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気くばりの達人

『戦略おべっか』(ホイチョイ・プロダクションズ著 講談社刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①現代の広告業界で気くばりの達人と評された人物の一人に、日本初の民間放送を興し、プロ野球パシフィック・リーグの立て役者となった、小谷正和がいる。

②1955年、小谷が、有楽町で『ビデオホール』というラジオ放送番組収録用ホールを経営していたときのこと。  小谷は、ホールの名を世間に認知させるため、フランスからパントマイムの第一人者マルセル・マルソーを招き、公演を行った。

③このとき小谷は、夫に同伴して日本にやって来たマルソー夫人のお世話役の部下に、こう命じた。  「女性がショッピングするとき、二つの商品を手にして、どちらを買おうか迷うときが必ずある。  マルソー夫人が迷って買わなかった方の物が何だったのか、全部記録してこい」

④部下は小谷の命令を忠実に守り、夫人が何を買って何を買わなかったかを仔細に報告した  その報告を受けた小谷は、マルソー夫妻が羽田を発つとき、大きな箱に、夫人が迷って買わなかった方の商品をまとめて入れて、プレゼントした。

⑤女性が最後まで迷ったというのは、その商品を気にいった証拠である。  中には、あちらを買えばよかった、と後悔したものもあったに違いない。  小谷はそれを全部買って夫人に贈ったのだ。

⑥マルソー夫人が大喜びしたことは言うまでもない。  その様子を見ていたマルソーは、「コタニの招きなら、いつでも日本に来る」と言い残して日本を去ったという。』

今日、東京は最高気温35.4度の猛暑日でした。  でも、下高井戸道場はクーラーが壊れていて冷えません。

そんな中、午前中は朝錬、午後は何と2時から取材です。

善十朗・翔平、ワールド空手の酒井さん・大志君、お疲れさまでした。  私もちょっとバテ気味です。

ヤマベ~!  早くなおしてよ~!  久々の内輪ネタでした(笑)。

  

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クレイジーケンバンドと遅刻

1.読書が唯一の趣味ですが、一昨年の10月に中国語の勉強を始めてからはあまり時間が取れません。  今は中国出張中の飛行機やホテルの中が最高の読書スペースです。  17日の北京行き機中でクレイジーケンバンド・リーダーの横山剣さんが書かれた『マイ・スタンダード』(小学館文庫)を読みました。  1960年横浜生まれの横山さんが10代の頃の記述には、私の同世代の時とオーバーラップするような内容がたくさんありました。  キャロル、クールス、ジェームス・ブラウン、福生のテーラー・・・などなどです。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①宗教家でも、革命家でも、政治家でもない一介の作曲家である私は、作曲しか能がないし、世の中を変える力なんて到底ないんだけれど、ひとつだけあるとしたら、人の心に笑顔を届けられるような「イイ音楽」を作るってことだ。  (中略)

②せめてCKB(クレイジーケンバンド)の音楽が鳴っている現場では、憎しみのない、笑顔でいっぱいのピースフルな空気で満たしたいんだ。  限りある人生の、限りある時間の中で、笑顔でいられる時間が1時間でも2時間でも増えたら、それはとても素敵なことじゃないか。

③♪アクシデント  思わぬ出来事に  もし巻き込まれても♪

♪人を笑わせる男になりたい  人を泣かせて生きてきたから・・・♪』

カッコいい~。  「カッコいい」って、もしかしたら死語ですか(笑)?


2.また、お世話になっている本郷孔洋先生のメルマガからコピーさせていただきました。  タイトルは『遅刻』です。

『①社長「お前20分も遅刻だ。  何時から仕事かわかってるのか?」
 「もちろん私が着いてからです。」

②社長「お前また遅刻だな。」
 「でも、その代わり早く帰りますから。」

③「今日の遅刻の理由は?」
 「寝過ごしました。」
 「何、キミは家でも寝てるのか。」

④新入社員「部長出世するコツは?」
 部長「その腕時計を売って目覚まし時計を買うことだね。」

⑤ハンサムな独身の部長「キミ日曜日の夜はひまかい?」
 わくわくしながら部下の女性「もちろん約束は何もありません。」
 部長「だったら月曜は遅刻するなよ。」』

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C o C o 壱番屋

1.6月10日に配信された公認会計士・藤間秋男先生のメルマガにC o C o 壱番屋の創業者・宗次徳二さんのことが紹介されていました。  タイトルは『苦労している最中に不遇と思ってはいけない』(hiro-sanのメールマガジン「人の心に灯をともす」・・・『一流たちの修行時代』光文社新書』より)です。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①宗次徳二(むねつぐとくじ)。  国内外に1222店舗を擁する日本最大のカレーチェーン「C o C o 壱番屋」の創業者である。   そんな彼の「宗次」とい名字は実の親のものではない。  生後まもなく養護施設に預けられた彼は、本当の親も名字も知らない。   3歳で養父母に引き取られて宗次姓を受け、それからの人生が始まった。  少年時代からさまざまな苦労を経験し、会社を創業、そして一部上場まで育て上げた。

②「経営者としての私を形作ったのは、物心ついてから15歳までの人生です。  それが私の修行時代でしょう。  天涯孤独で肉親の支えもなく、しかも貧乏のどん底でした。  しかし、今になって思えばそれがよかった。  私は人が遊んでいても、うらやましいと思ったことがない。  遊びを知らなくとも、趣味など持たなくともぜんぜん平気なのです。  あの時代のことを思えば、つらいことなんて何もありません。」

③「養父は、私を養護施設から引き取った頃までは裕福な暮らしをしていたそうです。  ところが戦後始まった競輪に夢中となり、たちまち財産をなくしてしまった。  養父は日雇いで給料をもらっていたのですが、1日300円ほど。  それも2日に一度は仕事にあぶれ、稼いだわずかな金もまた競輪に賭けてしまう・・・。  おんぼろアパートや納屋みたいなところを借りて住んでいたのですが、家賃が払えないからすぐに追い出されてしまう。  もちろん電気もない。  ローソクとリンゴ箱だけが家具だった。」

④「子どもの頃、腹を空かせて野草を食べていたことがある。  銭湯代もないから風呂は入らず行水ばかりでした。  そんな生活が高校入学まで続きました。  その時代がなぜつらかったかと言えば、自分の環境を自分でコントロールすることができないからです。  高校生になるとアルバイトをして自分で稼ぐことができたけれど、それまでは子どもひとりの力ではどうすることもできず、その境遇をただ受け入れるしかない。」

⑤「養父母に厳しく叱られて泣きじゃくったこともありました。  言いつけを守らないと、父親に裸にされて箒(ほうき)の柄で叩かれたり…。  しかし、恨みはありません。  つらくなったら、前を向く。  当時の私には人を恨む感情は湧いてこなかった。」

⑥「人間には苦労は必要ですが、苦労している最中に不遇と思ってはいけない。  私は孤児だったし、貧乏の連続だった。  それでも貧乏の後遺症が残っているわけではないし、孤児だったから兄弟間の財産争いとも無縁です。」

⑦「孤児や貧乏は何も恥ずかしいことではありません。  だから、状況や過去のことを嘆くよりも、何か小さな目標を持つことです。  一年くらいで実現できるような目標を持つ。  本屋へ行くと『夢は大きいほうがいい』なんて本がたくさん並んでいます。  でも、そんなことは幻想です。  それよりも、行き当たりばったりでいいから、その日その日を全力で生きる。  大きなことを考える前に、手を抜かずに一日仕事をしてみる。  そうして、目の前の人に喜んでもらえばそれでいいじゃないですか。」

⑧「私は世の中のすべての人に壱番屋のカレーを食べてもらおうなんて思ってません。  認めてくれる何パーセントかの方がいらしてくれれば、それでありがたいです。」


2.日経新聞4月10日夕刊の特集『人間発見』の宗次さんのインタビュー記事からも抜粋して紹介します。

『大人になるまでの生活は大変でしたが、不幸だったとは思いません。  (中略)  見方を変えれば小さい時から苦労を重ねたからこそ、逆境に負けない忍耐力と、身を粉にして仕事に打ち込む姿勢が育まれました。  もし平々凡々な生活を送っていたら、自分の成功はありませんでした。』

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サッポロ一番

1.先週の日経新聞・夕刊の連載『人間発見』は「サッポロ一番」で知られるサンヨー食品の創業者・井田毅さんの話でした。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①商売をする上で、先行きについて「こりゃ駄目だ」と思ったら方針転換することが大切です。  このことは私が生まれる前の父の行動から教わりました。

②自然豊かな群馬県玉村町で「泉屋」という屋号の造り酒屋を切り盛りしていた父は、この地での商売に限界を感じて、(人がたくさんいる)前橋の繁華街でいい物件を見付け、酒店を新規開店したのです。  (中略)  しかし、商売は順調そのもの。

③(学校を出て父の酒販店を手伝うが)取引先は増えるのですが、(当時の飲食店は夜逃げが日常茶飯事で)貸し倒れが原因で売上高がなかなか伸びません。  「この仕事を続けていても発展しないよ。  新しい仕事を探そう」。  思い切って父に話すと、うなずいてくれました。

④そんな時、姉が嫁いだ家に稼働していない製麺工場があり、「後継者がいないので、うどんの仕事を一緒に始めないか」との誘いが父に寄せられました。  当時(1953年ごろ)はまだ食糧事情が悪く、うどんが大人気でした。

⑤最初は売れたのですが、コメ不足が解消に向かうと、売れ行きは芳しくなくなってきました。  参入して4年ほどで限界だと判断し、父に「うどんの時代じゃないね」と言いました。

⑥たまたま見た新聞記事が目に留まりました。  日清食品の創業者、安藤百福さんが「発明」したチキンラーメンの記事です。  (中略)  がぜん意欲がわいてきました。

⑦現在のグループ企業は日本、中国、米国、ベトナム、ロシアに広がり、即席麺の年間生産量は200億食と世界最大級になりました。』


2.先日、辻・本郷税理士法人理事長の本郷孔洋先生にご馳走になったのですが、その席で健康に関して興味深いお話を伺いました。  先週届いた先生のメルマガでも『満足』というタイトルで書かれていたので、番号を付けて紹介します。

『①先日、あるパーティーで、壇上に座っている主賓の方が、挨拶のために立ち上がり、わずかな距離をよろよろ、すり足で歩いていたのには、いささかショックを受けました。

②たまたま、相撲関係のパーティーでしたので、すり足だった訳ではないでしょうが・・・。
 
③それも一人だけでなく、複数の主賓がです。  あんなにも足は衰えるものかと、非常にショックでした。
 
④多分、偉い人達でしたから、若い時から自動車しか使わなかったせいではないか?
 
⑤満足とは、「足が丈夫で、満たされている意味だ」と教えてくれた人がいます。  成程。  

⑥若い人には関係ない話ですけどね。(笑)』

食事の席で長野県諏訪市出身の元衆議院議員・小川元先生と、ご子息の弁護士・小川朗先生をご紹介いただきました。  私の両親は二人とも諏訪市の隣の岡谷市出身です。  翌朝、母に連絡したら母の父方の祖父・林多助が、小川元先生のおじい様で同じく元衆議院議員の小川平吉先生に近い後援会員だったそうです。  四代にわたるご縁でした。

母から「米穀商・丸吉 林多助」の名刺が送られてきました。  曾祖父の80年前の名刺ですが、びっくりするほどキレイでお見せしたいぐらいです(笑)。

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