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矢沢永吉さん

1.6月8日の朝日新聞に、矢沢永吉さんのインタビューが載っていました。  その一部を、番号を付けて紹介します。

『①僕が3歳の時に母は家を出てしまったし、小学校2年で父が亡くなった。  だから僕はあちこちの親類に預けられ、そして祖母に引き取られて育ててもらった。

②貧しかったですね。  生活保護を受けていたし、学校の給食費も、教科書代もすべて免除される。  そういう特典が恥ずかしくて、悔しくて、何で僕だけがそうなのか、こんな屈辱的なことはないと思っていた。  自分が親になったら、息子の給食費や教科書代は絶対払ってやると誓っていましたよ。

③道具が買えないからスポーツなども参加できなかったし、いつもおなかが減ってるし。  つまらない、つまらない、というのが口癖だったけれど、それを聞くと、おばあちゃんは「面白いところに行け」と言うだけ。  でも、涙ぐんでいることもあった。

④それでも僕がグレなかったのは、音楽に出会ったからです。  ベンチャーズがすごい人気で、エレキギターの音に、まず夢中になった。  もちろん買えないから、友達のを触らせてもらうだけ。  ビートルズを知ったのもその頃で、自分で作曲のようなことを始めたんです。  楽曲の本を買って、発声練習なんかも1人で始めて、プロになる気持ちが固まっていった。

⑤人がなんと言おうと、自分の夢は必ず叶(かな)うと思っていたのは、不思議だね。  それだけ今の境遇から這(は)い上がりたいと思っていたし、とことん音楽に夢中になる自分を信じられたんだと思う。

⑥音楽でスターになる、その思いの強さだけで広島を出てきたけれど、いい曲を作って、何でもやってやるという覚悟だけは大したものだった。

⑦僕は、成り上がるという言葉を大切に思っている。  自分の手で階段を上がっていくわけで、本当は、こんなにワクワクすることはない。  うちは裕福だからと、うそぶいている人だって、そのご先祖の誰かが成り上がったんです。  成り上がりの反対は、ぶら下がりだ。  やっぱりそれじゃつまらないよね。』

2.私の弟子にも市村や酒井など、矢沢さんの熱狂的なファンがいます。  このインタビューからでも、その魅力の一端(いったん)が分かるような気がします。

 衣装まで用意する、市村や酒井の「なりきり永ちゃん」は最高です(笑)。

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