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運・鈍・根 その2 

1月28日のブログのタイトルは『運・鈍・根』で、渡部昇一先生の著書からの抜粋でした。  4月26日の朝日新聞夕刊の連載『一語一会』ではジャーナリスト・田原総一朗さんが、祖母の志げさんの教えである『運・鈍・根』を挙げていました。  番号を付けて紹介します。

『①東京12チャンネル(現テレビ東京)を辞め、フリーになった40代の頃、パナソニック創業者松下幸之助さんに尋ねた。  「役員に抜擢するとき社員のどこを見るのか」。  「経営の神様」は答えた。  「運だ」。  難題にぶつかるほど面白がる人間はどんどんやる、すると運が開ける、と。

②田原家は近江商人の末裔である。  幼い頃に聞いた祖母志げさんの教えを思い出した。  「運・鈍・根」。  要領よく立ち回るな、バカになって根気よくやれば運は呼び寄せられる。

③東京12チャンネル時代は危険なディレクターだった。  大学紛争最中の1969年に制作した「バリケードの中のジャズ」は「ピアノを弾きながら死ねたら本望」という山下洋輔さんの思いを知って企画した。  内ゲバに巻き込まれかねない早大構内で演奏会を開こうと持ちかけ、決行までの一部始終を追ったドキュメンタリーだ。  後発局だったから視聴者に振り向いてもらうにはNHKや他のキー局が放送しない危ない番組を作るほかない。  「スポンサーも自分で見つけ、やりたいことしかやらなかった」

④仕事を干された時期に原発について月刊誌に書いた連載で、反対派に対抗するための住民向け広報活動を電通が仕切っていると暴露した。  相手はテレビ局の生命線の広告を握る業界最大手だ。  そのころは触れること自体タブーだったという。  上司2人が処分され、幹部から「連載をやめるか、会社を辞めるか」と迫られて退職した。  77年のことだ。

⑤改めて電通への興味が募り、雑誌連載を思い立つ。  何誌かに断られ、週刊朝日で連載「電通」を始めたら案の定、抗議が来た。  先方の当時の専務と激論を重ねるうち相手が次第に軟化し、やがて理解してくれた。  「難題に取り組むのは好きですね」

⑥テレビ朝日系列の「朝まで生テレビ!」が始まって2年目の88年、昭和天皇が病に倒れて列島を自粛ムードが覆う。  編成局長に目をつぶってもらい、放送開始から40~50分後、新聞のテレビ欄のタイトルにはない「昭和天皇の戦争責任」にテーマを移して左右両翼の論客と討論した。

⑦「好きなことしかしないからストレスがない。  だから今も現役でやれるんです」。  まさに「運・鈍・根」である。(田中啓介)』

4月30日、内部試合の後にも同じような話をしました。  極真空手の修行も、空手道ですから、長い道のりを歩んで行くわけです。  上記②の志げさんの教えと同様に、終わった試合の結果に一喜一憂しないで(鈍)、あきらめずに稽古を続ければ(根)、きっと勝利の女神が微笑んでくれる(運)と思います。

「運・鈍・根」も私の信条の一つです。

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