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芦原英幸師範

1. 『 芦原英幸伝 我が父、その魂 』 ( 芦原英典・小島一志著 新潮社刊 ) を読みました。

2.小島さんとは付き合いが古く、過去に、空手の技術書も共著の形で、出版しています。  ご子息の大志君も、昨年から立教大学で、城西支部が管轄する同好会をスタートさせています。

3.私が入門した昭和46年当時、芦原師範は 「 極真会館愛媛県支部長 」 をされており、総本部道場にはいらっしゃいませんでした。  ただ、私は劇画の 「 空手バカ一代 」 を読んで極真会館に入門したので、当然、お名前は知っていました。

4.私が茶帯のころ、上京された芦原師範を、何度かお見かけしました。

 今で言う 「 イケメン 」 で、数々の武勇伝が響き渡っていた芦原師範は、私にとっても、あこがれの師範でした。
 
5.初めて声をかけていただいたのは、昭和48年の第5回大会の会場です。  直前の道場稽古で、鼻骨を骨折したため、トーナメント表に名前が出ているのに、出場しなかったのです。

 芦原師範に聞かれたので 「 鼻骨を骨折しました。 」 と答えると、 「 俺なんか何度も鼻の骨を折っているよ。 」  といって、自分の鼻骨を指で押さえたり、ひねったりされていました。

 その後は、出場した大会会場で、何度も声をかけていただきました。  試合に負けた場内で、 「 山田、組手をむずかしく考えすぎなんじゃないか。 」 とアドバイスをいただいたこともあります。 

6.私が支部長になった昭和53年当時は、まさに総本部道場の全盛時代でした。  その中にあって、二宮城光、中山猛夫といった、トップクラスの選手を輩出されており、指導者としても目標でした。

7.芦原師範は、昭和55年、極真会館を離れ、 「 芦原会館 」 を設立されました。

 その後は、残念ながら、お付き合いができませんでした。

8.大山総裁が亡くなられた翌年の1995年、50歳の若さで亡くなられました。  本に詳しく書かれていますが、ALS ( 筋萎縮性側索硬化症 ) という、10万人に2人という発症率の難病だそうです。

 ご冥福を、お祈りいたします ( 合掌 ) 。

 良い週末を。
 

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