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稲盛和夫さん『西郷隆盛と試練』

『「成功」と「失敗」の法則』(稲盛和夫著 致知出版社刊)から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①私は「試練」を経験することが、人間を大きく成長させてくれるチャンスになると考えています。  実際、偉大なことを成し遂げた人で、試練に遭(あ)ったことがないという人はいません。

②明治維新の功労者である西郷隆盛もそうです。  西郷は、子どもの頃は「ウド」というあだ名の、目立たない子供だったといいます。  ところが、後には勝海舟をはじめとする幕末の偉人たちを感嘆させたほどの人格者となり、明治維新の偉業を成し遂げています。

③この西郷は、人生において様々な試練に遭遇しています。  例えば若いときには、親友であった僧月(げっしょう)とともに、鹿児島の錦江湾(きんこうわん)に身を投げ、自分だけ蘇生(そせい)するという経験をしています。  親友を逝(い)かせてしまった西郷の心痛はいかばかりであったでしょう。

④また、遠島(えんとう)という不遇を二度も経験しています。  特に二度目は、島津久光の逆鱗(げきりん)に触れ、鹿児島から遠く離れた沖永良部(おきのえらぶ)島に流され、風雨が直接吹き込む狭い牢獄に閉じこめられるという悲惨な目に遭っています。

⑤しかし、そのような逆境の中でも、西郷は東洋古典の耽読(たんどく)などを通じて、自分を高める努力を怠ることはありませんでした。  苦難に耐え、むしろ苦労を糧(かて)として、人格を磨く努力をひたむきに続けたのです。

⑥その後、許されて島を出た西郷は、高潔な人格と識見を備えた人物として、人々の信望を集め、やがて明治維新の立役者となります。

⑦この西郷の人生は、「試練」に遭遇したときに、どのように対処するかということが、いかに人生で大切なのかということをよく表しています。

⑧苦難に直面したときに、打ち負かされて夢をあきらめてしまったり、いい加減なところで妥協をしてしまったりするのか、それとも西郷のように、苦労を苦労と思わず、ひたむきに努力を重ねることができるのか、ここに人間的に成長できるかどうか、その分岐点があるのです。』

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藻谷浩介さん『デフレの正体』

『デフレの正体』(藻谷浩介著 角川書店刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①同じ公表数字を確認され、先入観を排して論理的に思考すれば、誰でも私が見つけたのと同じ事実を発見されることになります。  「景気の波」を打ち消すほど大きい「人口の波」が、日本経済を洗っているのだ、という事実を。

②ところがそういう数字にも簡単な推論にも、世間の注意は払われていません。  政・財・官・学・マスコミの各界は、「万事は景気の波次第だ」と検証なく信じています。

③「経済を動かしているのは、景気の波でなくて人口の波、つまり生産年齢人口=現役世代の数の増減だ」。  この本の要旨を一言でいえばそういうことになりましょう。  

④誰の「意見」でもない客観的な「事実」、「生産年齢人口の減少と高齢者の増減」という日本の事実に対する認識を、一人でも多くの人と共有したいというのが、この本を書いた動機です。

⑤生産年齢人口というのは経済学的に定義された「現役世代」の数でして、15~64歳人口が該当します。  そもそも現代地球経済の問題は生産能力不足・労働力不足ではなく、需要不足・消費者不足なので、本当は「消費年齢人口」と呼ぶ方がいいと思うのですが、過去からの惰性で、皆さんこういう呼び方をしています。

⑥日本中で高齢者が増加していますが、特に高度成長期に若者を集めた首都圏のような地域ほど増加のペースが急です。  その背景には、人数の多い終戦前後生まれの世代の加齢があります。

⑦高齢者は特に買いたいモノ、買わなければならないモノがありません。  逆に「何歳まで生きるかわからない、その間にどのような病気や身体障害に見舞われるかわからない」というリスクに備えて、「金融資産を保全しておかなければならない」というウォンツだけは甚大にあります。

⑧実際、彼ら高齢者の貯蓄の多くは流動性が0%でもう他の消費には回りません。  これが個人所得とモノ消費が切断された理由です。』

昨日から中国語の授業を受け始めました。  月・水・金の週3回、計5時間です。  復習しなければならないことを考えるとかなり大変そうです。  

したがいまして、今後このブログの更新も週に1~2回程度とさせていただきます。  スミマセン(汗)。

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青島・ハワイ雑感

1.青島雑感

①10月8日から10日まで中国・山東省の青島(チンタオ)に行ってきました。  山東省の人口は約9470万人で中国第3位です。  青島だけでも約710万人が住んでいます。

②青島はドイツの租借地だったので、ドイツ風の街並みが続きます。  海沿いにあり、海水浴を中心としたリゾート地でもあります。  また、なんといっても大好きな青島ビールの地元です。

③今回行ったのは青島空港から車で約1時間半に位置する経済特区の黄島(ファンタオ)です。  現地の不動産ディベロッパー「青島多元建設集団有限公司」の趙社長とのミーティングが主な目的でした。  もともと趙社長は山東省の役人でしたが、1998年に国営企業の払い下げを受け実業家に転身したそうです。

④経済特区全体を車で案内してもらいましたが、たとえていうと「東京西新宿の高層ビル群が一気に建築中」といった感じです。  そのエネルギーを感じないわけにはいきませんでした。

⑤20年以上前に行った台湾で脂っこい中華料理に胃をやられた経験がありますが、青島の料理はあまり脂っぽくなく、青島ビールともどもおいしくいただきました。

⑥日本から飛行機で約3時間、時差は1時間で体調管理も楽でした。  来年の4月には青島市街と黄島がトンネルでつながるようなので、空港からも30分程度になるはずです。

⑦余談ですが、今週から中国語の勉強をはじめます。  来年行くときには通訳なしで話してみたいな~(笑)。


2.ハワイ雑感

①青島から帰国後1日休んで12日から17日までハワイ・オアフ島に行きました。  14日に行われた娘の結婚式への出席です。

②娘夫婦・私と家内・新郎のご両親・新郎の妹さんの7人で、成田から出発です。  前にも書きましたが、7人の中に渡邊絵美が2人います(笑)。

③式はハワイの高級住宅地ハワイカイの近くの教会で行われました。  海沿いの絶景が最高です。  娘が歩くバージンロードのエスコートをはじめとして私にとって感動・感激が満載でした。

④結婚式以外にも「スター・オブ・ホノルル」号のサンセット・ディナーなどのイベントや、アラモアナ・ショッピングセンターでの買い物など楽しいひと時を過ごしました。

⑤海外旅行では現地のビールを飲むので、連日「コナ・ロングボード」です。

⑥円高の影響もあるのか、相変わらず日本人だらけでした。  一方、2年前にはあまり見かけなかった中国人旅行者が、青島帰りだったせいか目につきました。 

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小島英記先生『チェ・ゲバラ』

『第二の男』(小島英記著 日本経済新聞出版社刊)を読みました。  「七話 チェ・ゲバラ」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①フィデル・カストロの(キューバ)バチスタ政権打倒計画は無謀に見えた。  その強固な意志によって、1956年3月を目標に進めるが、多くの障害で計画は遅れる。

②予定を大幅に過ぎた11月25日、(メキシコからキューバへの)出航にこぎつけた。  同志1人が逮捕され82人になった彼らが武器とともに乗ったヨット「グランマ号」は、なんと8人乗りの小舟だった。

③カストロは病気を押して指揮をとり、みんな意気軒昂だった。  カストロはデッキで叫ぶ。  「1956年、われわれは自由をかちとるか、さもなくば殉教者となるだろう」

④グランマ号は12月2日、やっとの思いで目的地のニケロ近くに上陸。  バチスタ政府軍の飛行機に追われて沼沢地に逃げ込む。  シエラ・マエストラの最高峰トルキノ山頂をめざすが、政府軍に急襲され、チェは首に銃傷を負う。  

⑤苦労してカストロ本隊と合流したときの生存者はわずか17名だった。  しかし、カストロは言う。  「これで、バチスタの命数はつきたようなものだぞ。  おれたちはきっと勝つ」

⑥この楽観ぶりにチェも驚いた。  のちにキューバを去るとき、カストロに送った別れの手紙に、率直な言葉がある。  「ぼくになんらかの誤りがあったとするなら、それはシエラ・マエストラの初期のころ、きみにじゅうぶんな信頼をおかなかったことと、指導者ならびに革命家としてのきみの資質をさほど早く理解しなかったことだ」

⑦従軍していたパリ・マッチ誌の特派員エンリケ・メネセスが書いている。  「もしフィデル・カストロが夢をみることができるとしたら、チェ・ゲバラはそれらの夢を、少なくともそのいくつかを現実のものに変えることのできる男だというのが、その当時の私の感じであった」

⑧59年1月1日、バチスタ大統領は(首都)ハバナから大統領特別機でドミニカ共和国に向けて逃亡した。  翌日、(チェが司令官を務める)第8軍はハバナ入城。

⑨6月、カストロ首相の特使としてアジア、アフリカ諸国へ出発する。  エジプトのナセル大統領、インドのネール首相を訪ね、7月には訪日。  池田隼人通産相らと会談し、工場見学をする一方で、広島の原爆慰霊碑に花束を捧げる。

⑩「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて、腹がたたないのか」と言った。  日本政府の対応はむしろ冷たかったが、チェは日本が原爆の惨劇から蘇り、工業力で立ち直ったことを評価したようである。』

明日から10日まで仕事で中国の青島(チンタオ)、12~17日まで娘の結婚式でハワイ・オアフ島です。  

最近、海外に行ってなかったのですが、いきなりインターナショナルな10日間です(笑)。

次は18日の週にお目にかかります。  では、また。

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野末陳平さん『大器晩成』

『この一冊でわかる! 孔子と老子』(野末陳平著 青春出版社刊)を読みました。  「第二章 老子がわかる!」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「大器は晩成す。(第四十一章)」  これはもう完全に日本語に定着した四字熟語であるが、実は老子が原典である。  老子の書中では、同工異曲(どうこういきょく・・・詩文などの技巧は同じであるが、趣が異なること)の四字成語の中にさりげなく収まっている。  

②「大方無隅、大器晩成、大音希声、大象無形」

③大器晩成を取り上げよう。  これを四字熟語風に解釈すれば、「偉大なる人物は一朝一夕に成るものではなく、普通より時間がかかって大成する」  すなわち、人の出世成功に関わる格言風の言葉となる。

④しかし、老子は、まったくそんな寓意(ぐうい・・・何かにかこつけて、それとなくある意味をほのめかすこと)を持たせていない。  単純に文字通り、「大きな器はできあがるまでに、手間と時間がかかる」これしか表現していない。  前後の句と照合してもこれは明らかだ。  

⑤大方(たいほう)は隅(ぐう)なし、これは大なる方形には角(かど)がない。  大音が希声というのは、大きな音声は音がないから耳に聞こえにくく、大象は形無し、とは大いなる象(かたち)にはこれと見える形状がない、こんな風に解釈するしかないが、これじゃ老子流のコトバ遊びの域を出ないから、老子の真意がもっとわかりにくくなる。

⑥そこへいくと、大器晩成は人生にあてはめやすく、中国では漢代以後の解釈らしいが、これを四字熟語化したのは、この発想が多分に日本人好みであったのであろう。』

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加瀬英明さん『出勤時間』

『①囚人同士が、話している。  「金(キム)同務(トンム)。  いったい、どうして、ここに放り込まれたのだ?」  

②「わたしは、ある朝、工場に出勤するのが、10分遅れた。  そのために、サボタージュの容疑で捕えられて、5年の刑に処せられた。  朴(パク)同務は?」

③「わたしは、うっかり10分早く、出勤してしまった。  そのために、スパイ容疑で捕えられて、15年の刑に処せられた。  成(ソン)同務は?」

④「わたしは、1ヶ月間、始業時間どおりに、出勤した。  だが、韓国製の時計を、持っていたことが発覚して、10年の刑に処せられた」』

『人生最強の武器  笑い(ジョーク)の力』(加瀬英明著 祥伝社新書)「第7章 北朝鮮は、ジョークの宝庫」より

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邱永漢先生『お金の儲かる仕事』

作家・経済評論家の邱永漢(きゅう・えいかん)先生が書かれているサイト『もしもしQさんQさんよ』の今日のタイトルは『先ずお金の儲かる仕事を探すことです』でした。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①お金儲けは努力してできるものではありません。  人よりよく働けばできるものでもありません。  俗に「早起きは三文の得」と言いますが、早起きして道の掃除をしたり、人の嫌がる便所の掃除をしたら、人から喜ばれますが、いくら一生懸命やっても三文の得にしかならないのです。

②またよく働けば金持ちになれるのなら、誰でもよく働きます。  でもいくら働いても働いただけでは間に合いません。  金持ちになるためには、金持ちになるための要領が必要であり、それを身につけて努力をする必要があります。

③先ずお金の儲かる仕事を見つけることです。  本当にお金がザクザク入って来るためには色んな試みをして、お金の儲かる仕事にうまくぶっつかる必要があります。  最初にやった仕事がお金の儲かる仕事になることは先ずありません。

④私は大金持ちになった人をずいぶんたくさん観察していますが、職業を変えたり、職場を変えて色んなことを試みた過程で偶然に見つけた仕事が大金をもたらしてくれることがわかると、今までやって来た仕事をほとんど手じまいして、お金の儲かる仕事に打ち込む人に限られます。

⑤なぜなら、効率の悪い仕事を抱えていると、儲かる仕事があっても損をする仕事にお金と時間をとられて思うような結果が得られなくなるからです。

⑥ですから先ずお金の儲かる仕事を必死になって探して下さい。  努力と経営に頭を使うのはそれからで充分間に合います。』

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宋文洲さん『日中の間、国の間』

昨日配信された、ソフトブレーン創業者・宋文洲さんのメルマガ『論長論短』のタイトルは『日中の間、国の間』です。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①領土問題になると過激派に引っ張られるのは中国も日本も同じです。  だから普通の人は勇気を持つ必要があります。  自国民としてやすやす相手の領土として認めるのは無理でしょうが、相手の国民もまったく同じ立場であることに留意したいと思うのです。

②私個人としては早く通り過ぎたいと願っているのみです。  日中は、無人島(尖閣諸島)のためにこれ以上揉めてもどちらも損するだけです。  それでも人気を博したい「愛国者」達が盛り上がりたいならば、彼らだけが集まってどこかの星にいって戦争でもしてくれればいいと思います。  我々を巻き込まないでほしいものです。

③しかし、国と国の間に生きることはこういうことに慣れることです。  いちいち過剰に反応していたらやっていられません。  皆さんはこれこそチャイナリスクと仰いますが、リスクのない国はありません。

④武富士の創業者の武井さんに会ったのはつい最近のことのように思えます。  小雨の中に到着すると守衛さんにタオルを渡されました。  感動しました。  彼の躾でしょう。  立場も違う、年も違う、国も違うのですが、彼ととっても通じ合いました。  素晴らしい会社があっという間に潰れましたのはなぜでしょうか。  

⑤日本にもリスクがあるのです。  規制のリスク、不況のリスク、「空気」のリスク・・・我々がグローバルに生きると決めた以上、まず個人として強くなることです。  一ヶ所ではなく複数個所に市場、資金そして仕入れを分散させ、その変化に機敏に対応するしか方法がないのです。

⑥日中の間に生きてきた私ですが、日中の全てを受け入れることにしています。  悪いことも良いことも、嫌なところも好きなところも。  国と国の間に行ったり来たりすることはとても広い心を持たないと自分がどんどん辛くなるので損です。

⑦日本の若者が外国に行きたくないとよく聞きますが、本当かどうかはわかりません。  ソフトブレーン中国では若い日本人社員が元気よく働いているので実感がありません。  彼らは皆自分の意志で来ていますし、楽しんでいます。  しかし、もし統計的に本当に若者が外国に行きたくないならば、それは日本社会に何か問題があるというしかありません。  

⑧一つの国だけでやっていける時代は、もう、ないでしょう。  国としても、個人としても。』

⑤と⑧については、私も最近同じようなことを感じています。  縁あって10月8~10日、中国の青島(チンタオ)へ視察に行きます。  大好きな青島ビールの本場なので楽しみです(笑)。

よい週末を。 

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