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籐間秋男先生『あと一件、もう一件』

1.①日本国内においては2007年以降、一日の最高気温が35度以上の日のことを「猛暑日」というのだそうです。  いずれにしても暑い日が続いています。  そんな中、2週間ほど前の週末のことです。  自宅のインターホンが鳴ったので出てみると、何かの訪問販売の女性でした。

②また、先週の金曜日の午後、ある会社で打ち合わせをしていると、コスメの訪問販売の女性が入ってきました。

③いずれも話を聞くことはしませんでした。  でもこの猛暑の中、推測するにほとんどのケースで断られながら、頑張って飛び込み営業しているその姿勢には感銘を受けました。


2.昨日配信された公認会計士・籐間秋男先生のメルマガに訪問販売に関する文章があったので、抜粋し、番号を付けて紹介します。

『あと一件、もう一件、行こうという考え方が大事』  (新規開拓 朝倉News より)

『①夏の頃だったと思います。  飛び込み営業をして帰社した私に教えてくれたこと。  あと一件、もう一件行こう。  という考え方が大事。

②10件飛び込みしたけど1件も面談できなかった。  ここでどう考えるのか。  10件飛び込みしてここで終わるのか。  ひょっとして11件目で面談できるかも。  と思って、もう一件訪問するのか。

③11件目で面談ができた!  もし10件で終わっていたら11件目の面談はない。  もう一件、あと一件頑張って訪問して面談ができたという経験を一度でもすると・・・、途中で諦めず、次の一件はひょっとしたらと期待をし「よし、もう一件いこう!」と行動できるようになる。

④入社して数ヶ月、初受注もあがっていなかった私はこのアドバイスをワクワクしながら聞いた記憶があります。よし、地下鉄まで移動しながらもう一件。  次の面談時間まであと一件。

⑤テレアポも同じことが言える。  あと一本電話をかけたら。  次はアポが取れるかもしれない。  あと一件、あと一本。  この積み重ねが後に大きな差を作るのだと思います。

⑥我が社の部下たちはどうだろう・・・言い方は違っても、直属上司が同じことを教えて、現場で実践しています。  その積み重ねの先にあるものはやった人にしかわからない世界。  続けてほしいと思います。』

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海原徹先生『高杉晋作』

1.5月30日の「山口支部長継承式」の前日・5月29日に萩市の「松下村塾」、美東町の大田・絵堂戦跡、下関市長府の「功山寺」に行きました。  そのことや高杉晋作については6月1・2日のブログで書きました。

2.その直後の6月8日、新しく内閣総理大臣となった菅直人さんが就任記者会見で「新内閣を『騎兵隊内閣』と名付けたい」と話されました。  6月9日の新聞記事から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「奇兵隊内閣と名付けたい」。  菅直人首相は8日夕の就任記者会見で、幕末の志士の高杉晋作が創設した武士と庶民の混成による軍隊「奇兵隊」になぞらえて、新内閣を命名した。

②高杉は長州藩の出で、山口県出身の首相が尊敬する人物に挙げる。  首相は「果断な行動を取って、まさに明治維新を成し遂げる大きな力を発揮した人だ」と称賛。  

③その上で「幅広い国民の中から出てきたわが党の国会議員には、奇兵隊のような志を持って勇猛果断に戦ってもらいたい」と、各閣僚の仕事ぶりに期待を示した。』

3.先週末に『高杉晋作』(海原徹著 ミネルヴァ書房刊)を読みました。  「軍事的天才としての高杉晋作」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『(1)①品川弥二郎が松下村塾の三傑といわれた久坂玄瑞、入江九一、高杉晋作の人物月旦(げったん・・・人物の批評のこと)をしたさい、「久坂の才学」 「入江の胆識」 「高杉の気迫」と言いながら、晋作は学問では久坂に劣り、識見では入江に及ばないが、冷静沈着に状況判断し、機を見て一挙に決断する勇気は、誰にも引けを取らない。  

②また一旦事を起こせば、どのような困難や障害があろうとも、断固としてこれをなす実行力は、彼の真骨頂であったという。  

③品川はまた、「小心にして大胆」、これが彼の本領だともいっており、晋作を決して猪突猛進する玉砕型の猪武者とは見ていない。

(2)生死を懸けた戦争という非常事態がまさにそうであるが、晋作は、危機的状況に直面し、絶対絶命の境地になればなるほど、ますますその才能を遺憾なく発揮した。  ある意味で、そうした危機にもっとも強い、困難な状況に耐えられるタイプの人間であった。

(3)敵の機先を制し、意表を衝く戦法を次々に繰り出す、臨機応変、縦横無尽に兵を進退させる用兵の妙という点で、指揮官としての晋作の能力は、しばしば日本史上の英雄、一の谷の合戦で勇名を馳せた源氏の大将・源義経、あるいは桶狭間(おけはざま)の奇襲に成功した織田信長とよく比較される。  場面や状況は必ずしも同じではないが、彼らにも勝るとも劣らない天才的武将の一人であったことは、誰しも認めるところであろう。』

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岡本正善さん『不安の回路』

1.メンタルトレーナーの岡本正善さんが書かれた『「打たれ強さ」の秘密』を読みました。  「恐れや不安の本当の正体」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①恐怖心や不安は、というと、どうしても弱い人間の専売特許のように思われていますが、決していけないものではありません。

②それは確固たる自信のある人でも持っているもの。  むしろ太古から人類が生き延びるために欠かせなかった、大切な能力です。

③我々の祖先が狩猟をしながら暮らしていた時代、原野でバッタリ猛禽類(もうきんるい・・・ワシやタカなどの肉食で性質の荒々しい鳥の総称)に出くわしたとします。  そんなときは考える間もなく不安や恐怖でいっぱいになる。  その「不安の回路」に刺激されて、即座に「逃げるか、闘うか」の行動をとる。

④具体的にいえば、アドレナリンがどっと出て、心臓はドキドキし、血圧が上がって顔は赤くなり、筋肉は緊張し、手足の裏はジットリ汗ばみ、胃腸の働きは抑えられます。

⑤ドキドキは血液をさかんに流して激しい運動を可能にするため。  筋肉の緊張も瞬発力を出すため。  ほどよく手足の裏が汗ばむのは闘ったり走ったりするときにすべらないように。

⑥つまり、「不安の回路」が発動することで、体はストレス状態に置かれ、ここ一番の力を発揮できるのです。  こんなときにドキドキもなく「さて、どうしようか」などと冷静に考えていたら、たちまち襲われてしまう。  不安を感じない人間は生き残れないのです。

⑦恐怖や不安を感じる能力は、自分の身を守るために非常に大切なもの。  上手に利用すればいいのであって、決して否定すべきものではありません。  ましてや「弱虫」と同義語ではないことを知っておいてほしいのです。

⑧日本では、メンタル・トレーニングといえばリラクゼーションのことだという誤解があります。  うまいぐあいに緊張が高まってきたのを「嫌だな、、さあリラックスしよう」とばかり、試合前などにお花畑のイメージなどを浮かべたりと余計なことをやってしまう。

⑨トップに立つ人というのは、むしろプレッシャーを楽しんでいます。  ここぞというときに緊張が高まってくると、「おお、きたぞ、この感じ、この感じ」と、緊張状態を自分のコントロール下に置くのです。』

2.『ある育毛剤の広告
 
 「かならずメン棒につけてお使いください。  手で塗りますと、手まで毛が生えてきます。」』

(昨日配信されてきた本郷孔洋先生のメルマガのまくらより)

暑い日が続きます。  こんな時は、無理せず、ノンビリ過ごしましょう。  

よい週末を!

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横尾忠則さん『猫背の目線』

美術家の横尾忠則さんが書かれた『猫背の目線』(日経プレミアシリーズ)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①この間イチローが張本勲の3085本安打の日本新記録に並んだ時の話である。  ぼくはこの試合を夜のテレビのダイジェスト版で途中から見た。

②さてぼくがここで語りたいことはイチローのことではない。  テレビの画面を見ていたぼくは思わず自分の目を疑った。  というのはホームランを打って一塁に走るイチローの背番号が「51」ではないことに気づいた。  なんとイチローは「42」をつけているではないか。

③ところで次のバッターを迎えた時、相手ピッチャーの背番号も「42」だ。  これは偶然だと思った。  ところが次の二番バッターも「42」である。  同じチームに同じ背番号をつけた選手がいるはずがない。  「ワカラン?」  

④気がつくと敵も味方も全員が「42」だ。  「これって一体何?  何が起こっているのだ!」。  ところがアナウンサーは「42」について一言もコメントをしてくれない。  同じ背番号にするぐらいはコンピューター操作で簡単にできるが。

⑤イヤッ、それともぼくの体調に変調をきたした結果おかしくなって、それが精神に影響を与え、あんなふうに見えているのかも知れない。  きっと脳梗塞になったのだ。  二階で寝ている妻を起こして救急車を呼ぶ必要がある。

⑥だけどその前に彼女にこのテレビ画面を見せて全員が「42」かどうか確認を取る必要がある。  だが待てよ、もし彼女がそれぞれの選手がそれぞれの背番号をつけているわよ、と言いかねない。  だから妻を呼ぶのは止めよう。  それよりも画面を消して一刻も早く眠ることが先決だ。

⑦(翌朝)目が覚めてからフト思った。  (昨夜はめずらしく)瞬時に眠ったというのは錯覚で、本当は眠ったのではなく恐怖のために気絶したに違いない。  とにかく朝刊を見る必要がある。  スポーツ欄を開いても「42」はどこにも話題になっていない。

⑧あれは夢だったのか。  確か起きていたと思ったけれどももし夢なら別に気が狂ったわけでも病気になったわけでもない。  ヤレヤレ。

⑨そしてベッドの中からテレビをつけた。  そこで見るイチローも相手のピッチャーも、敵味方全員が「42」だ。  昨夜の幻覚(?)が翌朝まで続いているのだろうか?

⑩と思っていたらテレビの司会者が「42」の説明をし始めた。  大リーグに初めて黒人の選手が登録され出場したその日を記念してジャッキー・ロビンソンの背番号「42」をこの日は各チームの選手が全員つけて試合を行ったことがやっとわかった。  ああ、やれやれもう少しで病院に入るところだった。』

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榊原英資さん『龍馬伝説の虚実』

『龍馬伝説の虚実』(榊原英資著 朝日新聞出版刊)を読みました。  『第一章 龍馬伝説は明治一六年に始まった』の中の「忘れられていた竜馬」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①明治維新の直前、1867年11月15日に坂本龍馬は暗殺されますが、維新後しばらく龍馬は忘れられた存在でした。  龍馬がはじめて注目されるのは1883年(明治16年)。  土佐の自由民権運動の新聞、土陽新聞においてです。  

②歴史家・加来耕三はその経緯を次のように記しています。  「作者は自由民権運動家で文筆家の坂崎紫瀾(しらん)であった。  (中略)  幾度か単行本としても刊行されたが、人気の高かったことから、後世の人々は、この物語をすべて、事実であるかのごとく記憶してしまった」

③背中に馬のような毛が生えていたとか、10代に寝小便の癖があったとか、寺子屋を1日で退学させられてしまったなどという話は、かなりフィクションが入っているというのです。  加来は千葉定吉道場の娘との淡い恋も、寺田屋で襲われた時、入浴していたお龍が裸のまま二階に駆け上がって知らせたというのも、皆、坂崎の創作だというのです。

④筆者を含めて多くの人たちの龍馬に対する知識は司馬遼太郎の『竜馬がゆく』に負っているところが多いのですが、この『竜馬がゆく』もフィクションの部分が多いようです。  小説なんだからいいじゃないかということでしょうが、小説がいつのまにか事実として受け入れられてしまうのが歴史小説の問題点です。

⑤そして『竜馬がゆく』のフィクションは1883年の坂崎の連載から始まったのです。  薩摩と長州の独善的政治に飽き飽きしていた人々、特に、自由民権派の人々がこのフィクションに飛びついたのです。

⑥もちろん、実在の人物ですし若干の史実もありましたから、全てが全てフィクションであったわけではありません。  しかし、現実の政治に大きな不満を抱いていた人々を喜ばせるように様々な工夫がなされていたことも事実でしょう。

⑦寝小便をしていた甘やかされて育った少年が、剣術に目覚め、次第に天下を動かすようになっていくという劇的な変化も、面白く小説を読ませるためのストーリー展開だという部分もあるのでしょう。  いずれにせよつくられた偶像でなく、龍馬の実像を知ることはそれほど簡単なことではないようです。』

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本郷孔洋先生『笑顔であいさつ』

公認会計士・本郷孔洋先生が書かれているブログ(7月13日分)のタイトルは『経営五感-笑顔で挨拶がきちんと出来れば一流の証し-』です。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「あいさつ」「笑顔」がきちんと出来れば、一流の会社だとも言われています。  ところが、一番シンプルで、実行が難しいのが、実は挨拶と笑顔。  なにしろ、「えばるは本能、笑顔は訓練」とも言いますからね。  余談ですが、半官半民の会社になると、役所出身者はやたら「交際費」を使い、民間会社出身者は、やたらえばるともいいますから、人間は、えばるのが本能なんですね。(笑)

②企業再建に入ったら、「社員にきちんとした挨拶を教える」ことから入る、これが再生のコツだと言う人もいます。(たしかに会社が悪くなれば、そうでなくても社員のモラールが下がっていますから、挨拶もロクにしませんものね)

③・笑顔
・ハイと肯定的な返事が出来ること
・人の話をうなずきながら聞く
(自分を育てる3つのプロセス 『致知』2010年4月号)

「この3つはそのまま、人生を発展繁栄させるプロセスである。」(同)

④キムタクのCMのタマホームは「三分に一回は笑え」と社員教育しています。  タマホームは、創業たった12年で1800億円企業に成長しました。  なぜこんなに短期間に競争の激しい業界で成長できたのか、いろいろな分析があるのでしょうが、私は、この例のように「会社の方針がシンプルでわかりやすい」からだったのではないかと勝手に考えています。

⑤挨拶をお客さんにするようになってから、クレームが格段に減ったという小売業もあります。

⑥挨拶を教育するために、毎朝、出勤時に会社の玄関に立って、社員に挨拶を1年間やったトップがいます。  最後の方は、10数人玄関に並んだといいます。(さすが全員は並ばなかった。)(笑)  その人曰く、「会釈まではする、でも声を出さない」

⑦「習慣は第二の天性」ですから、習慣化させるための訓練が必要。 でもこれが継続して出来ないのも現実。(笑)』

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桑田真澄さん『試練』

『心の野球』(桑田真澄著 幻冬舎刊)を読みました。  「第4章 試練」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.①中学3年生の3学期、進路問題で転向を余儀(よぎ)なくされた。

②高校1年になったら、圧倒的才能をもった同級生(清原和博さん)がいた。

③ドラフトは、日本中を巻き込んだ騒動になってしまった。

④不動産問題や登板日漏洩(ろうえい)などのスキャンダルにも巻き込まれた。

⑤一軍復帰が難しい右肘(ひじ)の手術を受けた。

⑥メジャー昇格間近のオープン戦で審判と激突してしまい、歩けないほどの怪我を負った。

2.改めて、書き並べてみると「試練」だらけの野球人生だった。  ただ、これらの出来事は、僕の人生においてすべて必然だった。

3.僕は何にでも「ありがとうございました」と思って生活している。  その背景にあるのは、「目の前に起こったことはすべてパーフェクトだ」という考えだ。

4.手術しないと手術した人の痛みや苦しみはわからない。  マスコミに叩(たた)かれたからこそ、同じ境遇の人の気持ちがわかる。  金銭で騙(だま)されたからこそ、同じ被害に遭った人の気持ちが理解できる。

5.人生は自分の目で見て、触れて、体験し、自分なりに咀嚼(そしゃく)すること。  これに尽きる。』

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北野武さん『アガる』

『北野武 今、63歳』(ロッキング・オン)を読みました。  『客20人でもアガる』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①でもほんと、客前に出るときはアガるね。  テレビでも、「本番」って声がかかったら、アーッてテンション上がってくるし、「ウワーッ!」て。  今でもそうだね。  「5秒前」って言われたら、ウワーッて思うね。  もうギアが変わるみたいな。

②演芸場なんかは、♪テケテンテン、って出囃子(でばやし)がかかって、出ていくじゃない。  俺、必ず、グーッて1回転してから行くもん、こうやって(ターンする)。  1回、グルって回ってから。

③あの、前の奴がやってる間は、こう、ジョギングしてるの(1ヵ所で走っているジェスチャー)。  「おもしろい、おもしろい、俺はおもしろいぞ」っつって、♪テケテーン!って、グルって回って出ていく。  それやんないとダメだったんだよね、昔は。  自分をイタコ状態にしないと、テンション上げて。

④だからさ、今でもさ・・・・・・ちょっと前に、うちの事務所の若手のライブがあって、そこで(ビート)きよしさんと漫才やろうかっつって。  客20人ぐらいのライブなんだけど、あれでも、出ていくときにアガッたもん。

⑤あれ、不思議だなあって思うね。  要するに、「客20人しかいない」とか「俺たちに関係ない客だ」とか、そういうのは一切ないのよ。』

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松下幸之助さん『困っても困らない』

1.昨日配信された公認会計士・藤間秋男先生のメルマガ『今週の元気が出る言葉』にパナソニックの創業者・松下幸之助さんの言葉が載っていました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①困難に出合うと、人はともすれば慌てたりうろたえたりしがちである。

②しかし慌てても問題をさらに深めるだけ、うろたえてもさらに判断に迷うだけである。

③大切なのは、心を萎縮させないこと、困っても困らないことである。

④心を落ちつけ、希望をもって当たれば、打開の道は必ず開けてくる。』


2.ウィキペディアで松下幸之助さんを検索してみました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①松下 幸之助(まつした こうのすけ、1894年11月27日 ~ 1989年4月27日)は、日本の実業家。

②パナソニック(旧社名:松下電器産業、松下電器製作所、松下電気器具製作所)を一代で築き上げた日本屈指の経営者で、経営の神様とも、関係者からは社主とも称された。

③自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣(なら)い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。』


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恐怖心

週末に読んだ二つの記事(テーマは「恐怖心」)から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.棋士・羽生善治さん・1970年生まれ(日経新聞7月3日夕刊)

①20年間、将棋界のスーパースターの座にある羽生善治さん。  今年で40歳を迎えるが、「頭脳の格闘技」で若い世代をねじ伏せ、現在も王座、名人、棋聖の三冠を併せ持つ。  「プロ同士の対局では、力が均衡しているので圧倒的な差がつくことはほとんどありません。  たいていは終盤、自分が1手指した直後に自分の玉が詰まされて負けてしまうのでは、という恐怖心に襲われることになります」

②〝最強の棋士〟も、常に自信満々で指し手を選んでいるわけではない。  「実は、年齢を重ねるほど、この恐れの気持ちが大きくなってきます。  失敗の経験を何度も重ねているからかもしれない。  経験には、いい結果と悪い結果があり、経験を積むことで選択の幅が広がることは事実ですが、迷ったり躊躇(ちゅうちょ)したりと、ネガティブな選択をしている時もあります」

③「若いうちはリスクがわからないまま指して、それがいい結果に結びつくこともあるが、年々このリスクに対する恐怖心をどう克服するかがテーマになってきます。  ただ不思議なもので、年齢に比例して打たれ強さが増し、精神的に動じなくなるという側面もあります」

④渡辺明五段(当時)を挑戦者に迎えた7年前の王座戦五番勝負の決定局で、羽生王座が駒を動かす時の手の震えが印象的だった。  「将棋というのは、最後、相手の玉を詰ましにいって、その通りにいかない時はたいてい自分の持ち駒を使い果たしているので負けになる。  詰み筋が一瞬見えても時間が足りずに確信を持てないような時、詰ましにいくかいかないかの決断が難しい。  最も緊張する瞬間で、詰ましにいこうと決断した後、はっきり勝ちが見えた時に緊張から解放されて手が震えたのだと思います」


2.今年の柔道日本一・高橋和彦さん・1985年生まれ(WEDGE7月号)

①187センチ、120キロ。  ヒゲが厳(いか)つい高橋は、その風貌にはおよそ似合わない「繊細でびびり症。  負けを引きずり落ち込んでいく性格」という自己分析をいとも簡単に、それも茶目っ気たっぷりに口にする。  一面弱さとも取れるそれは、柔道という競技性からすれば隠したくなる性格のはずではないのか?

②高橋は言う。  「怖くなって、試合に出たくないと思うことさえあります。  でもスポーツ選手にとって、怖がることは決して悪いことではありません。  自分に足りないことがあるのを知っているからなんです。  ボクはびびり症だからこそ、人よりも練習しなければ勝てません。  天賦(てんぷ)の才があるわけじゃありませんからね」

③隠すことも飾ることもない。  ましてや虚勢を張ることなど考えもしない。  だから「慢心しないための戒めでは」という質問にも、「とんでもない。  そのままの意味ですよ」とクリッとした大きな目が笑う。  ストイックな武道家や勝負師というイメージとは、少々異なるタイプの王者が誕生したようだ。』

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あるレストラン

『1.「なぜ君は彼女と結婚しないんだね?」  「彼女、ちょっと言語障害があるんでね」

「それは気の毒だな。ひどいのかい?」  「うん、彼女、どうしても『YES』って言えないんだ」


2.動物園で新入りのライオンがバナナを餌にもらって食べていた。  ふと隣の檻を見ると古顔のライオンはうまそうな肉を食べている。

「あなたは肉、ぼくはどうしてバナナしかもらえないのでしょう?」とたずねてみると「ここの動物園は予算が少ないのでね」と先輩ライオンは説明した。  

「きみはサルと登録されたんだ」


3.男があるレストランに入り、ウェーターにコートを預けて席に着いた。

男「そうだな、まずコンソメスープをもらおうか」  ウェーター「すみません、コンソメスープはもうなくなりました」

男「じゃあ、サラダをもらおうか」  ウェーター「すみません、サラダもすでになくなりました」

男「じゃあ、パンをもらおうか」  ウェーター「すいません、パンもなくなりました」

男「しかたがない、じゃあ、いきなりだがステーキをもらおうか」  ウェーター「すいません、ステーキもなくなりました」

男「いったいこのレストランは何があると言うんだ?  もういい、帰るからコートを出したまえ!」  ウェーター「すいません、コートもなくなりました」』  (ネットで検索した『ジョーク・小噺集1』より)

早いもので今年も折り返しです。  暑い日が続きますが頑張りましょう!

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