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(26)昭和58年 大西靖人と小笠原和彦

第15回全日本大会の選抜試合は、昭和58年春に代田橋道場で行い、大西靖人が優勝、小笠原和彦が準優勝しました。  当時、支部からの出場枠は2名なので、自動的に大西と小笠原が、第15回大会に出場することになりました。  大会に向けての、両者のコンディションを書いてみます。

1.大西靖人
①昭和56年に法政大学を卒業した大西は、その年の第13回大会・2回戦で川畑幸一選手(現・極真会館近畿本部長)に判定負けした後、仕事の関係で、一時大阪の岸和田市に住んでいました。  そこで『岸和田ボディービルセンター』という、パワーリフティングのジムに通い始めました。  その成果で、ベンチプレスで180キロ、スクワットで250キロを挙げるようになります。  また、体重も94キロに増えていました。

②前述のように、春の選抜試合に優勝したのですが、その後7月になって、B型肝炎が悪化し、東京女子医大に約1ヵ月半入院します。   大西は、体は大きいのですが、喘息(ぜんそく)で苦しむなど、体の弱さを併せ持っていました。  見舞いに行くと、道場から持ち込んだダンベルを持ち上げたりして、看護婦さん泣かせだったと思います。

③退院したときは、第15回大会まで3ヵ月を切っていました。  「今の体調からすると、大西には、あまり期待できない」というのが、その当時の私の正直な気持ちです。

2.小笠原和彦
①昭和57年に茶帯で移籍してきた小笠原は、城西の内弟子指導員を務めていました。  第14回大会の出場は見合わせましたが、第14回大会後の昇段審査会の組手トーナメントでは、圧倒的な強さで優勝します。  そのトーナメントには、第14回大会で、準優勝した水口敏夫選手と3回戦で当たり健闘した、森憲善も参加していました。  2人は決勝戦で対戦しますが、ほとんどワンサイドで、小笠原が判定勝ちします。

②昭和58年春の選抜試合では、決勝戦で大西靖人に延長・判定負けしましたが、大西が出場しなかった秋の内部試合では、決勝戦で大賀雅裕と当たり、中段突きで一本勝ちします。

③小笠原にとっては、昭和55年の第12回大会以来の全日本大会出場です。  私は、体調のすぐれない大西とは逆に、小笠原は何かやってくれるのではないか、という期待を抱いていました。

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