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(13)昭和55年 代田橋道場

1.昭和53年8月にオープンした東京城西支部も、昭和54年末までに、227人の入会があり(法政大学同好会を除く一般会員)、茶帯も10人を超え、大西という黒帯指導員も誕生しました。  しかし、稽古は相変わらず、小田急線参宮橋の「オリンピック記念青少年総合センター」で土・日・月曜日の夜、行っていました。

2.また、平日の稽古スペースの確保のため、昭和53年秋より、小田急線南新宿駅近くの代々木小学校の体育館を、週に1度借りていました。  学校行事が優先されるため、曜日は一定ではありません。

 冬のある日、7時からの稽古に間に合うように、代々木小学校に行くと、門の前に、生徒が立っています。  学校行事が急に入ったので、今日は体育館を貸せない、とのことでした。  

 仕方がないので、数十人の生徒とともに、西新宿まで20分ほどかけて歩き、当時の淀橋貯水場の広場(現在は高層ビル群の敷地になっている)で、野天稽古をしました。  石川君(当時、日体大陸上部)などが参加していました。  今となっては、いい思い出です(笑)。

3.そうは言っても、いつまでもジプシー道場を、続けるわけにはいきません。  生徒の全日本大会出場も、そう遠いことではなくなったので、常時稽古できる、常設道場の確保が必要になっていました。  また、生徒からの会費収入も、ある程度の額になってきたので、月ぎめ家賃の負担にも耐えられるめども立ってきました。

4.当時の東京では、月ぎめで賃借する空手の道場がほとんどありません。 イメージが良くないのか、 ビルの持ち主に、空手の道場というと、嫌がられました。

 当時の会員で、友人でもあった伊藤さんに手伝ってもらって、城西地区の物件を見て回りました。  なかなかなかったのですが、代田橋の大原交差点近くに、省東自動車というタクシー会社が持つ「大原ビル」が賃貸募集しているのを見つけました。  4階が40坪で、月の家賃が30万円でした。

 家賃は10万円台を考えていたので、予算オーバーです。  ところが、地下に、鶏卵の保管場所に貸していたという、倉庫スペースを偶然見つけました。  17坪で、家賃が共益費込みで、15万円程度だったと思います。  結局、そこを借りることにしました。

5.後から分かったのですが、地下で換気が悪く、おまけに地下の浄化槽から、蚊が大量発生します。  狭い・臭い・蚊が多いと、稽古スペースとしては、最悪に近い環境でした。  でも、後にその道場から、大西・黒澤・増田と、3人の全日本チャンピオンが誕生します。

 時間借りではない、常設の道場で、いつでもサンドバックを蹴られるようになったことが、とても嬉しかったことを思い出します。  手作りの道場で、壁のペンキは、過去にバイト経験があった大西が塗りました。

 

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