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謎の拳法を求めて

9月22日、久しぶりに金沢に行きました。  偶然にも金沢でのお通夜が二日続きました。  帰宅する24日に金沢駅構内の書店で『謎の拳法を求めて』(松田隆智著 日貿出版社)を購入しました。  1994年出版の『謎の拳法を求めて』(東京新聞出版局)に、新たに第五章から第九章を増補したものです。  「第八章 松田隆智ラストインタビュー」(インタビューは2012年11月から合計三回)から抜粋して紹介します。

『(剛柔流は東京で習われるわけですが、どうして東京だったのでしょうか?)・・・あの頃(1955年、 筆者は当時、愛知県の高校2年生)は東京、大阪の大都市くらいでしか空手をやっていなかったんじゃないの。

(一番最初に東京に訪ねていったのは?)・・・大山倍達先生だよ。

(それで松田先生から「習いたい」という手紙を大山先生に出したら、「じゃあ来なさい」というお返事があったわけですね。)・・・うん。  まだのんびりした時代で、多分そういう子供が少なかったんだろうな。  だから自分の少年時代の面影を俺に追っていたんじゃないかな。  それから毎年夏休み、冬休みに東京に出て来て、山口(剛玄)先生の家とか大山先生の家とか沢山空手の先生と会ったよ。  他の流派の先生や澤井(健一)先生もそうだし。

(当時の大山先生の家はどんな感じだったのでしょうか?)・・・二階建ての庭付きで、目白の駅から2、3分くらいのところだったよ。

(当時はそのお庭で練習をされていたんですね。)・・・毎朝な。  ベンチプレスと縄の無い巻き藁と、ヘソよりちょっと高いくらいのバーがあってね、それを飛び越すサーキットトレーニング。  それをグルグル回りながらやる。  あとは組手だよ。  型はほとんどやらない。

(型はやらなかったんですか。)・・・平安の初段・二段くらいまでしかやらなかったな。  ナイファンチは知っているかもしれないけど最初から最後までやるのは見たことがない。  型の記憶はないなぁ。  組手ばっかりで。  それでバスルームがあったかどうか分からないんだけど、毎朝一緒に銭湯に行ったよ。  線路沿いを歩いて行くと銭湯があって。  帰りには、「おい、牛乳を飲んでいこう」と近くの牛乳屋に寄って、お店の人が出してくれた椅子に座って、ヨーグルトと牛乳を飲んでいたな。  大山先生は、「これには大腸菌がうようよいるんだぞ」って言われて、「食べて大丈夫ですか?」「大丈夫だよ、胃腸に良いんだよ」って。  今考えるとビフィズス菌だよな(笑)。  けっこう歳がいってから、「あ、先生間違えていたんだ」と気がついた(笑)

(大山総裁ではなく、大山道場の組手はどんなものだったのでしょうか?  顔面は寸止めだったんですね。)・・・うん。  でも大概当たったけどな。  ただ当てるといっても倒してしまう気持ちで当てるのではないから。  何をやってもいいんだから。  頭突きだって金的だって本当には蹴らないけどたまには当たった。  まあ、それは剛柔会でもそうだからな。  面白かったよ、今より。  寝技もOKだったから逆十字をする奴もいたよ。  楽しかったよ、目一杯暴れるから終わったあとが爽快だよ。』

先般、『極真空手50年の全技術』を出版しましたが、極真会館となる以前の大山道場・大山総裁・澤井先生など、極真フリークにはたまらない情報が満載でした。  

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