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呼吸法・神経回路

『ゾーンの入り方』(室伏広治著 集英社新書)を読みました。

1.「呼吸法」について書かれた部分から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①私には、大事な試合前、できる限り集中力を高めて本番に臨むための呼吸法というものがありました。

②座っていても、立っていても構いません。  背をまっすぐにしリラックスした状態で肩の力を抜いておきます。  そして、片方の手のひらを体の前で上に向けて、ほんのわずか水を掬(すく)えるぐらいのくぼみを手の中心に作って、水をこぼさないようなつもりで緊張感を持たせた状態にします。

③次に、その手のひらの真ん中(鎮心・・・老宮とも呼ぶツボ)をそうっとヘソの下(丹田)に当て、意識を持っていきます。このとき、肘を曲げて少し外へ張った状態にして、ヘソの下に当てた手のひらの真ん中に意識を集中します。

④その次に、もう片方の手を同じようにヘソの下に持ってきて、最初の手の上に重ね合わせます。  (中略)  こうやって、呼吸も呼吸法もまったく意識せずに、手のひらの真ん中をヘソの下に持っていったところに意識を持っていくだけでいいのです。  (中略)

⑤この呼吸をする時間は、1~3分でいいのです。これから何かに集中して取り組みたいとき。  あるいはスポーツをするとき。  心を落ち着けたいとき。  この呼吸法を試してみてください。  きっと、スーッと心が楽になったり、リラックスして最大限の力を出したりできるようになると思います。』

2.「逆転の呼吸法」について書かれた部分から紹介します。

『①「逆転の呼吸法」の実践に移りましょう。  この呼吸法の所要時間もまた1分間あればOKです。息を「ハーッ」と吐く時の筋肉の動きをしながら息を吸うのです。  これだけで、ふつうの呼吸よりもたくさんの空気が体内に入り、一気に力がみなぎってくるのです。

②座っていても、立っていても構いません。  前項の呼吸法のように、両手のひらをヘソの下付近に当てても構いません。

③まず、ゆっくりと鼻から息を吸い込み、口をわずかに開けながら息をハーッと口から吐き出していきます。  3回行います。  ポイントは吐ききったときの体幹部や筋肉の収縮状態をしっかり覚えておくことです。

④次に、4回目に吐き切ったときに、いま息を吐き出すときに使った筋肉の動きをそっくりそのまま再現させながら息を吸って下さい。  ヘソの下の丹田に向けてギューッと圧をかけるようにして吸い込むのです、この筋肉の動きで息を吸い込むことで、体幹部に一気に力が入ります。

⑤1分間、この逆転の呼吸法をすることで、集中力とパワーが充満してくるはずです。  この呼吸法をマスターすると、瞬時に力を発揮することができるようになると思います。』

3.「自分の中に眠っている潜在能力を呼び覚まそう」の項からも紹介します。

『①(前略)人間が「自分の持っている力を最大限に高め」て「大きな成果を出す」という二つの課題の奥に、まだ誰もやろうとしなかった方法があることに気づきました。

②それは、自分の体の中のまだ十分に使われていない機能を使うということです。  その機能を高めていけば、自分の体の中で眠っている神経回路を開き、十分に働いていない筋肉を呼び覚ますことができるのです。

③その機能を覚醒させ、鍛えていく方法が、「単純な反復運動ではなく、感覚を働かせた運動」の「ハンマロビクス」です。

④(ハンマロビクスとは)バーベルの重りの代わりにワイヤー付きのハンマーをぶら下げて、バーベルの左右の端でハンマーがブラブラと揺れるのを、バランスを保ちながら姿勢を保持する。  毎回、一定の動きを繰り返すのではなく、変化する状況を感知し適応しながら(スクワットで)持ち上げる。

⑤不規則な運動に適応しながら、人間のあらゆる機能や神経回路を使う運動をすることによって、潜在的な力を引き出し、集中力を高めることができるのではないでしょうか。』

4.私が選手稽古に取り入れている意拳の「仰臥禅」の中に、両手の老宮を丹田に当てて行う順式呼吸と逆式呼吸があります。  起きて行うか、寝て行うかの違いはありますが、上の1.2.とまったく同じです。  また、意拳の目指すところの一つに、3.の潜在的な「神経回路」の開発があります。

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高橋是清

1.10月8日のブログで取り上げた『人生の手引き書』(渡部昇一著 扶桑社新書)の中に高橋是清に関する記述がありました。  『「自分はツイている」という自己暗示が、幸運を呼び込む』の項から紹介します。

『①運を呼び込むためには、「自分はツイている」という思い込みも重要である。

②明治から昭和にかけて活躍した政治家、高橋是清は、この「自分はツイている」という思い込みで幸運を呼び込んだ人の例の一つだろう。この人の伝記を読むと、子どものころから自分は絶対に運がいいはずだと信じ込んでいたことがよくわかるのだ。

③高橋是清は、幕府の御用絵師の子として江戸時代に生まれ、その後、仙台藩の足軽の養子となった。  晩年、「ダルマさん」と呼ばれた是清だが、幼いころからコロコロとした可愛らしい子どもだったという。

④ある日、神社で遊んでいると、たまたま伊達家の奥方が神社にお参りに来た。  小さな是清は、身分が高い人であるにもかかわらず、ものおじせずにニコニコとして近寄って行った。  その姿がなんとも愛くるしかったため、奥方に可愛がられ、翌日にはお屋敷にも呼ばれて殿様にも可愛がられるようになったそうだ。  それが機縁でアメリカに行くことになった。

⑤こういうことがあったため、是清は自分には運がついていると思うようになった。  そして、それが、彼の活躍につながるのである。

⑥たとえば、日露戦争の資金調達のためにイギリスを訪れたときのことだ。  千万ポンド必要なところ、イギリスからは五百万ポンドしか引き出せなかった。  普通ならば、落胆しきって顔色も悪かったことだろう。  何しろ、日本の命運が自分の両肩にどっしりとのしかかり、資金調達の失敗は、日露戦争に敗けることを意味したからだ。  体中に悲壮感が漂っていても、おかしくない。

⑦ところが、是清はこのような大ピンチのときにも、「オレは運のいい男なのだから、きっとなんとかなる」と思っていた。  そして、それが本当に、なんとかなってしまったのである。

⑧ある夜、是清はある銀行家のパーティーに招待された。  そこでたまたま隣に座った男と話が弾むのだが、これがユダヤ人で反ロシアだったのだ。  話すうちにすっかり是清を気に入ったその男は、残り五百万ポンドの資金援助を約束してくれたのである。

⑨このユダヤ人との遭遇は、まさしく偶然であり、運としか言いようがない。  そして、是清がそのユダヤ人の前でしょんぼりとうなだれているだけだったら、意気投合することはなかったかもしれない。  是清が運を信じて体中から運気ともいうべきものを発散させていたからこそ、この遭遇と、それに続く幸運があったのだろう。

⑩是清の例に限らず、「自分は絶対に大丈夫だ」と、根拠のない自信を抱いている人は、結構いる。  これは、ある種の自己暗示であり、この自己暗示が、本当に幸運を導いてくれることも、たまさかではないのだ。』

2.高橋是清がアメリカ留学に際してだまされ、奴隷のような生活を強いられたことは有名です。  以下はネットからの引用です。

『横浜に滞在していた貿易商に学費や渡航費を着服されたうえ、ホームステイ先では年季奉公の契約書にサインしてしまったのです。  当時の年季奉公は最低限の食料品と日用品が与えられる程度で、労働に従事しなくてはいけません。  彼はここで奴隷のような生活を送らなくてはいけなくなってしまったのです。  しかし、彼はここで英語力を身に着けたのです。  彼にとって英語力はまさに生きるために必須の能力だったことでしょう。』

「だるま宰相」と呼ばれた高橋是清ですが、風貌が似ていただけでなく、その人生もまさに「七転び八起き」でした。  そんな中でも、「オレは運のいい男なのだから、きっとなんとかなる」ってスゴイですね。

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正確な情報

1.6月27日と8月27日のブログで、1945年に終わった太平洋戦争の敗因について書かれた本を紹介しました。  今回は『帝国軍人の弁明』(保坂正康著 筑摩選書)を取り上げます。  「第2章 堀栄三『大本営参謀の情報戦記』を読む」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①昭和陸軍の情報をうとんじる体質は、1944年10月の台湾沖航空戦を見ても充分に窺える。  この航空戦は(1941年12月の)真珠湾攻撃以来、まったく勝つことのできなかった日本軍が珍しく大戦果をあげたということで、国を挙げて旗行列を行った。

②「大本営発表」によると「台湾沖航空戦では、轟撃沈が空母10隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦1隻、撃破は空母3隻、戦艦1隻、巡洋艦4隻、艦種不詳11隻」という大戦果である。  ところがこれがまったくの偽りであった。  空母など1隻も撃沈していなかった。  (中略)

③情報をうとんじる、あるいは正確な情報を求めるより、集団で容認した虚構をそれぞれが信じることで、安心する心理が生まれていたのである。  (中略)  50万人余りの日本軍将兵が死ぬレイテ決戦はまさに虚構の上に成り立っていたのである。』


2.1の『大本営参謀の情報戦記』(堀栄三著 文春文庫)も読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①情報は収集するや直ちに審査しなければならない。  こんなことは情報の初歩の常識である。  航空戦の場合はいったい、誰が、どこで、戦果を見ているのだろうか?  

②真珠湾攻撃のときは戦果の写真撮影があって、戦果の確認が一目瞭然であった。  その後の航空戦では、真珠湾のときのような戦果の確認が出来ていない。  (中略)

③航空戦の実相は、戦闘参加機以外のだれかが、冷静に写真その他で戦果を見届ける確認手段がない限り、誇大報告は避けられない。  極限に立たされた人間には、微妙な心理が働くものである。  戦術ばかりでなく、情報参謀にはそうした心理学的研究も必要であった。  (中略)

④米軍は常に戦果確認機をだして写真撮影するのが例になっているが、日本の海軍でも陸軍でもその方法は採られなかった。  これが国運を左右する結果を招いてしまったことは、将来とも肝に銘ずべきことであろう。  とにかく目で見ることは戦果確認に一番大事なことであった。』


3.空手の試合においても、自分と対戦相手の情報を正確に把握することが大切です。  試合での戦術は、正しい情報を前提として構築するものだからです。  自分を過大評価し、相手を過小評価してはいけません。  もちろん自分を過小評価し、相手を過大評価することも良くありません。  

極真の選手にとっては、さまざまな映像を見ることと同時に、機関紙である『ワールド空手』を読むことは必須だと思います。  海外勢を含め、多くのライバル選手の情報が載っているわけですから。

明日は城西カップです。  大会当日も、対戦予定選手の試合を見て、最新の情報を得ておくことは大事です。  選手の皆さんの健闘を祈ります。  

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お人好し

先週に続き、渡部昇一先生の本を取り上げます。  『人生の手引き書』(扶桑社新書)の「お人好しはマイナス要素だと思われがちだが、真逆である」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①仕事をする上で、頭がキレるということも重要だが、その一方で、人柄の良さも絶対に欠かすことのできない要素である。  人柄のいい人はパッとした華々しさこそないけれど、長い間にだんだん周囲の人の信頼を得て、最終的にはかつがれてトップに立ってしまうということも少なくない。

②反対に、あいつはいつ裏切るかわからない、ちょっと汚いことをする、野心家で他人を蹴落とすことをなんとも思わない、というような人は、だんだんに周囲の信用を失って自然淘汰されてしまうものなのである。

③人柄の良さで成功した一番の好例は、豊臣秀吉だろう。  秀吉は、戦国時代には、珍しいほどのお人好しだったのだ。

④たとえば、織田信長が比叡山の焼き討ちを行ったときのことだ。  同じく信長の腹心で切れ者といわれた明智光秀らの武将が、僧侶をも皆殺しにせよという信長の命令に忠実に従ったのに対し、秀吉が担当していた香芳谷だけはやや寛大で、ここから多くの男女が逃れ出て、多少の宝物も持ち出されたのである。

⑤秀吉も恐ろしいほどの切れ者だったから、皆殺しにしようと思えばできたはずである。  しかし、一般の僧侶や男女を殺しても仕方がない。  それにもまして、秀吉は、元来は単純に人を殺すのが好きではない気質だった。  それが、秀吉の人柄だったのである。

⑥中国攻めのときもそうだ。  敵は皆殺しにせよという信長の命令にもかかわらず、秀吉は無害のものは殺したくないという姿勢を貫いた。

⑦このように無用な人殺しはしたくないということを、秀吉は何度も見せている。  すると、秀吉というのは、めったなことでは人を殺さない男だという評判が立つ。  九州があっという間に秀吉についたのは、こうした秀吉の人柄によるところが大きいと言っていい。

⑧戦国時代という時代背景を考えれば異常なほどだった人の良さが、秀吉を天下人にしたのである。』

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日本人の道徳心

1.今年の4月17日に87歳でご逝去された、渡部昇一先生が書かれた『日本人の道徳心』(ベスト新書)を読みました。   「徳のある人格者、伊藤東涯」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①伊藤東涯の父である仁斎と荻生徂徠は、もともと因縁の関係にあった。  仁斎は京都、徂徠は江戸でそれぞれ儒学を探求していた。  (中略)  徂徠は晩年、仁斎を批判するようになった。  子供の頃から東涯は、徂徠が父を批判していることは知っていたはずで、徂徠に反感を持っていてもまったくおかしくない事情があったのだ。  (中略)

②東涯の弟子は、「徂徠がこんなことを言っていますよ」といいつければ東涯も喜んでくれるだろうと軽いノリで話を持っていったのだろうが、さすがは東涯である。  喜ぶどころか、反対に「実に立派な文章ではないか」と弟子たちを戒めたというのである。  徳のある人格者はやはり言うことが違う。

③伊藤家は儒学を単にひとつの学問としてだけでなく、人間性を向上させるための教えとして、これをいつも実践しなければならないと考えていたのだろう。

④伊藤仁斎・東涯親子も、徂徠も、学者として非常に優秀だった。  これは疑う余地のないところである。  

⑤ただ、これは私の持論でもあるのだが、学問をやっている人には二種類あり、その違いが両者の隔たりを生んだのだと思っている。  その二種類とは、「学問だけが優れている人」と「〝学問は人間性を向上させるためにある〟と捉えて勉強している人」のふたつである。

⑥学問を生業とする人間は常に後者であろうとすることが何よりも大切なのではないだろうか、と私は思う。』 


2.上の⑤と⑥の「学問」を「武道」、「勉強」を「修行」と書き換えても、次のように文章として成り立ちます。

『⑤武道をやっている人には二種類あり、その違いが両者の隔たりを生んだのだと思っている。  その二種類とは、「武道だけが優れている人」と「〝武道は人間性を向上させるためにある〟と捉えて修行している人」のふたつである。

⑥武道を生業とする人間は常に後者であろうとすることが何よりも大切なのではないだろうか、と私は思う。』 

極真空手の修行を通じて人間性を磨いていきたいものです。

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