2010年05月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年07月

 井上茂勝さん『すべてを受け入れて正対する』

公認会計士・藤間秋男先生のメルマガ『今週の元気が出る言葉』に昨日紹介したGMのケースと似たような内容が書かれていましたので抜粋し、番号を付けて紹介します。  タイトルは『順境であれ逆境であれすべてを受け入れて正対する』(倫理研究所法人局普及事業部部長 井上茂勝)です。

『①世に「創業は易く、守成は難し」という言葉があります。  実際のところ、創業時は新しいものを築き上げつつ、勇み進んでいるのに比して、既に在るものをじっと守っている段階は、あまり前に進むことはなく、大きな進歩はない状態であり、だからこそ難しいのです。

②何事も、進んで新しい方向へ努力を傾けている時にこそ、進歩進展があります。  逆に歩を止めた時は、当人には見えなくとも、もはや後退しているのです。

③事業が伸び悩んでいる会社には、ある共通点があります。  過去に小さな成功を得た「実績のあるやり手タイプ」に多く共通するもので、その人たちが口にする言葉の中に如実に表れます。  

④それは「このままでいい」 「今まで通りで間違いない」等々です。  一見すると、実績に裏付けされた自信に満ちた発言に思えますが、その裏面には、いつしか棲みついてしまった「慢心」という厄介なものが見え隠れします。  進歩発展の足枷になっていることに気がつかないで、自ら墓穴を掘ることになっているのです。

⑤今までやってきたことを捨て、新たなことへ着手しようとする時には、大なり小なりの戸惑いや混乱、そして摩擦を避けて通ることはできないと覚悟しなければならないでしょう。  それらの壁を突破し、事を断行するには、大いなる勇気が必要です。  そのためにはまず、己の小心・消極・怠慢などから生じる我見を払拭する努力が要求されます。

⑥「自分が変わらなければ、何も変わらない」 「今やらなければ、いつやれる」と自らの気持ちを奮い立たせ、思い切って一歩前へ踏み出してみることです。  一歩を踏み出せば、逆風にも耐え得る力が一段と増します。  順境であろうが逆境であろうが、一切の現実を受け入れて正対するのです。

⑦その中から、今やるべきことを具体化して、出来ることを妥協なく、着実に喜んでやっていく。  不可能に見える目標であろうとも、果敢に攻め抜いていく。  その時、新しいみちがそこに拓けます。』

にわかサッカーファンの私のワールドカップ・テレビ観戦は昨日で終わりです。  ジャパン・イレブンには感動しました。  

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ドラッカー『成功がもたらす失敗』

1.『企業とは何か』(P.F.ドラッカー著 ダイヤモンド社刊)を読みました。  「まえがき」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①1943年の秋、GM(ゼネラルモーターズ)は、アウトサイダー(部外者)としてGMの経営と組織を調べてみないかといってくれた。  私はこの申し出をありがたく受け、一年半にわたって、GMの内部文書を読み、工場の現場を見、経営幹部に会った。

②本書における見解と結論はGMとその経営陣のものではない。  しかし本書がGMの本社経営陣と各事業部経営陣に負うところの大きさには計り知れないものがある。』


2.終章の「成功がもたらす失敗――エピローグ(1983年)」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①本書(1946年刊行)は、世界中の企業、公的機関、NPO(非営利組織)に大きな影響を与えた。  しかし当のGMだけは本書を受け入れなかった。  意識して無視した。

②理由は三つあった。  いずれも、戦後のGMの成功のもととなりその後の不振のもととなったものだった。  第一が、経営政策についての考え方だった。  第二が、従業員関係についての提言だった。  第三が、大企業は公益に関わりがあるとする考え方だった。

③(第一の経営政策についての考え方について)彼らは、コメントを求めた私の手紙にも怒った。  私はただ、マネジメントというものは、20年もすれば時代に合わなくなりうるものであって、4年間に及ぶ(第二次世界大戦中の)戦時生産から(終戦後の)平時生産への復帰は、あらゆる経営政策を新たに見直す絶好の機会になると指摘しただけだった。

④「20年かけて練り上げ、手直ししてきた。  考えうる最高のものである。  何ならば(ニュートンの)重力の法則を書き変えるよう提案されてはいかがか」とまでいわれた。  意識していたかどうかは別にして、GMは物理の法則のような絶対的な原理を発見したと考えていた。  

⑤ところが私の考えは、経営政策というものは、人が考えたものであるからして唯一絶対たりえず、せいぜいのところ、正しい問いを見つけるための問題提起にすぎないというものだった。  常々いっていることだが、マネジメントは神学ではない。  臨床的な体系である。  マネジメントの値打ちは、医療と同じように、科学性によってではなく患者の回復によって判断しなければならない。』


3.ウィキペディアでGMを検索すると次のように出てきます。

『ゼネラルモーターズ(General Motors Coporation)はアメリカ合衆国ミシガン州デトロイトに本社を置く企業で、アメリカの自動車ビッグスリーの一角。  略称はGM。  2009年6月1日に連邦倒産法第11章の適用を申請し、2009年7月10日に(倒産の)手続きを終えた。』

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高津理絵さん『神社参拝のコツ』

6月26日に配信された、あおぞらきりんさんのメルマガ『運の達人』は高津理絵さんの著書『あなたの願いは必ずかないます!』(PHP研究所)を取り上げていました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①幼少時より不思議な体験をくり返した高津さん。  累計納税額日本一として知られる斎藤一人氏の勧めにより、スピリチュアル・カウンセラーとしての活動を本格的にスタート。  現在、様々な著書を出されています。

②さて、今回は神社やお寺にお参りに行くときのコツをお伝えしましょう。  お参りに行くとき、あなたはどんな気持ちで行きますか?

③その際、「真剣にお願いをしなきゃ」と思うより、「神様に会いに行こう」と思いながら行った方が幸せになるそうです。

④神社に行くとそれだけで気持ちがスッキリして幸せな気持ちになります。  それは、「神社に行こう」という自分の素直な気持ちと向き合えるからなのだとか。

⑤高津さんは、お参りするとき、いつも「今日もここに来ることができました。  ありがとうございます」としか言わないそうです。  それは、願いをかなえるために何かをするのは、他の誰でもない「自分」だから。

⑥「今日ここに来られる時間やお金があったことに感謝します」  「明日からも仕事をがんばります。  いつも見守ってくださってありがとうございます」  このように感謝したら、神様はあなたを応援し、どんどんよくなってくるそうです。

⑦お参りに行くのなら、幸せなことに感謝する。  神社やお寺はお礼をしに行く場であると認識することがコツのようです。』

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村松友視さん『大人の達人』

『大人の達人』(村松友視著 潮出版社)を読みました。  『第13章 ローマのバーで会った男の謎かけ』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①ある年の夏、私はカメラマン、女性編集者とともにローマのバーにいた。  私たちは、そのあとのシチリアの旅に思いを馳(は)せ、あれこれと喋(しゃべ)り合っていた。  

②カウンターの隅に、サングラスをかけ白い麻のスーツの皺(しわ)に渋味をきかせ、突き出た腹をベルトで持ち上げた感じの中年男が、ひとりでマルガリータをちびりちびりやっていた。

③「あんた方、これからシチリアへ行くのかね」  私にも分かるような英語で、男は話しかけてきた。  「ええ、これからシチリア一周の旅をしようと思っています」

④男は、私の目を深くのぞき込むような表情になり、「ところで、イタリアのシチリア島に関する神様へのお願いというジョークがあってね。  それ、聞いてみたい?」  そう言って、全身でいたずらっぽさを表した。

⑤「ぜひ聞かせてください」  「それじゃ、話してあげよう。  まずシチリア島を海に沈めてほしい」  「それが、第一のお願いなんですか」  「さよう。  シチリア島が海に沈むとどうなるかね?」  「シチリア島の人がすべて死んでしまいますね」  「そして同時にシチリア島にいるマフィアもすべて死んでしまう」

⑥「で、二つ目のお願いは何か。  いったん沈めたシチリア島を、も一度浮かび上がらせてほしい」  「・・・・・・」  「そうすると、世界中のマフィアがそこで死んだマフィアの葬式のためにシチリア島へ集まってくる」  「はあ、そういうことはあり得ますよね」  「シチリア島では、盛大な葬式が行われるだろうね、目に浮かぶようだ」  「何となく、想像できます」  

⑦「で、三つ目のお願いなんだが、今度は答えが分かるだろう」  「さあ・・・・・・」  「三つ目は、盛大な葬式の最中に、再びシチリア島を海に沈めてほしい」  「はあ・・・・・・」  「そうすれば、葬式に集まった連中がすべて死んでしまう。  するとどうなるかな」  「つまり、世界中のマフィアが死に絶えて、この世にマフィアがいなくなってしまうっていうことなんですかね」  「その通り」

⑧帰りがけに、私はふと気づいたように男を振りかえり「ところで、あなたはイタリアのどの地方の出身なんですか」と言った。  〝三つのお願い〟のジョークが、平均的イタリア人のセンスなのか、知識人好みの角度なのか、反マフィア感が強いタイプの構えなのか・・・・・・三人でそんなことを話し合ったところからみちびき出された興味にちがいなかった。

⑨男は、太い指をグラスから外し、広い背中をゆっくり回してふり返ると、濃いサングラスの奥から三人の目を交互にのぞき込み、「わたしの故郷かね?  もちろんシチリア島だよ」と言った。

⑩私たちは、凍りついたようになって茫然(ぼうぜん)とその場に立ちつくして見せた。  それは、男の歓迎の儀式が、そこまで周到に用意されていたことに対する、私たちなりの芝居だった。  そして私たちは、男のジョークをBGMに、翌日からの五日間の、マフィアの故郷たるシチリアの旅を満喫したのだった。』

明け方のサッカー観戦で若干寝不足です。  よい週末を!

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解決法

『1.解決法

①アメリカ人、日本人、ドイツ人、フランス人の乗った船が沈没し、無人島に流れ着いた。  彼らは飢えて、今にも死にそうだった。  その時、海岸にマメの入った缶詰が一つ落ちているのを見つけた。

②アメリカ人が言った。  「石でぶつけて壊して開けよう!」

③日本人が言った。  「貝殻で缶切りをつくって開ければいい」

④ドイツ人が言った。  「このまま待っていれば、腐食によって自然に開く」

⑤フランス人が言った。  「例えば、今ここに、缶切りがあると仮定しよう」


2.死人に口なし

①日本のパラシュート会社に、客から電話がかかってきた。  

②「君のところのパラシュートは、もちろん安全ですよね?」  「はい、研究に研究を重ねて制作したものです。  材料にも世界一のものを使っており、品質には絶対の自信を持っております」

③続いて、ロシアのパラシュート会社に、客から電話がかかってきた。

④「君のところのパラシュートは、もちろん安全ですよね?」  「はい、故障したという苦情は、まだ一件も寄せられておりません」』


『続・世界の日本人ジョーク集』(早坂隆著 中公新書ラクレ)より

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K.J.深谷さん『運気7つの法則』

6月19日に配信された、あおぞらきりんさんのメルマガ『運の達人』はK.J.深谷さんの著書『運気7つの法則』(ビジネス社)を取り上げていました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。
                    
『①K.J.深谷さんは、経済学者であるピーター・F・ドラッカー博士の思想と経営理論に関し、学術的・実務的交流を推進することを目的としたドラッカー学会の会員として、様々な業界で活躍中の人材との交流を深めながら、豊かさや成功に対する独自の理論をベースにしたビジネス・アドバイス、カウンセリング活動を行っています。

②さて、今回ご紹介する著書『運気7つの法則』では、億万長者がよく語っているどこか「神がかった」サクセス・ストーリーの正体を探り、「運気」の本質にせまる渾身の一冊です。

③その中でも深谷さんが「秘儀」と称する方法を伝授いたしましょう。  運気を呼び込むための重要な作業とのこと。

④例えば、会社の部署ぜんたいによるチーム・プロジェクト、毎日の仕事、家庭、身近な人間関係において、あなただけうまくいかなかった場合の対応。  そこで、成功した相手を嫉妬したり、ねたんだりすることはタブーであり、その思考を持った瞬間、あなたは人生の敗北者になってしまうと深谷さんは主張します。

⑤では、どうすれば良いのでしょうか?  取るべき行動。それは、うまくいった人を祝福することです。  心から喜べなくても、言葉で褒めるのです。  そして、たとえあなたの顔が引きつっても、やってみるのです。

⑥次に、大きな視点を持ちます。  自分としては失敗したけれど、仕事全体としては成功したのだ、と。  身近な人の成功は、自分にとっても「次なる成功の予兆」なのだ、と。  

⑦このような考え方を持つ努力をするのです。  すると不思議なくらい、成功した人の「気」があなたに流れ込んで来るそうです。

⑧この法則は本当にハードルが高いと思います。  それだけに、実行できると絶大な効果をもたらすことになるのでしょうね。  是非、実践していきたい法則です。』

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和田亮介さん『扇子商法』

『扇子商法』(和田亮介著 中公文庫)を読みました。  (日本商業史を初めて集大成した)宮本又次先生の解説『扇子商法と唐傘商法』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「扇子商法」なる書物は、大阪で名高い和田哲株式会社創業者の和田哲夫氏の追悼録を、その第三代目の亮介社長がまとめたものだ。

②表題の「扇子商法」とはどんな不況のときでも決して潰れないような体制をととのえておくこと。  扇子は暑いときにはいっぱい開いて使うが、不用のときには小さくたたんでおく。

③経営もこれと同じで、好景気はいつまでもつづかず、必ず次には不景気がくる。  そして不況があれば必ず次には好況がくる。  そのときにはすぐに応じられるように、つねから準備しておく必要がある。

④好いときにはひろげ、悪いときにはちぢめる。  不況のとき、扇子をちぢめるのは難しいが、よいときにひろげるのは存外と楽である。

⑤つねからちぢめられるように準備しておく。  つまり余裕をもっておらねば、ちぢめられない理屈である。  攻めよりも退(ひ)き戦(いく)さのほうがなん倍もむつかしいと説く。  

⑥つねに不況にピントを合わせて「人を増やさない」「借金しない」「無駄しない」、扇子をしめておくのである。  「現金仕入れの手形販売」という商法を、戦前も戦後も押し通し、自社は一流でなくても、銀行・得意先と環境を一流でかためる。  これが「三つの安全」だとする。

⑦高度成長期にも銀行の借金で企業を伸ばすことはせず、積極策の花形だった「脱本業」などには見向きもせず、「本業一筋」に生きる。  利益や売上高の増大などは眼中になく、「企業の永遠性」こそ企業人生の生き甲斐だと説く。

⑧三井高房(三井家三代目)はその著「町人考見録」のなかで、川村瑞賢(伊勢の貧農から身を起こし江戸屈指の材木商となった)の業績をたたえて「唐傘商法」といっている。  瑞賢の言として、次のようなことを述べている。

⑨「人の心は小さく細かくあるべきであるが、事を成すに当たっては、から傘のように大きく延ばさなければ成就しない。  小さくもなるし、大きくもなる傘の在り方を味わうべきである。  世間で大気者(・・・小さなことにこだわらない者)といわれる人物は傘の広がりばかりで、小さくしめるということがないから、運よく立身しても、忽(たちま)ちにして元も子もなくしてしまうものである。」

⑩延ばしたり、縮めたりできる唐傘の商法を賞しているのである。  この「唐傘商法」は和田さんのいう「扇子商法」にあい通じているように思われる。』

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林望先生『節約の王道』

『節約の王道』(林望著 日経プレミアシリーズ)を読みました。  序章の『井原西鶴から知る「金持ちになれる妙薬」』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。  

『①かの有名な井原西鶴の「日本永代蔵」。  その中に、「金持ちになる妙薬」として、「長者丸(ちょうじゃがん)」というものが出ています。  ちょうど漢方薬の配合のいうところのように、長者(金持ち)になるための処方として、次のことを混ぜて処方すべし、というのです。

②「朝起き5両、家職20両、夜詰め8両、始末10両、達者7両、この50両を細かにして、胸算用秤目(むねさんようはかりめ)の違いなきように、手合い念を入れ、これを朝夕飲みこむからは長者にならざるということなし」

③「朝起き5両」というのは、朝もちゃんと早くから起きて、勤勉に働きなさいということ。  「家職20両」、これは、あれこれと気をちらしていないで、自分のところの家業に励みなさいということです。  「夜詰め8両」、これは夜なべ仕事をしろということ。  「始末10両」というのは、これはまさに倹約、節約、無駄使いをしないということです。  「達者7両」というのは、達者すなわち健康でなければいけないということ。

④重要とされている順に言えば、「まず、自分の職業をきちんと勤めなさい(家職20両)、そして、無駄使いをしないようにして(始末10両)、夜も無駄にしないで夜なべ仕事もしなさい(夜詰め8両)、そして健康に留意しつつ(達者7両)、出来れば早起きをして(朝起き5両)仕事に励め」、ということになります。

⑤これが、元禄時代に西鶴が遺した、金持ちになるための教えということになります。  元禄というと、約300年前ということになりますが、平成のこの世に読んでも、なるほど、と思わされることばかりでないでしょうか。

⑥例えば、本当の精神主義者だったら「朝起き20両」としそうなものですが、「朝起き」の重要度は全体の10パーセントと意外に数字が低い。  すなわち朝はいつでも朝寝坊せずに、ちゃんと所定の時間に起きて正業に励めばよいというだけであり、この点を鑑(かんが)みても、西鶴が単なる理想論でこれを書いているわけではないということがわかります。

⑦この西鶴の教えは、ほとんどが僕の人生観と一致しています。  これらのことをきちんと守れば、投資や株などで無用なリスクを負わなくても、お金は必ずしも儲けにくいものではなく、貯まりにくいものでもないということを、これから、この本の中で伝えていきたいと思う次第です。』

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藤間秋男先生『100年企業に学ぶ』

1.一昨日は藤間公認会計士税理士事務所主催の講演会に行きました。  テーマは『100年企業に学ぶ成功事例研究』です。  講演資料から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「伝統とは、守るものではなく、潰していくもの改革していくもの」(株式会社 半兵衛麩 創業1689年 業歴320年)

②「義を先にして利を後にするものは栄える。  正義を優先し、利益を後回しにするものは栄える。」(下村彦右衛門正啓の座右の銘 大丸店是)

③「最も社会に奉仕する企業が最も利潤を上げる」(オムロン創業者 立石一真)

④「経営理念がある会社とない会社は『1.76倍』経常利益の差が出る」(宮田矢八郎教授)

⑤「経営成功の要因の50%は、経営理念の確立と浸透」(松下幸之助)

⑥「自ら断崖のふちに立て・・・足が震え、すくみますが自ら覚悟を決めて断崖の上に立つと、逆に勇気がわいてくるのです。  さらに、宇宙のエネルギーが自分を後ろから、押してくれる。  人間の素晴らしい能力に出会うのです。」(松下幸之助)

⑦「目先の利を追うもの→貧しさが身をはなれない。  将来の種をまくもの→豊かさが身をはなれない。」(二宮尊徳)

⑧「行動は必ずしも幸福をもたらさないかも知れないが、行動のないところに幸福は生まれない。」(イギリスの政治家ベンジャミン・ディズレーリ)』

2.「にんべん」(創業1699年 業歴311年)、「千疋屋総本店」(創業1834年 業歴176年)、「山本海苔店」(創業1849年 業歴161年)、「鈴廣かまぼこ」(創業1865年 業歴145年)の4人の社長によるパネルディスカッションも勉強になりました。  ちなみに、その司会を務められた藤間秋男先生の事務所も1890年創業(業歴120年・・・創業時は司法書士事務所)だそうです。

よい週末を!

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野田順弘さん『私の履歴書』

日経新聞の今月の『私の履歴書』はオービック会長兼社長の野田順弘さんが書かれています。  昨日分のタイトルは『新しい城、6坪の事務所――会計機レンタルひらめく』です。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①退社したとき私は29歳になっていた。  ともかく(大阪市)南御堂の裏手に6坪の事務所を借りた。  顔ぶれは将来の創業に備えてパイロット万年筆を退社し簿記の資格を取った(妻の)みずきと私、それに電話番の娘さん。

②とりあえず始めたのが会計機用の帳簿、伝票類の納入。  どうにか夫婦2人が食べる程度の収入にはなった。  とはいえ、いつまでもこんなことを続けているわけにはいかない。  新しい事業を立ち上げたかったが、それはまだ輪郭だけの夢だった。

③半年ほどたったころだろうか。  唐突に私の頭の中にある思考や記憶の断片が、磁石に吸い寄せられる砂鉄のように一点に集まって鮮明な形になっていった。  

④断片は大手企業からいつの間にか姿を消した旧式の会計機であり、また「高い機械を買う余裕はありまへん」という中小企業の声であった。  「これや」という声とともに思わず立ち上がった。

⑤今まで自分たちが大手企業に売り込んだ会計機の多くが新型機種への買い替えやオフコンの導入で不要になり、倉庫に眠っている。  それを安く引き取ってきて整備し、中小企業に低料金で貸し出すというのはどうだろう。  

⑥大手企業にとっては処理に困っていたものがお金をもらって片付き、資金がない中小企業は安い料金で会計機が使える。  会計機も生き返るから「三方一両得」になる。

⑦まだ誰も気づいていないはずだ。  この商売なら失敗はしないだろう。  そう考えただけで、ブルブルッと体が震えた。  資本金200万円の「大阪ビジネス」が小さな産声を上げたのは昭和43(1968)年4月8日。』

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外山滋比古先生『ユーモアのレッスン』

『ユーモアのレッスン』(外山滋比古著 中公新書)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.マーク・トウェイン(アメリカの小説家)のジョーク

①死期の近いことを感じていた患者が、牧師にたずねた。  「わたくしは、天国へ行けるのでしょうか。  それとも地獄に行くことになるのでしょうか。  お教え下さいませんか。」

②牧師はしずかに答えた。  「どちらもいいところですよ。  天国は気候がいいですし、地獄は地獄で、お仲間がたくさんおりますから・・・・・・」


2.アメリカの田舎のはなし

①町にひとつの駅に、時計が二つあった。  その二つが、いつも、違った時をさしている。

②年寄りの乗客が、駅長をつかまえて、「ここの二つの時計、合っていたことがない。  いつもバラバラになっている。  みっともない。  合わせておいたらいいだろう」

③駅長、泰然として、言い返した。  「同じ時間だったら、二つある甲斐がありませんから・・・・・・」


3.デボラ・カー(アメリカの女優)のはなし

①デボラ・カーがあるとき、ひとり旅で山の中のホテルにとまっていた。  急に目が痛み出して、ものがよく見えなくなってしまったから、おどろいた女優は、とるものもとりあえず病院へかけつけた。

②この町には、たまたま、眼科医院と精神科医院としかなかったが、ならんで建っている。  目の悪いデボラは、看板がよく見えないまま眼科のつもりで、精神科の方へ入ってしまった。

③女優だと名乗れば、いくらか特別扱いをしてくれるかもしれない。  そう思ってだろう、「わたし、女優のデボラ・カーですが・・・・・・」と言う。  

④お医者「ほほう。  それは、たいへんだ。  で、いつごろから自分がデボラ・カーだと思っているんですか」』

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(73)第27回ウェイト制大会

1.週末は第27回ウェイト制大会でした。  初日に負けた選手については試合後、会場で話をしましたので昨日戦った4選手について感じたことを書いてみます。

①生駒有里(参加選手4人の女子軽量級1回戦で延長1回・判定負け)・・・突き・蹴りともに前回見た試合の時より格段に進歩していました。  潜在能力は高いので稽古量さえ確保できればトップクラスの選手になる日もそう遠くないと思います。

②鎌田翔平(重量級ベスト8)・・・昨年のこの大会以来課題にしている精神面の強化に関しては、昨年の全日本・今年のウェイト制ともに大きく伸びたと思います。  過去に全日本大会を連覇している内田選手に延長2回・判定負けしましたが、翔平の良さが随所に見られました。  内田選手の最後のラッシュに判定を持っていかれましたが、やっと全日本チャンピオンを狙えるところまで来たのではないかと思います。

③小林大起(軽重量級第4位)・・・日曜日の初戦のあと五来ニューヨーク支部長が来て「小林の最後のラッシュは要らないんじゃないんですか?」と言っていました。  準決勝・3位決定戦ともにラッシュを仕掛けた際の突きが顔面に当たり、減点1・判定負けでした。  それ以外のパワーなどの点では向上のあとが見られました。  史上最年少の10代の全日本チャンピオンも夢ではないので、全日本大会までこれから5ヶ月間の稽古・精進に期待します。

④森善十朗(軽重量級準優勝)・・・昨年の全日本大会のナバロ戦以来、圧力をかけながら突きでラッシュしてくる選手に対する対応を考えて稽古してきました。  その点では克服しつつある部分と、まだ課題を残している部分が相半ばしています。  課題に気づくよい機会になったと思いますし、確実に強くなっているようにも見えました。

2.①大会の挨拶で、私はいつも同じ話をします。  開会時は「大会というのは、今までの稽古が正しかったかどうかをチェックする機会です」、閉会時は「今日参加して良かった点をさらに伸ばし、悪かった点を修正するよう次の機会までに稽古してきてください」という話です。  

②組み手の強さ・技量は稽古すれば一直線に向上するようなものではなく、成果を出せたり・出せなかったりしながらスパイラル(らせん)状に伸びていくものです。  そういった意味では今回のウェイト制大会は城西支部にとって『価値ある敗戦』だったと思います。

③いずれにしても選手の皆さん、応援に行ってくれた皆さんお疲れ様でした。  いつものことながらワクワク・ドキドキ楽しいひと時を過ごすことができました。

3.中量級で優勝した佑汰、おめでとう!  智ちゃん、川本、おいしいお酒を飲んじゃって下さい。  うらやまし~(笑)

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ひろさちや先生『莫妄想』

1.『あきらめて極楽 悩んで地獄』(ひろさちや著 PHP研究所刊)を読みました。  『「莫妄想」の教え』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①禅の言葉に―莫妄想(まくもうぞう・・・妄想することなかれ)―があります。  中国唐代の禅僧の無業(むごう)禅師のことばです。  (中略)

②「その言葉は、無学祖元(むがくそげん)が北条時宗(ほうじょうときむね)に教えたものではないですか?」と言われる方がおいでになります。  それはその通りでまちがいありません。

③無学祖元(1226~86)は、北条時宗の招きに応じて来朝した中国生まれの禅僧です。  時宗は幼時から臆病者と言われていました。  それで時宗は無学に教えを乞います。

④「わたしにとって最も忌むべきは『臆病』です。  どうすれば臆病を克服できますか?」  「臆病のよって出てくるところを断ち切るとよい」

「では、それはどこから出てくるのですか?」  「時宗よ、それはおまえ自身から出てくる」

「臆病は、時宗の最も嫌うものです。  それがどうして、時宗から出てくるのですか?」  「時宗という自己を捨て去ってこい!」

「どうすれば捨てることができますか?」  「いっさいの妄念(もうねん・・・邪悪な思いや誤った考え)思慮(しりょ・・・いろいろと考えること)を止めよ!」

⑤武将である時宗は、きっと「立派に死ぬ」ことを考えていたのです。 自分は臆病だから、ひょっとしたら立派に死ねないかもしれない。  だから、臆病を克服しておかねばならぬ。  しかし、それらはすべて妄想です。  そんな妄想を捨ててしまえ!  無学祖元は、北条時宗にそう教えたのです。

⑦立派に死ぬというのは、未来のことです。  そんな未来の心配はする必要はありません。  のたうちまわって死ぬはめになれば、のたうちまわって死ねばいいのです。  そしてそれが「莫妄想」なんです。』


2.ウィキペディアで北条時宗を検索すると次のように出てきます。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①鎌倉時代中期の武将・政治家。  鎌倉幕府第8代執権。  

②鎌倉幕府執権職を世襲する北条氏の嫡流得宗家に生まれ、モンゴル帝国の日本に対する圧力が高まるなかで執権に就任。  

③内政にあっては得宗権力の強化を図る一方、圧倒的に国力の勝るモンゴルの2度にわたる侵攻(元寇)を退け、後世には日本の国難を救った英雄とも評される。』

今日は午後4時から審判講習会で、明日明後日は第27回全日本ウェイト制大会です。  今から大阪に向かいます。  よい週末を!






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桜井章一さん『ツキの正体』

『ツキの正体』(桜井章一著 幻冬舎新書)を読みました。  『勝負どころはピンチの中にある』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①なぜベタ降りがいけないか。  それは「勝負どころ」を逃してしまうからです。  勝負どころは、逆境の中に訪れます。

②最下位で迎えた最終局の親、手がなかなか進まないところへ、相次いで3人リーチ。  絶体絶命です。  勝負をあきらめて、ベタ降りですか?

③私なら、奮い立ちます。  落胆するどころか、勝負の醍醐味を感じてワクワクする。  そして、3人の包囲網をかいくぐりながら、次々と牌を切り飛ばし、何としてでもあがり切る。

④すると、次の局では、流れが一変します。  それまでドツボだったのが、綺麗な配牌が来て、面白いように有効牌をツモッてくる。  大きなターニングポイントをものにしたことによって、場の流れを変えることができるのです。

⑤このようなターニングポイントこそが、「勝負どころ」。  そのままずるずると負けてしまうのか、それとも一気にツキを引き寄せて大勢を逆転できるのか、勝負を決定づけるのは、絶体絶命の逆境をしのげるかどうかに懸かっています。

⑥勝負どころはピンチの中にあるのです。  チャンスの中にはありません。  つまり、チャンスのときは淡々と普通に打っていればよく、ピンチのときこそビシッと勝負手を決める必要があるのです。  この認識が逆だと、勝負強い人間にはなれません。

⑦麻雀というのは、ピンチの連続なのです。  同様に、人生というのも、ピンチやトラブルの連続。  ラッキーやイージーな局面より、苦境やタフな局面のほうが圧倒的に多い。  それを乗り越え、しのぎ続けていくことこそ、麻雀であり人生なのです。』

空手の試合も同じですね。  

麻雀をやったことのない方には文章中の例が分かりにくかったかもしれません。

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外山滋比古先生『無敵は大敵』

昨日の日経新聞夕刊にお茶の水女子大名誉教授の外山滋比古先生が『無敵は大敵』というタイトルで文章を書かれていました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①力を発揮するには相手があった方がよく独り相撲は問題にならない。

②かっての小学校の分教場のこどもはよく勉強するわりに学力の伸びが小さい。  途中で本校へ移ると急によくできるようになる。  せり合う友だちがあるからだ。

③社会人でも同期にライバルがいると大成することが多い。  お山の大将ではだめ。

④スポーツ選手も好敵手があった方が強くなる。  ひそかにライバルの事故を願ったりすることもないではないが、実際、敵がいなくなると、多くは自滅する。  汝(なんじ)の敵を愛せよ、である。

⑤敵は人間とは限らない。  不幸、困苦、病気などは怖るべき敵である。  それに打ち克てば強い人間になれる。  若いころ病弱だった人が、医者にかかったことのない人より長生きするのは珍しくない。

⑥カメと競走したウサギ。  カメなんか敵ではないと油断して思わぬ敗北を喫したのである。

⑦油断大敵だが、無敵だと思って油断する。  つまり、無敵は大敵である。  敵のあることはむしろありがたい。』

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立川談志さん『世間はやかん』

『世間はやかん』(立川談志著 春秋社刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.「やかん」とは楽屋(がくや)の符丁(ふちょう・・・仲間だけに通用する言葉)で「知ったかぶり」のこと。  知識をひけらかして能書きたれている奴を「やかんの先生」という。  

ナニ、お前のことだって。  ヘェ、ごもっともー。


2.「お前はいつも電話が長いね。  一時間二時間平気で喋(しゃべ)ってんだから。  でも、今日は短かったじゃないか、三十分だったよ。  だれだったの、電話?」  

「間違い電話」


3.「海はなんで海っていうんですか。」  

「小さいと池と間違えられちまうからだよ。」

「海はしょっぱいですね。  なんでしょっぱいんですか?」  

「鮭(しゃけ)がいるからだよ。」


4.「鰻を焼いたものを、なぜ蒲焼(かばや)きっていうんです?」  

「あれはな、鵜(う)に呑み込まれるようなバカな魚なんだ。  だから「バカ焼き」っていってたんだけれど、そいつが、ひっくり返って、「カバ焼き」になった。」

「ぢゃあ、「バカ焼き」でいいのに、なんで「カバ焼き」にひっくり返すんです?」  

「ひっくり返さないと、よく焼けないだろ。」


5.警察署で、若い警官が休憩時間に推理小説読んでた。  それを見た先輩が、「面白いかい?」  

「面白くないですよ、嘘ばっかりだもの。  何しろ最後にャ必ず犯人が捕まるんですから・・・・・・」。』

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加藤眞由儒さん『お金と上手につきあう修行』

『運命を変える技術』(加藤眞由儒著 青春出版社刊)を読みました。  『お金と上手につきあう修行』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.お金儲けだけは、人間性とは関係ありません

①生き方の上手な人だからといってお金持ちにはなれないのです。  運命のままに歩いていては、お金儲けはできないということです。

②目立つことを嫌い、派手な生き方などをしないのが日本人の美徳のように思われてきた歴史のせいか、お金儲けは悪いことだと思っていらっしゃる方が多いのです。

③お金儲けは罪ではありません。  悪いのは、お金儲けのために他人を騙すこと、儲けたお金を悪いことに使うことです。  儲かるまでは人を頼るのに、儲かったら人を見下すというような行動です。

④お金というものには。パワ―がありますから、社会のためにも、やさしい方や正直な方ほど多く稼いでいただきたいと強く願っています。  そして稼いだら上手に使ってください。  儲け方以上に「使い方」を試されているのです。


2.お金のことをもっと勉強して、子どもに伝えてください

①一生懸命働いているのに、いつまでたっても豊かにならないと嘆いていらっしゃる方も多いでしょう。

②それは「どのように稼ぐか」を知らないからです。  病気がち、あるいは体が弱くどうしようもない方は別ですが、お金のない人はやはり努力不足です。  成功している方は、お金の勉強をしている人です。

③霊の世界にはお金の感覚がないのです。  お金はこの世のシステムなのです。  霊が力を貸してくれることはありません。  したがって総ての責任は自分にあるのです。

④お金の増やし方、運用の仕方、お金の動くシステムを勉強してください。


3.お金儲けには知恵と道具が必要です

①お金儲けをするには、創意工夫と創造性が必要です。  自分でどのように事業をしたいのか、あるいはどうすればものが売れるのかという知恵が必要です。  それには、他の人が気づかない発見や発明がなければいけません。

②お金儲けに限っては、普通に人生を歩むのとは違う知恵が必要です。  やはり古来から商売人が培ってきた教えを正しく守ることです。  

③大阪の商人や世界中に散り散りになっても財を成してきた方々は、やはりお金を大事にし、どうすれば資産を殖やしていけるかという法則を知っているのです。  その法則を正しく伝授してくれる立派な人に出会うことが大事です。

④あれこれ職業を変えずに、ひとつの仕事を続けることが成功する秘訣です。  そしてあきらめないことです。  事業に成功する人はあきらめていません。  誰に何を言われても頑張り抜いた人です。  事業で成功している人とは、そういう人なのです。』

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ニーチェの言葉

『ニーチェの言葉』(白取春彦編訳 ディスカヴァー刊)を読みました。  ニーチェ(1844~1900)はドイツの哲学者で20世紀の哲学思想に大きな影響を与えました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.最短の道は現実が教えてくれる

①数学では、最短の道は始点と終点を直線で結んだ道だと教えてくれる。  しかし、現実における最短の道はそうではない。

②昔の船乗りはこう教えてくれる。  「最もつごうよく吹いてきた風が、船の帆を膨(ふく)らませて導かれた航路が最短の道だ」と。

③これこそ、実際に物事をなしとげようとする場合に通用する最短の道理論だ。  頭で立てた計画通りに物事は運ばない。  

④現実の何かが、遠い道を最も近い道にしてくれる。  それが何かは前もってわからず、現実に踏み出したときにようやくわかってくるのだ。


2.自分の哲学を持つな

①「哲学を持つ」と一般的に言う場合、ある固まった態度や見解を持つことを意味している。  しかしそれは、自分を画一化するようなものだ。

②そんな哲学を持つことよりも、そのつどの人生が語りかけてくるささやかな声に耳を傾けるほうがましだ。  そのほうが物事や生活の本質がよく見えてくるからだ。

③それこそ、哲学するということにほかならない。


3.一緒に生きていくこと

①一緒に黙っていることは素敵だ。  もっと素敵なのは、一緒に笑っていることだ。

②二人以上で、一緒にいて、同じ体験をし、共に感動し、泣き笑いしながら同じ時間を共に生きていくのは、とても素晴らしいことだ。』

よい週末を。

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奇跡

『①三人の仏教徒が、一緒に修行をすることに決めた。  三人は池のほとりで坐禅を組み、精神を集中し始めた。

②すると、その中の一人が不意に立ち上がった。  「寺の台所の火元を確かめてくる」  その僧はそう言ったかと思うと、池の水面の上をそろりそろりと歩き始めた。  それはまさに奇跡のような光景だった。  僧は対岸の寺まで池の上を歩いて行き、そしてまた池を歩いて戻ってきたのだった。

③次に二人目の僧が言った。  「寺の戸締りが心配だ」  その僧も、先の僧と同じように、池の上を歩き始めた。  信じられない光景が二度、続いた。

④残されたのは三人の中で最も若い僧だった。  彼は内心、大きな動揺に襲われていた。  自分だけが奇跡を起こせないのではないか。  いや、今こそこれまでのヨガの修行の成果を試すいい機会ではないか。  彼は立ち上がり、池へと向かっていった。

⑤彼の足は水に濡れ、膝まで沈み、とうとう転んで全身が水に浸かった。  しかし、彼は諦めなかった。  びしょぬれのまま再び立ち上がり、また転んだ。  何度転んでも、精神を集中し、また立ち上がった。

⑥その様子を岸から見ていた二人の僧はささやきあった。  「どうする?  石のある場所、教えてやった方がいいかな」』

『続・世界の日本人ジョーク集』(早坂隆著 中公新書ラクレ)より

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司馬遼太郎先生『高杉晋作』

昨日と同じく『世に棲む日々』(司馬遼太郎著 文春文庫)からの引用で高杉晋作の人物像を探ってみます。

『1.①晋作ほど、自分自身に不満を持っている男もいなかったであろう。  不満の第一は、自分が生涯賭けてもいいほどに好きなものをもってうまれてこなかったことである。

②できれば剣客になりたいとおもって身をいれてみたが、しかしその腕は(長州藩の)明倫館の百人程度のなかまのなかでぬきんでている程度。

③晋作の才能のなかで、巍然(ぎぜん・・・高くそびえ立つさま)として諸人の水準をぬきんでているのは、詩文であろう。  しかし一芸をみがくという痴呆(こけ)の一念のようなものにこの若者は欠けている。

④ときに評論も書くが、その評論というのは論旨こそ警抜で鋭利であっても、師の吉田松陰のような論理の構築ができない。

⑤そのくせ、晋作はまぎれもない天才なのである。  それはかれ自身も、うすうす気づいている。  しかし、なんの天才なのかということになると、彼自身も見当がつかない。  それが晋作の焦燥(しょうそう)であり、なにをやればいいのかわからないという「天才」なのである。


2.①「なるほど」  晋作は、さからわなかった。  かれはその生涯で一度といえども他人を説得したことがない。  相手に気がなければそれでしまいさ、とつねにあっさり割りきっている。

②それに、藩論が佐幕に傾いた以上、いまさら200人で決起したところでひとびとはついてくるまい、とも思っている。  その点、山県(有朋)と同意見なのである。

③ただ山県が、「死物狂(しにものぐる)いでやってみましょう。」と気を動かせば、その気をひっさらって雲をよび、雷電を鳴動させてみるつもりはあった。  が、あきらめた。



3.①晋作ほど、他藩の連中に会いたがらない男もめずらしかった。  幕末の奔走家の最大の快事のひとつは他藩の士と交際し、友を得ることであった。

②晋作は固陋(ころう)なほどに長州至上主義であり、「他藩の連中につき合ってなにになるか」と、たかだかと高言していた。

③長州の富力と武力が充実すれば、他藩の士は山口や下関にやってきて腰をまげ、物を乞おうとするのである。  逆に長州の力が備わらねば、かれらは決してやって来ない。

④要は、彼の大好きな言葉である「長州大割拠」という理想の実現にあり、それが実現するまで、他藩の士に無用のサービスをする必要はない、というものであった。』

1~3以外にも、さまざまな逸話が本書に書かれています。  私にとって高杉晋作は幕末の志士の中でもっとも興味深い人物です。

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高杉晋作『功山寺挙兵』

1.5月29日は11時51分着の新幹線で「新山口駅」に着きました。  河岡博實師範に萩市の松下村塾(しょうかそんじゅく)、美東町の大田・絵堂戦跡(おおた・えどうせんせき)、下関市長府の功山寺(こうざんじ)を案内していただきました。


2.功山寺で買った『長府散歩旅ガイドブック2009』に功山寺挙兵について簡単な説明が書かれているので抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①高杉晋作が功山寺で決起しなかったら明治維新があと数年遅れていただろう、とはよく目にするフレーズである。  

②当時長州藩は米英仏蘭の四国から攻撃されるは、幕府から長州征伐の命令が出るわで危機的な状況にあった。  藩内の意見も、幕府に反対する正義派と、恭順であろうとする俗論派に分かれて血みどろの争いをしていた。

③「こんなことでは長州は滅びてしまう!」と晋作はまず藩内から俗論派を一掃すべく立ちあがったのである!

④その際、自分の行動がただの身勝手ではないことの証とするため、当時倒幕の企みがあるとして都を追われ、功山寺にかくまわれていた三条実美(さんじょうさねとみ)ら五人の公卿(くぎょう)に挙兵の啖呵(たんか)を切りに行ったのだ。』


3.今から145年前(1865年)の雪の降る深夜に高杉晋作が功山寺を出ていく様子が『世に棲む日々』(司馬遼太郎著 文春文庫)に書かれています。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①晋作は、馬上の人になった。  このときこの若者がいった言葉は、この時期、ほうぼうに喧伝(けんでん)され、記録された。

②馬の前脚が騰(あ)がったとき、この男はふりかえりざま、「いまから長州男児の胆っ玉をお目にかけます」といった。

③かれはいつの場合でも狂言作者と役者をかねていたが、このとき舞台は雪の功山寺境内であり、相手役は都の貴人たちであった。  時期は、長州の絶望的な政治的季節であり、その時に吐くべき台詞(せりふ)をこの男はみごとに作りだした。  (中略)

④八十人が雪を踏んで下関に向かった。』

城西のメンバーである井出真先生のご先祖が、土佐脱藩浪士としてこの八十人の中にいたそうです。


4.河岡師範には大変お世話になりました。  とても楽しいひと時でした。

功山寺境内にある「高杉晋作回天義挙像(左前脚を騰げた馬にまたがった高杉晋作の像)」の写真を撮って携帯の待ち受けにしました。

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2010年05月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年07月