2009年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年01月

2009年のA~F

1.私の2009年をアルファベットのA~Fで振り返ってみます。

①A・・・『all right(=満足な)』

満足な一年でした。  多くの皆さんに支えられながら無事に過ごすことができました。  感謝します。

②B・・・『business(=仕事)』

私が22年間携わっている不動産業界では、去年・今年と不況の嵐が吹き荒れました。  昨年に続き、多くの友人の会社が経営危機に見舞われました。  そんな中で、大過なく年末を迎えられ、幸せです。

③C・・・『championship(=選手権大会)』

8月に行なわれた第4回世界ウェイト制大会で森善十朗が中量級の世界チャンピオンになりました。  しかし、11月の第41回全日本大会では2年連続入賞を果たしたものの、準々決勝でスペインのナヴァロ選手に敗れます。  鎌田翔平・小林大起もベスト16止まりです。  2年後の第10回世界大会を目指すには、ナヴァロ選手のような強い突きの連打の修得が課題です。

また、孫弟子に当たる田中健太郎が5年ぶりに全日本チャンピオンに返り咲きました。

④D・・・『dojo(=道場)』

指導の充実と会員数の拡大は道場経営の両輪です。  12月から浜田山と高円寺に新道場をオープンしました。

⑤E・・・『election(=選挙)』

8月末に行なわれた第45回衆議院議員総選挙で川島智太郎が初当選しました。  小沢一郎先生の秘書を務めながら、3回目のチャレンジで代議士になりました。

⑥F・・・『family(=家族)』

家族三人、一年間病気やケガもなく、健康で明るく過ごしました。

2.こうして振り返ると、私にとって2009年は『⑦G・・・good(=楽しい)』で『⑧H・・・happy(幸せ)』な一年でした(笑)。

今年一年の皆さんのご厚情に深謝いたしますとともに、2010年が素晴らしい年となりますよう、心からお祈り申し上げます。  新年は4日にお目にかかります。  よいお年を!  
    


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豊田泰光さん『出会いにハズレなし』

今朝の日経新聞に野球評論家の豊田泰光さんが『出会いにハズレなし』という文章を書かれています。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①本当はヤンキースに残りたかったのかもしれないが、移籍したこと自体、松井秀喜にはいい経験になると思う。  どこに行こうが人との出会いに無益なものはない。  それが私の持論だ。

②私も西鉄から国鉄に移籍したときは、本意でなかった。  巨人の川上監督に誘われて、話がまとまりかけたらバレて大騒ぎとなり、進退きわまった。  それでなぜか国鉄となったが、成り行き任せの移籍の割には結構ためになった。

③チームを引き継いでオーナーとなったサンケイの水野成夫さんは野球の素人で、むちゃを言う人だったけれども、財界人としての直観力、大局観はさすがだった。

④私は勝負強い打者といわれながら、勝負勘というものの中身を言葉で表すことを知らなかった。  水野さんはあっさりと言ってのけた。  「勘というのは結局、経験の集積だろうねえ」。  長年積み重ねた経験が、意識しないまでもデータ化され、ここ一番の読みを生む・・・。  なるほど。

⑤トップに立つ人は瞬時にものの本質をつかむものだなあ、と感心した。  また我々野球選手が漠然と考えていることも言葉にしない限りは伝わりっこないのだと思い当たり、その後の解説業に役立った。

⑥国鉄移籍以来、自分で何一つ選ぶことなく、流されてきたような気がする。  しかし、すべての出会いが楽しかったし、今でも出会いに学んでいる。』

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マギー司郎さん『今月も暮らせてよかった』

『ブレイクの「瞬間(とき)」』(R25編集部編 日本経済新聞社刊)を読みました。  マジシャンのマギー司郎さんへのインタビュー(タイトルは「今月も暮らせてよかった」)記事から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「心配性なんですよね。  仕事のときは、普通の人よりもすごく早く現場に行くんですよ。  ひどいときには4時間前とか。  早すぎて楽屋が空いていないこともあるけど、そういうときは現場の近くまで行ってひたすらぼんやり時間をつぶしてるんです。  〝早めに行く〟なんて、そんなに大した努力でもないでしょ。  僕には他に何もないから、せめてそこはちゃんとしたい」

②(1946年茨城県生まれ。)  中学を卒業後、16歳で家出。  東京のキャバレーに住み込みで職を得て、同時に趣味でマジックを始める。  師匠のマギー信沢に付くのが19歳。  自ら電話帳で見つけたプロダクションに所属して、プロの道に入るのが20歳。

③(プロダクションからの初仕事はストリップ劇場)  決心というより、やはりここでも流れのままに。  こんなふうに始まり、その後、ストリップ劇場でのステージは約15年間、2万回におよぶ。  1日4回、土・日は6回。  大晦日も元旦も休みなし。  3年間休みなしで働いたこともあった。  そして思った・・・。  「ああ、今月も暮らせてよかったな」

④マギー司郎は、手先が少し不器用という意外は普通のマジシャンだった。  が、変化は緩やかに訪れる。

⑤マギー司郎いわく、最初にウケたのは、32歳のとき。  その2年後、知り合いの芸能事務所のツテで『お笑いスター誕生』に出演する。  18歳のとんねるずが挑戦し、ウッチャンナンチャンがグランプリを獲った勝ち抜き形式のテレビ番組だ。

⑥「テレビなんて初めてで。  出て行って普通にしゃべってたらみんな笑うんです。  僕の後ろに誰かが立ってて、僕がしゃべってるあいだに何かしてるとばっかり思ってました(笑)」

⑦「茨城県の○○市でウケたネタなんだけどね」・・・インチキを交えつつ、謝りながらやるマジックのスタイルは斬新だった。  世間の腰を砕けさせ、マギー司郎は7週を勝ち抜いた。

⑧「芸事って、算数ではないんです。  〝これが芸だ〟という最終的な回答がない。  それを一生探りながら終わっちゃうんでしょうね。  だから到達するということはないと思うんです。  そんなことを考えてると自信なんて持てない。」  

⑨「いずれにせよ生きていかなきゃならないでしょ。  とにかく普通に生きられて、人に迷惑をかけなかったらいいな~という感じですよね。  誉められればうれしいし、おいしいものを食べられればおいしいんだけど。  僕は自然のまま任せて行っちゃうんで、たぶん疲れないんですよね。  性格なのかもしれないけど、〝絶対こうしたい〟とかは、あまりないんですよ~」』

明日は天皇誕生日ですね。  よい休日を!

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谷川永世名人・加藤元名人・井山名人

最近の新聞記事から抜粋し、番号を付けて紹介します。

1.将棋十七世名人・谷川浩司さん(12月18日・日経新聞夕刊)

『①1983年、21歳で名人位に挑んだ際、大先輩の灘蓮照(なだ・れんしょう)九段にかけてもらった言葉が、今も勝負のたびに頭に浮かびます。  「谷川、弱かったら負けたらいいんや」

②名人戦は4勝先取制で、挑戦者の私は「神武以来の天才」と恐れられた加藤一二三(かとう・ひふみ)名人に3連勝した後、2連敗しました。  どうやってあと1勝するか、迷いながら対局後の打ち上げに出たところ、灘先生が「話がある」と寄ってきて、助言をくれたのです。  (中略)

③その場ではアドバイスを理解できませんでした。  やがて、私が勝ちを意識しすぎている、無駄な気負いがある、と指摘してくれたのだと気付きました。  (中略)  このおかげか第6局は集中して臨め、勝利。  名人位を獲得しました。』

2.(谷川さんが対戦した)元将棋名人・加藤一二三さん(12月19日・日経新聞夕刊)

『①20歳だった1960年の第19期名人戦七番勝負で大山康晴名人に初挑戦しました。  まだ安定した実力もなく、未熟で、勢いで挑戦したところがありました。  結果は1勝4敗で負け。  (中略)

②成績が悪かったわけではないのですが、その後はしばらくタイトルに挑戦できず、行き詰まりました。  どういう態度で将棋を指せばいいか迷い、確信がもてない時期が続きました。

③そして大山名人や升田幸三・実力制第四代名人と対局を重ねるうちに、将棋は一手一手確実な手を指し続ければ勝てるという考えにたどり着きました。  24歳の時です。』

3.囲碁名人・井山裕太さん(12月19日・朝日新聞夕刊)

『①(小学1年生の井山さんが弟子入りした石井邦生九段の話)「小さいのに甘いものが全然だめな裕太君は、私たち(石井九段と井山さんの祖父・鐡文さん)の酒のつまみを食べながら、じっと座って、囲碁界の話題とか戦術とか、ふたりが好きな歴史上の人物の話を興味深そうに聞いていました」

②(井山さんの母・宏美さんの話)「裕太に言い聞かせていたのは、大人の方々にお会いする機会が多いから、あいさつだけはしっかりするように、と」』

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『パウンド・フォー・パウンド』

1.今夜はボクシングのWBC世界バンタム級タイトルマッチがあります。  チャンピオン・長谷川穂積選手の10度目の防衛戦です。  最近の4戦は2回、2回、1回、1回でKO勝ちしています。  昨日の朝日新聞朝刊に「たまたまかみ合って倒しているだけ。  ただ、人の打てないパンチにはこだわっている。  それは日々の練習と発想力で身につくもの。  頭がええ方が、試合に勝ちますよ」とのコメントが載っていました。

2.また、昨夜10時からはWOWWOWのオスカー・デラ・ホーヤの特番を観ました。  番組情報誌はデラ・ホーヤ伝説として「①94年のスーパーフェザー級から04年のミドル級まで、史上初の6階級制覇を達成、 ②07年のフロイド・メイウェザー・ジュニア戦では、敗れたもののファイトマネーは史上最高の5200万ドル(100円換算で52億円)、 ③ゴールデン・ボーイ・プロモーションを率い、敏腕の興行主としても活躍」の三つを挙げています。

3.ボクシングの選手について「パウンド・フォー・パウンドは誰か?」という議論があります。  「パウンド・フォー・パウンド」についてウィキペディアで検索してみました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①パウンド・フォー・パウンド(pound for pound)は、ボクシングなどの格闘技の世界で、仮に体重のハンデがなかったとした場合に最強と目されるチャンピオンに与えられる称号、もしくはそのような選手を考える思考法自体のこと。

②もし体重のハンデがなく、全階級の格闘家が同じ条件(体重)で戦ったとしたら誰が一番強いのか?  つまり、パウンド・フォー・パウンドとは、身体的ハンデがない状態で全階級を通じてどの格闘家が一番優れているのかを決めるときに用いられる言葉である。

③基本的にパウンド・フォー・パウンドとは最重量級以外の軽い階級の選手を評価するための概念と言えるため、最重量級の選手がパウンド・フォー・パウンドと評価されるのは至難の業である。  しかし、最重量級のヘビー級であるマイク・タイソンやエメリヤーエンコ・ヒョードル(総合格闘技)がパウンド・フォー・パウンドの有力候補として必ず名前が挙がっている事実は、彼らの強さがいかに絶対的で磐石なものであるかを証明するものでもあると言える。

④元々この言葉はボクシングの中量級の往年の伝説的名王者シュガー・レイ・ロビンソンの強さを称えるニックネームとして生み出された。  人々はロビンソンこそが階級の壁を越えた最も偉大な王者であるという想いをこの言葉に込めたのである。』

4.1980年代以降のパウンド・フォー・パウンドとしてウィキペディアは次のような選手を挙げています。

『①1980年代・・・中量級四天王と呼ばれたマービン・ハグラー、シュガー・レイ・レナード、トーマス・ハーンズ、ロベルト・デュラン(特にレナードとライト級時代のデュランの評価は高かった)

②1980年代中盤から1990年頃まで・・・全盛期のマイク・タイソン

③1990年代中盤から2004年頃まで・・・ロイ・ジョーンズ・ジュニア

④ジョーンズが衰えた後・・・フロイド・メイウェザー・ジュニア(全戦全勝の5階級制覇チャンピオン)

⑤メイウェザー引退後の現在・・・マニー・パッキャオ、ファン・マヌエル・マルケス、ジョー・カルザゲなど』

5.①デラ・ホーヤもパウンド・フォー・パウンド有力候補の一人ですが、メイウェザーやパッキャオには負けているので、無敗のまま引退したメイウェザーや現在快進撃を続けているパッキャオの方がよりパウンド・フォー・パウンドにふさわしいと言えるでしょう。

②長谷川選手も、私的には日本人歴代世界チャンピオン中のパウンド・フォー・パウンドです。  今夜は稽古ですからビデオ録画を頼んできました。  よい週末を!


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帯津良一先生『気功を身につける』

『ポックリ名人。』(帯津良一著 東洋経済新報社刊)を読みました。  医学博士の帯津先生は西洋医学に中国医学や代替療法を取り入れ、がん患者などの治療に当たられています。  『「達者でポックリ」のための十二か条』の第二条「気功を身につける」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①気功を行なうと、リラックスをつかさどる副交感神経が働きます。  現代人の生活はどうしても緊張や興奮をつかさどる交感神経が優位になりがちですから、気功によって自律神経のバランスを整えることができます。

②それから副交感神経が優位になるとリンパ球が増え、免疫力が高まります。  (中略)

③気功を何年も続けているスペシャリストは最後は複雑なものは一切やらなくなり、シンプルなものになっていくようです。  (中略)  もっとも簡単な方法もあります。  「站樁功(たんとうこう)」といって静かに立つだけの気功法です。  くいのように立つ、ただ突っ立っているだけでいいのです。

④「上虚下実(じょうきょかじつ)」といって、上半身は肩の力を抜いてリラックス、下半身はしっかり安定して立ちます。  あとは自分の好みで好きなだけ立っていればいいというもの。  名人はみんなここに戻るといいます。

⑤このとき呼吸法を一緒に行ったほうがいいでしょう。  鼻から吸って、吐くのは鼻からでも口からでもいいので、ゆっくり自分のペースで行ないます。  (中略)

⑥私は気功を長く続けていますが、病院に併設している道場で、週に五、六回、朝だったり夕だったりで、行なっています。  (中略)  目には見えないけれど、毎日の気功がどれだけ健康増進に役立っているかわかりません。』

「站樁功(たんとうこう)」のことを「立禅(りつぜん)」ともいいます。  私の携帯では「站とう功」の「とう」の漢字が表示できないようです。

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三木谷浩史さん『0.5%の努力の差』

『成功の法則92ヶ条』(三木谷浩史著 幻冬舎刊)から抜粋し、番号を付けて紹介します。  三木谷さんは楽天の会長兼社長です。

『①誰もが努力しているのが、競争社会の前提だ。  (中略)  にもかかわらず、実際の製品や、サービスには明らかな差がある。  これは、どういうことだろう。  その差はいったいどこから生まれてくるのか。

②僕は最後の0.5%の努力の差だと思っている。  限界まで頑張ることは、誰にでもできる。  限界まで頑張った上に、さらに0.5%努力を重ねられるかどうか。  その差なのだ。  

③完璧に仕事をやり遂げた、これでこの仕事は完成したと思っても、そこで終わりにしてはいけない。  そこから、さらに上乗せする。  たくさんは積み上げられないはずだ。  なにしろ、やれることはすべてやってあるのだから。  それでも満足せずに、何かを積み上げる。  0.5%でいいから積み上げる。

④僅かな差であっても、限界の上に積んだ0.5%は決定的に大きな差になる。  なぜなら、その僅かの差を敏感に感じ取ってしまうのが、人間の感性というものの性質だからだ。  (中略)

⑤0.5%の努力の差。  それが、決定的な差になることをいつも意識しよう。  そしてその最後の0.5%の努力をいつまでも継続するための仕組みを作ろう。  (中略)

⑥製品やサービスだけでなく、人間の値打ちもそれで決まる。  凡人と、優れた人。  その差も最後の0.5%の努力にかかっているのだ。』

公認会計士・本郷孔洋先生の今日のブログでも『オペレーションの重要性』というタイトルで本書が取り上げられています。  以心伝心でした(笑)。

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菅原文太さん『働く』

今朝の朝日新聞に俳優・菅原文太さんのインタビュー記事が載っていました。  タイトルは『汗ひとつかかない仕事を労働とは言えない』です。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「生涯現役で仕事をすることはあたりまえだと思う。  それは金を稼ぐというような狭い定義ではなく、生きている限りできることをして働くということだ」

②「若いうちだけではない。  十分な年月仕事をして蓄えができ、勤め先はリタイヤしても、友だちと群れて趣味ざんまいで満ち足りるだろうか。  自分の人生を全うするというのは、どんな時点でも働きがいを見つけることだと思う」

③菅原さんは俳優でありながら農業生産法人を設立して、これからの日本の農業を考え実践する取り組みを始めたばかりだ。  昔から、汗をかかない仕事は労働ではないという持論を持っていた。

④その菅原さんが韓国の農村で働き続ける老夫婦のドキュメンタリー映画『牛の鈴音』に魅了される。  登場人物は働き詰めに働いてきた農夫と妻と、一頭のやせ細った老牛だけである。  農夫は機械も農薬も使わず、長年、ただひたすら朝から晩まで不自由な足を引きずって畑を耕してきた。

⑤「人として本物がいると感じたね。  なぜ働くかなんて理屈はない。  呼吸して生きているように、死に至るまで働く。  おれたちの父や祖父がそうだったように、ただ懸命なことが尊い」  

⑥今の世の中、豊かになどなっていないと菅原さんは続ける。  誰もが儲けという数字を追って机の前にしがみつき、その金で食料を輸入し、いい暮らしをしている幻想に浸っているだけだと。

⑦「日本人は休日だ、祝日だと休みすぎだと思う。  何だか砂上の楼閣にいる気がするんだが」』

ただ、失業率が5パーセントを超える日本の現状を考えると、働きたくても働き口のない人が沢山いることも事実です。  特に高齢者が働ける場は多くないと思います。

1933年生まれということなので今年76歳です。  記事の中の写真を見て、家内が「菅原文太さんってカッコいいね」と言っていました。  

学生時代に観た『仁義なき戦い』のテーマ・ミュージックと広能昌三役の文太さんが忘れられません。 

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吉村仁先生『強い者は生き残れない』

『強い者は生き残れない』(吉村仁著 新潮選書)を読みました。  静岡大学大学院教授・吉村仁先生は進化理論の研究者です。  「まえがき」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①人間もまた、「進化と絶滅」を繰り返している。  最もわかり易い例が、企業の経済活動だろう。  

②たとえば、銀行。  今から30年前に、三井銀行と住友銀行が合併するなどと、誰が想像できただろうか。  (中略)  ホンダ日産、あるいはトヨタ日産なるメーカーが誕生する日はそう遠くないと私は思っている。  いや、たぶん、JALANAという航空会社が誕生する方が早いのだろう。  (中略)

③少し前まで、ライバル関係にあり、つばぜり合いを演じていたこうした企業が、なぜ掌を返したように協力し合うのだろうか?  それは結局、「生き残るため」の選択なのである。  (中略)

④生物が経てきた40億年という歴史の長さを考えれば、彼らの方が人類よりはるかに大先輩である。  生物史が私たちに教えていることは、気の遠くなるような長い年月、生命(遺伝子)というバトンを渡し続けている生物は、決して「強い者(=ある時点での環境適応度の高い者)」ではないという事実である。

⑤今、この惑星に生き残っているのは、「環境の変化に対応して生き残ってきた者たち」だった。  この本を書く動機は、環境変動が進化にどのようにかかわっているかを少しでも明らかにしたかったからだ。

⑥そして、「いかに環境の変化に対応するか」でもっとも有効な方法のひとつが、「他者と共存すること」なのである。』

進化論といえばチャールズ・ダーウィン(1809~1882)が有名です。  本書中の記述によると、『ダーウィンの生きた19世紀には、「自然選択(=生物が環境に選ばれること)」は変化しないというような考えが広く信じられていたが、自然選択はいつもダイナミックに変化しているのだ。」とのことです。

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石川遼選手『入れてこいっ』

1.今朝の朝日新聞に今年18歳で男子ゴルフ最年少賞金王となった石川遼選手の特集が組まれていました。  畑中謙一郎記者が書かれた『心の中で「入れてこいっ」』という文章から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①今季の「石川語録」の中で特に印象に残る一言がある。  「ブレンダンのパットを見ながら、心の中で『入れてこいっ』と叫んでいました」

②今季2勝目を飾ったサン・クロレラ・クラシックの記者会見。  18番グリーンで、同じ16アンダーで並んだブレンダン・ジョーンズ(豪)のバーディー・パットを待つ間の心境を振り返ったのだ。

③普通の選手なら「外れろ」と思うもの。  だが、相手に入れられると、途端に追いつめられた心境となる。

④だが、石川は「入れてこいっ」とつぶやくことで、最悪の状況をあらかじめ想定していた。  同時に、バーディーを奪われても、「僕も入れ返してやる」と無意識のうちに戦闘態勢を整えていたのだ。

⑤ジョーンズのパットは外れた。  石川は浮き足立つことなく、難解なラインを読み切り、2.5メートルのバーディー・パットを沈めた。  (中略)

⑥「こりゃあ、他の選手は追いつけなくなるぞ。  遼は賞金王をとっちまうかも知れない」。  観戦していた青木功プロのつぶやきは4カ月後、現実となった。』

2.①この試合は私もテレビで観ていました。  17番ホールでブレンダン・ジョーンズ選手がバーディー・パットを外した瞬間、それを見ていたギャラリーの一人が拍手をするという場面がありました。

②勝利者インタビューで石川選手が「BJ(ビージェー)がいなかったら、ボクはこんなにいいゴルフはできなかった。  ブレンダン・ジョーンズは素晴らしい選手でした」と涙で言葉に詰まりながら話していたのが印象的でした。

全日本大会・審査会・関東大会と3週続きでイベントがありましたが、明日・明後日はゆっくり過ごせそうです。  よい週末を!


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林正孝さん『老人のように』

ソニー生命のトップセールスマン・林正孝さんが書かれた『1年の目標を20分で達成する仕事術』(大和書房)を読みました。  『老人のような死生観で生きよ』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①大きな志を持つのはもちろんいいことだ。  しかし、遠くばかりを見すぎて、足元がぐらついてはいないだろうか?  「こんな雑用は自分のやる仕事じゃない」と、目の前にあるべきことを避けたりしていないだろうか?

②クラーク博士が素晴らしい言葉を残してくれている。  「ボーイズ ビー アンビシャス(少年よ、大志を抱け)」

③実は、この言葉には続きがある。  「ライク ア オールドマン(老人のように)」

④老人というのは、いつ死ぬか分からない。  だからその日1日を大事に生きている。  少年たちも大きな志を持ちつつ、老人のように死生観を持ちながら1日1日を大事に生きなさい、というメッセージである。』

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武宮正樹さん『結果は考えない』

囲碁棋士・武宮正樹九段が書かれた『一生懸命ふまじめ』(毎日コミュニケーション刊)を読みました。  『私は「結果」は考えない』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①アマチュアの方は、とかく「目の前の敵に勝ちたい」という思いが強すぎるものです。  勝ちさえすれば、どんな勝ち方でもかまわず、まだ碁を覚えて間もない人は、「相手が間違えてくれないかな」などと考えることもあるかもしれません。  (中略)  そんなことまでして勝っても、どんな良いことがあるでしょうか。  自分の将来のために、何のプラスにもならないことです。  (中略)

②「良い手を打ちたい」。  「良い碁を打ちたい」。  これが、多くのプロ棋士が共通して持っている、一番強い思いでしょう。  その結果、勝てれば嬉しいと思うのです。

③「良い碁を打てば必ず結果はついてくる」という信念を持っているともいえるでしょう。  公平に真理を裁いてくれる碁の神様を信じているわけです。

④私の場合は、極論すれば、「良い手を打ちたい」ということでもありません。  (中略)  私は、碁の変化は無限であり、「結果」など誰にもわからないと思う。

⑤だから、変化に任せていくしかなく、「次はこうだ」と感じたら素直にそこに打つのがよいと思っています。  先を読んでいるうちはまだまだで、見た瞬間に「ここしかない」という直感がひらめき、パッと次の手を打てるようでなければ本物ではなかろう、と思うのです。

⑥これは、悟りの境地で、ほとんど不可能に近い理想。  でも、その境地に達することができたら素晴らしいし、そうなりたいと思っているわけです。』  

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藤村実穂子さん

1.今朝の朝日新聞・隔週別紙『朝日新聞グローブ』に藤村実穂子さんが取り上げられていました。  藤村さんは世界的なメゾソプラノ歌手で、ミラノ・スカラ座やウィーン国立劇場などの超一流の舞台に出演されています。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①東京芸大在学中から将来を嘱望され、大学院を終えると1992年にドイツに留学する。  (中略)  

②聖俗を突き抜けたところにあると思っていた芸術に、生々しい差別の現実が横たわっていた。  (中略)  初めて受けたオーディションでは「君の歌は素晴らしい。 でも、私たちはドイツ人を採用する」と言われ、落とされた。  (中略)

③朝4時に起床し、夕方まで楽譜に向き合う習慣を自らに課した。  自転車やジョギングで体力づくりを重ね、肉や酒はおろか、コーヒーなどのカフェイン類すら口にしない。  家庭菜園でとった野菜や玄米で自炊。  10年かけて20キロ以上、体重を絞り込んだ。  (中略)

④2002年にはワーグナーの殿堂、バイロイト音楽祭の舞台に立つ。  主役級としては日本人初。  (中略)
  
⑤それでも、差別の連鎖から簡単に抜け出せたわけではなかった。  風邪でも引こうものなら、いくらでも西洋人の代役が待っている。  道なき道の果てしなさに、再び心がすくんだ。  なぜ私は欧米人に生まれてこなかったのか・・・。  (中略)

⑥光を見いだすことができたのは、差別する他者への対抗心ではなく、なぜそこまでして音楽に向き合わずにはいられないのか、という己への問い直しだった。

⑦「自分の骨を削るような気持ちで歌わねばならないのは、この世界で生きていく新しい骨格をつくるためなのだ、と気づいた。  人種や文化の違いを超えた、あなたなりの『核』を見つけなさい。  そう歌の神様が教え、学ぶ機会を用意してくれたのだと」』

2.文頭の自己評価シートからも抜粋し、番号を付けて紹介します。

『評価シートの代わりに「何か良い方向に作用した」と感じる自身の「傾向」について語ってもらったところ、次のようなコメントを返してきた。

①生きている限り、自分をより良くしたいと願う。

②すべての経験を「ありがたい」と思う(困難にぶつかったら、天から「お題」を頂いた、と思う。  軽い風邪を引いたら、天が「休め!」と言ってるんだ、と思う)。

③第三者的に、自分を傍(かたわ)らから見る視点を持つ(状況を立体的に把握するよう努める。  内の声だけ聞いていると自己満足に陥りやすいから)。

④いかに死にたいかを、常に考えている(これこそが自分の人生を生きるということ、自分の人生に向き合うということだと思うから)。』

明日は都合によりブログはお休みします。  また水曜日にお目にかかります。

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齋藤真嗣先生『筋肉・骨・就寝時間』

ニューヨーク州医師の齋藤真嗣先生が書かれた『体温を上げると健康になる』(サンマーク出版刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.(二種類の筋肉)

①筋肉には二つの種類があります。  一つは強い瞬発力を発揮することができる「速筋(白筋/ファーストユニット)」と、力は強くないが長い時間にわたって力を持続することができる「遅筋(赤筋/スローユニット)」の二つです。

②速筋は筋繊維が太いので、鍛えると太く大きく発達していきます。  無酸素運動で鍛えられるのはこの筋肉なので、100メートル走のランナーは皆、ムキムキの見るからに筋肉質な体型になっていくのです。

③一方、マラソンのような有酸素運動で鍛えられるのは、筋繊維の非常に細い遅筋です。  遅筋は鍛えても筋繊維があまり太くならないので、一見すると筋肉質とは思えないスレンダーな体型になります。

2.(強い骨)

①運動するとなぜ骨は丈夫になるのでしょう。  

②運動によって骨に力がかかると、骨に、弱いマイナスの電気が発生し、それによってカルシウムが骨に呼び寄せられるからなのです。

③また、運動をすると血行がよくなるとともに体温が上がります。  すると骨をつくる細胞の働きがよくなるので、さらに骨密度の高い丈夫な骨がつくられやすくなります。

④つまり、運動は二重に骨を強くする効果があるということです。

3.(就寝時間)

①私たち人間の体内リズムは、人類の長い歴史の中で培われてきたものです。  

②朝日が昇ると活動しはじめ、日が沈むと体を休める。  人類はそんな太陽に合わせた生活を何百万年も行なってきました。

③それに対し、現在のように夜でも明るい環境を人間がつくりだしたのは、せいぜいここ百数十年のことです。  体内リズムが、そんな最近の変化に対応しきれるはずがありません。  (中略)

④実際、昼夜逆転した生活を送り、日中に充分な睡眠をとっていた人と、きちんと日中仕事をして夜充分な睡眠をとっている人を比べたところ、ガンの発生率は、昼夜逆転生活をしている人のほうが30%も高いという疫学的データが出ています。  (中略)

⑤よく、日付の変わる前に寝なさい、つまり深夜0時までに寝なさいといいいますが、医学的な文献を見ると、ほとんどのデータが推奨しているのは、遅くとも夜11時までに眠るということです。』

昨晩『BS朝日』のサッカー日本代表キャプテン・中澤佑二選手のインタビュー番組を観ました。  その中で「毎日、午後10時には寝て午前5時には起きます。」と中澤選手が言っていました。  トップアスリートの自己管理は徹底していますね。  よい週末を!

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デフレーション

1.ウィキペディアでデフレーション(デフレ)を検索すると次のように出てきます。

『デフレーション(deflation)とは、物価が持続的に下落していく経済現象を指す。  デフレとも呼ぶ。 物価の下落は同時に貨幣価値の上昇も意味する。  同じ金額の貨幣でより多くのものを買えるようになるからである。  なお、株式や債券、不動産など資産価格の下落は通常デフレーションの概念に含まない。』

2.インターネットの「産経ニュース10月14日」に次のようなニュースがありました。

『ディスカウント店大手のドン・キホーテは14日、超低価格の新しいプライベートブランド(PB、自主企画)商品を同日からグループ約220店舗で発売したと正式発表した。  ジーンズの価格は690円と、業界最低価格だった西友の850円を大幅に下回る。』

3.そのニュースの直後に会ったある経営者が「690円でジーンズが買えるといって喜んでいられないぞ。  このままだとデフレになっちゃう。」と言っていたのが印象的です。

4.知人が経営している「立ち食いそば」チェ-ン店の売上げが、前年同月比で一割以上落ちているそうです。

5.公認会計士・本郷孔洋先生の昨日のブログに次のような記述がありました。

『個人的に私は、景気より、デフレが心配です。  ですから、デフレ対応の企業体質を作ることは、急務だと思っています。  デフレに対応できる企業体質とは、単純に言いますが「財務と営業力の強化」です。』

6.こんな時こそ、みんなで力を合わせてがんばる必要がありますね。



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阿部紘久さん『文章力の基本』

『文章力の基本』(阿部紘久著 日本実業出版社刊)を読みました。  本書中の「国際ビジネスマンもまずは日本語の文章力を」というコラムから抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①国際ビジネスマンにとって、なぜ「日本語」なのでしょうか。

②言語表現能力とは、的確な言葉を使って、事実関係や自分の考えを誤解の余地のないように分かりやすく表現する力です。  その際には難しい言葉を知っているかどうかよりも、最も適切な言葉を最も適切に組み合わせるセンスが大事なのです。

③当然ながら幼児から身につけた第一言語、いわゆる母語の力は偉大です。  膨大な語彙が、その微妙なニュアンスを含めてほとんど肉体化されています。 

④その最も得意な母語で簡潔・明瞭に表現するセンスを磨いていない人がいくら外国語を学んでも、その外国語によって簡潔・明瞭な表現を行なうことはできません。  日本語で明確な表現ができなければ、通訳や翻訳に頼ることすらできません。』

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山田恵諦座主『祈りの利益』

11月28日の日経新聞・日曜連載『奇縁まんだら』(瀬戸内寂聴著)は山田恵諦座主の話でした。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①第253世天台座主(ざす・・・最高位の僧の役職名)山田恵諦(やまだ・えたい)睨下(げいか・・・高僧に対する敬称)がわざわざご来臨下さり、落慶法要を厳修して下さった。  (中略)

②ある時、私が祈りの功徳(くどく)と、仏の現世利益(りやく)についてお伺いした。  人によく訊かれて自信のある答えが出来なかったからである。  (中略)

③お座主は、いつもの温顔に目だけやや厳しく、「それは自信を持って御利益があると答えるがよい。  わずかな教養が邪魔をして、それを断言し難いものだが、真剣で純粋な祈りには、必ず仏の御利益がいただけるのだよ」とおっしゃった。

④戦争末期沖縄へ法要に赴(おもむ)かれた帰り、至るところに敵の潜水艦が出没する海域を帰らなければならなくなった。  しかもその時、14、5歳の少年少女たち1500名が内地で働くため同船することになった。  (中略)

⑤お座主は彼等を一人も死なせてはならないと、それから(出発予定日までの)25日間、睡眠時間を極度に切りつめ一心不乱に観音経をあげつづけ、彼等を一人残らず無事本土に渡らせたまえと祈られた。  (中略)  奇跡的に何の障害もなく、無事、全員は本土に到着した。  

⑥「この時、私は悟った。  純粋一途な祈りは適(かな)えられると。  いいかな、自信を持って祈りに利益はあると答えるがよろしい」  こんな力強い自信にみちたことばが発せられるお座主に、私は思わず合掌していた。』

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2009年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年01月