2009年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年03月

(49) 1995年 第6回世界大会

1.①1995年(平成7年)6月24・25日、東京の有明コロシアムで第12回ウェイト制大会が開催されます。  11月に行われる第6回世界大会の選抜試合を兼ねていました。  軽量級に松山剛・川去誠・八木沼史朗・伊藤貴博・新津茂男・桜沢正大・尾崎亮・加藤邦顕・高野博充・荒井裕志・大谷善次・須藤麗・今西俊彦・鈴木啓太・真銅宏二郎、中量級に橋本正一・守屋隆浩・市川幸法・森田祐一・川崎雅央・青木英憲・御子柴直司・高橋徹・島端明・後藤芳輝・河野高志・戸田直志、重量級に田村悦宏・小野瀬寧・近藤博和・根本清志・羽田シゲル・吉岡憲久・小笠原和彦・佐藤修・杉山文宏・松沢幸誠・飯田雄志・黒澤浩樹が出場しました。

②軽量級・・・伊藤・大谷・今西の3人がベスト8、準々決勝で伊藤に勝った桜沢が第4位に入賞します。

③中量級・・・後藤と戸田がベスト8でした。

④重量級・・・吉岡と杉山がベスト8でした。  黒澤は準決勝で岩崎達也選手に敗れ、第3位に入賞します。  田村は決勝で岩崎選手と当たり、試し割り判定負けし、3度目の優勝はなりませんでした。 

2.①1995年11月3~5日、東京体育館で第6回全世界大会が開催されます。  前年の第26回大会第3位の市村直樹、ウェイト制大会準優勝の田村悦宏・第3位の黒澤浩樹、8月20日の最終選抜試合で準決勝に残った青木英憲の4人が出場しました。  

②Aブロック・・・黒澤は1回戦シードで2・4・5回戦を一本勝ちし、準々決勝に勝ち上がります。  準々決勝で優勝した八巻建志選手と当たり、本戦3対0で判定負けします。  第6位に入賞しました。

③Bブロック・・・田村は5回戦でブラジルのルシアーノ・バジレ選手に体重判定負けします。  

④Cブロック・・・青木は4回戦でフランシスコ・フィリョ選手と当たり、本戦4対0で判定負けします。

⑤Dブロック・・・市村は5回戦でグラウベ・フェイトーザ選手と対戦し、上段膝蹴りの技有りを取られ、判定負けします。

東京は雪が降っています。  足元にお気をつけて。  よい週末を!

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金本知憲選手『覚悟のすすめ』

阪神タイガースの金本知憲選手が書かれた『覚悟のすすめ』(角川書店刊)を読みました。  ウェートトレーニングについて書かれた項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①インパクトの瞬間に押し込むために欠かせないのが胸腕部である。  どんなバッターでも、毎打席完璧なかたちで打つことは不可能だ。  泳いだり、詰まったりすることがある。

②けれども、そのとき押し込んだり、受け止めたりする力があれば、ヒットになる確率は高くなる。  だから胸腕部の強化が必要なのであり、したがって私はこれを下半身(スクワット)同様、非常に重視している。

③胸腕部を鍛えるにもいくつかの種目があるが、基本はベンチプレスである。  私の場合は105~110キロ程度の負荷をかけ、10回ずつ2~3セットを行ってから、ほかのメニューに取り組むのが習慣になっている。

④「貧血になって半人前、ゲロを吐いて一人前」。  私は冗談でよくそういうが、ウェートトレーニングを行うにあたっては、限界まで自分を追い込むのが大切である。  そのため、ふらふらになり、意識が遠のくときもある。  終わったらすぐには立ち上がれない。  けれども、そこまでやってはじめてトレーニングは血となり肉となる・・・私はそう思っているのである。  (中略)

⑤ウェートトレーニングは故障しにくい身体をつくるという意味でも効果がある。   ウェートトレーニングを続けていくと疲労しにくくなり、回復も早くなる。  筋肉がパンパンに張ったときでも、どうにもならないという状態にはならなくなる。  故障は疲労からくるものも少なくないから、疲労しにくいというのは故障しにくいという意味でもあるわけだ。』

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村山雅美・元南極観測隊隊長

毎朝事務所に着いてから少しずつ読んでいる本の一つに『千年語録』(サライ編集部編 小学館刊)があります。  今日は村山雅美(まさよし)さんの項を読みました。  村山さんは第1次南極観測隊から7回にわたり極地を訪れ、うち3回の越冬隊長を務められました。  1968年の第9次隊長のとき、雪上車で日本初の南極点踏破を果たしています。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『(1)リーダーシップ

①リーダーの条件は、決断力ですね。  もちろん精神力も体力も、強いに越したことはない。  僕は、人間の判断力にそれほど違いはないと思うんです。  冷静に考えれば、ほとんど同じような結論に落ち着くものです。  ところが切羽詰ると、それができなくなっちゃう。  ですから、追いつめられたときの多数決は、大変危険です。  気弱になった集団の多数意見は、往々にして誤る。


②細心の注意と大胆な行動、そして油断大敵の心得がリーダーには必要でしょうね。  危ないのは帰路です。  成功したことで、つい気がゆるんでしまいがちです。  冒険や探検の一番の眼目は、「生きて帰ること」なんですから。

(2)能力

我々の踏むプロセスは、きわめて常識的です。  その結果が「前人未到の大冒険」などといわれるにすぎない。  

(3)境地

なぜ冒険するのか。  ひとつには、未知なる体験への好奇心です。  いわば怖いもの見たさですね。  もうひとつは、ある極限を突破すると、また新たな目標を見出してしまう。  これこそ、人間の底知れぬ能力だと思う。  実感的にいえば、人間は困難を突破すると、「生きている充実感」を感じる動物なのでしょうね。』

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朝原宣治さん『肉体マネジメント』

『肉体マネジメント』(朝原宣治著  幻冬舎新書)を読みました。  「まえがき」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①本書では、僕が念願の銅メダル(北京五輪 4×100mリレーのアンカー)を手にするまで、どうやって体力、精神力、そしてモチベーションを維持し続けてきたのかを記しました。

②その要素は大きく3つに分けることができます。

③1つめは、積極的に海外に飛び出していったこと。  19995年からはドイツで、2001年からはアメリカでトレーニングをしました。  高いレベルに身を置くことで、本場のトレーニング方法を学ぶのと同時に、自分の意識を高く保つことができました。

④2つ目はセルフマネジメントを続けてきたこと。  コーチのメニューに従って練習していたころも、常に自分で練習メニューや動きの意味を考え続けていました。  帰国後に自分でトレーニングプランを考えるようになってからは、従来のやり方に満足しないで、新しい方法を模索してきました。  つまり、他人任せにせず、自分自身で肉体をマネジメントしてきたのです。

⑤3つ目はフォームよりも、自分の体の「感覚」を重視したことです。  それは学生時代に始まって、ドイツ留学時代に研ぎ澄まされました。  感覚がわかってくると、練習メニューも工夫できるようになります。  そして、最終的な僕の走りのコンセプトである「体の中心から動かす走り」に行き着きました。』

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道元禅師『禅 ZEN』

1.昨日の午前中は昇級審査会でした。  午後は『禅 ZEN』(角川映画配給)を見に行きました。  道元禅師の生涯を映画にしたものです。

2.映画プログラムの中の道元禅師の紹介です。

『14歳で仏門に入り、24歳で入宋(宋に渡ること)。  天童山景徳寺の住持(寺の住職)、如浄(にょじょう)と出会い「正伝の仏法」を会得。  帰国後、興聖寺を建立し、正式に座禅のできる僧堂を作り、さらに仏殿・法堂を整備する。  のちに越前(福井)に移り永平寺を開創(かいそう・・・初めてその寺を開くこと)し、戦乱の世にひたすら座禅に打ち込むことで真理を学びとる「只管打坐(しかんたざ)」の禅風を強調し、実践した。  日本曹洞宗(そうとうしゅう)の開祖。』

3.同じく映画プログラムに駒澤大学総長・原作者・製作総指揮者の大谷哲夫先生が『今、なぜ禅?  そして道元なのか?』という文章を書かれています。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①心の荒廃(こうはい)、社会の荒廃は、日本人が長い歴史の中で築いてきた土着化した仏教や神道、儒教に基づく日本人が日本人として矜持(きょうじ・・・自信や誇りを持って、堂々と振る舞うこと)すべき倫理観が崩れたことによってもたらされています。  (中略)  戦後半世紀もの間、無視し続けてきた我々の倫理観に改めて向き合わなければならない時がきたのです。

②失われたものは何か、私たちが取り戻すべきものは何か。  その手掛かりのひとつとして、仏教に対する関心の高まりがあります。  それは日本だけに留まらず、世界的な広がりにまでなっています。  (中略)

③道元を取り巻く原風景は日本の風土の原型でもあり、日本独自の四季の原型ともいえます。  道元は、「春は花  夏はほととぎす  秋は月  冬雪さえてすずしかりけり」と日本の原点を見事に表現しています。

④さらに道元の行き着いた世界は言葉では表すことのできない非言語の世界でもありました。  日本人がかって持っていた非言語の世界は「心の豊かさ」に通じます。  (中略)

⑤道元が生きた鎌倉時代と現代は似ています。  (中略)  鎌倉という時代の閉塞感が武家政治や新仏教を生んだのだとすれば、その時代の禅者、道元の行き方は同じく混沌(こんとん)とした現代に生きる我々に、その場しのぎ「癒(いや)し」とは違う、真実の「魂の安心」を与えてくれるはずです。』

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宋文洲さん『弱った会社の前兆(下)』

2月9日のブログで紹介した宋文洲さんの『論長論短』というメルマガが配信されてきました。  テーマは前回紹介させていただいた『弱った会社の前兆』の(下)です。  今回も、全文を紹介します。

『(5)文章が多い・・・内部向けの文章がやたらと多い組織はよくない組織です。  議事録、会議録、報告書、日報、メールなど、文章の長い人ほど、多い人ほど仕事ができません。  ダメな上司は文章を読み、ダメな部下は文章を書き、作文で時間を消耗して仕事ごっこをやります。  だいたい文章が下手な人ほど文章を書きたがるので読まれないのも当然です。

(6)喧嘩をしない・・・喧嘩をしないというよりも遠慮がちといったほうがもっと適切かもしれません。  会議や打ち合わせの際、遠慮なく上司、同僚、部下に対して言うべきことを言える組織は活力がある組織です。  意見といえばよく思い付くのは部下が上司に意見をいうことですが、実は上司が遠慮なく部下に意見を言えることがもっと大切です。  部下の意見を大切にすることはイコール部下に遠慮することではありません。  部下の欠点を叱りながらも意見の大切な部分を見抜くリーダーの純心が必要です。  仕事上の意見がぶつかっても個人感情にシコリが残らないのはよい組織です。

(7)社員が急に増える・・・利益率が低下しているのに社員がどんどん増える会社は弱まります。  顧客ニーズが鈍化しているのに組織を肥大化させることはトップのリスク感覚がない証拠です。  やがて社員が顧客利益と関係のない仕事を増やすことになります。  その過程で顧客ニーズが減少に転じるケースが多いので会社は一気に赤字体質に変わってしまいます。  この不況下でこのような組織は簡単に炙(あぶ)り出されます。

(8)横文字が増える・・・不思議に外来語を多用する組織は弱くなります。  正確な理由は分かりませんが、たぶん誤魔化しが増えるからだと思います。  ちゃんとした日本語があるにもかかわらずわざと英語を使うのは単刀直入に問題の本質に触れたくないからです。  その姿勢がまずトップから滲(にじ)み出し、徐々に組織全体に浸透し、やがて誰もが難しい課題、問題のある事業から目を逸(そ)らすことになり、企業の潜在リスクが膨張してしまいます。

(9)意味不明な部署が増える・・・部署が多い会社はまず分かりにくいです。  それは外部からみて分かりにくいだけではなく内部からも分かりにくいのです。  過剰な分業は社員の事業への理解と参加意識を薄め、顧客との距離を増大させることになります。  なるべく損益計算書(PL)に直結する組織の作り方をしたほうがいいと思います。  シンプルになるだけではなく、損益への貢献度も一目瞭然です。  意味不明な部署が多いことは利益を生む過程と事業が絞(しぼ)られていない証拠です。』

日曜日は昇級審査会です。  よい週末を!

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大山倍達総裁『座右の銘』

大山倍達総裁の『座右の銘』をあらためて読み返しました。  さすがに含蓄(がんちく・・・表現で、うちに深い意味がこめられていること)のある言葉が並んでいます。  極真のメンバーなら知っていると思いますが、念のため紹介します。

『大山倍達総裁座右の銘

一、 武の道は礼にはじまり礼に終わる
   よって常に礼を正しくすべし

二、 武の道の深求は断崖をよじ登るがごとし
    休むことなく精進すべし

三、 武の道においてはすべてに先手あり
    しかれども私闘なし

四、 武の道においても金銭は貴いものなり
    しかれども執着すべからず

五、  武の道は姿なり
    何事においても常に姿を正しくすべし

六、 武の道においては千日を初心とし
   万日の稽古をもって極とす

七、 武の道における自己反省は常に練達への機会なり

八、 武の道は宇のためにあるものなり
   修練にて私心を忘れるべし

九、 武の道においては点を起とし、円を終とす
   線はこれに付随するものなり

十、 武の道において真の極意は体験にあり
   よって体験を恐るべからず

十一、 武の道において信頼と感謝は常に豊かなる収穫を得ることを忘るべからず』

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『古事記と日本書紀』

『古事記と日本書紀』(坂本勝著 青春出版社刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①日本の古典で、今日でも研究が重ねられている『古事記(こじき)』と『日本書紀(にほんしょき)』。  この二つの書物はしばしば合せて『記紀(きき)』と称される。

②二書はともに日本の誕生から書き起こされ、冒頭は八百万(やおよろず)の神々が神秘的なドラマを織り成す。  やがて神の子孫である人間が登場し、次第に神話から歴史へと移行していくのである。  (中略)

③これらの二書が編纂(へんさん・・・いろいろな材料を集めて整理し書物をつくること)された背景には、7~8世紀における日本国家の成立という歴史的事実がある。  (中略)  ともに時の権力者・天武(てんむ)天皇の命によって編纂が開始されているのだが、この二書は重複する箇所や似通った箇所が非常に多い。  (中略)

④なぜ内容の似た書を二つも作らせたのか。  (中略)

⑤『古事記』は神話時代に重点を置きながら、天皇家の歴史を語る。  日本語重視の文体で書かれており、天皇家の正当性を国内で誇示(こじ)するために作られたものといえよう。  (中略)

⑥『日本書紀』は漢文の記述や編年体(へんねんたい・・・年代の順を追って記述するもの)の体裁(ていさい)から、海外、特に中国王朝に対して自国の正史を伝える書物と位置付けることができる。  (中略)

⑦このように、『古事記』と『日本書紀』は互いに似ているようで、大きく異なる性格を持っているのである』

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野村克也監督『あぁ、監督』

『あぁ、監督』(野村克也著 角川書店刊)を読みました。  第一章「監督の条件」の中の「表現力」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「表現力」とは「言葉」の問題であり、説得力も大いに重要な条件である。  (中略)

②監督という立場にある者は、決してペラペラ上手に話す必要はないが、それなりの期待感を抱かせる話ができなければ、選手の心を開き、迫って、信頼を得ることはむずかしいのである。  (中略)

③技術指導においても言葉は非常に重要だ。  引退後間もない時期なら、監督であっても若い選手に身体を使って手本を示すことができる。  まして名選手であったなら、説得力がある。  

④だが、引退後時間が経ったり、その監督の現役時代のプレーを知らない若い選手が増えたりしてくれば、身体を使って教えることはできなくなる。

⑤では、そのとき必要となるものは何か・・・言うまでもなく言葉である。  

⑥一般にスポーツ選手は、言葉を軽視しがちだ。  特に一流選手であればあるほど、感覚で理解し、プレーできてしまうので、言葉など必要としない。  たしかに選手時代はそれでかまわないのだろう。

⑦だが、監督になれば別である。  ほとんどの選手は感覚だけでプレーできるほどの天才ではないし、名選手でもない。  監督は、そういういわば〝凡人〟を相手にしなければならないのである。

⑧そこでは感覚だけでは通用しないし、相手もついてこない。  持っている技術や野球理論・知識を正確かつ的確に伝えるには、やはり「表現力」が求められるのである。』

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東京都大会

昨日行われた東京都大会についてウェイト制選抜・出場選手の感想を中心に書いてみます。

1.軽量級

①井上隆博・・・1回戦は不戦勝、2回戦は突きの連打で一本勝ち、3回戦は優勝した寺島選手に延長1回判定負けでした。  ある程度試合数をこなしてきたせいか、トーナメント制の試合の戦い方に慣れてきたように思います。  寺島選手との試合はパワー負け・スタミナ負けです。  今後、全日本クラスの大きな試合に出るには高重量を挙げるウェイトトレーニングと一層の心肺機能強化トレーニングが不可欠です。

②高橋健一・・・1回戦で3位に入賞した小川選手に判定負けしました。  前半は互角に戦っていましたが、勝敗を分けたのはスタミナの差だったように思います。

③西村直也・・・4位に入賞しました。  45歳であそこまで戦えるのは立派だと思います。   欲を言えば、毎年戦い方が変わらないこと、変化技が少ないことが残念です。  相手にとっては研究しやすく、結果として戦いやすくなっています。

④黒岩幹也・・・キャリア不足です。  今後試合数をこなしていけば自ずと結果はついてくると思います。

2.重量級

①小林大起・・・優勝しました。  大起のよさは、技が緻密なこと、体が柔らかいことだと思います。  今回は昨年末の関東大会のときに比べて技の振り分けができていました。  特に体の柔らかさを生かした上段への蹴りが効果的でした。  直接ヒットはしませんでしたが、上段があることによって相手の注意が上にも向くため、下段や中段が有効になるのです。  

決勝の武田選手との戦いは間合いが取れていて良かったのですが、準決勝の戸谷選手との試合は相手と密着・膠着する展開が続きました。  前押さえ(蹴り)があればもっと楽に戦えたと思います。  体の柔らかい大起の相手胸元への前押さえは大変受けにくく、間合いを確保したり、試合の流れを引き込むには効果的です。

②斉藤直也・・・前にも書きましたが、攻撃・防御ともに技の緻密さが課題です。  相手の攻撃はすべてカットし、自分の攻撃は相手の弱い部分に的確にヒットさせることです。  負けた武田選手との試合はその差が出ました。  もっと自分で工夫しながら稽古を積み、試合数をこなしていくことが必要だと思います。

3.小学1・2年生

5名の選手が出場しました。  上段への蹴りで技有りを取られるケースがいくつか見られました。  手を高く上げて構えながら動くことが必要だと思います。  普段のスパーリングでも手のガードが落ちていることが想像されるので、指導員はよく注意して見ていることが重要です。  

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(48)1994年 第26回大会

1.①1994年(平成6年)6月17~19日大阪府立体育会館で、松井館長体制になって初めての全日本大会である第11回ウェイト制大会が開催されます。  軽量級に喜多寛・高野博充・今西俊彦・桜沢正大・横山誠・大谷善次・福田達也・白木孝憲・越智清志、中量級に長友優典・高橋勝俊・河野高志・徳川雅史・池田祥規・戸田直志・前波純一・田口恭一・中川卓・加藤丈博、重量級に岡本衛・杉山文宏・市村直樹・我孫子功二・上原淳・根本清志・羽田茂・五十嵐玄・吉岡憲久・小野瀬寧・小川俊一が出場しました。

②軽量級・・・高野・今西・横山の3人がベスト8でした。

③中量級・・・長友が杉原健一選手に敗れベスト8、加藤も優勝した三明広幸選手に敗れベスト8でした。  池田は準決勝で杉原選手に延長3回判定勝ちしますが、決勝戦では三明選手に上段廻し蹴りで一本負けし、準優勝となります。

④重量級・・・我孫子と小川がベスト8でした。

2.①1994年10月29・30日、東京体育館で第26回全日本大会が開催されます。  この大会は翌年行われる第6回世界大会の選抜大会でもありました。  前回大会準優勝の田村悦宏・第3位の岡本徹・第5位の青木英憲・第6位の黒澤浩樹、ウェイト制大会準優勝の池田祥規の他、羽田茂・市村直樹・吉岡憲久・上原淳・加藤丈博・小笠原和彦・我孫子功二・廣瀬武之が出場しました。

②Aブロック・・・田村は入澤群選手に3回戦で延長2回判定負けしますが、市村は入澤選手に勝った川原奈穂樹選手にブロック決勝で本戦判定勝ちし、準決勝に進出します。

③Bブロック・・・上原・青木・加藤ともに3回戦で敗れます。  

④Cブロック・・・黒澤が3回戦で谷川光選手に体重判定負けしますが、ブロック決勝では岡本が谷川選手に下段廻し蹴りで一本勝ちします。

⑤Dブロック・・・我孫子がブロック決勝で前回大会優勝者の数見肇選手に本戦判定負けし、5位に入賞します。

⑥準決勝戦・・・市村は優勝した八巻建志選手に延長1回判定負けします。  岡本も数見選手に本戦判定負けします。

⑦3位決定戦・・・市村が岡本に本戦判定勝ちし、3位となりました。

日曜日は府中で東京都大会です。  よい週末を!

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伊勢白山道さん『内在神と共に』

『内在神と共に』(伊勢 白山道著 経済界刊)を読みました。  「まえがき」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①衣食住をアタリマエにした環境は、人間が「生かされている」事を忘れさせました。  「自分で生きている」と錯覚させ、衣食住への基本の感謝を忘れさせました。

②その結果、発生した事は心の荒廃、弱体化です。  そして神仏へは、自分の個人的願望を祈る事しかない対象にしてしまいました。

③昔の日本人は、五穀豊穣(ごこくほうじょう・・・全ての穀物が豊かに実ること)の感謝を神仏に捧げ、神仏を育み維持する信仰が基本にありました。  これが日本の奇跡的な発展を陰から支えた原動力だったのです。

④この信仰が消えて、神仏を「便利屋扱い」にして、人間が逆に「神仏を使役」しようとする「信仰商売」が大半を占める国になってしまいました。  これに伴い、衣食住をアタリマエに支えてくれていた神仏が、この国土から段々と消えています。  このままでは、必ず、衣食住がアタリマエに成りえない時代が来ます。

⑤真の正しい神仏は、人間の心の中に居られます。  各人が自分自身の心に住まう神仏へ、生かされている感謝の思いを持つことが、神仏を育み顕現(けんげん・・・はっきりと現れること)させる事に成ります。

⑥そのような人が沢山住む国土には、神仏の慈悲が満ちて、具体的に社会を好転させます。  この国を良くする方法は、各人が自らの心の中の神に目覚め、共に生きる事です。

⑦この生き方は、人間に本当の幸福を思い出させてくれます。』

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私の備忘録

1.①『今日の一言』というタイトルで2007年9月3日からブログを書き始めました。  当初はタイトル通り、小文のコメントがほとんどでした。  ところが、いつしか私が読んだ本や記事からの抜粋・紹介が多くなりました。  

②以前から、読んだ本の気になる箇所に折れ目をつけたり、赤線を引いたり、記事をスクラップしたり、メモを取ったりしていました。  ブログを始めてからは、それらを紹介することで、私の備忘録(びぼうろく)代わりに保存することが可能になりました。  また、ブログ内検索の機能を使って瞬時に取り出すこともできます。

③そこで、本日よりタイトルをそのものずばりの『私の備忘録』に変更しました。  備忘録を『大辞林』で引くと次のように載っています。

「忘れたときのための用意に、要点を書きとめておくノート。  メモ。  忘備録。」

④何人かの方から「紹介した本や記事に対する山田さんのコメントは書かないのですか?」と質問を受けます。  それも考えないでもありませんが、私の主観で意味づけして紹介するより、読まれた方の主観を尊重したいと思い、あえてコメントはつけていません。  ただ、紹介するということは当然のことながら私なりに共感しているわけで、そこに私の主観が入っていることも事実です。

2.①長きにわたり三軒茶屋道場の生徒であり、後援者でもあった平井一政さんのお通夜に昨晩参加させていただきました。   2007年12月18日のブログでも紹介しましたが、平井さんは5年前大腸にがん細胞が発見され、入退院を繰り返しておられました。  その間、何度かお目にかかりましたが、私が平井さんを勇気付けるというより、私の方がかえって勇気付けられるようなことがたびたびありました。

②1994年(平成6年)2月、田村悦宏や岡本徹と一緒に第25回全日本大会の入賞旅行でハワイに行った際、ハワイ滞在中の平井さんにお寿司をご馳走になったことを1月23日のブログで書かせていただいたばかりです。

③ご冥福をお祈りするとともに、今まで賜りましたご厚情に深く感謝いたします(合掌)。

明日は建国記念日です。  明後日お目にかかります。

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宋文洲さん『弱った会社の前兆(上)』

宋文洲さんが書かれている『論長論短』という文章が2週間に1回配信されてきます。  ソフトブレーン株式会社創業者の宋さんは中国からの留学生として来日し、卒業後起業した同社を株式上場されました。  ご両親は文化大革命で大変ご苦労されたそうです。  先週のテーマは『 弱った会社の前兆(上)』でした。  全文を番号を付けて紹介します。

『1.世の中では不況ばかりクローズアップされていますが、台風が来ているのだからお天気に文句をいっても始まりません。  会社も個人もこの際自ら強くなるしかありませんし、強くなるチャンスでもあります。

2.今日は景気と関係なく弱り始めた会社の兆候を述べたいと思います。  自分の経験とさまざまな企業のコンサルティングを通じて感じたことですので独断と偏見に満ちているかもしれません。  お許しください。

(1)会議が多くなる・・・不思議なことに会社が弱くなるとやたらと会議が増えます。  部長や役員のスケジュールを覗いてみると会議で大半の時間を占めています。  その分、必ず部下を巻き込んでいるので会議室が足りない状況が続きます。  末期症状になると企業なのに「○○○委員会」とか「○○○協議会」のような役所的な会議組織までが出来上がります。  会っても議論しない、議論しても実行しない、実行しても検証しない、検証しても責任を取らない。  会議の多い組織は絶対責任に辿(たど)り着かないのです。

(2)同じやり方が3ヶ月以上続く・・・朝礼や発表会など、どこの会社にも定期的な行事があります。  その定期的な行事が同じやり方で3ヶ月以上続く会社はだいたい弱っています。  もともと行事の目的は何らかの経営課題を解決するためにあります。  3ヶ月もすればだいたいボトルネック(障害)が移動しているはずです。  それにも関わらず以前の課題のための形を取り続けることは怠慢の始まりです。

(3)取締役が営業しない・・・取締役クラスの偉い人が営業しない会社に良い会社はありません。  役員やそれに該当するリーダーが営業にいくことに以下のような重大な意義があります。

①顧客を知る。  事業を知る。  変化を知る。  現場を知る。

②社員がトップの動きをみてモチベーションが上がる。

以上の2点が大事にされていない会社は弱まります。

(4)美男美女が増える・・・偏見かもしれませんが、このような傾向を感じてなりません。  昔有名なベンチャー投資家が「美人の秘書を持つベンチャー経営者はダメ」という「偏見」を持っていましたが、堀江さんなどの「風雲児」をみて見事にそれは当たりました。  たぶん見栄や格好を気にすると組織が甘くなると思います。』

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(47) 1994年 大山総裁死去

①1994年(平成6年)3月30日、大山倍達総裁は聖路加病院を退院し、自宅に戻られます。

②4月15日、城西の古い弟子である米津等史から大山総裁が聖路加病院に再入院された旨の連絡があります。  当時資生堂の秘書室に勤務していた米津は、1992年ごろより大山総裁の私設秘書のような立場も務めていました。  

③4月19日、米津から連絡が入ります。  大山総裁が肺がんであること、万一の場合に備えて大山総裁が遺言を残されたこと、が主な内容でした。    

④4月22日夜、米津と大西靖人が私の自宅を訪ねてきます。  再入院以降大西も米津と共に大山総裁に付き添っていました。  二人によると、大山総裁の病状は予断を許さない、とのことでした。

⑤4月24日、大山総裁のお見舞いにうかがいました。  鼻や口に管が入っていて、苦しそうにされていました。  そして「(5月の)連休がヤマだ。」と絞り出すような声で私に言われました。

⑥4月26日、不動産関係の講演会で岡山に出張の予定が入っていました。  朝、出ようとすると米津から大山総裁が危篤である旨の連絡が入ります。  そのまま家を出て聖路加病院に向かえば良かったのですが、講演会の講師の代理を探す手配などに時間が掛かり、私が病院に駆けつけると、大山総裁はすでに息を引き取られた後でした。  

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森一夫さん『腹をくくるとき』

1月18日の日経新聞に特別編集委員の森一夫さんが『腹をくくるとき』という文章を書かれていました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①危機に直面した時に、普段隠れていた人間の本性が現れる。  うろたえる人、逆にやる気をみなぎらせる人など、様々である。  (中略)

②昔、感光紙からカメラ、事務機、石油、ホテルと次々と事業を成功させたリコーの市村清社長がピンチに陥ったことがある。  (中略)  一時は「自殺を考えた」と、後に知人に語っている。  敏腕経営者も精神的に追いつめられると弱い。

③リコーを複写機用ランプの大の得意先にしていたウシオ電機も窮地に立たされた。  現在の牛尾治朗会長は当時、まだ三十歳代の青年社長である。  共倒れを避けるために、取引を徐々に断つべきか、心が揺れた。

④つぶれたら会社を清算して、ほかの道に転じようと覚悟したら、迷いが消えた。  「うちは最後まで製品を納めます」と直接伝えると、市村社長は感激のあまり涙を流した。  それからあっと言う間にリコーは奇跡的によみがえり、ウシオ電機も急成長することができた。

⑤しかし開き直っても、ダメなときはダメだ。  ただし誰かに責任を転嫁したり不運を嘆いたりしていても始まらない。  まず腹をくくれるか。  道が開けるかどうかは、それからだ。』

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『旅行ミシュラン』日本編

1.1月31日の朝日新聞夕刊に『旅行ミシュラン』日本編に関する記事が出ていました。  仏タイヤ大手のミシュランが3月、旅行案内の伝統シリーズ『ギド・ベール(緑のガイド)』日本編(仏語)を初めて発行するそうです。

2.最高の三ツ星がついたのは次の17カ所です。  松島(宮城)・日光(栃木)・東京・高尾山(東京)・富士山・五箇山(ごかやま・富山)・高山(岐阜)・白川郷(岐阜)・伊勢神宮(三重)・京都・奈良・法隆寺(奈良)・姫路城(兵庫)・高野山(和歌山)・宮島(広島)・屋久島(鹿児島)・川平湾(かびらわん・沖縄・石垣島)。

3.次の①~⑨が評価項目です。

①印象深さ・・・高野山はこの項目で高い評価を得ました。

②知名度・・・東京が代表例。

③遺産的豊かさ・・・典型は京都。

④すでにある名声・・・例えば世界遺産。  ただ、必ず高い評価がつくとは限りません。

⑤歴史的遺産価値・・・奈良など日本の歴史上重要な場所。

⑥美しさ・・・屋久島が一例。

⑦真正さ。

⑧アクセスのよさなど諸要素。

⑨もてなしの質。

4.ミシュランが2007年に簡易版ガイド『ボワイヤジュ・プラティック』日本編を発行した際、高尾山を三ツ星評価しました。  「あの週末ハイキングの山が世界的な観光地なのか」と議論を呼んだそうです。  今回の『緑のガイド』日本編でも、「都市に近いのにありのままの自然を楽しめる」とのことで再び三ツ星評価しています。  簡易版の編集にも参加したテフォ編集長によると「また議論が起きるのは覚悟のうえです。  遠くに見える富士山は本当に美しかった。」そうです。

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ノーベル賞 益川教授

ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・京都産業大学教授のインタビュー記事が1月31日の朝日新聞夕刊に載っていました。  抜粋して紹介します。

『ーーー昨年12月にストックホルムで臨んだ受賞講演では「自国が引き起こした無謀で悲惨な戦争」という表現で太平洋戦争に言及した。  開戦前年の1940年生まれ。  父は当時家具職人。  5歳のとき名古屋空襲に被災した。

「焼夷(しょうい)弾が自宅の瓦屋根を突き破って、地面にごろりと転がる。  家財道具を積んだリヤカーに乗せられ、おやじやお袋と逃げまどう。  そんな場面を断片的に覚えている。  焼夷弾は不発で、近所でうちだけが焼けなかった。  あとから思い返して、発火していれば死んでいたか、大やけどを負っていたと恐怖がわいた。  こんな経験は子や孫に絶対させたくない。  戦争体験はぼくの人生の一部であり、講演では自然と言葉が出た。」

ーーー58年春、名古屋大理学部入学。  日本人初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士の弟子の坂田昌一氏が教授の素粒子論教室で学んだ。

「坂田先生は『素粒子論の研究も平和運動も同じレベルで大事だ』と語り、反核平和運動に熱心に取り組んでいた。  科学そのものは中立でも、物理学の支えなしに核兵器開発ができないように、政治が悪ければ研究成果は人々を殺傷することに利用される。  『科学的な成果は平和に貢献しなければならず、原水爆はあるべきではない』と熱っぽく語られた。」

ーーーノーベル賞授賞式から約1カ月後、黒人初のオバマ米大統領が誕生した。

「ぼくは物理屋でいるときは悲観論者だが、人間の歴史については楽観的。  人間はとんでもない過ちを犯すが、最後は理性的で100年単位で見れば進歩してきたと信じている。  その原動力は、いま起きている不都合なこと、悪いことをみんなで認識しあうことだ。  いまの米国がそう。  黒人差別が当然とされてきた国で、黒人のオバマ大統領が誕生するなんて誰が信じただろう。  能天気だと言われるかもしれないが、戦争だってあと200年くらいでなくせる。」』

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第43回スーパーボウル

1.NFL(米プロフットボール)の今季の頂点を決める第43回スーパーボウルをテレビで見ました。  ピッツバーグ・スティーラーズとアリゾナ・カージナルスの対戦です。  スティーラーズは3季ぶり7回目の出場で、過去5度の優勝は、フォーティーナイナーズ、カウボーイズと並ぶ最多タイです。  一方のカージナルスはスーパーボウル初出場です。  

2.昨季の第42回スーパーボウルはニューヨーク・ジャイアンツとニューイングランド・ペイトリオッツの対戦でした。  ペイトリオッツが14対10でリードしていたのですが残り35秒でジャイアンツのQB(クォーターバック)イーライ・マニングのTD(タッチダウン)パスが成功し、14対17と劇的な逆転勝ちを収めました。

3.今回の結果を先に言うと、スティーラーズが終了間際に再逆転し、前回同様、劇的な幕切れとなりました。  NFLの日本語版公式サイトのニュースから抜粋したものに私が若干加筆し、番号を付けて紹介します。

『①第43回スーパーボウルは、第4Q(クォーター)で逆転に次ぐ逆転という激闘を最後にスティーラーズが制し、27対23で勝利。  NFL史上最多となる通算6度目、3年ぶりとなるスーパーボウル制覇を成し遂げた。

②第1Q(最初の15分間)・・・スティーラーズがFG(フィールドゴール)で3対0。

③第2Q(2度目の15分間)・・・スティーラーズが17対7とリードを広げて前半を折り返す。

④第3Q(後半最初の15分間)・・・FGで20対7とカーディナルスを突き放す。

⑤第4Q(最後の15分間)・・・残り約7分半、カーディナルスのエースWR(ワイドレシーバー)ラリー・フィッツジェラルドにTDレシーブを決められるなど、残り約3分で4点差の20対16に詰め寄られる。

⑥直後にQB(クォーターバック)カート・ワーナーからフィッツジェラルドへのパスを再び許し、64ヤードTDで20対23と逆転されてしまう。

⑦それでもスティーラーズは、残り35秒で自陣約20ヤードから攻撃を開始すると、QB(クォーターバック)ベン・ロスリスバーガーがWRサントニオ・ホームズへ続けざまにパスをヒット。

⑧最後は敵陣6ヤード地点からロスリスバーガーがエンドゾーン右奥へ流れたホームズへパスを投げると、これをホームズがギリギリ伸び上がってスーパーキャッチ。

⑨土壇場で再逆転したスティーラーズがスーパーボウル史上に残る劇的な勝利を収め、3年ぶりに頂点へ返り咲いた。』

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2009年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年03月