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内田樹先生『学びと勇気』

神戸女学院大学名誉教授・内田樹先生のブログ『内田樹の研究室』(11月24日)に『学力とは何か』という項がありました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①今の日本の子供たちは劇的に学力が低下しています。  それは僕も認めます。  でも、その人たちの言っている「学力」と僕が言っている「学力」はたぶん全く別のことです。  彼らが「学力」と読んでいるのは、単に成績のこと、点数のことです。  (中略)

②でも、問題はそのことではないんです。  成績が下がっていることより「学ぶ力」が劣化していることが問題なんです。  学ぶ力とは何か。  乾いたスポンジが水を吸うように、自分が有用だと思う知識や技術や情報をどんどん貪欲に吸い込んで、自分自身の生きる知恵と力を高めていって、共同体を支え得るだけの公民的成熟を果たすこと。  それを「学ぶ力」という。  僕はそう理解しています。

③学力を構成する条件の第一は自分自身の無知、非力についての強い不全感、不満足感。  (中略)  どれほど試験の成績がよくても、「オレは必要なことは全部もう知っているので、これ以上学ぶべきことはない」と豪語する子供がいたら、その子にはもう「学ぶ力」がない。  その理屈はおわかりになるでしょう。

④第二番目は、誰が私のこの不全感を埋めてくれるのか、それを探しあてる力。  「メンター(導き手)」、自分を導いてくれる人、それを見当てる力です。  本当に強い不全感を持っている子供は必ず「この人について行けば大丈夫」、この人なら、本当に自分が何をしたいかを教えてくれるという直感が働きます。

⑤先ごろ亡くなったスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学の卒業式での有名なスピーチがあります。  半生を振り返って得た結論が、一番大事なことは、「あなたの心と直感に従う勇気を持つことだ」(the courage to follow your heart and intuition)と。  どうしてかというと、ここが素晴らしいんですが、「あなたの心と直感は、あなたが本当は何になりたいかを知っているからである(they somehow know what you truely want to become)」。

⑥これを僕は本当に素晴らしい言葉だと思いました。  僕の言う二番目の学力というのはこれのことです。 「勇気」です。  こういうことを勉強すると、これこれこういういいことがある、この知識や技能や資格や免状はこういうふうにあなたの利益を増大させる、というような情報に耳を貸すな、とジョブズは言っているんです。  

⑦だって、まわりの人が「これを勉強しろ。  これを勉強すると得をするぞ」と言い立てている通りに勉強するなら、勇気なんか要りませんから。  勇気が要るのは、「そんなことをしてなんの役に立つんだ」とまわりが責め立てて来るからです。

⑧それに対して本人は有効な反論ができない。  でも、これがやりたい。  これを学びたい。  この先生についてゆきたい。  そう切実に思う。  だから、それを周囲の反対や無理解に抗して実行するためには勇気が要る。  自分の心の声と直感を信じる勇気が要る。  (中略)

⑨そのときには、いったい将来自分がどんな職業に就くことになり、今習っているこのことがどんなかたちで実を結ぶか、予測できなかった。  でも、10年後に振り返ってみたら、そこにははっきりとして線が結ばれていた。  ジョブズはこれを「点を結ぶ」(connection the dots)という言い方で表現しています。

⑩僕たちは「何となく」あることがしたくなり、あることを避けたく思う。  その理由をそのときは言えない。  でも、何年か何十年か経って振り返ると、それらの選択には必然性があることがわかる。  それが「点」なんです。  自分がこれからどういう点を結んで線を作ることになるのか、事前には言えない。  「点を結ぶ」ことができるのは、後から、回顧的に自分の人生を振り返ったときだけなんです。

⑪「学び」というのは、なんだか分からないけど、この人についていったら「自分がほんとうにやりたいこと」に行き当たりそうな気がするという直感に従うというかたちでしか始まらない。  ただし、この導き手、メンターというのは実にさまざまなありようをする。  必ずしも生涯にわたって弟子に敬愛される恩師というわけではない。

⑫道を教える役割ですから、場合によっては、会って次の角まで連れて行って終わりということだってある。  でも、この人がいなかったらその次はなかった。  やっぱり、必要不可欠のメンターではあったのです。  その出会いを後から振り返ると、みごとに「点がつながって線になっている」。  ジョブズの言うconnectiong the dots です。

⑬学びの始点においては自分が何をしたいのか、何になりたいのかはわからない。  学んだあとに、事後的・回顧的にしか自分がしたことの意味は分からない。  それが成長するということなんです。

⑭成長する前に「僕はこれこれこういうプロセスを踏んで、これだけ成長しようと思います」という子供がいたら、その子には成長するチャンスがない。  というのは、「成長する」ということは、それまで自分が知らなかった度量衡で自分のしたことの意味や価値を考量し、それまで自分が知らなかったロジックで自分の行動を説明することができるようになるということだからです。  

⑮だから、あらかじめ、「僕はこんなふうに成長する予定です」というようなことは言えるはずがない。  学びというのはつねにそういうふうに、未来に向けて身を投じる勇気を要する営みなんです。』

大学2年・茶帯のとき、このまま空手を続けるか国家試験の勉強を取るかで悩んだことがありました。  父親に「空手なんかやっていて将来どうするんだ。  勉強に専念しろ。」と言われたことが思い出されます。  

明日は昇級審査会、来週・再来週は中国です。

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辛亥革命

中国語の勉強も兼ねて、最近は休日に中国の映画をよく見ます。  13日は『孔子の教え』、20日は『1911』を見に行きました。  ジャッキー・チェン総監督・主演の『1911』は1911年に起きた辛亥革命がテーマです。  ネットで辛亥革命を検索してみました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①1911年10月10日、中国(清)の武昌で革命派の軍隊が蜂起し、辛亥革命が始まりました。

②清では咸豊帝(在位1859~1861)病死のあと、咸豊帝と西太后の子である同治帝(在位1861~1874)が5歳で立ちます。  同治帝が若くして亡くなると、西太后は自分の妹の子である光緒帝(在位1874~1908)を立てて独裁を始めます。

③しかしやがて成長した光緒帝は西太后と距離を置き、大胆な改革を断行しようとします。  これに対して西太后ら保守派が反発、1898年戊戌の政変を起こして光緒帝を幽閉し、まさに名前だけの皇帝にしてしまいました。  このことにより上からの改革に失望した改革派たちは下からの革命の方向に走り出します。

④1905年には孫文が日本で中国革命同盟会を結成します。  そして1908年には、西太后及び幽閉されていた光緒帝が相次いで病死します。  そして皇統は光緒帝の甥である宣統帝(在位1908~1912、溥儀)に受け継がれました。

⑤辛亥革命(第一革命)はこのような状況の中で勃発し、蜂起は全国に波及して各地で省の独立宣言が相次ぎます。  そして1912年中華民国が成立して、孫文が臨時大総統に就任しました(2月に袁世凱に交替)。  まだ6歳の幼帝・溥儀は訳も分からないまま退位ということになり、清朝は滅亡しました。

⑥中華民国成立の翌年1913年に第二革命によって袁世凱が孫文を排斥。  孫文は日本に亡命します。  袁世凱は元々西太后の大臣を務めた人ですが辛亥革命が起きるとこの革命政府とうまく妥協してその中心人物になりました。  そしてこの第二革命で実権を完全に掌握すると1915年8月、皇帝になる旨の宣言をします。

⑦しかし今さら民主化の波を押し返すことはできませんでした。  反帝政の運動が盛り上がり、同年12月第三革命が起きて動乱のうち1916年袁世凱は亡くなりました。

⑧その後中華民国は何人かの総統が1~2年単位で交替する中、やがて共産党の勢力も台頭し始めます。  両者は外国に対抗するため1924年第一次国共合作。

⑨そしてその頃から日本の中国侵略が盛んになっていきます。  1931年には日本が満州事変を起こして東北部に満州国を設立。  更に1937年からは本格的な戦争状態に突入。

⑩やがて1945年日本の敗戦とともに、中国全土での主権回復。  1949年の中華人民共和国成立まで、激しい戦乱の時代が続きました。』

次は同じジャッキー・チェン主演の『新少林寺』が見たいな~。

先週は大連でした。  来週・北京、再来週・大連で今年の中国出張は終わりです。

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(76)第10回世界大会

1.第10回世界大会(11月4~6日)が終わり、ロシアのタリエル・ニコラシビリ選手が昨年の第42回全日本大会に続いて優勝しました。  準優勝・エヴェルトン・テイシェイラ選手(ブラジル)、第3位・ゴデルジ・カパナーゼ選手(ロシア)、第4位・赤石誠選手(日本)です。


2.東京城西支部所属選手の結果は以下の通りです。

①森善十朗・・・3回戦、ラシャ・ガバラエフ選手(ロシア)に再延長・判定負け

②鎌田翔平・・・4回戦、アレハンドロ・ナバロ選手(スペイン)に再延長・判定負け

③小林大起・・・2回戦、イウヌソフ・スルタナメトカン選手(ウクライナ)に体重判定負け


3.大山総裁は常に「実践なくんば証明されず、証明なくんば信用されず、信用なくんば尊敬されず」と言われていました。  その観点からすると、現時点における城西は世界チャンピオンを狙える実力を持っていなかったことが、残念ながら証明されてしまいました。  


4.極真空手の実力は「①仮説を立てる→②(仮説に基づいた)稽古を繰り返す→③大会や審査会で検証する→④反省する→①再び仮説を立てる」の繰り返しの中で向上すると私は思っています。  当然ですが勝ったときよりも負けたときのほうが、④の反省すべきことがより明確になります。


5.今回も反省材料・次への仮説がはっきりしてきました。  選手たちには個別に伝えるつもりです。  「敗軍の将、兵を語らず」ですから、ここではあえて書きません。


6.来年のウェイト制・全日本大会でまた検証したいと思います。  今回の敗戦が城西のさらなる飛躍につながるよう、より一層精進していかなければなりませんね。


7.2日の国際親善大会から4日間、お疲れさまでした。  優勝・入賞した選手の皆さん、おめでとうございます。  


8.世界チャンピオンになったタリエル選手には試合内容、試合態度、優勝後のインタビューすべてにおいて感銘を受けました。  ありがとうございました。

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カス・ダマト

1.かってカス・ダマト(1908年1月17日~1985年11月4日)というボクシングの名トレーナーがいました。  元世界ヘビー級チャンピオンのマイク・タイソンの育ての親として有名です。  ウィキペディアから抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①両手のグローブをあごの下に構えるピーカブー(peekaboo、『いないいないばあ』の意)と呼ばれる構えで防御を固め、頭を振って相手の懐に潜り込むというファイトスタイルで選手を育成した。  このスタイルは、小柄で肉体が頑強かつ柔軟であり、さらにパンチ力とスピードを兼ね備えた選手で無ければ使いこなすことができなかった。

②一方、それを使いこなすことが出来たボクサーがマイク・タイソンやフロイド・パターソン(元世界ヘビー級チャンピオン)、ホセ・トーレス(元世界ライトヘビー級チャンピオン)など、いずれもボクシング史に残る名チャンピオンとなった。  カス・ダマトの死後、彼の指導したボクシング・スタイルが崩れるとタイソンの戦績は下降の一途を辿った。

③カス・ダマトの根本的なボクシング哲学は「高い次元においてリング上の勝敗を決するのは、肉体のメカニズムではなく精神力である」というものである。』


2.同じくウィキぺディアからカス・ダマトの語録を紹介します。

『①「子供にパンチの打ち方や避け方を教えるのは容易いことだ。  誰にだって出来ることだ。  勝ち負けは頭で決まる。  力でも、スピードでも、体力でもない」

②「恐怖心というのは人生の一番の友人であると同時に敵でもある。  ちょうど火のようなものだ。  火は上手に扱えば、冬には身を暖めてくれるし、腹が空いた時には料理を手助けしてくれる。  暗闇では明かりともなり、エネルギーになる。  だが、一旦コントロールを失うと、火傷をするし、死んでしまうかもしれない。  もし、恐怖心をコントロールできれば芝生にやって来る鹿のように用心深くなることができる」

③「私は全てのボクサーに同様のスタイルで教える。  多くのトレーナーはこれに異論を唱えるが、私は基本原理は同じであるべきだと思う。  違いはボクサーの受け取り方によってその後に生じるものだ」

④「つまるところ、ボクシングの究極の科学というのは、相手が打ち返せない位置からパンチを打つことだ。  打たれなければ試合に勝つからだ」

⑤「ボクシングでは人間性と創意が問われる。  勝者となるのは、常により多くの意志力と決断力、野望、知力を持ったボクサーなのだ」

⑥「私の仕事は、才能の火花を探してきて火をともしてやることだ。  それが小さな炎になり始めたら燃料を補給してやる。  そしてそれを、小さな炎が猛り狂う大きな火になるまで続けてやり、さらに火に薪をくべれば、火は赤々と燃え上がるのだ」

⑦「Never Say Can’t!!(“できないなんて言うな!!” この言葉はダマトのボクシングジムの壁にも書かれている)」

⑧「勇者と臆病者は、恐怖心にどう対処するかで違ってくるのだ。  英雄だって、皆と同じように怯えている。  だが、臆病者は逃げてしまうが英雄は逃げたりしない。  最後までやり遂げようとする自制心を持っている。  つまり、最後までやり遂げるかやり遂げないかで、人は英雄にも臆病者にもなるのだ」

⑨「目的の無い人間からは何もかもが遠ざかる。  そして遂には生きる気力すらも失うのだ。」

⑩「(1985年、死の直前のインタビューでタイソンについて)彼のためでなかったら、私は多分もう生きてはいなかっただろう。  私は、こう思う。  人間は生きてゆく間に、心に掛ける人々や喜びの数を増やしていく。  それから、自然が、それを、一つ、また一つと奪い去ってしまう。  自然は、そうやって死への準備をしてくれるのだ。  私には、もはや、何の喜びも残っていなかった。  友人たちは、行ってしまった。  耳も聞こえないし、目もよく見えない。  見えるのは思い出の中だけだ・・。  だから、私は死ぬ用意をしなきゃならん、と思っていた。  そこへ、マイクがやってきたのだ。  彼がここにいて、そして、今やっていることをやっている、という事実が、私に生き続ける動機を与えてくれる・・」』


3.カス・ダマトとマイク・タイソンの出会いについて作家の伊集院静さんが『作家の遊び方』(双葉社刊)の中で書いています。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①カス・ダマトはかって一人の世界チャンピオンを育てていたがボクシング協会と衝突し、追放されていた。

②その彼に少年院のボクシングコーチがタイソンを見て欲しいと言ってきた。  彼はタイソンのトレーニングを10分程度見て、黙って頷いた。

③「どうですか?  この少年は」  コーチが訊いた。

④彼はタイソンに向かって言った。  「もしおまえが私の言うことをすべて聞いてボクシングに励むなら、おまえは世界チャンピオンになれるだろう」

⑤「・・・・・・」  タイソンは黙っていた。

⑥そうしてしばらくして言った。  「チャンピオンになったらシルベスター・スタローン(当時の人気ボクシング映画『ロッキー』の主役を演じてた)に遭いに行けるかな?」

⑦「遭いに行かなくても向こうから遭いに来るさ」

⑧それからカス・ダマトはタイソン少年を自分の家に引き取り、厳しいトレーニングをはじめた。』


いよいよ世界大会ウィーク突入です。  第10代の世界チャンピオンになるのは誰なんだろう?

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