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後藤新平

1.昨夜、NHKの『その時歴史が動いた』で、後藤新平を取り上げていました。

2.以下は、ウィキペディアで検索した、後藤新平の経歴・人物からの抜粋です。

 『台湾総督府民政長官。  満鉄初代総裁。  逓(てい)信大臣、内務大臣、外務大臣。  東京市(現・東京都)第7代市長。  東京放送局(のちのNHK)初代総裁。

 計画の規模の大きさから「大風呂敷」とあだ名されたが、帝国主義日本の有能な植民地経営者で、都市設計者。  台湾総督府民政長官、満鉄総裁を歴任し、日本の大陸進出を支え、鉄道院総裁として国内の鉄道の整備に貢献した。

 また、関東大震災後、内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の都市復興計画を立案した。』

3.後藤新平は私が尊敬する人物の一人です。  20代の頃に伝記を何冊も読みました。  特に惹かれたのは、「大風呂敷」とあだ名されるほどの、その大きな構想力です。  後藤新平が関東大震災後に立案した復興計画の大きさを物語る逸話をウィキペディアから引用します。  

 『関東大震災の直後に組閣された第2次山本内閣では、内務大臣兼帝都復興院総裁として震災復興計画を立案した。  それは、大規模な区画整理と公園・幹線道路の整備を伴うもので、30億円という当時としては巨額の予算(国家予算の約2年分)のため、財界などからの猛反対にあい、当初計画を縮小せざるを得なくなった(議会に承認された予算は、3億4000万円)。  (中略)

 当初の案では、その幅員は広い歩道を含め70mから90mで、中央または車・歩間に緑地帯を持つと言う遠大なもので、自動車が普及する以前の時代では、受け入れられなかったのも無理はない。』

 この時、最初に30億円という、大きな予算要求をしたので、10分の1に削られても、ある程度の道路整備が出来たのだと思います。

4.番組の中で印象的だった後藤新平の言葉を2つ紹介します。  

①満鉄(南満州鉄道)初代総裁に就任したときの言葉です。

 「午後3時ごろの人間は使わない。  満州は午前8時の人間でやる。」

 実際に後藤新平は、30代、40代の若手の優秀な人材を招聘(しょうへい)し、満鉄のインフラ整備、衛生施設の拡充、大連などの都市の建設に当たったそうです。

②後藤が死の直前に残した言葉です。

 「金を残して死ぬものは下だ。  仕事を残して死ぬものは中だ。  人を残して死ぬものは上だ。」

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