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五木寛之さん

7月30日の日経新聞夕刊に、作家の五木寛之さんのインタビュー記事が載っていました。  タイトルは、『「鬱(うつ)の時代」迎えた日本・・・「下り坂」生きる技 学ぶ時・・・』です。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①僕の言う「鬱」は、個人の病や、短期的な社会の気分ではない。  もっと大きな社会の流れとして実感している。  日本は、高度成長や万博、オリンピックに象徴される、「躁(そう)の時代」を終え、バブル崩壊後10年の低迷期を経て、今、「鬱の時代」を迎えたと考えている。

②身の回りを見れば、すべてが鬱の様相を呈している。  がむしゃらに働いたり、遊んだりする躁の生活様式に対し、ロハスやスローライフは鬱のそれだ。  エネルギーを消費せず、限られた資源でやりくりしよう、というエコロジーも鬱の思想。  予防を第一にするメタボは鬱の医学だし、敵が見えないテロとの戦いは鬱の戦争といえる。

③躁が50年続いたのだから、鬱も50年続くと見るのが自然だろう。  (中略)

④鬱はもともとエネルギーのある状態を指す言葉だ。  「鬱勃(うつぼつ)たる野心」とか「鬱然(うつぜん=立派なさま)たる大家(たいか)」、「鬱蒼(うっそう)たる樹林」など、すべてエネルギーと生命力を表している。  その力が出口を失っている状態が、現在の社会を覆(おお)う鬱の気分だと思う。

⑤鬱の時代に、人間が鬱の気分になるのは自然なことで、その気分をよりよき方向に向ければいい。  それには、今までの躁の思想では無理だ。  鬱の時代を生きるには、鬱の思想や鬱の政治、経済学が必要になる。  鬱の経済学とは、例えば、前年より売り上げを減らしても、質のいい純利益を確保する、というものかもしれない。  (中略)

⑥自分の欲求を外に向かって吐き出し、外面社会の充実をはかるのが、躁の時代だったとすれば、鬱の時代は、人間の魂の奥への踏査(とうさ)、冒険がなされるべき時代だろう。  それぞれが、心の中や足元を見つめる。  未来を語るより、過去を見直す。  語られなかった歴史の研究も、進むかもしれない。  (中略)

⑦今まで我々は、上る技術ばかり磨いてきたが、これからはゆっくり時間をかけて、下りる文化を磨けばいい。』

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