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後藤新平その2

1.6月5日のブログで、後藤新平を取り上げました。  そこでも書きましたが、後藤新平は、私が尊敬する人物の一人です。

2.昨日紹介した『最高指導者の条件』(李登輝著 PHP研究所刊)の中にも、後藤新平に関する記述がありました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①1898年3月、台湾総督の児玉源太郎中将に請われて、民政長官の職に就いた後藤新平は、台湾に赴任した。  以後、9年弱の間、後藤は実務のリーダーとして、台湾開発事業を推進する。  (中略)

②当時の明治政府は、国家が強いリーダーシップを発揮し、指導するというスタイルをもっていた。  後藤による台湾開発もまた、明治政府の方式を踏襲する、台湾総督府による、強いリーダーシップに基づくものだった。

③後藤が赴任した当時の台湾は、匪賊(ひぞく)が横行して治安が悪く、コレラ、ペスト、チフス、赤痢、マラリヤなどの伝染病が蔓延(まんえん)する、瘴癘(しょうれい=湿熱の気候風土によって起こる熱病や皮膚病)の地であり、毒蛇の害が多く、アヘン吸引者が少なからずいた。

④産業には見るべきものがなく、未開発状態だった。  人民は漢民族と原住民からなり、文化、宗教もそれぞれ異なった。  司法、行政、経済制度のいずれの面でも、近代的社会から立ち後れた、未完成の地域だったといってもよい。  (中略)

⑤後藤新平の、強力なリーダーシップによって行われた台湾開発は、8年7ヵ月という短い期間でできたとは思えないほど、スケールの大きなものだった。  (中略)

⑥その後における台湾の経営・開発は、すべて後藤新平の敷いたレールの上を走った、といっても過言ではないだろう。』

3.最近の日経新聞朝刊で、北方謙三先生が書かれている連載小説『望郷の道』は、その頃の台湾が舞台となっています。

余談ですが、私の家内の母方の祖父は、当時の台湾の警察官でした。

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