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日本人の道徳心

1.今年の4月17日に87歳でご逝去された、渡部昇一先生が書かれた『日本人の道徳心』(ベスト新書)を読みました。   「徳のある人格者、伊藤東涯」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①伊藤東涯の父である仁斎と荻生徂徠は、もともと因縁の関係にあった。  仁斎は京都、徂徠は江戸でそれぞれ儒学を探求していた。  (中略)  徂徠は晩年、仁斎を批判するようになった。  子供の頃から東涯は、徂徠が父を批判していることは知っていたはずで、徂徠に反感を持っていてもまったくおかしくない事情があったのだ。  (中略)

②東涯の弟子は、「徂徠がこんなことを言っていますよ」といいつければ東涯も喜んでくれるだろうと軽いノリで話を持っていったのだろうが、さすがは東涯である。  喜ぶどころか、反対に「実に立派な文章ではないか」と弟子たちを戒めたというのである。  徳のある人格者はやはり言うことが違う。

③伊藤家は儒学を単にひとつの学問としてだけでなく、人間性を向上させるための教えとして、これをいつも実践しなければならないと考えていたのだろう。

④伊藤仁斎・東涯親子も、徂徠も、学者として非常に優秀だった。  これは疑う余地のないところである。  

⑤ただ、これは私の持論でもあるのだが、学問をやっている人には二種類あり、その違いが両者の隔たりを生んだのだと思っている。  その二種類とは、「学問だけが優れている人」と「〝学問は人間性を向上させるためにある〟と捉えて勉強している人」のふたつである。

⑥学問を生業とする人間は常に後者であろうとすることが何よりも大切なのではないだろうか、と私は思う。』 


2.上の⑤と⑥の「学問」を「武道」、「勉強」を「修行」と書き換えても、次のように文章として成り立ちます。

『⑤武道をやっている人には二種類あり、その違いが両者の隔たりを生んだのだと思っている。  その二種類とは、「武道だけが優れている人」と「〝武道は人間性を向上させるためにある〟と捉えて修行している人」のふたつである。

⑥武道を生業とする人間は常に後者であろうとすることが何よりも大切なのではないだろうか、と私は思う。』 

極真空手の修行を通じて人間性を磨いていきたいものです。

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