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鳥海 巖さん『あるがままに受けいれる』

机の引き出しから『日経ビジネス』2006年7月16日号の切り抜きが出てきました。  元・丸紅会長の鳥海巖さんのインタビュー記事です。

1.鳥海さんについてウィキペディアで検索してみました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①鳥海 巖(とりうみ いわお、1933年~ )は日本の実業家。  丸紅社長・会長や東京国際フォーラム社長、東京都交響楽団理事長、経済同友会副代表幹事、日本貿易会副会長等を務めた。

②千葉県出身。  1956年一橋大学商学部卒業、丸紅飯田入社。  1986年取締役大阪物資本部長、1989年常務北米支配人、1990年専務、1991年副社長を経て、1992年丸紅株式会社代表取締役社長就任。

③1994年にポリープの見つかった胃の全面摘出手術のため入院。  3期6年の社長任期を迎え、1999年丸紅株式会社代表取締役会長。』


2.『日経ビジネス』の記事から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①(前略)こうしてお話すると、波乱ばかりの人生ですが、当時は泣き出したくなるほど辛かった出来事を、今は楽しく思い出せるようになりました。  

②不思議なもので、楽しかった出来事はあまり覚えていない。  人間は未来に生きるように作られているのだと思います。

③波乱の只中にいる時には、ある種のあきらめが大事だと思うのです。  例えば社長在任中に、胃ガンだと聞かされた時。

④最初は驚きましたが、「もう先生にお任せするしかない」と考えたら気が楽になった。  自分の力でどうしようもないことは、あるがままに受け入れるしかないのです。』

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小林正観先生『やる羽目になったこと』

8月25日に取り上げた『啼かなくていいホトトギス』(小林正観著 中経出版刊)の『「自分探し」のはなし』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「本当の自分」を探して、20年あるいは30年たったという人がいます。  「本当の自分」を探しているというのは、今、自分がやらされていること、やる羽目になっている仕事が、「本当の自分」ではないと思っていることを意味しています。

②私の考えはいつも一緒です。  「今やらされていること、今やる羽目になっていることが本当の自分です。」

③たとえば、主婦を20年やり続けている。  それがたぶん、本当の自分なのです。  特に変わったこと、特に社会的にすごいことをやったから本当の自分なのだ、ということはないでしょう。

④旅先でよくこんな質問を受けました。  旅をしている20代のOLさんが多かったのですが、そのOLさんたちがこんな質問をするのです。

⑤「4年制の大学を出たにもかかわらず、コピー取りとお茶くみしかやることがありません。  そのために大学を出たわけではないので、毎日がむなしくて嫌々仕事をしています。  本当の私、本当の私の仕事に出会うためには、どのようにしたらいいでしょう。  取りあえずは今の会社を辞めたいのですが」というような質問でした。

⑥私の答えはいつも一緒です。  「私がもしあなたの上司であるならば、コピー取りとお茶くみを嫌々やっている人に、それ以上の難しい仕事を頼むことはないと思います。  コピー取りとお茶くみさえもきちんとできないのであれば、それ以上に何かの企画を頼んだり、何かの商談をまとめてくれと責任を持って委ねたりということには、ならないのではないでしょうか」

⑦「やる羽目になったことは嫌がらずにやる。  これが宇宙の法則です。」  この宇宙の法則を味方につけないかぎり、たぶん楽しい人生が回ってくることはないでしょう。』

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伊藤和磨さん『腰痛はアタマで治す』

『腰痛はアタマで治す』(伊藤和磨著 集英社新書)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.「はじめに」より

本書のタイトルである「腰痛はアタマで治す」の「頭」は、腰痛をマネージメントする知識と、頭の位置をコントロールすることが腰痛を根治する鍵になることを意味しています。


2.「姿勢を変化させることが大切」の項より

①姿勢についての本を書いたり講演したりしていると、「伊藤さんはいつも完璧な姿勢でいられるのですか?」と質問されることがありますが、ときどき姿勢を正しい位置に戻している程度で、油断すればひどい格好になっています。

②多くの人は「ずっと正しい姿勢を維持しなければいけない」と誤解しがちですが、正しい姿勢であっても長い間その姿勢のままでいるのは望ましくありません。  拘束された姿勢でいると、筋肉のポンプ作用が著しく低下して、全身の血液循環が悪くなってしまうからです。

③崩した姿勢を正しい姿勢に戻すことを「リポジショニング」と言います。  多くの人がこのリポジショニングを行っておらず、同じ部分に負担をかけ続けているのです。


3.「ギックリ腰になったら」の項より

①氷によるアイシング(冷却療法)は消炎鎮痛効果がとても高く、痛みの激しい急性期の症状だけでなく慢性的な症状にもたいへん効果があります。

②一般的には「冷やす」ことが目的だと思われがちですが、実はアイシングをして30分以上経つと、冷やされて収縮していた血管が拡張して血流が増え、アイシングした組織が深部から温まり始めるのです。

③野球のピッチャーが試合前に肩をアイシングするのも、その後のウォーミングアップで短時間のうちに血流を増やし、肩の深部を温めるためです。  つまり、適切なアイシングは鎮痛効果だけでなく温熱効果もあるということです。

④よく温めることが体に良いと思われていますが、いつでも有効なわけではありません。  ギックリ腰の急性期にホットパックなどで外部から温めると、パックを外した直後から拡張していた血管が収縮反応を起こし、患部の血流が低下してしまうのです。

⑤ギックリ腰の急性期の症状に対してはアイシングを行い、痛みが落ち着いてきたら温熱療法をお勧めします。』

よい週末を。

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ダーウィン『神の慈悲』

またまたダーウィンです(笑)。  8月21日の朝日新聞夕刊の『はみ出し歴史ファイル』のタイトルは『ダーウィン  愛する娘の死が発端?  進化論』でした。  歴史研究家の渡辺修司先生が書かれています。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「自然淘汰」「分岐の原理」に基づく進化論を発表した英国の博物・生物学者チャールズ・ダーウィン(1809~82)。  旧約聖書の『創世記を歴史的事実としてとらえる人間観に大きな衝撃を与え「神を殺した人間」と評された。

②ビーグル号に乗り、研究した成果を基礎にマルサスの『人口論』などに影響を受けつつ、ラン、食虫植物、ミミズなど多岐にわたる分野で実証的研究を続け、進化論をまとめた。

③研究途上でもあり、社会的影響の大きさも考慮して、1859年発行の『種の起源』では人類の進化にはほとんど言及していない。  詳述は1871年発行の『人類の起源と性淘汰』まで待たねばならなかった。

④父は医師、母は陶磁器で有名なウェッジウッド家の出。  生涯、定職につく必要がない裕福な家庭だったが、平穏な日々ばかりではなかった。

⑤10人の子のうち3人に先立たれ、ことに秘蔵っ子といえる長女アンが10歳で突然発病し亡くなったのは大きな衝撃だった。  彼自身も病気がちで、絶えず頭痛、めまい、嘔吐(おうと)、不眠などに悩まされた。

⑥愛する子供の突然の死、変わらぬ体調不良に、ダーウィンは神の慈悲など存在しないことを確信し、自然の気まぐれ、換言すれば自分が構想していた「自然淘汰」の原理を実感したかもしれない。

⑦進化についての独自の着想に彼自身の性格と家族との絆(きずな)が関係していると考えるのはうがちすぎだろうか。』

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小林正観先生『名前の法則』

『啼(な)かなくていいホトトギス』(小林正観著 中経出版刊)を読みました。  『名前の法則』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①人間がこの世に生を受けたことにそれぞれの役割があるらしい、という話をしたいと思います。  どうも人間にはそれぞれの役割があるらしいのですが、それは名前の中に隠れているようです。

②たとえば、小林正観(コバヤシセイカン)というカタカナで書いて8文字、濁音を入れて9文字の文字があります。  これを組み替えてみます。  いくつかの文章が出てくるのですが、そのうちの1つは「個性は感謝」(コセイハカンシャ)というものになりました。

③私は20年ほど前から、「どうも『ありがとう、ありがとう』を言っていれば宇宙が味方についてくれるようだ。  その結果としてまわりがとてもおもしろい状況になるようだ」という話をしてきました。  感謝の心、ありがとうという言葉がとても大事みたいだということを、ずっと話をしてきたのです。

④アナグラムといって文字の組み替えのことを言うのですが、私が発見したというか、気がついたアナグラム、日本語のアナグラムは、小文字は大文字で使ってもよい。  「しゃ」という文字は「し」と「や」に置き換えてもいいという、そういうような原則でした。

⑤それから、濁音は使っても使わなくてもよい、というものでした。  たとえば、「だ」という音は「た」という音に置き換えてもよしです。

⑥言葉としては現代のはやり言葉のような流行語のようなものは、基本的に出てきません。  むしろ、古語が使われている場合が多いように思いました。  今日というのを古語では「けふ」と書くわけですが、このような言葉で出てくる場合もありました。

⑦頼まれ事をしていく。  その頼まれ事がずっと同じような方向性で続く。  そういう頼まれ事をああじゃこうじゃ言わずに黙ってやっていると、3年ぐらいたったところで、自分の名前の中に存在する文章に気がつくようです。

⑧「なぜかやる羽目になってしょうがないなあ」と言いながら、それも嫌がらずに、愚痴を言わずに、泣き言を言わずにやっていく。  それを繰り返していくと、結局、ある役割なりを持って社会に参加していることに気がつきます。

⑨ですから、頼まれていない。  あるいはそれをまだ続けていない。  ときによっては、これが好きだ嫌いだを言ってより分けている。  そういうことを繰り返しているうちは、名前の中に自分の隠されている方向性、方向付けというものは見えてこないのかもしれません。

⑩このことがわかってしまうと、人間の人生というものは自分の頑張りや努力で決めているんではなさそうだ、という結論にもなってしまうのです。

⑪どうも生まれながらにして決まっているらしい。  そして、そういう名前である。  そういう名字である。  そういうことも全部決めて、その家に生まれ、親に自分の名前を付けさせて生まれてくるらしい、ということがわかりました。』

山田雅稔(ヤマダマサトシ)を組み替えた文章の1つは「大和魂さ」(ヤマトダマシサ)です。  極真空手に関わってきたことと関係あるのかな~?(笑)

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恒吉彩矢子さん『ご縁の賞味期限』

昨日送信されたあおぞらきりんさんのメルマガは、恒吉彩矢子さんが書かれた『「なかなか前向きになれない」と思ったときに読む本』を取り上げていました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①今回はここから一つ「ご縁」をテーマにご紹介いたしましょう。

②あなたの友達の中で、会うとボヤキばかりを聞かされたり、あまり興味のないところに付き合いで連れ出されたりして、「このごろ、会うと元気がなくなる」と思うようになったら、その人との「ご縁の賞味期限がきた」ということかもしれないと伝えています。

③その相手から何かを「もらう」のではなく、自分の時間や元気が「奪われた」と感じるようになったら、自分と相手の発している波長が変わってきたということのようです。

④そして、それは、お互い違う人から、今の自分が必要としている「何か」をもらう時期になった、ということでもあるとのこと。

⑤そのような時には、今までのことに感謝して距離を置くのが大切。 これは、相手のためにもなるようです。

⑥感謝して手放す。  これにより、波長の合う新たなご縁が出てくるのです。

⑦人との出会いはその時の波長により変化します。  お互い、貴重な時間を共有するために、ご縁の賞味期限を感じ取る必要があるのかもしれませんね。』

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安田善次郎

旧安田財閥の創業者・安田善次郎の伝記を二冊読みました。  『陰徳を積む』(北康利著 新潮社刊)と『儲けすぎた男』(渡辺房男著 文芸春秋社刊)です。

1.ウィキペディアで「安田善次郎」を検索してみました。

『富山藩における下級武士(足軽)善悦の子としてうまれる。  1858年(安政5年)、奉公人として江戸に出る。  最初は玩具屋、ついで鰹節兼両替商に勤めた。  やがて安田銀行(後の富士銀行。現在のみずほフィナンシャルグループ)を設立、損保会社(現在の損害保険ジャパン)、生保会社(現在の明治安田生命保険)を次々と設立し、金融財閥としての基礎を築く。  前衛芸術家オノ・ヨーコの曽祖父にあたる。』

2.『陰徳を積む』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①彼が亡くなった大正10年当時の資産は2億円を超えていたと言われている。  大正10年の年間国家予算は15億9100万円。  国家予算の実に8分の1に相当する富を一代で築いた個人資産家など、我が国の長い歴史をかえりみても空前絶後である。

②安田財閥の規模と存在感は、戦後の芙蓉グループなどまったく比較にならないほど大きかった。  三井や三菱との違いは、それが銀行を核として結束した企業グループであった点にある。

③忠兵衛(後の善次郎)は日常の心構えからしてほかの奉公人とは少し違っていた。  人の出入りが激しい店の土間には、いつも沢山の履き物が乱雑に脱ぎ捨てられている。  店員たちは忙しいものだから、言いつけられるまでそれを直そうとはしない。  だが忠兵衛は誰に言われずとも、仕事の合間を見つけてはそれらをそろえた。  外に出掛ける時にちょっと直して出る。  帰って来るとまた直す。  店員の下駄でも番頭の下駄でも、皆同様にそろえておく。

④紙屑や布の切れはしなどが落ちていたら、拾って屑かごに入れる。  彼は誰も見ていないところでも、こうしたことが自然とできるのだ。  〝陰徳を積む〟ことを尊ぶことは、父・善悦の教育の賜物であった。』

3.『儲けすぎた男』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①安田銀行は戦後富士銀行と名を変えて再出発したが、現在、その富士銀行も第一勧業銀行、日本興業銀行と合併し平成12年(2000年)にみずほ銀行として生まれ変わっている。  かって安田財閥に属していた企業は、現在、このみずほ銀行を中心とする企業集団の一員として命脈を保っている。

②この企業集団は、富士銀行の社名である「富士」の古語読み「芙蓉」にちなんで芙蓉グループと呼ばれ、旧安田財閥を中心として、戦前の旧浅野財閥、旧大倉財閥、旧根津財閥、旧日産コンツェルン、旧森コンツェルンなどに所属していた諸企業で構成されている。

③今でも創業者・安田善次郎の姓を冠しているのは、明治安田生命、安田倉庫などわずかである。  しかし、少数となったとはいえ、「安田」の名を留めた企業の存在は、変革の時代を生き抜き、そして激動の時代に倒れた大経済人・安田善次郎の姿を今なお忍ばせてくれる。』

暑い日が続いています。  よい週末を。

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フランクル『ユーモアへの意志』

『笑いのこころ ユーモアのセンス』(織田正吉著 岩波書店刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.「夜と霧」のユーモアの項より

①ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」はウィーン生まれの精神科医が、第二次世界大戦中、ナチスによって強制収容所に送られたときの体験を医師の目で記述した記録である。

②拘束で自由を奪われ、飢え、寒さ、強制労働、監視員の暴力、飢餓浮腫、発疹チフス、処刑の恐怖にさらされながら、フランクルは気心の知れた仲間の外科医と毎日一つは笑い話を作ることにした。

③強制収容所でジョークを作ることについて、フランクルは書いている。  

④「ユーモアは自分を見失わないための魂の武器だ。  ユーモアとは、知られているように、ほんの数秒間でも周囲から距離を取り、状況にうちひしがれないために、人間という存在にそなわっているなにかなのだ。  ユーモアへの意志、ものごとをなんとか洒落のめそうという試みは、いわばまやかしだ。  だとしても、それは生きるためのまやかしだ。」

2.映像とジョークのナンセンスの項より

①夜の公園を警官がパトロールしていると、若い男が街灯の下にかがんで、きょろきょろとあたりを見回していた。  「何か探し物ですか?」  「財布を落としたんです」  「ここで落としたんですか」  「落としたのはずっと向こうなんだけど、ここのほうが明るいから」

②夜、車で通りかかると、道の真ん中に大きな石が落ちていて、その上に赤いランプが置いてあった。  通りかかったドライバーが警備員らしき男に、「そのランプは何?」と聞くと「石に注意という目印だ」  「だったら、その石をのけたほうがいいのじゃないか」  「石をのけたら、ランプの置き場所がなくなる」

③アメリカ西部のカウボーイで、何百頭もいる牛の頭数を数えるのが早い男がいる。  コツを聞くと、「牛の脚を数えて4で割る」』

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ルディー和子さん『アインシュタインよりも偉い科学者』

『売り方は類人猿が知っている』(ルディー和子著 日経プレミアシリーズ)を読みました。  『アインシュタインよりも偉い科学者とは』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①ゆとり教育の影響で、進化論を中学や高校で勉強しなかった世代もあるようです。  それでも、200年ほど前に、チャールズ・ダーウィンという英国人が人間とサルの祖先は同じだと宣言して大騒ぎになったという話を耳にしたことはあるはずです。

②「サイエンティフィック・アメリカン」という1845年から出版されている一般向け科学雑誌があります。  この権威ある雑誌が、過去1000年で最も影響力のあった科学者として、相対性理論を唱えたアインシュタインではなく、進化論をまとめたチャールズ・ダーウィンを選んでいます。

③医者を父に持つダーウィンは、最初は自分も医者になろうとしたのですが、麻酔もない当時の手術の凄惨(せいさん)さにそれこそ(むかむかする)嫌悪感を覚え、進路半ばでギブアップしています。  その後、紆余曲折(うよきょくせつ)の末に選んだ学問で、1000年に1人の科学者に選ばれる。  本人もさぞかし驚いていることでしょう。

④1859年に出版された『種の起源』では、すべての生物は共通の祖先を持ち、その中で、環境に最もうまく適応したものが生き残り、次の世代にその遺伝的特徴が伝えられる。  そして、環境に適応できない種はその遺伝的特徴とともに排除されていくという「自然選択(自然淘汰)」の理論を発表しました。

⑤次いで、ヒトとサルは共通の祖先を持つという本『人間の由来と性に関する選択』も出版しています。

⑥進化論は、神がすべての生物を創造したというキリスト教の考え方とは相容れないもので、当時の英国国教会はこの理論を拒絶し非難しました。  が、2008年の(ダーウィン)生誕200年に際し、進化論を却下したのは「余りに過剰防衛であり、余りに感情的でありすぎた」と公式に陳謝しています。

⑦しかし、聖書を重視するプロテスタントの多いアメリカにおいては、神が人間を含めてすべての生物を創造したという教えを支持する市民がいまだ半数を占め、進化論を学校で教えることに反対して裁判沙汰にまでなっています。

⑧日本人の感覚からいくと、神がすべての生物を創ったという創造論を信じる人たちは、あまり教育を受けなかった人たちが多いと思うかもしれません。  でも、それは違います。  大学教育を受けたいわゆるインテリ層でも、毎週教会に通うような宗教心の篤(あつ)い人たちの多くは進化論を本心から信じていません。』

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行徳哲男先生『野ガモ理論』

お盆休み中に公認会計士の籐間秋男先生が書かれた『1/4は捨てなさい!』(ダイヤモンド社刊)を読みました。  『必要なのは「野ガモ」の強さ』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①最近、私の尊敬する日本BE研究所所長であり、哲学者でもある行徳哲男先生の講演を聴きました。  そのとき先生が話されたのは「野ガモ理論」というものでした。

②本来、野ガモはシベリアから何千キロも飛んで来て、どこかの湖にたどり着きエサを食べます。  そしてその湖にエサがなくなると、また何千キロも離れた次の湖へ飛んで行くという、安住の地を持たない生活をしています。

③ところがあるとき、そんな野ガモの集団が一つの湖に定住してしまいました。  毎年、そこで一人の老人がエサを大量にまいていたからです。  ですから何年にもわたって野ガモはそこに安住することになりました。

④ところがある日突然、その老人が亡くなりました。  野ガモはあわてて次の湖に飛び立とうとしましたが、もうそのための体力や気力が失せており、ほとんどのカモは次の湖までたどり着く前に落ちてしまいました。

⑤この考え方は経営や人生にも当てはまるのではないでしょうか。  安住、安楽に慣れ、今の平和、今の豊かさに満足して、これでいい、こんなものだ、これでうまくいったと思ってしまったら、あとは落ちるだけなのです。

⑥皆さんはいかがでしょう。  安定や安心を求めていませんか。  その中に浸ってはいませんか。  

⑦そんな中でもあえて安住しない、湖を渡り歩く野ガモになりませんか。  辛い選択かもしれませんが、それが生き残る、生き残って成長し続ける企業の条件だとは思いませんか。』

毎年、お盆休みには家族で軽井沢に行きます。  雲場池のカルガモにちぎった食パンをあげるのが楽しみの一つです。  以前、娘が近所の方(?)に怒られたことがあるので内緒にしておいてください。  

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安部芳明先生『御蔭様』

毎月、青森の安部芳明先生から様々な言葉を『戯言』として送っていただいています。  今月の『戯言』は『御蔭様』です。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①人間は生きる事に執着すると苦しみとなり、生かされる命を喜ぶなら嬉しい人生となるのです。

②近頃は道理を忘れて理屈で繕い、現実を無視して理想に酔い痴れ理性を失い、感情の赴くままの言動・犯罪等、日本人社会から民族・家族・仲間の全ての意識が欠落して行く今、人々の自我の混乱を御蔭様の心で整理しなければならないのです。

③人と人との和を取り持ってくれるのが御蔭様の心なのですから、人間の幸せとは己がどう生きるのではなく、世間にどう生かされるのかなのです。

④そして人それぞれには適した分野があり、また誰にも平等に好機は訪れるのです。  その選択や確かな判断力は、御蔭様の心が極めてくれるのです。

⑤つまり御蔭様の心は宗教心の神髄であり、先祖供養は御蔭様の基本の心と認識したいものです。』

明日・明後日は三峯神社で夏合宿、月曜日からお盆休みです。  ブログは16日の週に再開します。  

暑い日が続いています。  ご自愛ください。

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植島啓司先生『生きるチカラ』

宗教人類学者の植島啓司先生が書かれた『生きるチカラ』(集英社新書)を読みました。  『先がわかればなんにもこわくない』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.①なんでも初めて出会ったものはちょっとこわい。  (中略)  なんでもこわいのは最初だけなのだ。

②人間にとってもっともこわいのは「不確かなもの」、どう対応していいのかわからないものである。  (中略)  この世には、原因さえつきとめられたら、そんなにこわいものはないのである。

③よく考えると、われわれの人生には、つねに不確かなものとか理不尽なものが立ちはだかっていて、それらを片づけないと前に進めないようになっている。  (中略)  そんな場合どうすべきなのか。

④答えは簡単だ。  それこそ前にも述べたように、いったん背負い込んだトラブルも、二度目となるとあまりたいしたことに思えなくなる。  何事も初めての事態にはどう対処していいかわからないので必要以上に深刻にとらえてしまうのだが、すべて経験が痛みを緩和させてくれるのである。

⑤つまり、答えは、なるべく多くのトラブルを経験しなさいということに尽きる。  それが人生というものなのだ。  やっかいなことがいっぱいあれば、「ああ、人生ってこんなものなんだよなあ」とため息をついて終わりだが、そのどれか一つをとことんまで追求しようとすると、たぶん神経衰弱になってしまうのではないか。

⑥自分から進んでトラブルを経験するなんてまっぴらごめんという人もいるだろうし、わざわざそんなことをする必要などないという人もいるだろう。  もちろんそれはそのとおり。  しかし、他にパーフェクトな解決法はない。  そもそも自分からトラブルに陥らなくても、そうなってしまうのが人生というものだ。

⑦まともに考えると、われわれは自分の身にふりかかった「災厄」に対して、つねにもっとも合理的な処方箋は何かと考えがちである。  しかし、それでは当然うまくいかないことになる。

⑧どんな不確かなものが襲いかかってきたとしても、それに合理的に対処するというのではなく、こちらもそれに対して不確かでいるのがもっとも好ましいやり方ではないかと思われる。 

⑨(1)自分自身を正体不明にしておくこと、(2)何が起こってもそれを吸収できるような柔軟な立ち位置を確保すること、(3)どこを攻められてもダメな部分を切り捨てて、常に同じ好ましい状態でいられるようにしておくこと、(4)できる限り失ってはならないものを持たないこと、そうした生き方をしていれば、どんなトラブルでも効果的に処理できるということになる。』

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松尾スズキさん『中年入門』

『中年入門』(松尾スズキ著 朝日新聞出版刊)を読みました。  松尾さんは演出家、脚本家、俳優、作家、映画監督です。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.生きていくのは死ぬことよりも辛いけど、人に嫌われるのはもっと辛い。  大切なのは嫌われずに生きることと好かれて死ぬことよ。


2.マスコミの堀江(貴文さん・・・ホリエモン)バッシング。  『ここぞというばかり』という言葉は、このためにあるのか、ってくらいの『ここぞとばかり』ぶりはどうなんだ。  あまりにも、人を必要以上に貶(おとし)めようという魂胆が見えすぎて、そして、こちら側がそれを見て「ざまあみろ汁」を出していると思われてるのが、ひじょおおおに、剣呑(けんのん・・・あぶないさま、不安なさま)だ。


3.追いつめられた時にやっぱり人は、本領を発揮するんですよ。  訓練訓練って言ってないで、実際に舞台にポンってほったらかして追いつめてみろって思って。』

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野中郁次郎先生『戦略の本質』

『戦略の本質』(野中郁次郎ほか著 日経ビジネス文庫)を読みました。  『序章 なぜいま戦略なのか』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.前作『失敗の本質』でわれわれは、大東亜戦争時の日本軍が、アメリカ軍を中心とする連合軍に対して、単に物量の面だけではなく、戦い方の面でも劣っていたことを指摘した。  日本軍の観点から見るならば、3年8ヶ月に及ぶ大東亜戦争は大きく次の四つの戦略的局面に区分される。

①戦略的攻勢(1941年12月の開戦から42年中頃まで)・・・日本軍が一方的に攻勢をかけた段階

②戦略的対等(1942年中頃から43年前半まで)・・・日米両軍の陸海軍部隊がほぼ互角の戦闘をしたと思われる段階

③戦略的守勢(1943年前半から44年6月のマリアナ沖海戦まで)・・・日本軍が受身一方の作戦を余儀なくされる段階

④絶望的抗戦(1944年6月以降、45年8月の終戦まで)・・・日本軍がまったく見込みのない戦いを継続した段階


2.物量の面で劣性であっても、優勢な敵に勝った国、あるいは少なくとも負けなかった国の例は、少数ながら存在する。  例えば日露戦争の日本、中国の国共内戦での毛沢東率いる紅軍、ベトナム戦争での北ベトナム。  したがって、大東亜戦争の日本軍は、そうした例に見られる物量的劣勢を相殺する戦い方ができなかったということになる。


3.本書で扱われているのは以下の六つの事例である。

①1930年代、中国の国民政府軍(蒋介石)に対抗した毛沢東の反「包囲討伐」戦

②第二次世界大戦でイギリスがドイツ空軍の本土爆撃を迎え撃ったバトル・オブ・ブリテン

③ソ連軍がドイツ軍の進撃を食い止め反撃に転じたスターリングラード攻防戦

④第二次大戦後、北朝鮮軍による怒涛のような韓国侵略に対抗しアメリカ軍が仁川上陸によって戦勢を転換させた朝鮮戦争

⑤不利な中東情勢を流動化させるため、劣勢のエジプトがイスラエルに果敢に挑んだ第四次中東戦争

⑥「小国」北ベトナムが、民族解放の理念を掲げて超大国アメリカを敗北させたベトナム戦争』

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