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(12)昭和54年 首都圏交流試合

1.城西支部は昭和53年にスタートしたのですが、その2年前に城東支部が、城西とほぼ同時期に城南支部が、それぞれオープンしています。  それから2~3年のうちに、埼玉支部、栃木支部、城北支部なども開設されました。

2.昭和54年秋の第2回世界大会の後、12月に、城東支部亀戸道場において、第1回首都圏交流試合が開かれました。

 当時の全日本大会は、総本部全盛時代でした。 

 城東、城西、城南ともに茶帯の生徒が増えつつありましたが、全日本に出すにはまだまだ経験が足りません。  そこで、将来の全日本出場を見据えて、若手選手が経験を積む場を設けることにしたのです。

3.支部開設以来1年3か月間、私なりに工夫して教えてきたつもりでしたが、客観的な実力は未知数でした。

 結果的には、優勝・大西、準優勝・湯城(ゆうき)、第3位・石川と、ベスト3を城西の選手が独占します。  自分が育てた選手が試合に勝つ、という喜びを初めて体験しました。

 この後、首都圏交流試合は全日本選手権への登竜門(とうりゅうもん)となっていきます。

 首都圏交流試合の後、指導員確保の必要性もあり、大西を初段にし、城西最初の内弟子指導員としました。

4.後日談があります。

 結婚当初、私は南浦和に住んでいました。  昭和54年の年末に、大西を連れて、近くの西川口に住む盧山師範のご自宅に遊びに行きました。

 盧山師範から、交流試合優勝のお祝いに、ご自分が優勝された、第5回全日本大会の優勝トロフィーの1つを、大西に下さるということでした。

 ところが、頂いたトロフィーのプレートには、第5回ではなく、間違って、第15回全日本大会と書いてありました。

 そして、4年後の第15回大会で、大西は優勝することになります。

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