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市村直樹の言葉

ワールド空手9月号が発売中です。  和孝と竹岡優勝・恋之介4位のウェイト制大会や加賀4位のオールアメリカンが特集されています。  

そして、『追悼グラフ&ストーリー』として5月19日に亡くなった市村直樹が取り上げられています。  今回再確認しましたが、市村は1985年4月18歳で城西支部に入門、全日本大会の初入賞(第26回大会3位)が1994年10月28歳のときです。  全日本大会の最終の入賞(第37回大会7位)は2005年11月39歳です。  その両大会を含め、全日本大会に7回入賞(3位が2回、ベスト8が5回)、世界大会に4回出場、と遅咲きではありましたが極真史上に残る名選手と言っていいと思います。  

市村本人のインタビューから抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.「①試合前になると自分と向き合えるんですよね。  弱い自分と。  自分はまだまだ大したもンじゃない、大したことないなってことがわかるんです。  毎回毎回、いまだに緊張するということは、やっぱりまだまだ大した人間じゃないなって。  

②緊張することはいいことだと思うんですけれど、試合前になると自分というものがよく見えるんですよね。  緊張する自分、押しつぶされそうな自分。  試合がだんだん近付いてくると、圧迫感と向き合える自分がいる。

③だから自分にとって、試合に出るというのは不可欠なことであると思うんですよ。  自分の弱い部分が見えるから。  例えば、緊張感で身体に変調を起こします。  耳鳴りがしたり、節々が痛んだり、普段なんでもないところが異常をきたすんです。  それは精神的なもので来ることがあるんですよね。  自律神経が乱れるから。

④いろいろあるんですよ。  試合の1週間前から朝起きての立ちくらみとか、夜中の4時になるとズキズキと偏頭痛がするとか。  でも、試合が終わるとそんなことも嘘のように消えますからね。  トイレも3日前から夜中に3回も4回も行くんですが、試合が終わるとぐっすりと寝ています。

⑤結局、それらは弱い自分なんですよ。  そうやって弱い自分を発見できるんです。  何回試合に出てもそれはずっと続いています。」


2.「①(全日本大会初入賞の7か月前の関東大会準優勝について)その大会の辺りから、課題を持って試合をやるということが出来るようになりました。  考えながら、頭を使って稽古することの必要性もその頃から感じていたと思います。  ただ量をこなすのではなく、考えながらやる。  

②その頃から戦略のことを考え始めたんじゃないですかね。  それはそれでよかったとは思いますけれども、それまではただ試合をやればいい、と思っていました。

③(その関東大会は)優勝は出来ていませんが、少しづつ勝ち方が分かってきたような、力まないで試合が出来るようになってきた、自分が客観的に見ることができるようになってきた大会だったと思います」


3.「①弱い自分を克服するため、弱い自分がいるから稽古しないといけないし、壁を破るために試合に出るわけですから、強くなったと思ってはいけないんでしょうね。

②稽古の時は弱いと思って稽古する、試合場に立つ時は強いんだって思って立つ。  それは昔から変わっていません。  強いと思って稽古したら稽古にならないですよ。  弱いから稽古をするわけであって。

③普段の稽古で弱い自分が分かるんです。  例えば江口師範にミットで追い込まれている時に、時間が経って苦しくなってくると脳裏の中で弱い自分が顔を出すわけです。  弱い自分が顔を出すということは、まだ弱い自分がいるわけじゃないですか。

④だから追い込んでくれる人のところで追い込まないと、自分は試合には出られません。  自分一人で追い込めるほど強くはないですから。  追い込んでいただくと弱い自分が顔を出すわけです。  毎回毎回、それが壁なんです。

⑤いく時は〝絶対に今日は力を出し切る〟と決めて、悪魔の囁きに負けない、苦しくなったときに弱い顔が覗かないのが課題なんですけれど、出さないようにしてもどこかでほんの少し、弱い自分が出てしまうってことはまだ弱いわけで。   

⑥ミットをやっている時に、あと何分かなってタイマーをチラッと見てしまうとか。  時間なんて見るんじゃないよ、関係ないんだよって江口師範にバレて怒られます。  それは弱い自分です」』

『追悼グラフ』の中の市村の言葉も紹介します。

『“城西ここにあり”ってところをもう一回見せなければいけない。  優勝は個人の問題ですが、これから育ってくる若い城西の選手のためにも勝ちたい。』

市村直樹という弟子がいたことは、私の誇りです。

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