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首と坐骨

健康に関して2冊の本を読みました。  それぞれ抜粋し、番号を付けて紹介します。

1.『副交感神経アップで健康になれる!』(松井孝嘉著 朝日新聞出版)

『①患者さんの治療と研究を続けていくうちに、首のうしろのあたりに自律神経の働きのキーとなる「副交感神経センター」の存在を確認したのです。

②他の病院で原因不明とされ私の病院にいらっしゃった自律神経失調症の患者さんの研究をすすめていくと、その原因が首のこりにあることを発見するにいたりました。  そういう人が急増したのは、パソコンや携帯電話などうつむいたままの首に悪い生活スタイルに大きく変化したことが一因となっています。

③首のケアをきっちりと行えば、副交感神経の働きを高めることができ、より快適な生活を送ることができます。  そのためには、この本でご紹介する、(1)朝・晩の体操、(2)首を温める、(3)精神のリラクッス、これを行ってください。』


2.『たった3センチで人生が変わる座り方』(片平悦子著 朝日新聞出版)

『①解剖学的には骨盤こそが身体の要なのです。  腰を楽にするには、骨盤を解剖学的に正しい位置にセットする必要があります。  昨今は骨盤の重要性が認識されるようになり、骨盤矯正のための体操やグッズなどが評判になっています。  それ自体は歓迎すべきことですが、どんなに運動やトレーニングをしたところで、悪い座り方をしていたら元も子もありません。

②骨盤とは、坐骨、腸骨、恥骨、仙骨、尾骨などの総称です。  仙骨のお腹側には、蜘蛛の巣状に副交感神経がはりめぐらされています。  骨盤が後ろに傾くと仙骨に負荷がかかり、そのすぐ裏にある副交感神経の働きが阻害され、骨盤内におさめられている内臓の機能も低下しますが、(正しい座り方で)骨盤を立てると副交感神経が本来の働きを取り戻すのです。

③座り方をお教えしたいと思います。  この座り方のすごいところは、骨盤が正しい位置にセットできるところです。  やり方はとってもカンタンです。  椅子の座面に触れる大きくてゴロゴロした骨、坐骨をいつもより3センチ後ろに引いて座るだけです。  すると、坐骨の前の方で座るようになります。

④脚を組む女性は多いようです。  しかし、これも絶対にやめてほしい姿勢の一つです。  脚を組むと大腿骨の厚みの分だけ、骨盤がねじれます。  ときどき、「片側の脚を組むだけならよくないが、交互に組めばバランスがとれるからよい」と思っている人もいますが、脚を組む、という行為自体が、骨盤を傾けているのです。』

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〝専門家〟を待つ落とし穴

5月31日の日経新聞夕刊に東京大学名誉教授・和田昭允先生が『〝専門家〟を待つ落とし穴』という文章を書かれていました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①専門家には〝自信の強さに比例する深さ〟の落とし穴が待っている。

②日露戦争から第1次世界大戦にかけて次世代兵器のハシリが続々と現れた。

③しかしフランスのフォッシュ元帥は、1910年に飛行機を見て「飛んで遊ぶのは体にいいかもしらんが、軍事的価値はゼロだ」と一笑に付す。

④イギリスのキッチナー元帥は15年、戦車が提案されたとき「空想の世界から厳然たる現実に降り立たねばならない」と酷評。  最初の戦車が彼の面前で威力を示しても「手際のいいおもちゃだ。  戦争はこんな機械で勝てるものではない」と切り捨てた。

⑤言うまでもなく飛行機も戦車も第2次世界大戦の帰趨(きすう)を決した立役者である。

⑥ロイド・ジョージ(英国首相)は言う。  「英国は次の戦争のために準備せず、ただ過去の戦争のために準備したのである。  (中略)  わが軍事専門家たちは、過去の戦争をそのまま参考にして、次の戦争計画にふけっていた。  そこに世界大戦が勃発してしまったのである」

⑦まさに日本も日露戦争時代の、銃剣突撃の精神主義と日本海海戦の大艦巨砲主義で太平洋戦争に突入してしまった。

⑧いつの時代でも「本物の専門家」に求められるのは「謙虚さ」、そして「自分の能力の限界」に対する不断の反省だ。』

空手指導の専門家として考えさせられる文章でした。

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(77)第29回ウェイト制大会

1.昨日・一昨日と大阪で第29回ウェイト制大会及び女子・高校生の全日本大会がありました。  城西から出場した選手の結果と今感じていることを書いてみます。

①亘和孝(高校生15歳男子65㎏以下級・ベスト8)・・・下突きを出すタイミングは抜群でした。  胸への突きの威力アップ、蹴りも出すことによって攻撃を散らすこと、サイドステップで相手の攻撃をかわし自分が攻撃することが課題です。  ウェイトトレーニングによるパワーアップ、スタミナトレーニングの裏付けによって手数・足数を増やすことも必要です。

②鈴木潤(中量級・初戦でロシアのイワン・マゼンセブ選手に敗れる)・・・受け返し・ステップワークは上手ですが、技の変化・力強さが足りません。  パワー、技(変化・ラッシュ・力強さ)、スタミナのどれかで相手を嫌がらせる部分がもう少し欲しいと思います。

③ルモワンヌ・ファビアン(中量級・2試合目でロシアのラシャ・ガバラエフ選手に敗れる)・・・彼の持ち味であるパワーをもっと生かした組み手を工夫する必要があります。  スクワットなどによる下半身の強化も課題です。

④カビオラ・アレサンドロ(軽重量級・2試合目で日置亮介選手に敗れる)・・・以前よりは格段に強くなっていますが、相手によって実力を出しきれないケースが見られます。  格上の選手にも立ち向かっていくような気迫を見せて欲しいと思います。  日置戦は実力負けではなく、気迫負けです。

⑤鎌田翔平(軽重量級・準優勝)・・・私が見るところ、真面目・コンスタント・素直に稽古に取り組んできました。  その成果がやっと花開き始めたところだと思います。  今後の本人の工夫や努力次第で更なる成長も可能です。

⑥小林大起(軽重量級・優勝)・・・15歳でお父さんと一緒に空手修行のため東京へ出て来てから5年、初の全日本タイトルを手にしました。  お父さんとの二人三脚の稽古が報われたのだと思います。  来年の世界ウェイト制、無差別の全日本・世界大会制覇に向けてより一層の工夫・努力が必要です。

⑦森善十朗(中量級・優勝)・・・昨年の世界大会で結果が残せませんでしたが、実力的には確実に強くなっているように見受けられました。  もともと試合の組み立ては上手いので、実力をさらにアップすることによって、松井館長や木山師範のような盤石のチャンピオンを目指してもらいたいと思います。

細かい技術的な点に関しては後日稽古の折に各自に伝えるつもりです。  


2.城西支部がスタートしてからこの夏で34年経ちます。  おかげさまで何人かのチャンピオンが誕生しましたが、全日本・全世界と冠の付く大会での決勝戦・同門対決は私の記憶では過去3回だけです。

①1983年・第15回全日本大会の大西靖人・小笠原和彦戦

②1984年・第1回ウェイト制大会・軽量級の大賀雅裕・中江辰美戦

③1992年・第9回ウェイト制大会・中量級の川本英児・青木英憲戦

今回の小林大起・鎌田翔平戦は私にとって4度目の体験になりました。

中江って強かったんだな~(笑)


3.ウェイト制大会での2階級の優勝も、2.③の1992年・第9回ウェイト制大会の中量級で川本英児、重量級で田村悦宏がそれぞれ勝って以来、20年ぶり2回目です(この頃のウェイト制は軽・中・重の3階級でした)。

          

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背負い続ける力

『背負い続ける力』(山下泰裕著 新潮新書)を読みました。  柔道の全日本選手権を9連覇した山下先生が書かれた本です。  東海大学相模高校時代の話から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.ある日のこと、いつものように佐藤宣践先生と夕食後の会話を楽しんでいると、先生が不意に語り始めた。

2.「泰裕、お前ほどではないにしても、これまでも凄い才能を持った選手だと騒がれた若い柔道家は何人もいた。  でもな、順調に成長した選手はほとんどいない。  なぜだかわかるか?」

3.その理由について、佐藤先生は三つの要因を順に挙げた。

①「周囲にチヤホヤされて天狗になってしまうからなんだ。  そうなると練習がおろそかになり、人の話を素直に聞かなくなる。  これでは力はつかない」

②「けがをして潰れていく選手も多い。  いくら素質があってもけがをしては何にもならない。  体力トレーニングはもちろん、日ごろから体調管理は万全にしておきなさい」

③「それから、若さはいつまでも続かないということを肝に銘じておきなさい。  勝負に次はないんだよ。  目の前に来た数少ないチャンスを逃さないよう、しっかりと準備をしておきなさい」』


全日本柔道チームの監督時代の話からも抜粋し、番号を付けて紹介します。

『アトランタオリンピックからシドニーオリンピックまで8年間務めた全日本柔道チームの監督時代、「柔道の創始者」嘉納師範の提唱した精神に則り、「最強の選手」ではなく「最高の選手」を育成しようと心掛けた。

①例えば、金メダルを取った翌日、心身ともに疲労し切っているにもかかわらず、これから試合に臨む選手の付き人を自ら買って出た野村忠宏選手。  結果的にその選手は試合に敗れてしまったが、彼の柔道着を慈しむようにたたんでいた野村選手の姿が頭に焼きついて離れない。

②また、全日本柔道チームの合宿中のまだ誰も起き出していない早朝、瀧本誠選手は、乱雑に脱ぎ散らかされたトイレのスリッパを丁寧に揃えていた。  その場面をたまたま見かけた私があとで礼を言うと、照れくさそうな顔を浮かべてぶっきらぼうに立ち去っていったが、その後ろ姿が忘れられない。

③世紀の大誤審とも言われた信じがたい事態に翻弄された篠原信一選手。  金メダルを逃したことに対してひと言の弁解すら口にすることなく、潔く敗戦を認めた。  この姿に柔道の真髄を体得した者の神々しささえ感じた。』

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