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加賀乙彦「幸田露伴の気」

『日本の古典に学びしなやかに生きる』(加賀乙彦著 集英社)を読みました。  第三章『『努力論』に見る「運」の上げ方』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①(『努力論』の著者)幸田露伴は「気」というものを大事にしています。  そして『努力論』の結論として、気をさらに詳しく述べています。

②日本語の「にほひ」というのが気にあたっている、と露伴は言います。  匂いというと、今では「香り」のことを言いますが、それだけではありません。  色や声、光なども「にほひ」に含まれます。  蘭には蘭の気、菊には菊の気、梅には梅の気があって、その物の特徴ある性質を気として、「にほひ」としてとらえているのです。

③人間にも、その人に現われてくる気がありますから、これをよく見、よく感じてこそ人間を理解できます。  尊い人には独特の気があるもので仏菩薩の像を描く画家が円光を頭にそえるのも、気を形に表しているのでしょう。  キリスト教の聖人像にも輪光が描いてあり、洋の東西同じ気を聖なる人に見ている証拠です。  相家(人相見)が人の内面を見破るのも、気をよく感じて見る修練を積んでいるせいでしょう。

④露伴は、人間は器と非器でできていると言います。  臓腑、脳髄、骨骸、筋肉、血液、神経、髪膚、爪牙などの身体は、これを器と呼びます。  これに対して、目に見えず、触れることができず、空間を占領せずに存在するものがあり、世の中の人々は漠然とこれを心と読んでいますがこれが非器です。  簡単に言えば「器が身」で「非器が心」ということになるでしょう。

⑤『努力論』の最後が心身、死、宇宙、宗教といった大問題に到達したのは、結局、人が努力すること、成功すること、運が上がったり下がったりすることは「気」という非器、目に見えないものに深く関わっているからではないでしょうか。  日本語には「運気」という言葉があります。  運はまさに気なのです。

⑥露伴が『努力論』で目指したのは、努力によって成功するにはどうしたらいいのかという具体的な方法をあれこれ考えて、おのれの人生の味も加えて人に示すことであったと思います。  しかし彼の成功とは決して金を儲けたり、事業において人に抜きんでることではなく、人間の幸福とはなにかという「気の道」を探し求めることにあったのではないでしょうか。 

⑦露伴の思想は、日本や中国の古典の知識に支えられていて、驚くべく柔軟で強靭な言行にまで達していると思います。  (『努力論』は)永遠の古典として、何度でも手に取って読まれるべき本でしょう。

⑧さまざまな不安要素や暗い話題も絶えない現代ですが、今、露伴が生きていれば、驚いてあわてふためく必要はない、逆境の時こそ人間の「気の道」がためされるのであり、人間の真価がはっきりするのだから心して仕事に打ち込めと言うのではないでしょうか。』

幸田露伴の『努力論』は私のブログでも何回か紹介しています。  現代語訳も出ていますので一読をお勧めします。

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