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黒澤浩樹

1.今週・水曜日の午後は松井館長・菊澤院長と一緒に、加藤友康社長の関係する会に出席していました。  その席で菊澤院長に「3月25日に黒澤浩樹が急性心不全で亡くなった」旨の連絡が入りました。

黒澤とは、1996年に対談集『極真対論「勝負の諸相」』(スキージャーナル刊)を出しています。  「まえがき」から抜粋して紹介します。

『黒澤浩樹が私の道場に入門してきたのは、1983年の春だった。  それまで黒澤は他の道場にいたのだが、直前に行なわれた首都圏交流試合に敗れ、初めての挫折を味わっていた。

一方、私の方も前年に行われた第14回全日本選手権大会を最後に選手生活を終え、自分の気持ちを指導者としての気持ちに切り替えつつあった時期だった。

結果的にみると、黒澤と私にとって、これ以上ないという絶妙なタイミングで出会いがあったような気がする。

師弟としての縁を得てから13年の月日が経過したが、その間の関係は、師弟というより極真空手の頂上を目指すパートナーであった。  そしてある時期から黒澤浩樹という存在は、私にとっての人生の師でもあった。

別に黒澤が私に何かを指導するということではないが、黒澤の選手としての生きざまを近くから見ているだけで、勇気づけられたり、人生を考えさせられたりすることが、ままあった。』

残念ながら、それから2年後の1998年に黒澤は極真会館を退会します。  その後の19年間は音信不通状態が続いていました。  同じように音信不通状態にあった増田章とは一昨年9月の「フルコンタクト空手友好団体化」記者会見の場で20年ぶりに会ったので、時期が来れば黒澤ともまた会える機会が訪れるのかとも思っていましたが、それもかなわぬ夢となりました。


2.「本当のことを言うと、私は君の大ファンでした。  天国に行ったら、大西靖人(2003年1月22日逝去)にもよろしく言って下さい。  君たちは間違いなく今の『城西』の礎を築いてくれました。  おかげさまで、昨年は鎌田翔平が田村悦宏以来24年ぶりに全日本チャンピオンとなりました。

私は今しばらく空手指導に励みたいと思います。  いずれ私も君たちの所へ行くので、そのときはお互いに若かったころの思い出話に花を咲かせて、三人で酒を酌み交わしましょう。」

好漢・黒澤浩樹君のご冥福をお祈り申し上げます。 合掌

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