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(80)第5回世界ウェイト制大会

国際親善大会(4月26・27日)、第5回世界ウェイト制大会(28日)、大山総裁19年慰霊祭(29日)が終わりました。

1.国際親善大会

林秉天(壮年40歳以上70㎏以下級・優勝)・・・突き・蹴り・フットワーク・試合の組み立て、すべてがまとまっていました。  ただ、試合の後半になるとそれらが若干落ちてくる傾向があります。  スタミナトレーニングを重視すれば本戦決着が多くなり、もっと試合が楽になると思います。

※他の選手については、それぞれ試合後に会場で話をしたので省略します。


2.第5回世界ウェイト制大会

①森善十朗(中量級優勝・二連覇)・・・2回戦でアンドレイ・ズボロフ選手の上段ひざ蹴りで技ありを取られましたが、本戦終了間際に跳び上段廻し蹴り(?)で技ありを取り返し勝利しました。  横綱相撲での連覇というわけにはいきませんでしたが、あの状況から諦めずに戦い優勝したことは大きかったと思います。  精神面での強さを感じました。

②鎌田翔平(軽重量級準優勝)・・・2回戦ダルメン・サドヴォカソフ選手に本戦勝利、3回戦イヴァン・メゼンツェフ選手に延長一回判定勝ち、決勝戦でアレハンドロ・ナヴァロ選手に延長一回判定負けしました。  大分地力が付いてきたようです。  昨日本人には「これからはナヴァロ選手に勝つことだけを考えて稽古するように」と伝えました。

③小林大起(軽重量級ベスト8)・・・2回戦でイリヤ・カルペンコ選手に延長一回判定負けしました。  スタミナトレーニングが課題です。  体幹の強さ・体の柔らかさ・反応の速さと潜在的にはすばらしい能力を持っています。  それを試合の結果に結びつけるためには心肺機能の強さが必須です。  いくら自動車が優秀でもガソリンがなくなれば走れなくなるのと同じ理屈です。


3.試合や審査会のたびに「ここは普段の稽古が正しく行われていたかどうか、間違っていなかったかどうかをチェックする機会です」と話します。  それは選手や受審者だけでなく、指導者にも言えることです。  ここ数年、阿曽・山辺両師範代とのトロイカ体制で指導してきましたが、森・鎌田の結果を見る限りにおいては「普段の指導は間違っていなかった」ように思います。  正直ホッとしています。


4.森の二回戦をみて極真の試合の怖さを実感しました。  第18回全日本大会(1986年)の2回戦で黒澤浩樹(16回優勝・17回準優勝)が飛びひざ蹴りで一本負けした場面を思い出しました。

スキーに行ったお土産を送ってくれた徳山大貴・真奈とお母様に、4月25日お礼の手紙を書きました。  その一部を紹介します。

『世界ウェイト制まであと3日となりました。
今年11月の全日本大会は第45回大会です。
ちょうど30年前の第15回大会で大西靖人が優勝し、城西支部から初の全日本チャンピオンが誕生しました。
それから30年の節目でもあり今年は何とかまたチャンピオンを出したいと思っています。
そのためにも今回の世界ウェイト制、6月の全日本ウェイト制は重要な試合となります。

やるだけのことはやってきましたが、勝負事は何があるか分からないので慎重に戦ってくれればと思っています。

会場での応援をよろしくお願いします。』

虫が知らせたのかもしれません。


5.4月25日の審判講習会・支部長会議、26~28日の大会、昨日の19年慰霊祭(秩父・三峯神社)と5日間イベントが続きました。  次は大阪で第30回ウェイト制大会です。  

出場した選手の皆さん、お疲れさまでした。  また会場に足を運んで応援していただいた城西支部の会員の皆さん、ありがとうございました。  皆さんの熱い応援があったからこそ、森善十朗の奇跡的な逆転勝利があったと思います。


6.昨日はゴールデン・ウィークの大渋滞で三峯を3時過ぎに出て都内に入ったのは7時半ぐらいです。  一緒に行った阿曽さん・善十朗・翔平と焼肉屋に行きました。  私はお決まりのチャンポン酒(生ビール→マッコリ→チャミスル)、飲みすぎです(恥)

車中で善十朗が「阿曽先生、明日の朝錬は?」と聞いたら、「軽くやったらいいじゃない」とフツーに言われてました(笑)  今ごろベンチプレスしているかも。  「阿曽筋肉製造工場」絶好調です(笑)
 









  

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心の鍛え方

1.将棋の島朗九段が書かれた『島研ノート 心の鍛え方』を読みました。 島九段についてウィキペディアから抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①若手との研究会や、パソコンによるデータ管理など、将棋界に新風を吹き込んだ(当時は研究は一人で行うのが普通であった。)。  

②中でも、羽生善治・佐藤康光・森内俊之が参加していた「島研」(1986年頃~1990年頃)は伝説的研究会といわれる。  島が名付けた訳ではないのだが、米長邦雄が各方面で言及した結果、定着してしまったとのこと。

③島研のメンバーはのちに全員が竜王位を経験し、島以外は全員が名人位についた。  この島研時代の研究量は他を圧倒していた。』

※2013年4月20日現在、羽生善治さんは三冠(王位・王座・棋聖)、佐藤康光さんは九段、森内俊之さんは名人です。


2.本書から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『(1)①初めて会った佐藤さんが16歳・森内さんが15歳で、後から入った羽生さんも17歳ぐらいだったと思う。  

②彼らは将来の将棋界の王道を行き、真理と技術を突き詰める将棋をつくり、そして盤外では礼節を重んじ古き良き伝統を守ってくれるだろう。  何か、時代の要請のような必然を感じた。

③やがて数年から10年ほどして棋界の頂点に立つことは、私の中では自然な予定調和でしかなかった。  

④当時から25年ほどたった今も、彼らのファンの方なら同意してもらえると思うが、その清潔感と常に棋士としての良識と秩序を重んじる処し方、そして少年時代から全く色あせない将棋への憧憬と情熱は、きれいな目をしたまま変わらずにいる。  驚くべきことである。


(2)①羽生さん・佐藤さん・森内さんが年齢と実績を重ね、人生の他の面を知ることになっても、彼らは将棋以外のことには決して心を動かされることはなかった。

②伝説のボクサーであるマイク・タイソンをはじめ多くの世界チャンピオンを育てた名トレーナー、カス・ダマトは徹底した秘密主義で知られていた。  勝負に徹するため、自宅も決して公表しなかった。

③ダマトは「楽しみはそんなにいらない、死ぬのが怖くなるから」と言う。  「トレーニングが辛くて、ボクシング以外に他の大事なものもある、という奴もいる。  だが、人生にそうたくさん道はないんだ」


(3)詰む詰まないは、あくまで終盤の総合力の中の一分野である。  もちろん、これが有利なのも間違いない。  特にいいのは、対戦相手に終盤が強い、怖いと認識させるところにある。  それだけで大きな武器になる。


(4)①あるマラソンランナーは、ロングで走る練習をあえて徹夜のまますることもあるという。  重要なレースの前の日、極度の緊張で寝られなくても、体調不良の中で自分の力をどこまで出せるか、その不測の事態に備えているのだ。

②従って、体調がよくない時、疲れている時にあえて難しい局面に取り組むのも、実際的な練習方法といえる。  (中略)

③状態が悪い時に、いかに失点を少なくするかが総合力を上げることにつながるのである。』


3.城西のスタート当初から、道場というよりは研究室のつもりで稽古・指導をしてきました。  

二日前の朝錬でも選手たちにちょうど次のような話をしたばかりです。

「道場はノーベル賞を取るような学者の研究室と一緒できわめて知的な空間であるべきだ。  また、そういうつもりで技やトレーニング方法を研究・工夫していけば空手がますます楽しくなるよ。」

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才能とは好きであるかどうか

昨日の日経新聞夕刊に杏林大外国語学部教授で日本語学者の金田一秀穂さんが『才能とは好きであるかどうかだ』という文章を書かれていました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①進学校の高校に通いましたが、周囲には受験勉強で偏差値が上がることを喜ぶような人ばかり。  僕は全く興味が持てず、歴史の本を読んだり、旅行したりしていました。  (中略)  

②「自分とは何かを知りたい」と思い、上智大の心理学科に進みました。  そこで出会ったのが小木貞孝先生です。  精神医学を専門に研究する傍ら小説も書いていました。  (中略)

③何となく研究者になりたいと思いながら、進路に悩んでいた4年生の時です。  先生の研究室を訪ねて「僕は才能がありますか」と率直に聞いてみると、「才能とは好きであるかどうかだ」と言われました。

④当時は頭がよいことが研究者の条件だと思っており、言葉の意味が分かりませんでした。  何が好きか分からず悩んでいたし、同世代や過去の研究者を知れば知るほど、自分に才能があるとは思えなかったからです。  (中略)

⑤大学院を出ても目標は見つからず、30歳頃から父(国語学者の春彦氏)の薦めで外国で日本語を指導する仕事を始めました。  (中略)  例えば英語に「肩こり」を表す言葉はないため、英語圏の人々は単に肩の不快感や重苦しさ、症状が重い場合も首や背中の病気として認識しています。  

⑥「もし言葉がなかったらどうなるのか。  なくても人は分かり合えるのか」。  こうしたテーマに関心を持ち始めると、人に話を聞いたり、論文を読んだりすることが面倒でなくなりました。

⑦帰国後は人と言葉の研究に没頭し続けています。  先生の言葉通り、遊び以上に楽しいと感じて取り組めることこそ才能だ、と気付いたのです。

⑧実は先生は、著名な小説家の加賀乙彦さんでもある。  振り返れば、医者で教授というエリートなのに、どうしても小説を書きたかった。  その気持ちを僕に伝えてくれたのだと思います。

⑨僕は学生に「努力は無駄だよ」と伝えています。  極端ですが、本当に好きでやっていることなら、それは努力ではない。  逆に嫌々する努力では何も身につかない。  若い人たちには楽しいと感じる何かを見つけてほしいと思っています。』

私自身の人生を振り返ってみても、「好きであるかどうか」は才能の大きな要素だと思います。

来週の月曜日から水曜日まで北京です。  天気予報を見ると最高気温は19~20度、最低気温は2~6度と温度差があるのが気になります。  1月末に行ったときは大気汚染が最もひどいときでした。  今はどうなんだろう?  そしてもっと気になるのは鳥インフルエンザです。

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元首相

1.今週の朝日新聞夕刊のインタビュー連載『人生の贈りもの』は元首相の村山富市さんです。  昨日の紙面から抜粋して紹介します。

『・・・政界を引退して久しくなりました。  いま89歳。  人生を振り返って

「めぐり合わせの人生だった。  自分が望むわけではないのに、役回りが自然にやってきて、国会議員、社会党委員長、総理大臣にもなった。  人に背中を押されて、それをやらなくてはならない、ということを繰り返してきた。  人間的には信頼されていたと思う。  めぐり合わせの人生の根底には信頼があったかもしれない。」

・・・首相時代、料亭に行って楽しむようなことは

「忙しくてそれどころではなかったが、一度だけ機会があった。  (中略)

いまも年金でつつましくくらしている。  裕福でないから健康でいられる。  何でも自分でしなくちゃならないから体を動かす。  出かけるときも自転車を使っている。』


2.(1)先々週の大連出張中に同じく元首相の細川護熙さんが書かれた『中国 詩心を旅する』(文藝春秋社)を読みました。  その中に次のような記述があります。

『挙人、須挙好退者(人を挙ぐるには、須(すべか)らく退(たい)を好む者を挙ぐべし。)

というのは『宋名臣言行録』にあることばだ。  人材を選ぼうとするなら、自ら売り込んでくる者ではなく、あえて仕官を望まないような人物を登用すべきだという。  至言(しげん・・・物事の本質を適切に言い表した言葉)だと思う。』  



(2)同書中の杜甫(とほ)について書かれた部分からも抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①70歳を意味する「古稀」ということばとともに、「人生 七十 古来稀なり」の一句はよく知られている。  これは杜甫の「曲江(きょくこう・・・長安の郊外の細長い湖水の名)」二首のうちの第二首に出てくる。  (中略)

②若き日の杜甫は。唐の官界で志を遂げようとしたが、科挙(かきょ・・・当時の中国で実施されていた高等官資格試験)に落第する。  少年のころより文学の才で神童と評されたという杜甫にとって、それは人生最初の大きな挫折だったであろう。

③その後の杜甫の生きた道は決して平坦ではなかった。  いや、彼を待ち受けていたのは、むしろ苦難と放浪の人生だった。  天は杜甫に、この世の有為転変と悲哀を嘗めさせることによって、その詩才を鋭く磨かせたのではないかとさえ思われるほどだ。

④しかし、そのような生を、杜甫はなかば覚悟し、なかば肯んじて生きたのではないか。  「曲江」詩の第一首は次の一句をもって終わっている。

何用浮名絆此身(何ぞ用いん、浮名もて此の身を絆(ほだ)すことを)

⑤虚しい名声によって、自らの自由を束縛するようなことをどうして選ぼうか。  それが春の曲江の水辺で酔いしれていたかに見える杜甫の胸中だったのだ。』

島倉千代子さんの歌じゃありませんが、人生いろいろですね。

ちょっと古かったかな~。  でも幼稚園の年中以来の島倉さんファンですから(笑)


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