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(19)昭和57年 前半のニュース  

 昭和57年に入り、いくつかの出来事がありました。

①長女誕生・・・2月20日に長女が生まれます。  代田橋の杉山産婦人科で生まれました。  大賀と鴨志田を連れて、新生児室で寝ている長女を見に行ったことを思い出します。  

 その当時、大西・三和・大賀・鴨志田などの指導員が稽古後に、私の自宅に寄って、一緒に食事をしていました。  稽古が終わると、代田橋道場の向かいにあった銭湯に皆で行き、その後、自宅で食事をするのです。  いつもは家内が食事の支度をするのですが、出産前後は母が実家から来て食事を作ってくれました。

②公認会計士第3次試験合格・・・昭和55年の第12回大会出場まで空手の稽古に専念していたので、昭和56年の受験はあまり自信がありませんでした。  しかし、長女が退院した2月27日の官報に、幸いにも自分の名前が載っていました。

③松井館長が出稽古に・・・昭和56年の第13回全日本大会終了後のレセプションで話したことがキッカケとなり、松井館長が週に1回ウェイトトレーニングを中心とした出稽古に来ることになります。  

 初出場の第12回大会で4位に入賞した松井館長は、第13回大会でも3位となり、若干19歳にして、十分チャンピオンを狙える位置にまでつけていました。  

 道場開設から日の浅い城西支部にとって、全日本のトップ選手の出稽古は願ってもないことでした。  稽古した後は、皆で銭湯に行き、松井館長も交えて自宅で食事をしました。

④小笠原和彦が移籍入会・・・神奈川支部に所属していた小笠原は、緑帯で第12回大会に出場し、3回戦で松井館長と当たり、判定負けします。  天性の体の柔らかさを生かし、1回戦で一本勝ちしたのが印象的でした。  

 大賀が優勝した昭和56年6月の第4回首都圏交流試合を見に来ていて、年が明けてから、城西へ移籍したい旨の連絡がありました。

⑤森憲義が第6回首都圏交流試合で優勝・・・前回の第5回は惨敗でしたが、今回は、黄帯の森が初出場・初優勝を遂げます。  大変センスのいい選手で、大西と同様、入門後1年を待たずに黒帯になりました。  

 3位に三和、4位に皿山と、ベスト4に城西から3人の選手が入りました。

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