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(25)昭和58年 第15回全日本大会に向けて

1.前年の第14回全日本大会を最後に、現役を引退した私にとって、昭和58年の第15回大会には、2つの意味がありました。

①一旦は、昭和55年の第12回大会で引退表明していた私が、どうしても諦めきれずに出場した第14回大会も、結局、ベスト16に終わっています。  私の全日本大会の成績は、以下の通りです。

・第6回大会(昭和49年)・・・4回戦で延長3回判定負け・・・ベスト16

・第9回大会(昭和52年)・・・4回戦で延長1回判定負け・・・ベスト16

・第10回大会(昭和53年)・・・2回戦で本戦判定負け・・・ベスト64

・第11回大会(昭和54年)・・・3回戦で本戦判定負け・・・ベスト16(出場選手64名)

・第12回大会(昭和55年)・・・4回戦で延長2回試し割り判定負け・・・ベスト16

・第14回大会(昭和57年)・・・4回戦で延長3回試し割り判定負け・・・ベスト16

自分の中で納得できるものではなく、自分の果たせなかった夢の実現、つまり、全日本チャンピオンを城西から出すために、選手指導に打ち込んでいました。

②第8回大会で佐藤俊和選手(秋田支部)が、第10回大会で二宮城光選手(愛媛支部→アメリカ支部)が、それぞれ優勝した例はあるものの、第1回大会以来、総本部中心の時代が続いていました。  第14回大会でも、総本部出身の三瓶啓二選手(福島県北支部長=当時)が3連覇を遂げています。

しかし、第13回大会・第14回大会の水口敏夫・増田章両選手の活躍は、支部の時代の到来を予感させるものがありました。   第14回大会で水口選手が準優勝、増田選手が第8位に入賞したのは、所属する石川支部の浜井識安支部長(当時)の、指導力のたまものだと思います。  

昭和50年代前半から、総本部で修行していた選手が、全国各地に支部道場をオープンさせていきました。  比較的早く支部道場をスタートさせた、浜井君の所から、まず有力選手が出てきたのです。  石川支部の活躍を見て、うらやましく思うと同時に、次は城西からとの想いも、私の中で高まってきます。

2.そんな諸々の想いが交錯する中で、昭和58年の夏も過ぎ、第15回大会が近づいてきました。

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