2008.04.01 Tue
(6)昭和54年 大西靖人入会
1.昭和53年8月26日に、オープンした東京城西支部は、この年、60人の入会者がありました。 翌昭和54年も167人の入会、と順調にスタートしていきます。
2.私は、昭和46年8月に、極真会館総本部道場に入会しました。 ちなみに、後から本部の入会申込書を見て知ったのですが、私の次が、1日遅れで入会した竹和也師範 ( 極真会館九州本部長 ) です。
3.当時、高校3年生で、大学受験のため、あまり稽古に参加できず、本格的に道場に通い始めたのは、大学が決まった、昭和47年3月からです。
この年の5月に、東孝さんや浜井識安君が入会してきます。 浜井君とは年も一緒で、大変仲良くなりました。
4.浜井君を通じて、後に入会する、弟の浜井良明君 ( 極真会館中部本部長 ) とも親交がありました。 当時、法政大学の4年生だった良明君は、総本部道場に通っていました。 私が支部道場をスタートさせたことを聞いて、師範代を務めてくれるようになります。
5.ある日、良明君から 「 法政大学に 『 実戦空手同好会 』 があるが、一緒に稽古させてもらえませんか。 」 との話がありました。 私は 「 ぜひ参加するように。 」 と伝えました。
そこで、良明君に連れられてやってきたのが、3年生の大西靖人です。 昭和54年の夏前のことだったと思います。
6. 『 実戦空手同好会 』 のメンバーは、法制大学の応援団、空手部、拳法部などをやめた人間で作った右翼団体・義和会が母体となっていました。 まるで、当時はやっていた劇画の 『 花の応援団 』 そのものでした。
見かけはいかついものの、一緒に稽古したり、話してみると、素直な人間ばかりです。 今でも付き合いのある、野村、伊藤、湯城、成瀬、坂本などがいました。
7.結局、4年生の近藤を主将として、 『 実戦空手同好会 』 はそのまま 『 極真会館法政大学同好会 』 に形を変えることになります。
同好会としての入会なので、3月19日のブログに書いた、一般会員の入会記録の中に、大西靖人の名前はありません。
2.私は、昭和46年8月に、極真会館総本部道場に入会しました。 ちなみに、後から本部の入会申込書を見て知ったのですが、私の次が、1日遅れで入会した竹和也師範 ( 極真会館九州本部長 ) です。
3.当時、高校3年生で、大学受験のため、あまり稽古に参加できず、本格的に道場に通い始めたのは、大学が決まった、昭和47年3月からです。
この年の5月に、東孝さんや浜井識安君が入会してきます。 浜井君とは年も一緒で、大変仲良くなりました。
4.浜井君を通じて、後に入会する、弟の浜井良明君 ( 極真会館中部本部長 ) とも親交がありました。 当時、法政大学の4年生だった良明君は、総本部道場に通っていました。 私が支部道場をスタートさせたことを聞いて、師範代を務めてくれるようになります。
5.ある日、良明君から 「 法政大学に 『 実戦空手同好会 』 があるが、一緒に稽古させてもらえませんか。 」 との話がありました。 私は 「 ぜひ参加するように。 」 と伝えました。
そこで、良明君に連れられてやってきたのが、3年生の大西靖人です。 昭和54年の夏前のことだったと思います。
6. 『 実戦空手同好会 』 のメンバーは、法制大学の応援団、空手部、拳法部などをやめた人間で作った右翼団体・義和会が母体となっていました。 まるで、当時はやっていた劇画の 『 花の応援団 』 そのものでした。
見かけはいかついものの、一緒に稽古したり、話してみると、素直な人間ばかりです。 今でも付き合いのある、野村、伊藤、湯城、成瀬、坂本などがいました。
7.結局、4年生の近藤を主将として、 『 実戦空手同好会 』 はそのまま 『 極真会館法政大学同好会 』 に形を変えることになります。
同好会としての入会なので、3月19日のブログに書いた、一般会員の入会記録の中に、大西靖人の名前はありません。