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ナショナリズムとパトリオティズム

『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』(磯田道史著 NHK出版新書)を読みました。 『第四章「鬼胎の時代」の謎に迫る』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①日本の宣戦布告の詔勅は、明治このかた昭和まで「天祐を保有する日本国の天皇は」という文言が付き物で、「天皇は戦いに勝つための天の助けを生まれながらに持っている」と宣言してから戦を始めます。  極端な場合は、日本は、天の助けを持っているから、神風も吹いた。  だから、この国は負けたことがない、と考えます。

②国家をあげて超自然的なことがらを信じ教えているのは、その国家がある種の宗教団体であり、宗教国家に近い色彩を帯びていることを意味します。  つまり、明治の日本国家は確かに合理的な法にもとづく近代国家をめざしていましたが、超自然的な力を完全に排除したリアリズムと合理主義を持っていたかというと、そうでもなかったのです。

③では、なぜそのような時代が生まれたのか。  その背景には、ナショナリズムの暴走があると司馬さんはとらえていました。  ナショナリズムという言葉は、一般には国家主義と訳されるものですが、司馬さんは、お国自慢や村自慢、お家自慢、自分自慢につながるもので、あまり上等な感情ではないと思っていたようです。

④一方でナショナリズムと混同されやすい概念にパトリオティズム(愛国主義)がありますが、司馬さんは、愛国心と愛国者というものは、もっと高い次元のものだと考えていました。  ナショナリズムとパトリオティズムの違いについては、お国自慢のたとえで考えてみるとよくわかります。  

⑤たとえば、ある地域で自分はよい家に生まれたのだといって誇りに思っている人がいます。  その人が家柄を自慢し、他の家を馬鹿にする。  何ら自分の努力で手に入れたわけではなく、ただその家に生まれただけなのに他人を見下していると、自分は金持ちなのだから、貧乏人を従えて当然だという考えに陥っていきます。  自分がかわいいという感情が、自分の家がかわいいと変形したにすぎず、その「自分の家がかわいい」を「自分の国がかわいい」と国家レベルまで拡大したものがナショナリズムだというわけです。 

⑥対して「いや、自分はたまたま名家に生まれついたのだから、一層きっちりとして、さらに周りから尊敬される良い家にしよう」と考える人もいます。  これはいわば「愛家心」ですが、この感情を国家レベルでおこなうのが、司馬さんの言う「愛国心」に近いと思います。  自分の家をよくするだけではなく、周りの人たちのお世話までできる家にする・・・その高い次元の、真の愛国心を持った人が支配層にいる間はまだしも、そうではなくなってきたときに国は誤りをおかします。  そんな姿を司馬さんは活写しています。

⑦そして現実の歴史で、「お国自慢」の暴走が始まります。  日露戦争の勝利が、日本人を変えてしまう。  司馬さんは、次のように書いています。

「調子狂いは、ここからはじまった。  大群衆の叫びは、平和の値段が安すぎる(・・・とにかく講和したかった日本は、賠償金の権利を放棄し、樺太南半分の取得で妥協するしかなかった)というものであった。  講和条約を破棄せよ、戦争を継続せよ、と叫んだ。  『国民新聞』をのぞく各新聞はこぞってこの気分を煽り立てた。  ついに日比谷公園でひらかれた全国大会は、参集する者三万といわれた」(『この国のかたち』)

⑧実際には、日本の軍隊は戦線が伸びきって補給もままならず、一刻も早く、妥協してでも講和を結ばないといけない状態にありました。  しかし、国内の新聞はきちんとした報道をしません。  また、政府も日本軍が、じつは苦しいという事実を敵に知られてしまっては講和がうまく運ばないので、事実を国民に説明できませんでした。  国民も戦勝に浮かれて正しい判断ができず、ただ政府の弱腰を非難して外交担当者の家を取り囲み、日比谷で暴動(いわゆる「日比谷焼打ち事件」)を起こす始末でした。』

ちなみに私が応援するNFLニューイングランド・ペイトリオッツの「PATRIOTS」の訳は「愛国者たち」です。  

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