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鎌田實医師と緊張

ちょっとしつこいかも知れませんが(笑)、4週連続「緊張」がテーマです。  ネットの「NEWSポストセブン」に、諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が「緊張」に関して考察した文章が載っていました。  タイトルは『カーリング「そだね~」は副交感神経を刺激し緊張の緩和に』です。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『平昌オリンピック、パラリンピックが閉幕し、アスリートたちのドラマとパフォーマンスに感動する日々が終わった。  勝敗は残酷だ。  一瞬で決着がついてしまう。  そのプレッシャーに耐えながら、最高のパフォーマンスを披露しようとする選手たちの姿には本当に胸を打たれる。

1.ノルアドレナリン

①いったい、どうやって、プレッシャーや緊張に打ち克とうとしているのか。  今回はノルアドレナリンという物質に注目してみよう。  ノルアドレナリンはカテコールアミンという化学物質の仲間で、神経伝達物質やホルモンとして働く。  この物質が分泌されると覚醒作用により、心拍数や血圧の上昇が起き、注意力、集中力、判断力、作業効率などが高まる。  精神に作用して、やる気や意欲も出てくる。  危機と戦ったり、敵から逃げたりするために、自分で自分に気合いを入れるのだ。

②ノルアドレナリンは同時に不安や恐怖、緊張、怒りなどの感情の高ぶりやイライラも生み出す。  ストレスが続いたままでいると、ノルアドレナリンが分泌され続け、その影響で緊張が続き、筋肉などに強い疲労を感じるようになる。  緊張のため体がガチガチに固まってしまい、いつも通りにできなかったというのは、このノルアドレナリン過剰の状況だろう。

③その点、トップ・アスリートたちはノルアドレナリンの分泌バランスが実に見事だ。  オリンピックという大舞台で、ノルアドレナリンをしっかり出して集中力を高め、なおかつ緊張しすぎたりしない。  

④どうやったらそんなことができるのか。  日本女子カーリングチームのふるまいを見ていると、ヒントがあることに気づく。  「そだね~」  ふんわりした北海道弁が話題になった。  チームみんなが北見市出身ということもあって、自然体の言葉が行き交っていた。    

⑤これが副交感神経を刺激し、緊張の緩和になったと思う。  ノルアドレナリンは、交感神経を刺激する方向に働くが、自然体の会話とあたたかいつながりが安心感をもたらし、過度な緊張に陥らずにすんだのではないか。

2.セロトニン

①もう一つは、もぐもぐタイム。  こちらも話題になった。  イチゴやバナナ、北見市のチーズケーキやお菓子などをおいしそうに食べていた。  おいしいものを食べると、幸福な気持ちになる。  セロトニンが分泌されるためだ。  セロトニンは、ノルアドレナリンの過剰分泌を抑える方向に働くといわれる。  もぐもぐタイムは、セロトニンタイムなのだ。

②アスリートにとって、ノルアドレナリンのパワーは大事な駆動力になる。  最高のパフォーマンスをするには、ノルアドレナリンをバンバン分泌して、意欲も集中力も判断力も高めたい。  でも、これだけでは体が緊張してしまう。

③そこで、必要になるのが、副交感神経とセロトニンというブレーキ。  アクセルとブレーキを巧みに操作することが大切なのだ。  その結果、日本女子カーリングチームは、長い連戦を勝ち抜き、銅メダルを獲得した。

3ノルアドレナリンの分泌バランス. 

①このようにノルアドレナリンの分泌バランスをよくするコツは、スポーツ選手だけでなく、だれにとっても知っておいて損はない。  仕事やふだんの生活で活かすことができるからだ。

②ノルアドレナリンの分泌バランスがよければ、物事の判断力に優れ、ストレスへの耐性も強くなる。  さらに我慢強く、危機に立ち向かい、率先した行動やリーダーシップを発揮しやすい状態になる。

③大きな仕事に挑戦したりしているときこそ、ゆったりとした音楽を聴いたり、体のストレッチをして深呼吸をしたり、副交感神経を刺激することを意識してみよう。

④また、セロトニンを出すには、ごはんを食べたら「おいしい」、夕日やいい景色を見たら「きれいだな」などと声に出し、五感を活用しながら感動することが大切だ。


食事のとき、「うまいな~」が私の口癖です。  でも以前、焼肉屋を経営する友人に「山田さんは本当の味がわからない」とからかわれたことがあります。  何出されても、「うまいな~」と言うからだそうです(笑)

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長田一臣先生と緊張

(1)今回も前回・前々回に引き続き、「緊張」がテーマです。

1.①20代の頃、日本体育大学教授の長田一臣先生が書かれた『スランプに挑む―「人生の波」を乗り切るために』(講談社)という本を読んだことがきっかけで、スポーツ心理学に興味を持ちました。  長田先生は、体操の具志堅幸司選手、柔道の古賀稔彦選手・恵本裕子選手らの金メダリストを指導しています。

②1996年に『最強の極真空手 城西テクニック編』(スキージャーナル)を出版しました。  担当の編集者が長田先生と面識があり、紹介していただきます。

③その本の執筆途中の、1995年から長田先生に毎月1回私の会社に来ていただき、メンタルトレーニングの講義と自律訓練法による集団指導を受ける機会が得られました。  また、長田先生の大学研究室にも、お邪魔して自律訓練法を個人指導していただいたこともあります。

2.長田先生が書かれた『勝利へのメンタル・マネジメント』(スキージャーナル)の中から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①(「上がる」徴候について)稽古のときは力みがなく、相手がよく見える、だから楽に構えていろんな技が駆使できる。  だが、いざ試合となると緊張感が強く、力みが出てくるので、動きがぎこちなくなってしまう。  

②こういう現象は正常な人間なら誰にでも起こることである。  「自分に起こっていることは相手にも起こっていることだ」とわからせることが大事である。』

3.長田先生と、弘前大学教授(当時)・麓信儀先生との対談集『勝者の条件―アスリートの〈心〉をどう鍛えるか』(春秋社)の中の、麓先生の発言を抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①試合前にリラックスして、心身ともにリフレッシュした方がいい結果をもたらすというのは、今では常識ですね。  でも、それがいいとわかっていてもできないというところに問題がある。  

②生理学的に言うと、自律神経系が無意識のうちに活性化してしまう。  自律的であるがゆえに対処に困る。  冷や汗や動悸などの生理現象を静めようとするのは、「心臓を止めよ」という命令と同じでできない。  

③30分後に重要な試合だという意識が、自律神経系の中枢を自律的に(無意識のうちに)刺激してしまうからです。  「緊張しないようにしよう」と意識的に対処するともっと悪くなる。』


(2)個室

『①高速道路を北に向かって走っていた私は、トイレに行きたくなったので、サービスエリアに立ち寄りました。

②手前の個室はふさがっていたので、その隣に入りました。  便器に腰を下ろそうとしたその時、隣から 「やあ、元気?」と声が。  ためらいがちに「まあまあだよ」と 答えました。

③すると隣人は「そうか……それで、今何してるの?」と言うのです。   妙だなと思いましたが、答えました。   「君と同じだよ。  ウンコしようとしてるんだ!」

④やがて隣の男は、声をひそめてこう言ったのです。

「おい、あとでかけ直すよ。  隣の個室に、俺の話にいちいち答えるアホがいるんだ!」』(本郷孔洋先生のメルマガより)

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久米宏さんの緊張

前回のブログで「緊張」についてコメントしました。  今回は「緊張」に関して久米宏さんを取り上げます。

あまりテレビを見ない私も、かって久米さんが司会を務めた『ぴったし カン・カン』、 『ザ・ベストテン』、 『ニュースステーション』などは見ていた記憶があります。

経済アナリストの森永卓郎さんが3月12日の朝日新聞・夕刊連載で久米さんのことを書いていました。  番号を付けて紹介します。

『①1999年、テレビ朝日の「ニュースステーション」のディレクターから突然、一緒に食事して飲みませんかと電話がかかってきた。  「それは、タダですか」「だったら行きます」。  毎日粗食で夜中まで残業していた私は、タダ飯と美酒に酔いしれた。  もちろん、世の中タダがあるはずがない。  帰り際にディレクターがつぶやいた。  「森永さん、一度ニュースステーションに出てみませんか」

②その直前、ニュースステーションのコメンテータが不倫スキャンダルを“文春砲”で撃たれ、後任を探していたのだと後から聞いた。  私は即答した。  「久米宏さんと渡辺真理さんのサイン入り名刺と引き換えなら出ます」。  当時、私は有名人のサイン入り名刺をコレクションしていて、絶好のチャンスと思ったのだ。

③テレビ朝日に到着した私は、生放送前に約束の履行を求めた。  「サイン入り名刺をくれなかったら、スタジオに入りません」。  ディレクターは、ちょっとだけ嫌な顔をしたが、2人のサイン入り名刺をもらってきてくれた。  その時点で、私の仕事は、終わった。

④生放送の本番、私は適当に流した。  何しろ仕事は終わっているのだ。  ところが、後から聞いた話だが、その放送をテレビ朝日の幹部が目を凝らして視(み)ていたという。  新コメンテータ候補の値踏みをしていたのだ。  「こいつは、どんな質問をしても動じないのですごい」ということになり、それから私は新コメンテータとして番組に加わった。

⑤番組に参加して、久米宏さんは努力の人だと分かった。  ゲストの著書や資料はすべて読み込んでくるし、あらゆる勉強をおこたらなかった。  番組で出せるのは、その数%なのだが、あらゆる想定をしているので、どんな事態にも対応できたのだ。

⑥真剣に仕事をしているから緊張もする。  生放送前には、久米さんの手が震えていた。  「毎日やっていて、なぜ緊張するんですか。  ボクなんて、ぜんぜん緊張しませんよ」。  「緊張しない奴(やつ)は成長しないぞ」。  確かに、それ以降、私は一向に成長してない。』

久米さんは前回のブログで書いた「緊張を感じても実力を出せる人」の典型だと思います。  でも、「生放送前に手が震えていた」なんて、知りませんでした。

また、久米さんの「緊張しない奴は成長しないぞ」という言葉にも感銘を受けました。

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長く空手を続けることの意義

1.私が極真会館総本部道場に入門したのは1971年8月ですから、今年の8月で47年になります。  東京城西支部を開設したのは1978年8月ですから、今年でちょうど40年です。

私自身の長い経験を踏まえて、審査会や試合会場で、審査会や試合に参加する意味について話をします。  また同じく、長く空手を続けることの意義について話をすることもあります。

最近の城西支部ホームページで、その点に関するコメントを見つけましたので、改めて紹介します。

①3月6日にアップされた城西支部レポートから・・・岡部慎太郎の昇段レポート

『自分は、年中から空手を始めました。  母が武道をさせたいという気持ちがあり、見学に行きました。
 
少年部の頃は、試合に出るものの、一回戦負けが多く、このまま続けて良いのかと思う時もありました。  しかし小学校6年生の時に、内部試合で中学生の部に出場した時に、中学生に勝ち優勝する事ができました。  年上の人に勝てたということが自信になりました。

その自信もきっかけになり、鎌田先生のすすめで始めたウェイトトレーニングでも体力的にも自信がつきました。  そのおかげで昨年は、極真祭3位や関東大会で優勝することができました。  あの時の優勝が無かったら、極真祭で入賞することは無かったと思います。

山田師範がいつも言われているように、『負けても続けることが大事』という言葉の意味が良くわかりました。』


②3月7日付け指導員ブログの道場生インタビューから・・・八幡幼稚園空手教室・吉澤 遥輝くん(年長)のお母さんのコメント

『空手の魅力について・・・試合や審査、試割り会など、緊張する機会が多くあるところです。  今後様々なシチュエーションで緊張の場面があるかと思いますが、メンタルコントロールがうまくできる子になってほしいと思います。  不安に感じたらどうするか、夜寝つけない時はどうするか、今後の空手の緊張の機会を大事に、己をよく知って欲しいと思います。』

先日の平昌オリンピックを観ていても感じましたが、実力を発揮できた人と、実力を発揮できなかった人とがいます。  実力を発揮できた人が緊張を感じていなかったかと言えば、そんなことはなかったと思います。  つまり、「緊張を感じても実力を出せる人」と「緊張を感じたら実力を出せない人」とに分かれるわけです。

その一番の対処法は「場数を踏むこと」、つまり緊張するような場面をより多く体験することです。  遥輝くんのお母さんが言われるように、極真空手の道場にはその機会がたくさんあります。  城西の少年部には、将来是非「勝負強い大人」になってもらいたいと思いますし、岡部慎太郎のように長く空手を続けていけば、必ず「勝負強い大人」になれると信じています。


2.岡部慎太郎の昇段レポートの最後に、私にとって嬉しい次のような一言がありました。  

『将来は、東京城西支部の代表選手になり、全日本大会などで活躍できるように頑張ります。』

「年中から空手を始めた少年部が、城西の代表として全日本大会で活躍する場面が見られる」ことにまさる指導者としての喜びはありません。

慎太郎にはそれだけの可能性を感じます。  

森善十朗も鎌田翔平も高校卒業して上京後、最初の試合は2回戦負けでした。








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ヴォー・グエン・ザップ

1.ベトナム戦争を指揮した、ヴォー・グエン・ザップという軍人・政治家がいます。  ウィキペディアで検索すると次のように出てきます。

『ベトナム共産党政治局員。  ベトナム人民軍総司令官(最終階級は大将)。  優れた軍事戦術家であったザップは、フランスの植民地支配の際、ディエンビエンフーの戦いによって、フランス領インドシナからベトナムを解放し、ベトナム人民軍の指導者としてアメリカ軍及び南ベトナム軍との戦いを指揮し、ベトナムを再統一する大きな原動力となった。  その名采配から、西側諸国からは「赤いナポレオン」と呼ばれ 、ベトナム人民からは「ベトナム救国の英雄」として、ホー・チ・ミンと共に、深い敬愛と尊敬を集めた。』


2.ナイキの創業者、フィル・ナイトが書いた『SHOE DOG』(東洋経済新報社)の中にヴォー・グエン・ザップに会ったときのことが書かれています。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①1997年には(ベトナムに)4つの工場を建てた。  ベトナム政府から国の外貨を生んだ上位5社のうちの1社として栄誉を与え祝福したいと言われた時は、もうこれはベトナムを訪問するしかないと思った。  

②大変な旅だった。  戦争が終わってから25年ぶりに戻り、敵対国の相手と握手するまで、どれほどベトナム戦争への憎悪が深かったのか自分でもわからない。

③話の途中で何か望むことはないか、せっかくの旅だから何か特別の記念になるようなことをしてあげたいと言われ、私は熱いものがこみ上げてきた。  わざわざいいですよと私は言った。  だが彼らは、ぜひと言ってきかない。

④それではと言って、私は(当時)86歳のヴォー・グエン・ザップという、ベトナムのマッカーサーに会いたいと言った。  日本、フランス、アメリカ、中国を1人で撃退した人だ。  彼らは驚いて沈黙した。  (中略)  5分後に彼らは戻ってきた。  明日、1時間ほどなら面会できますと言った。  (中略)

⑤ザップ将軍が部屋に入ってきた時、最初に気づいたのは彼の背丈だった。  この優れた兵士、テト部隊を結成した天才的な戦術家、何マイルも深く地下トンネルを計画した歴史の巨人が、私の肩までの背丈しかなかったのだ。  5フィート4インチ(約163センチ)くらいだ。

⑥そして質素な格好だ。  (マッカーサーのような)コーンパイプはザップには似合わない。  彼は私と同じように、ダークのビジネススーツを着ていたと思う。

⑦私と同じでその笑顔ははにかんでいて、本音が見えない。  だが、迫力があった。  偉大なコーチや偉大なビジネスリーダーなど、エリート中のエリートが持ち合わせる、輝かしい自信のようなものが見て取れた。  鏡を見ても私などからは見えてこないオーラだ。

⑧彼は私が聞きたいことがあるのを見越して、質問を待っていた。  私は簡単に「どうしてあそこまでのことができたのですか」と聞いた。

⑨彼の口元がゆがんでいるのが見えた。  笑顔だろうか?  それとも?  

⑩彼はしばらく考えて、こう答えた。  「ジャングルのことを知りつくしていたからね」』


3.警備員

万引きが後を絶たないスーパーが警備員を増員することになった。  応募してきた男に、さっそく面接が行われた。

「警備員の経験は?」  「20年のキャリアがあります。」
 
「体力に自信は?」  「こう見えても、柔道・空手の有段者です。」
 
「当店では、主に万引きの防止に力を注いでもらえますか?」  「はい、今まで警備した店では一件も万引きが発生していません。」
 
「それは頼もしいです。」  「私にお任せください。」
 
「ところで、以前はどちらの店にいらしたのですか?」  「グランドピアノの専門店です。」
                                                       
                                   (本郷孔洋先生のメルマガより)


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