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牛一歩

『 もう一息

 もう一息と言う処でくたばっては何事もものにならない

          八十二歳 実篤 』

何度かブログにも書きましたが、下高井戸道場に武者小路実篤先生が書かれた上のような額が掛けてあります。  1972年に新宿の紀伊國屋書店で購入したものです。  最初は自宅に飾っておいたのですが、1980年に代田橋で初めて常設道場を確保した時にそちらに移しました。

地図を眺めていたら、京王線の仙川駅近くに『実篤公園』というのを見つけました。  ネットで調べたら武者小路実篤先生の晩年の自宅が公園になっています。  敷地の中に『実篤記念館』があり、そこで三女の武者小路辰子さんが書いた『ほくろの呼鈴』(筑摩書房)を買ってきました。  本書から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.父の愛用の硯の一つに穴があいた。  いつも墨をすっている一ヵ所が貫かれてしまったのである。  硯に穴があくということは私は今まで聞いたことがなかった。  (画家の)中川一正小父様が「新潮」に、やはり「硯がこんな姿になったのを私は見たことがない」と書いて下さった。

2.①先だって、父のことを取材に実篤公園に見えた方たちがあって、頼まれて少しばかり話し合った。  仕事部屋の絵をかく机の上に、穴のあいた硯があり、父がどんなに勉強家だったかが、話題になった。  

②本当に父がどれほど熱心に絵をかいたことか、それはなかなか口で説明しきれないことだった。  どう言っても、父のあの熱意の半分も伝え切れないとい思った。  しかし、硯がすりへって穴があくほどだったという事実は、驚くべきことに違いない。  (中略)

③そんな時、その人がふっと私に問いかけたのだ。  「実篤先生は、のんきにしていらしたことはないのですか」  私は一瞬、あっけにとられた。  思いがけない質問だった。  実は父ほどのんきの名人いないとも思っていたからだ。  (中略)

④それではどう言ったものか・・・さてむずかしい・・・と私はとまどう。  (中略)  父は勉強家だった。  特に亡くなる前年、せまりくる老衰と闘って、ものを書く父の姿に、強く胸をつかれた。  本質的に父は驚くべき努力家で勉強家だった。  本当にすごいエネルギーだった。

⑤しかし、また本当に父をのんびりの名人とも思い込んでいるのだ。  それも私が生まれて以来からの記憶にかけて、信じていることだ。  (中略)  実に意欲的で、書きたくて仕方なくて、そそくさと取りかかる。  その姿は一生懸命で、ひたむきだった。  元気な子供が動き回らずにいられないようだ。  自由に拘束されず、のびのびと、したいことをしているのだ。

⑥「健康だったら、したいことがあって早く起きたくなる」と父は言っていた。  努力するということが、厭なことでなく、もっとも自然な姿だった。  無心の境地に遊ぶとも見えた。  本当にのんびりしている名人だったと、やはり思う。

3.①父は意外に、はにかみやのところがあった。  大変自信家にみられるけれど、いつも進歩したいと思っていたようだ。  それで以前のことは、かまっていられないで、昂然とみえるらしい。  (中略)

②「おれはまだあきらめないんだ」と言い、「もうじきものになると思っているんだ」とつけたした。  「それはそうね」と私は笑ってしまう。  内心あきれてしまっている。  正確な年は忘れたけれど、仙川時代だから晩年のことで、八十ほどだったかと思う。

③本当に八十過ぎても九十になっても、あきらめたくなかった人だった。  父の印に「牛一歩」というのがあって、これは「モウ一歩」と読むそうで、まったくいつもその気だった。』

ちなみに武者小路実篤先生は1976年4月9日、満90歳で亡くなられています。



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