道院の在外研究員として、サンクトペテルブルグに留学。  その帰途タイタニック号に日本人としてただ1人乗船し、沈没という惨事に遭遇したが九死に一生を得て帰国した。』

びっくりしました。

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荒井裕志君『本調子』

1.11月6日の朝、荒井裕志君が結婚式の案内のため、会社に訪ねてきました。  元中量級チャンピオンの荒井君は、現在は城西世田谷東支部の職員として、後進の指導に当たっています。

2.新婦とは『読書普及協会』というサークルで出会ったそうです。  新井君から同会編の『本調子』(綜合法令刊)という本をもらいました。  6人の共著ですが、同会理事長の清水克衛さんが書かれた項に次のような内容がありました。

『そうそう、本が好きになったのは、たぶん小学生のときの、あのことがきっかけだね。

あれは小学校5年生の頃だったかなぁ・・・。  

場所はサマーランドだったと思う。  

家族で遊びに行ったときに、たまたま極真空手の・・・え~っと、何て言ったっけかな、あの映画を見るような大画面で・・・そうそう、エキジビジョンっていうのかな、それで瓦を手刀で割ったり、野球のバットをまわし蹴りで割ってみたり・・・とかっていうのを、やってたんですね。  「うりゃあぁぁぁぁ!!!」って。』

3.清水さんは、その場所で行われた大山総裁のサイン会で『空手バカ一代』という本を、ご両親に買ってもらったことが本好きになったきっかけだ、と書かれています。

4.今から35年ほど前、当時茶帯だった私も先輩達に交じってサマーランドでの演武会に参加したことがあります。  たぶん、それが清水さんが見られた演武会だと思われます。  

私はビール瓶を立てて下段回し蹴りで割る演武を任されましたが、何度蹴っても瓶が飛んでいってしまい、途中で他の人に代えられました(恥)。  

その失敗がサマーランドでの私の演武だと思うのですが、当時緑帯だった三瓶啓二君と組手をやった記憶もあります。  なにしろ随分前のことなので、もしかすると、そちらがサマーランドでの演武だったかもしれません。

5.清水さんの書かれた項から抜粋し、紹介します。

『「命」という漢字をバラバラにしてみると「人」は「一」度は「叩」かれる、となります。

人生には良いこともあれば悪いこともある。  でも叩かれるのが命ならば、多少の困ったことは当たり前のことなんですね。  

それを乗り越えていくのが人間であり、我々の祖先が通ってきた道なんでしょう。』

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(36)昭和61年 伊達健志君

1.第40回大会翌日の11月3日は、城西支部の創立30周年パーティーを開いてもらいました。  会場では、フジテレビ同好会の成田さんに編集していただいた、城西の過去の全日本チャンピオン(ウェイト制大会を含む)を取り上げたDVDが、披露されました。  それが、『チャンピオン製造工場』としての、城西の日の当たる部分だとすると、日の当たらない陰の部分として、伊達健志君の死は、私の記憶に今も強く残っています。

2.昭和61年2月22日夜、代田橋道場で昇段審査会を行いました。  伊達君は当時23歳で、1級でした。  何人かの受審者の10人組手が無事終わり、伊達君の番になったのですが、5~6人目で突然倒れました。  蹴られたり、叩かれたりして、倒れたのではなく、痙攣(けいれん)を起こすようにして倒れたのです。  手首を触ると、すでに脈はありませんでした。

3.医師による検査の結果は、心臓動脈瘤破裂(どうみゃくりゅうはれつ)による死亡です。  小さいときに、川崎病にかかっていたのではないか、とのことでした。  ご両親によると、伊達君は小さいときに、発熱を伴う関節炎で、1~2週間入院したことがあったそうです。  その症状が、川崎病の症状にそっくりだったのです。  川崎病の後遺症で、心臓に動脈瘤ができることがあるのです。

4.心臓に動脈瘤がある場合、本来、激しい運動は控えるべきです。  伊達君は中学・高校と野球部に所属し、道場に入会してからは、試合にも出ていましたが、心臓に欠陥があるようなそぶりは、まったく見られませんでした。

5.隠された持病があったとはいえ、何をしても償い切れない、という気持ちで一杯でした。  私が道場を開いていなければ、死ななかったはずだ、というふうに考えたりもしました。

6.若くして亡くなった伊達君の分も含めて、私が一生懸命生きていかなければならないと思って、今まで過ごしてきました。  また、それ以来、私の道場の昇段審査会では、10人組手を行っていません。

7.30周年を祝っていただいたことを、皆さんに心から感謝するとともに、22年前の伊達君の死を無駄にしないような生き方を、今後も心がけるつもりです。

よい週末を。
 

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江原啓之さん『立つ鳥跡を濁さず』

毎朝少しずつ読んでいる、『ことたま』(江原啓之著、徳間書店刊)から、10月27日に続き取り上げます。  『立つ鳥跡を濁さず』、と題した項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①この言葉には、「世の中は狭い」、という教訓があります。  思わぬところで、人と人がつながっていて、「悪いことはできない」、と痛感することはよくあります。  (中略)

②たとえば、今は、家賃を滞納したまま夜逃げしてしまう人が、本当に多いのだとか。  けれど、もしかしたら、夜逃げしたアパートの大家さんの親戚と、仕事をすることになるかもしれない。  そこで悪事がばれ、仕事が頓挫(とんざ)することだってありうる。  そんなふうに、案外、世間は狭く、悪いことはできないようになっているのです。

③「わからなければいいや」と思っても、「カルマの法則」は「やるべきではなかった」と心から反省するまで、強靭(きょうじん)な忍耐力を持って、幾度でも学びを与えようと働きます。  なぜなら、そういう人は、狡(ずる)さや横着さを改善するのが、人生の課題だからです。

④きちんと礼を尽くすことをせずに、飛び立った鳥が、高く空を飛ぶことはありません。  嘘(うそ)をついたら、その嘘を隠すために、また嘘をつく。  それが全部カルマとなって、自分の足かせとなることを忘れないでください。』

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邱永漢先生『偶然と思えない出会い』

1.作家・経済評論家、邱永漢(きゅうえいかん)先生への質問サイト、『ハイハイQさんQさんデス』の11月1日の質問は、『偶然と思えない出会い』について、でした。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『(質問)偶然と思えない出会いについて、邱先生のお考えを、お聞きしたいです。  宜しくお願いいたします。 

(答え)
①世の中は、偶然がつながって、出来ているんです。  「必要は発明の母」と言いますけど、私は「偶然は発明の父」だと、思っております。

②世の中で、どんな人と会うかというのは、本当に、思いもよらない時に起こるんです。  ついこの間、白鵬と写真を撮りましたけど、私が白鵬と会うとは、その日まで思いもしませんでした。  

③まあ、それは偶然に、人に連れられていって、一緒に、写真を撮っただけのことですけど、それが、自分の人生の、一生の出世のきっかけになることもあれば、新しい仕事選びのきっかけになることもあると思います。

④ですから、偶然をバカにしないで、いつもそれを期待するくらいの気持ちで、やるのがよろしいんじゃないでしょうか。』

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第40回全日本大会

1.先週末の第40回全日本大会に、城西支部から出場した、鎌田翔平はベスト32、森善十朗は第8位、という結果でした。  先週木曜日、朝稽古の後、二人に今回のテーマは、「我慢」だという話をしました。  試合展開が劣勢になった時の我慢、スタミナ切れの状態での我慢、体の痛みに対する我慢、どんな時もポーカーフェイスであることの我慢、などです。  「我慢」という点では、二人ともよくやりました。  また、そこまでやったからこそ、現時点の課題が、本当の意味で、見えてきたと思います。

2.鎌田翔平
①良かった点
・今までは、自分が劣勢に立たされると、すぐ表情に出していた。  今回は、ポーカーフェイスが貫けた。

・突き・蹴りともに、威力が感じられた。

②課題点
・木立選手の突きのラッシュに、応戦できなかった。  正拳の試し割りで、右手を骨折していたことを差し引いても、対策を考える必要がある。

・膝蹴りの間合いが、合っていなかった。  赤石選手やダミヤノフ選手など、膝蹴りの得意な選手のビデオを見て、研究したい。  特に、上段への膝蹴りがあると、相手にとって、相当やりにくい選手になるはず。

3.森善十朗
①良かった点
・再延長まで、スタミナ切れしたところが、あまり感じられなかった。  とはいえ、更なるスタミナアップは必要。  

・重量級の選手と、がっぷり四つで打ち合っても、打ち負けなかった。  とはいえ、更なるパワーアップは必要。

②課題点
・上段への蹴りで倒せるような、技のコンビネーションを、もっと工夫する。   まだまだ、研究不足。

・砂袋による部位鍛練、特に、スネの強化。  決勝まで、7試合を戦う全日本大会では、攻撃部位が弱いと、攻撃力が十分に生かせない。

・更なる受けの技術強化。  下段・中段への回し蹴り、胸への突きを、まともにもらうケースが見られた。

昨日の城西30周年パーティーで、久しぶりに、第22回大会の増田章・緑健児戦の映像を見ました。  165センチ・70キロの緑選手が、177センチ・86キロの増田と、互角以上に打ち合っています。  174センチ・78キロの善十朗なら、緑選手より一回り以上大きいのですから、無差別のチャンピオンになる可能性は、十分にあると思います。

4.30周年パーティーには、松井館長をはじめ、多くの方々に出席していただきました。  城西の古いOBの顔も、久しぶりに、沢山見ることができました。

永ちゃんの歌あり、懐かしい映像あり、ビンゴゲームあり、サプライズあり、と心に残るひとときとなりました。

参加して頂いた皆さん、本当にありがとうございます(合掌)。  40周年めざして、頑張ります。  

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