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(17)昭和55年 大賀雅裕

1.昭和55年12月、第3回首都圏交流試合が行われます。  前年末の第1回では大西・湯城・石川の城西の3選手がベスト3を独占したのですが、6月に行われた第2回では水口・松下・増田と石川支部にベスト3を独占されてしまいました。  そういう意味においては雪辱戦です。  ただし、今回は石川支部からの出場はありませんでした。

2.城西同門の大賀雅裕と湯城正弘が準決勝で当たり、大賀が決勝に勝ち上がります。  もう一方の山からは早大同好会の岸田選手を破って、城南の堺貞夫選手が決勝進出しました。  

 堺選手は157センチ、60キロと小柄ですが、太気拳を取り入れた稽古で鍛えた、腰を落とした構えと受けのうまさで、この後もさまざまな試合で城西の選手は苦しめられることになります。  昭和61年の第17回全日本大会4回戦で、初優勝を飾った松井館長と当たり、再延長戦まで戦った試合は名勝負として、今でも記憶に残っています。

3.決勝では大賀が堺選手に判定勝ちし、支部としても前回の雪辱を果たします。  大賀は鴨志田(現・茨城常総支部長)と高校の同級生で、ともに昭和54年の春、緑帯で茨城支部から移籍してきました。  調理師学校を卒業し、和食関係に就職していたのですが、前回の交流試合で体の大きな黄帯の選手に押されて判定負けし、直後に退職し、空手に専念していました。

4.大賀は、首都圏交流試合・優勝3回、第1回ウェイト制大会・軽量級優勝、体重無差別の第17回全日本大会・6位入賞、などの実績を残します。

 私が今まで指導した選手の中で、道場でお互いに力を抜いて行うスパーリングのうまさでは、増田章と双璧(そうへき)です。  先日、私の父の通夜で久しぶりに会い、森善十朗や鎌田翔平らの若手選手に紹介しましたが、天才肌という面では善十朗と通じる部分があるかもしれません。

5.後に大賀は私のやっていた三軒茶屋道場を引き継ぎ、城西の分支部長を務め、指導者としても能力を発揮します。  全日本大会やウェイト制大会で、三軒茶屋道場から田村悦宏、田口恭一、川本英児らのチャンピオンを始め、上位入賞者が続出しました。  そして、その多くが現在は支部長を務めています。  

 大賀は今、極真会館を離れ、Jネットワーク代表としてキックボクシングの普及に力を注いでいます。

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