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谷川健一さん

1.日経新聞の今月の「私の履歴書」は、民俗学者の谷川健一さんが書いています。  ちなみに「私の履歴書」は1人の方が、月初から月末まで毎日書かれます。  つまり、月によって違いますが、28~31回の連載になるわけです。

2.5月1日の第1回目のテーマは、3月28日の私のブログでも紹介した『塞翁が馬(さいおうがうま)』でした。  箇条書きにして、内容を紹介します。  「・・・」の前が「不運に見えた事実」、「・・・」の後が「長い目で見た場合の幸運」です。

①幼時から病気がちであり、青年期にも療養し、病気には中年期までしつこくつきまとわれた。・・・戦時中、病気のために兵役を免除されて、戦地に赴(おもむ)かないで済んだ。

②40代の半ば結核が再発し、平凡社への勤務続行を断念し、筆1本の物書き生活を選ぶことにしたが、生活の不安があった。・・・自分の「全集」(全24巻)の刊行に立ち会うことができた。

③50歳間近くなって物書きになった。  終列車の最後尾の車輌に飛び乗って、やっと間に合ったという思いであった。・・・1962年に亡くなった民俗学の巨人・柳田国男の、稲作偏重(いなさくへんちょう)を真っ向から批判した『青銅の神の足跡』を1979年に上梓(じょうし・・・書物を出版すること)した。  その頃になると、柳田の威を借りた弟子たちの力もおとろえ、黙殺されることはなく、かえって賞賛される始末であった。

④1年のうち、3~4ケ月を旅ですごす日々を、1970~80年代の終わりにかけて、20年間すごしてきたが、その民俗調査は、大学や中央官庁や財団の援助を一切受けない、貧乏旅行であった。  また、いかなる団体にも属したことはなく、民俗学会にも入っていない。・・・昨年秋、文化功労者に選ばれたが、その主な理由は、独自の民俗学を樹立したという功績による。  在野の研究者として、独学者の孤立の道を歩んだことが、受賞につながったともいえる。

3.最後に、谷川さんは次のようにまとめています。

『 私の場合も「塞翁が馬」の故事通りで、当座は不運と見えたものが、長い目でみると、むしろ幸運だったと思う場合が少なくない。

 この年(現在、86歳)まで生きながらえると「人生は最後まで勝負の決まらないマラソンのようだ」と、つくづく思う。』

 次回は、5月8日の木曜日にお目にかかります。  よい連休を。  

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