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市村直樹支部長を偲ぶ会

1.①昨年5月19日に市村直樹が亡くなってから丸一年が経ち、昨日は「市村直樹支部長を偲ぶ会」が開催されました。  札幌在住の市村のお兄さん、城西OBの支部長、市村道場の黒帯など、全国から大勢の方々が出席して下さいました。

②お兄さんから「極真ファミリーは素晴らしい」との言葉をいただきましたが、私は「市村がみんなに慕われていたからこそ、これだけの人たちが集まったのだと思います」とお答えしました。  私は市村について、マイナスの評価を聞いたことがありません。  参加者全員が、生前の市村の生きざまに感銘を受けていたのではないでしょうか。

③かって代田橋道場生だった、福井・杉山・後藤にも三十数年ぶりに合うことができました。  これも、市村が作ってくれた縁です。

④会の最後に、市村が大好きだった矢沢永吉さんの曲とともにスライドが紹介されました。  そこに書かれていた市村からのメッセージが素晴らしかったので、動画を撮っていた田村悦宏からメールを送ってもらいました。  別途、森善十朗からもメールで入手しました。

⑤それを今朝のブログの目玉にしようと思っていたら、なんと菊澤院長に先を越されていました(笑)  フェイスブックの投稿時間は1時間前となっています。  さすが菊澤院長、まさに「機に発し、感に敏」ですね。


2.ということで、当初の目算が狂ったため、今日は『日本史の内幕』(磯田道史著 中公新書)の中の「全人類のなかで」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①日本人口の世界シェアが最高になったのは、犬公方と呼ばれた徳川綱吉や赤穂浪士の元禄時代であって、この時、世界の20人に1人(5%)が日本人であった。  卑弥呼の時代は330人に1人(0.3%)しか日本人ではなかったのだから、よく増えたものである。  (中略)  現在は2%だが、西暦2100年には1%を切って、古墳時代の日本ほどにそのシェアを低下させると、予測されている。  (中略)

②アンガス・マディソンは、世界中の過去の国内総生産(GDP)推計で知られるが、江戸時代後期(1820年)の先進主要国のGDPを推計している。  それによれば、当時のアメリカのGDPを1とすると、日本のGDPはアメリカより経済大国で1.75倍、オランダは0.3倍、イギリスは2.8倍である。

③さすがに1850年になると、アメリカのGDPは日本の2倍近くに達するが、幕末日本は経済的にアメリカに対抗する力が十分にあり、武器はいくらでも買えたから、じつは、黒船ペリー艦隊は恐れるに足りなかった。

④ちなみに、昭和になって、日本がアメリカに戦争を仕掛けたときの、日米のGDP差は1対4.5。  工業力ではもっと差が大きかったから、これは無謀である。

⑤世界銀行は、2050年、中国・米国のGDPは日本の約8倍、インド・EUは約5倍になると予測している。  さてこの島国の世界シェアに占める人口ピークは1700年、軍事ピークは日露~満州事変、経済ピークは購買力平価で中国よりGDPが大きかった1970~2000年頃でもう過ぎた。

⑥そして、この国はもはや大国と軍事対決できる経済的実力はない。  経済の世界シェア=量が低下するならば、質を高めるしかなかろう。  小国化しても良質の「価値」を保つ国のあり方を研究しなくてはなるまい。』


3.同書の「安政地震下、江戸商人の日記」からも抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①安政江戸地震が起きたのはペリーが再来航した翌年の安政2(1855)年である。  (中略)

②安政江戸地震は旧暦10月2日に起きた。  当日の記述はこうだ。  「二日。  晴天。  夜亥の刻、大地震。  同刻、出火」。  (中略)

③三日は「少し地震」、四日も「少し地震」、五日は「中地震」、六日は「少し地震」、七日は「酉の刻随分大地震、同刻過ぎまで地震少々ずつ二度震う」とある。

④首都直下型の大地震になれば、われわれも最低五日間は余震の連続に見舞われる。  その覚悟が必要ということであろう。』


危うく菊澤院長とネタが被るところでしたが、何とか切り抜けました(笑)


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