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焼肉革命

叙々苑の創業者・新井泰道さんが書かれた『焼肉革命』(角川新書)を読みました。  新井さんは1942年神奈川県横須賀市生まれです。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①貧しい少年時代を過ごしていた私は、早く家を飛び出して自由になりたいと思っていました。  それを見かねた叔母が「東京で働かないか」と勧めてくれたのは、私が中学を卒業する、少し前のことです。  (1958年)当時、進学組と就職組では、就職組の方が多かったのです。

②私は、二つ返事で行くことに決めました。  父親に一応相談すると、「板前はいいぞ、包丁をトントンやっていれば金がもらえるのだから。  楽だぞ」と言われました。  それほど子どもの教育には無関心だったのです。

③私が向かったのは、新宿にあった焼肉屋「明月館(戦後すぐの1946年に、東京で最初の大型の焼き肉店として開業)」です。  当時は、焼肉屋自体が珍しい時期でした。

④住み込みで1カ月3000円の給料をもらいましたから、いま考えれば恵まれていたのかもしれません。  すし屋で1500円、そば屋で500円というのが給料の相場でした。

⑤その代わり、よく働きましたね。  朝は8時前に起こされて、顔を洗って、歯を磨いて、8時には厨房に立っていました。  私の仕事は、器を全部、洗って湯通しすることから始まりました。

⑥仕込みが一段落するころにはランチタイムになり、それから夜の11時までほとんど休憩なしに働くのです。  1日の労働時間は15時間、いまなら、問題になるでしょうが、当時はそれが当たり前でした。  

⑦休みは月に2日です。  といっても、ゆっくりはしていられません。  住み込みで自分の部屋があるわけではありません。  いつも、2階の客間に布団を敷いて寝ていました。  休日といえども、いつも通りに起きて、店が終わるまで外で過ごさなければならないのです。』

昨日は朝練を早めに切り上げて、いつもの出席メンバー(鎌田・竹岡・加賀・石崎)と桜上水の「叙々苑」に行きました。  お土産の叙々苑弁当はカミさんに大好評でした。

また、新宿駅から近い「明月館」にも大会の後など、よく行きます。  昨年の世界大会後も選手・セコンドのみんなと行って、一杯やりました。  新井さんは「2階の客間で寝ていた」とのことですから、60年近く前、去年入った2階の個室あたりで寝られていたのかもしれません(笑)

明日は内部試合です。  選手の皆さんが、日頃の稽古の成果を充分に発揮されることを、祈っています。

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