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「運」を育てる

1.麻雀のプロである土田浩翔さんが書かれた『「運」を育てる』(KADOKAWA)を読みました。   「まえがき」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「運」とは何か?  「運」を知る前の私は、データ収集と分析に熱中していました。  〝数字〟を突き詰めていけば、麻雀を解き明かすことができると信じていたのです。  とても愚かでした。

②運命の出会いがあり、「運」の動きに気づきました。  その日から見えない「運」を感じたいと思いました。  感じるためには〝気づきの量〟を増やしていく必要があり、日常生活から自分を見つめ直しました。

③「運」の動きに気づいてからは、自分を変えたいと思いました。  そのためには〝認めたくない自分〟を受け入れる必要がありました。  

④「運」を育てることは、「心」を育てることにつながっていきました。  「運」と向き合い、自分の目指すべき〝道〟が見えてきました。

⑤人との勝ち負けよりも、自分の内面との闘いに勝ちたいと思うようになりました。  そして「運」を磨いていくための精神を伝えていきたいと思いました。  

⑥「勝つこと」よりも「克つこと」が大切なんだと気づいたのです。』

上の⑥について、「真のコミュニケーションを築く」の項で解説されているので、併せて紹介します。

『①勝つ人がいれば、負ける人もいるわけで、4人で打っている以上、負けることなんていくらでもあるわけです。  そうなると何に対して負けたのかということになっていきます。

②目に見えている点棒や着順など勝ち負けの基準ではありません。  「自分自身に負けないようにしよう」  これが勝ち負けの基準です。

③自分に負けたときが負けで、相手に負けたことは負けではないのです。  麻雀の本質はそこにはありません。

④自分を育て、高めてくれるのが麻雀の本質です。  相手と競い合うゲームとして捉えてしまうと虚しいだけなのです。』 

極真の試合も同じだと思います。  トーナメントでは優勝者以外は必ず試合に負けます。  でも、負けたからといって全て価値がないかというと、そうではありません。  

「苦しくて途中であきらめた」「相手を過小評価し、油断して技ありを取られた」など自分自身に負けた場合は「負けた」と言ってもいいでしょう。  

しかし、「判定では負けたけど、強い相手に対してひるまずに立ち向かった」「本戦の終盤で苦しくなったけど、我慢して延長戦に持ち込んだ」「下段蹴りを効かされたけど、最後まで倒れなかった」などといった場合には「克った」と言えると思います。


2.「打ち砕かれたデータ分析」の項からも抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①少しばかり天狗になっていたある晩。  あるお客さんから「麻雀は勝負だよ、おまえの麻雀はよくできているけどひ弱だ。  一晩、俺の後ろで見てろ」と言われたのです。  日々勝っているのに、何をいまさらと思ったのですが、目からウロコが落ちました。

②その人の麻雀は〝心理を突く麻雀〟でした。  アガリ牌の待ち方も、理屈で考えられない待ち方をするのです。  両面待ちになるところをあえてカンチャン待ちにしてリーチ。  すると河が、自然に待ち牌が出やすくなるように変化し「これはないだろう」なんて言いながら誰かが切った牌に「ロン」の声。

③相手は予測不可能なことに遭遇し、心が揺らぎはじめていくのです。  一旦揺らぎはじめたらもう自由自在。  普通に手牌を進めていても、相手は勝手に疑心暗鬼になっていき、しまいには恐怖心を抱くようになっていくのです。  (中略)

④データを突き詰めていけば麻雀を解き明かすことができる、と信じていた自分が恥ずかしくなりました。』

麻雀用語を知らない方には分かりにくいかもしれませんが、空手でも十分に通じる内容だと思います。  極真の試合も、その本質は肉体・頭脳・心理の総力戦ですから。

余談ですが、うちのカミさんは今日も昨日に続き麻雀に出かけました(笑)  でも、年を取ってから、大好きで打ち込めるものがあるのは素晴らしいことだと思います。  今回紹介した本も、カミさんが観ていたテレビの麻雀番組で紹介されていたので購入しました。  


  

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