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市村直樹

1.5月17日(水)の夕方、掌道で菊澤院長の治療を受けた帰りに電車に乗っていると、江口芳治から電話が入りました。  降りてからかけ直すと、「今朝から市村が危篤になり、お兄さんも北海道から出てきました。」とのことでした。  覚悟しつつ電話が鳴るのを気にかけていましたが、その夜も翌日も連絡はありません。

19日(金)の午前中、下高井戸道場で朝練の指導中に江口から電話があり、「今朝6時55分に亡くなりました。  葬儀は市村本人の希望により家族葬・密葬で行います。」と告げられました。  夕刻、再び連絡があり、「お兄さんからも、城西の仲間は家族のようなものだから、という話がありました。  そこで葬儀の連絡をしたいのですが、いいでしょうか。」と相談されました。  

私も参加した21日(日)の通夜・22日(月)の告別式には、市村とともに稽古した城西0Bの支部長・分支部長や、大賀雅裕・遠藤浩・岡本徹などの古い弟子が出席してくれました。

葬儀は無宗教葬の形で行われ、式の間中、市村が大好きだった矢沢永吉さんの曲が流れていました。  通夜の席で江口から、本人の意向で隠していたが2年前から悪性リンパ腫を患い治療を行っていた、旨の話しがありました。  


2.以下は総本部のホームページに書かれた市村の経歴です。   

『市村氏は、1966年10月19日、神奈川県川崎市生まれ。  高校卒業後の85年4月に東京城西支部代田橋道場に入門し、88年第20回全日本大会に初出場。  94年3月の第2回全関東大会で準優勝して浮上のきっかけを掴み、同年第26回全日本大会で3位入賞。  その後全日本大会は第28回~第30回、第32回、第34回の5大会でベスト8入賞の実績を挙げ、無差別世界大会は第6回~第9回まで4大会連続出場を果たした(4大会連続出場は日本選手歴代最多タイ記録)。  96年1月に城西下北沢支部を開設し、支部長としての活動をスタート。  支部道場で後進を育成しながら、一昨年の第32回全日本ウェイト制大会まで現役選手として活躍した。』


3.最近は会うたびに体が細くなっていくようで心配はしていましたが、まさかこんなにも早く永遠の別れが来ようとは思いませんでした。

2月22日に総本部道場で国際親善大会の組み合わせが行われ、私はそこで大会運営について話をすることになっていました。  午前11時から約1時間話をします。  まだ組み合わせが終わっていないようなので、そのまま続けるように言い、一人でエレベーターホールに向かうと、なぜか市村が小走りで来て見送ってくれました。

今思い返すと、最後のあいさつのつもりだったのかもしれません。  私は「市村、体調はどうだ?  道場関係で何か手伝うことがあったら、何でも言ってくれよ。」と話しかけ、市村の背中に手で軽く触れました。  随分痩せたな、というのが正直な感想でした。


4.3月25日の黒澤浩樹に続く、市村直樹の50歳という年齢での早すぎる死です。  田村悦宏と同期ですが、すぐに実績を出し始めた田村に対して、市村は最初は中々勝てませんでした。  ですから、26回大会で3位に入賞した時は、指導者として本当に嬉しかったことを覚えています。

大山総裁が亡くなって1年後の1995年に組織の分裂騒ぎが起きました。  当時市村が所属していた分支部の関係で、一時は我々の組織から離れたこともありました。  しかし、その後すぐに私の会社に来て、「もう一度お世話になりたいので、よろしくお願いします。」と言ってくれました。  とても感激したことを昨日のことのように思い出します。

市村の極真空手に対する関わり方、最後まで現役選手にこだわったその求道者としての姿勢には、教えられることがたくさんありました。  何より、市村の「城西」に対する、あるいは「城西の仲間」に対する思いを無駄にすることなく、私も精進していきたいと思います。

城西の20周年・30周年のパーティーのオープニングを飾ってくれた市村の「永ちゃん」が、来年の40周年で見られないと思うととても淋しい気持ちになります。  

今までに出席した葬儀の中で、一番泣いた葬儀でした。  ご冥福をお祈りいたします。  合掌







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