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(2)昭和53年 『城西』誕生

1.昭和50年前後、極真会館の国内支部の数は、やっと10を超えるほどでした。  特に、東京には、池袋の総本部道場と、渋谷のマス・オーヤマ空手スクール ( 通信教育のスクーリング道場 ) しかありませんでした。  東京では支部道場を出さない、という方針のようでした。

2.当時、テレビ各局は、キックボクシングを放送していました。  また、そのころ、九州の空手団体がプロ空手の興行を始め、テレビでも取り上げるようになっていました。

 そこで、極真会館も郷田勇三師範を代表として、プロ空手興行に進出することになったのです。  そのための、道場が、北区田端にオープンしました。

3.プロ空手として、何試合か興行をやりましたが、結局は、途中で中止することになりました。  そこで、プロ空手の道場が、東京城東支部として生まれ変わったのです。

4.昭和52年ごろ、私は極真会館の支部道場を、やってみたいと思うようになりました。  その理由は、次のようです。

①城東支部ができたことで、東京でも支部道場を開設する道が開けたこと。

②このころ、友人で、年も同じの浜井識安君が、故郷の石川県で支部道場を開設したこと。

③受験勉強をやりながら選手を続けていたが、試験に合格したら、本格的に選手に復帰したかったので、そのための環境が欲しかったこと。

④公認会計士2次試験にチャレンジするに当たって、父には、大学院に通わせたと思って2年間だけ学費の面倒をみてくれるよう、頼んでいた。  昭和53年の本試験が不合格だと、必然的に仕事に就かざるをえない。  空手の指導は、大体、夕方からなので、就職するのに比べると、受験勉強の時間が取りやすいと考えたこと。

5.昭和53年の1月に、支部道場をやってみたい旨を、おそるおそる大山総裁にお願いしてみました。

 すると、 「 ぜひ、やってみろ。 」 とのご返事をいただきました。

 『 城西 』 が誕生した瞬間です。

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