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2012年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2012年09月

1.「伊勢-白山道」さんのブログ、7月25日分のタイトルは「影」でした。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①人間は、なぜ信仰をするのでしょうか?  自分の心の安定や、幸福を求めてでしょう。  そのためへの最善で最短な方法は、結局は自分の心を見詰めるしかないのです。  自分の心の中以外の外側に神仏を求めましても、それは自分自身の「外側に映る夕日の影」を見よう、捕まえようとすることと同じなのです。

②太陽に照らされて地面に映る自分の影を見てください。  影の輪郭は、なんとなく自分の姿に似ているものです。  しかし、その影は本当の自分ではありません。  影の前に立つ「今の見ている」存在こそが、本当の自分なのです。

③では、自分の手を見てください。  その手は自分の体の一部ですが、本当の自分はそこには居ません。  その手も100年もすれば、朽ちて消えていることでしょう。  本当の自分とは、見ている、思っている、感じている、怒っている、悲しんでいる、その心が本当の自分です。  つまり、本当の自分とは、形が無いのです。

④コノ世とは、本当は形を持たない真の自分が形を求めて、それを「着に来ている」のです。  (中略)  また、本当の自分は形が無いのに、コノ世では色んなモノを持とうとします。(金銭・異性・名誉・宝石・家・車・・・・)

⑤しかし、本当の自分には形がありませんので、それらのモノを「本当に」持つことが出来ません。  だから、自分が持ったと思った瞬間から満足は消えて行き、また次の別のモノを欲しがります。  心の安心は決して「来ない」のです。

⑥他人からは持っていると見える本人自身も満足していないのに、それを見ているだけの人間は、より欲しがって苦悩しています。  誰も、何も本当に持つことが出来ないことを知りましょう。  目の前のコップさえも、持つことが出来ないのが本当の自分なのです。  本当の自分自身は、心だということを思い出しましょう。

⑦自分の正体が「心だけ」ならば、今に思うことが最重要であり、それが全てなのです。  ここで上記の、「人間は、なぜ信仰をするのでしょうか?」という問が生きるのです。

⑧自分が良いことを思いたいから、信仰するのが本当の態度なのです。  「自分が」感謝したいから信仰をするのです。  持てない影(モノ)をつかむために信仰するのではありません。

⑨この影の法則を自分が理解した時、影(モノ・健康・金銭・欲・・・)のほうから自分に近づいて来る現象が起こります。  追いかければ離れて行き、自分が立ち止まって安心すれば大きな影が付いています。  コノ世は、なんと皮肉で面白い世界でしょうか。』


2.①私のブログの副題は「私の備忘録」です。  

②以前だと気になる文章に出会ったときは、メモしたり、切り抜いてスクラップしたりして、「備忘録(・・・忘れたときのための用意に、要点を書きとめておくノート。 メモ。)」としていました。  ただ量が多くなると、後から取りだすのが結構手間でした。  

③今はこうやってブログに書き写しておけば、「ブログ内検索」で簡単に取りだせます。  今日の文章も何となく気になったので、「備忘録」であるブログに書き写しました。


3.①昨日は山辺・善十朗と久しぶりに飲みました。  一昨日、翔平にも声をかけたのですが、何の手違いか、現れませんでした(笑)。

②大起は大阪に帰省中です。  昨日、大起から「(岸和田の)大西(靖人)先生の墓参りに行ってきました。」とメールがありました。

③前回(8月6日)のブログに合宿の出席回数を書きましたが、山辺から「自分も12回出席です。」とのクレームが入りました。  「最近は翌日に酒が残るようになりました。」なんて言ってたけど、昨日は何時まで飲んだんだろ~。

④山辺、こんなんで良かった?(笑)  




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